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第241話 挿話57「バレンタインと吉崎鷹子さん」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、危険な世界に生きている者たちが集まっている。そして日々、弱肉強食の戦いを繰り広げている。

 かくいう僕も、そういった、戦いに身を置き続ける系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、荒廃した世界で暮らす面々の文芸部にも、文明の殻に包まれた人が一人だけいます。モヒカン、プロテクターのヒャッハーに襲われた、お姫様。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


 そんな楓先輩と僕の文芸部は、今日は少しお休み。二月の恋愛行事が近付く中、僕は緊張しながら過ごしていた。


 文芸部の部室。十六時十分。その日僕は、なぜか吉崎鷹子さんと、二人きりで過ごしていた。


 鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕にアニメや、マンガや、ゲームをよく持ってこさせるモヒカン族だ。そして、僕を部室の真ん中に立たせて、それらの作品の批評や解説をさせる、恐ろしい人だ。

 その鷹子さんは、長身でスタイルがとてもよく、黙っていればモデルのような美人さんだ。でも、しゃべると怖い。手もすぐに出る。武道を身に付けていて、腕力もある。ヤクザの事務所に、よく喧嘩に行く。そして、何もしていなくても、周囲に恐るべき殺気を放っている危険な人なのだ。


 そんな人と、一対一で対峙している。それは虎のいる檻に、一人で放り込まれた状態に等しい。

 なぜ、こんなことになったのだろう? 満子部長は、職員室に用があって席を外している。楓先輩は、図書館に本を返しに行っていた。睦月は水泳部に顔を出していた。鈴村くんは、後輩に相談を受けて外出していた。瑠璃子ちゃんは、先生の手伝いに駆り出されていた。


 その結果、文芸部の部室には、僕と鷹子さんの二人だけという、珍しい状態になっていたのである。そして鷹子さんは、部室の中央の机に向かい、ノートを開いて、鬼気迫る形相で勉強をしていた。


「サカキ。コーヒー」


 ノートに目を落としたまま、ぶっきら棒な口調で、鷹子さんが告げた。


「あの、鷹子さん。インスタントでよろしいでしょうか?」

「ああ」


 やばい。とても、やばい。空気が、ぴりぴりとしている。一触即発。少しでも逆らえば、ロケットパンチが飛んできそうな雰囲気だ。

 僕は、猛ダッシュで、部室の端にある水道に向かい、やかんに水を入れて、コンロにかける。


「まだか?」

「えー、あの。水は一瞬では沸かないですよ」


「サカキの力で、何とかしろ」

「無茶を言わないでくださいよ~~~!」


 僕は、涙目になりながら、鷹子さんの前の席に座った。


 会話の間も、鷹子さんは、ノートに顔を向けて、真剣な顔をしている。

 僕の知る限り、鷹子さんが真面目に勉強をしている姿は、この二年見たことがない。鷹子さんの成績は、低空飛行の僕と似たり寄ったりだ。時期的に、受験勉強をしているのだろうけど、今さら本気になっても、たかがしれているように思えた。


「あの。鷹子さんは、高校受験の勉強をしているのですか?」

「ああ。それ以外の、何に見える?」


「えー、そうですよね。ところで、鷹子さんは、どこを受験するのですか?」

「花園高校だ」


「ぶっ! それって、この地域で一番成績がいい高校じゃないですか!!!」

「悪いか?」


「悪くはないですけど、鷹子さんの成績だと、無理じゃないですか?」

「そんなことは、百も承知だよ。……満子と楓の第一志望校だからな」


「あっ……」


 僕は、納得の声を出して、鷹子さんの姿を見た。

 鷹子さんは、文芸部の同級生と同じ高校に行きたいのだ。だから、こんなぎりぎりの時期に、必死になって勉強をしているのだ。


 そう。満子部長は、普段の言動とは裏腹に、成績はすこぶるよい。毎回、学年十番以内に入っている。楓先輩も、満子部長ほどではないが、テストの点数は高い。その満子部長と楓先輩と同じ高校に進むには、かなりの勉強をしなければならないはずだ。


「大丈夫ですか?」

「ああ。満子に予想問題を作ってもらい、満子の解説を読んで猛勉強している」


「満子部長に、おんぶに抱っこですね」

「仕方がない。頭のできがまったく違うからな」


「高校受験、大変ですね。一発本番のテストを突破しないといけないですから」

「いや、逆に助かっている。普段の素行を見られたら、勝算がないからな。たった一度のテストでいいから気が楽だ。私は本番に強い。勝負師だからな。まあ、何とかなるだろう」


 鷹子さんは、本気の口調で言う。

 何と楽観的なのだろう。ポジティブと言うか、前向きと言うか。テストに受かる気でいる鷹子さんを、僕はしげしげと眺めた。


「鷹子さんは、満子部長と同じ高校に行きたいんですか?」


 鷹子さんと満子部長は、小学校の頃からの仲だ。中学になってから知り合った楓先輩よりも関係が深い。鷹子さんと満子部長は、親友と言えるような間柄だ。きっと同じ場所で青春時代を過ごしたいのだろう。


「幸いなことに、満子は地元の高校に進むらしいからな。それなら、まだ追いかけられる。あいつの頭のよさなら、地元を出てもおかしくないからな」

「言われてみれば、そうですね」


 鷹子さんは、ノートに向けていた顔を上げた。その表情は、どことなく疲れているように見えた。相当根を詰めて、学力の穴を埋めているのだろう。


「同じ高校でないと、駄目なんですか?」


 大変そうだなあと思って、僕は尋ねる。


「ああ、疎遠になるだろう。高校時代の三年は、社会人になってからの三年とは違うだろうからな」

「その三年後、満子部長はきっと大学に進みますよね。その時は、どうするんですか?」


「高校では、運動部に入ろうかと思っている。柔道辺りで全国大会に出て優勝しておけば、好きな大学に推薦で行けるはずだからな。そうすれば、さらに四年ぐらいは、満子と一緒にいられる。同じ大学に進めなくても、同じ地方ぐらいには住めるだろう」


 そういえば鷹子さんの父親は空手の師範で、母親は柔道の元選手だった。当然、柔道も学んでいるのだろう。鷹子さんが本気になれば、全国優勝はともかくとして、かなりのところまで行けるのではないかと思った。


「大学のその先はどうするんですか?」

「どうだろうな。その時次第だ」


 鷹子さんは、僕の顔を見ながらつぶやく。


「鷹子さん自身は、どんな人間になりたいんですか?」


 僕は気になったので尋ねる。鷹子さんの話は、満子部長のあとを追うことばかりだ。鷹子さん自身の、夢や目標といったものは何もない。そういったものはないのだろうかと、僕は疑問に思った。


「分からないよ」

「分からないんですか? 自分のことなのに」


「ああ、分かるわけがないだろう。私はまだ子供だからな」

「子供ですか?」


 僕は、鷹子さんの立派な体を見ながら尋ねる。


「ああ、そうだよ。人によっては、子供の頃から夢や目標がある人間もいる。でも、そんなのはごく一部だろう。ほとんどの人間には、そんなものはない。だって、世の中に何があるのか、どういった世界があるのか、知らないんだからな。


 だから、私は満子のそばにいたいと思う。あいつは、自分の世界を持っている。自分の未来を見据えている。放っておいても、高みに登っていく人間だ。そのそばにいれば、何かが見えるかもしれない。私が知らないことを、体験させてくれるかもしれない。


 満子はな、そういった期待を私に抱かせてくれる友人なんだよ。そうやって見えた世界を知ったあとに、自分のことを考えてもいいだろう。

 だいたい、自分がある人間なんて、この世にどれだけいるんだよ? 自我が目覚めないうちに、死ぬ人間の方が多いんじゃないのか。少なくとも、私にはまだ自分がない。満子にはそれがある。そういった相手と一緒にいたい。理由としては、充分だと思うがな」


 鷹子さんは、再びノートに顔を向ける。僕は、鷹子さんの姿をまじまじと見た。

 ただ、喧嘩に明け暮れているだけの人だと思っていた。そんなことを考えているとは、思ってもいなかった。

 どうやら鷹子さんは、僕よりも少しだけ大人らしい。僕も鷹子さんと同じように、将来のことは考えていない。だけど、そんな僕より鷹子さんは、一歩だけ先に進み、世間と向き合っているようだ。


「勉強をしていなかったことを、後悔していますか?」


 必死になってあがいている鷹子さんを見て尋ねる。鷹子さんは拳を握り、僕の頭をぽかりと叩いてきた。


「後悔なんかしていないよ。この三年、楽しんだからな」


 その言葉に偽りはなさそうだ。僕は、鷹子さんの勉強姿を眺める。


「部室だけでなく、家でもきちんと勉強をしているんですか?」


「ああ、最近はな」

「エロゲは?」


「エロゲと言うな。美少女ゲームと言え」

「プレイしていないんですか?」


 鷹子さんの目が泳ぐ。


「画面を付けているだけだ。可愛い子に囲まれていると、やる気が出るだろう」


 鷹子さんの受験が、少しだけ心配になった。

 僕は、視線をやかんに移す。白い湯気が上がっている。お湯が沸いたようだ。僕は、インスタントコーヒーを入れるために、立ち上がろうとする。


「おい、サカキ」

「何ですか?」


「口を開けろ」

「えっ? はあ」


 僕が口を開けると、鷹子さんが手を動かして、何か小さなものを投げ込んできた。それは、甘くて苦かった。


「眠気覚ましのチョコだよ。二月十四日は受験だから、私たち文芸部の三年生は、みんないないからな。二年間、後輩をしてくれて、ありがとうな」


 鷹子さんは、にこりと笑った。その表情に、僕ははっとする。いつも険しい顔をしている鷹子さんは、そういった顔をすると、誰よりも美人に見えた。


「鷹子さん。新しい、エロゲはいいんですか?」


 僕は、顔を近付けて、鷹子さんに聞く。


「馬鹿野郎。美少女ゲームだと、言っただろう」


 ノートに顔を落としたまま、鷹子さんは答える。僕は表情をゆるめる。鷹子さんから離れてコンロの前に立ち、インスタントコーヒーを入れた。

 鷹子さんは、真剣な表情で勉強をしている。僕は大きなマグカップを、鷹子さんのノートの横にそっと置く。


「ありがとうな」


 優しい声が聞こえる。


「いえいえ、これぐらいなら、いつでも」


 僕は笑顔とともに答える。そして席に座り、一生懸命勉強している鷹子さんを、しばらく眺め続けた。


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