神雷部隊戦友会が靖国神社に奉納した「神雷桜」。東京都の標準木のそばにある

桜花を発案しただけなのに

若者に死を命じた責任を、自らの命で贖(あがな)う気概のない者たちが特攻隊を生み育て、出撃させ続けてきたのだ。

黒島は昭和40(1965)年、肺癌のため72歳で死去。中澤はB級戦犯に問われ、有罪判決を受け巣鴨刑務所で7年間服役したが、出所後は米海軍横須賀基地に勤務し、昭和52(1977)年、83歳の天寿をまっとうした。

軍令部で「特攻」を裁可し実行に移させた当時の最高責任者。左は軍令部第一部長(作戦)中沢佑少将(のち中将)、右は軍令部第二部長(軍備)黒島亀人少将
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特攻を現場で積極的に推進、神雷部隊作戦主任もつとめ、多くの若者を死地に追いやった中島正中佐は、戦後、航空自衛隊に入り、空将補まで昇進。退官後は鎌倉の私邸で趣味の陶芸に没頭し、悠々自適の日々を送った。平成8年、86歳で歿。

彼ら官僚軍人たちの戦後の生き方を顧みると、大田正一が「桜花を発案した」というその一点で、生涯戸籍も持てないまま姿を隠し続け、別人として暮らさざるを得なかったのだとすれば理不尽というほかない。

『特攻の真意 大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』 (光人社NF文庫)

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