私たちは「人前でエロ本を広げ」たいわけではないけれど―――「性的広告の配信停止」ニュースに見る、滑り坂の危険性

電子コミックの性的広告が配信停止になる、とのニュースが、Xで話題を呼んでいます。

さて。
「性的な電子コミック広告」の配信停止については、表現者の立場からも一概に否定できない側面があります。ゾーニング(閲覧環境に応じた適切な区分け)が十分に行われてこなかった結果、作家の意図とは異なる形で断片的に切り取られた広告が、不快感や誤解を生むことがあったのは事実です。

とはいえ、こうした動きが「ひとまず妥当」と受け止められた先には、“正しさ”を理由にあらゆる表現を萎縮させる連鎖が起こりうる、という懸念も拭えません。この文章では、意外と伝わりにくい、「表現規制の滑り坂」への懸念について説明していこうと思います。

たとえば、今回の対応に対して、国民民主党の山口花議員は「児童ポルノに近いシーンのみが切り取られ、誤解を招く」としてゾーニングの重要性に言及し、反表現規制界隈で話題になっていました。

確かに、ゾーニングの強化には意味があります。しかし、同時に問い直したいのは「児童ポルノに近い」とは誰がどのように判断するのか、という点です。この表現は、創作表現の過剰な検閲を求める人々に、これまで恣意的に用いられてきました。

たらとえば、「顔を赤らめた美少女」「体のラインが見える服装」「ポーズが曲線的である」といった描写が、「性的搾取」や「女性蔑視」として非難の対象になったことがあります。いわゆる「赤いきつねCM」のように、「若い女性がうどんを啜る」だけのアニメーションですら、炎上の対象とされるところまで、事態は進んでいます。

こうした規制の動きの背後には、女子差別撤廃条約(CEDAW)の国内実装に伴うロビイングの影響や、EU発のサイバー犯罪条約(ブダペスト条約)への準拠方針など、国際的な枠組みを通じた外圧的な規制強化の流れも存在します。とりわけジェンダーや子どもに関わる表現は、国際基準を名目に、文化的背景を無視して一律に“有害”とされるリスクが高まっています。

表現の自由を擁護する立場の人々の多くは、何も「不特定多数に無差別で性的なコンテンツを見せたい」と主張しているわけではありません。むしろ、程度の差はあれ、見る人を選ぶ工夫をしたい、適切な場所での表現のあり方への配慮が全く不要とはいえない、との意見は少なくないのではないかと思います。好き好んで波風たてたい人はそんなにいないでしょう。

けれども、その“配慮”がいつしか“抑圧”へとすり替わってしまう、すり替えられてしまうことは、表現検閲の歴史が証明しています。だからこそ、慎重に、そして継続的に目を凝らす必要があるのです。「最初の一歩」に納得できたとしても、その先に何歩、どこまで進んでしまうのか――注意を払う必要があります。

私たちが歓迎した一歩であっても、それが望ましい結果、ささやかな不便や不快の改善だけをもたらすとは限りません。

例えば、世間に流通する書籍。消費主体がインターネットに移行していった流れの影響は無視できないとはいえ、有害図書指定→R18コーナー→撤去→「売れないから仕入れない」=実質的な検閲と市場締め出しが起きました。これは、「エロ本」消費に一部を支えられていた書籍文化の衰退を招いた一端とも言えます。

例えば、AV新法。出演強要は無論問題ですし、それへのアプローチとして歓迎されたはずでしたが、実態は「すべてのAVは有害」とする立場の人々が牽引する法案であり、彼らが政策に影響力を持った結果、現場の萎縮と作品数の激減を招きました。守られるべきは出演者の意思だったはずが、結果的に製作関係者や希望者の仕事までも奪う形となりました。

今回話題になっているインターネットの配信型広告は、大量生産・大量配信システム上に細かい規制が難しいので、「これは不快だから、規制すべきだ」とみながやりはじめると、際限ないエスカレーションが起き、それこそ「anime的な、未成年にみえる(かもしれない)キャラクターは、一切掲出できない」といったような事態に繋がる可能性があります。

繰り返しますが、表現の自由を擁護する立場の人間は、ほとんどの場合、何も「不特定多数に無差別で性的なコンテンツを見せたい」と思っているわけではないはずです。趣味を同じくする人々と容易に繋がれるインターネット時代、「わかっている人」同士で楽しむほうが間違いなく楽しいですし、「気持ち悪いから」と迫害されることもありません。
「適切なゾーニングが行われれば、オタク文化への偏見はなくなり、オタクは成熟した社会集団とみなされるようになる」といった願望を抱いたことのある人は少なくないでしょう。しかし、そこに罠があります。

ゾーニングへのうごきは避けがたいにしても、「表現そのものの封殺」へ至る導線にされるのは避けるべきです。
しかし、「適切なゾーニング」は言うほどかんたんではありません。そこには厳格な抑制が必要であり、抑制は、「ちうどいい感じなゾーニングが行われてほしい」という、素直な人間感情の真逆にあります。適切なゾーニングとは、万人にちょっとした不快を残すものです。
一方、ゾーニングが表現そのものの封殺に繋がる事態は、私たちが想像するより容易に起きます。更には、広告やエンターテイメント表現への検閲に留まらず、より広範な表現規制に繋がる可能性があります。
包括的なマンガ文化や性表現の検閲を求める人々(検閲利権が欲しい、きらいだ、宗教的な信条に反する、など色々あるのでしょうが……)は、広告規制の裏側で、この動きを常に加速させようとしているでしょう。

「一見合理的な一歩」が、「不可逆な検閲」のスタートラインになる可能性を踏まえておく必要があります。検閲を望む人々にとって、この一歩によって、「虐殺は既に始まっている」のです。
SNS言論規制とあわせて、今後の流れによっては、今回の広告規制は大々的なネット空間の検閲に繋がるかもしれません。私はすごく不安に感じていますし、それが杞憂であればと願います。


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ここからは、せっかく書いたんで投げ銭ゾーンです。特に何もありませんが、後から加筆するかもです。

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