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第230話「どや顔」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、なぜか得意げな者たちが集まっている。そして日々、うぬぼれることに邁進して生き続けている。

 かくいう僕も、そういった自信過剰系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、自己愛に溢れた面々の文芸部にも、自分を客観視できる人が一人だけいます。ナルシストばかりの花園に現れた、真実をズバズバと告げる少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、指をきれいにそろえて、太ももの上に置いている。僕は、その楓先輩の、スカートの下にある太ももの様子を想像する。お行儀よく、ぴたりと閉じられており、何者の侵入をも拒み続ける、鉄壁の要塞のようだ。僕は、その要塞の扉を、最初に開ける人間になりたい。そういった卑猥な想像をしてしまい、思わず鼻血を出しそうになりながら、声を返した。


「どうしたのですか、先輩。ネットで、見慣れない言葉を目撃したのですか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。ネットの神様がもし存在するなら、きっと僕を神の子に指名するぐらいには、ネットに慣れ親しんでいます」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、毎日細々と書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、自信満々な人々の書き込みを目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「どや顔って何?」


 楓先輩は、僕の目を真っ直ぐ見ながら、丁寧な口調で尋ねてきた。ああ。楓先輩は、どや顔とは無縁な女性だ。おごることなく控えめな感じで、他人と比べて自分を誇示したりはしない。

 そう。楓先輩は、肉体的にも、精神的にも、人と争うことを好まないタイプだ。どや顔をするのは、先輩とは反対に、そういった闘争を好む手合いだ。


「そうですね。どや顔は、喧嘩をした直後の、鷹子さんみたいな顔ですね」


 僕は、気軽な調子で、楓先輩に答えた。


「はあっ? 私の顔が、どうだって言うんだ!」


 部室の入り口から、怒りを交えた恐ろしい声が聞こえてきた。僕は、恐怖のために全身を凍りつかせる。えっ? 鷹子さんは、先ほどまで部室にいなかったはず。振り向くとそこには、拳を血で染めた、まさに喧嘩帰りの吉崎鷹子さんが立っていた。


 鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕にアニメや、マンガや、ゲームをよく持ってこさせるモヒカン族だ。そして、僕を部室の真ん中に立たせて、それらの作品の批評や解説をさせる、恐ろしい人だ。

 その鷹子さんは、長身でスタイルがとてもよく、黙っていればモデルのような美人さんだ。でも、しゃべると怖い。手もすぐに出る。武道を身に付けていて、腕力もある。ヤクザの事務所に、よく喧嘩に行く。そして、何もしていなくても、周囲に恐るべき殺気を放っている危険な人なのだ。


 その鷹子さんが、こちらをにらみながら、僕と楓先輩の前まで歩いてきた。僕は、体を小さくしながら、やってしまったと後悔する。


「ねえ、サカキくん」

「何でしょうか、楓先輩」


 僕と鷹子さんの間の不穏な空気を読めない楓先輩が、声をかけてくる。


「どや顔というのが、喧嘩直後の鷹子の顔のようなものだと言う話なんだけど、事例が一つだけでは、いまいちどんな顔なのか分からないの。もう少しきちんと説明してくれないかしら?」


 楓先輩の言葉に応じるように、鷹子さんが鋭い視線を僕に向ける。


「そうだな。私もサカキの説明を聞きたいな。どや顔というのが、どんな顔なのか、きっちりと説明して欲しいところだな」


 僕は、楓先輩と鷹子さんに挟まれて、逃げ場を失った状態になる。

 くっ、どうして僕は、毎回地雷を踏んでしまうのか。僕の人生には、地雷しか埋まっていないのか? いや、地雷を埋めたのは僕自身だ。僕はなぜ、地雷を埋めながら歩くという不可解な行動を取るのか? いったい僕には、どんな原罪があるというのか。


「えー、どや顔というのは、ネットでよく見る言葉ですが、ネット発祥の言葉ではありません。得意顔や、したり顔のことで、関西の方言の『どや!』『どうや!』から来ています。

 ちなみに、どやは、『どうだ?』という確認の言葉です。どや顔の『どや?』のシチュエーションは、こんな感じです。自分が何かをおこなったあとに、『なあ、すごいだろう!』と、周囲の人に自己を誇る確認をする。そういったものです。

 どや顔は、こういった感じで自慢している際の、得意げな顔を指します。


 さて、このどや顔には、いくつかのパターンがあります。

 上向きの顔で、目線を下にして、相手を見下すようなポーズを取るどや顔。顔を下に向けて、相手を見上げて、にやりとするどや顔。体は横向きなのに、顔だけ相手に向けて、カメラ目線で笑みを浮かべるどや顔。

 そういった感じでいくつかのパターンが見られます。


 このどや顔という言葉自体は、昔からあったものです。その言葉が、関西出身のお笑いタレントなどが使用することで、若者の間に広まりました。


 ネットでは、得意げな人を叩いたり、揶揄したりする傾向が強いため、どや顔の人や写真などを茶化したり、こき下ろしたり、いじったりすることが多いです。また、ネット民は、そういった得意げな人を馬鹿にしたり、面白がったりする傾向が強いです。

 そのため、ネットと、どや顔という言葉は相性がよく、よく使われています。」


 僕は、どや顔について説明を終えた。


「おい、サカキ」

「何でしょうか、鷹子さん?」


「サカキの今の説明だと、どや顔という言葉を使う際は、相手を馬鹿にする意図が含まれているようだな」

「えー、そうとは限らないのではないでしょうか? したり顔、得意顔という意味ですから。鷹子さんが相手を負かして勝ち誇っている、得意絶頂状態だと解釈していただければ、よいかと思います」


 何とかして鷹子さんの怒りを静めようと、僕は逃げの一手を打つ。


「ねえ、サカキくん」

「えー、何でしょうか、楓先輩?」


 楓先輩、早くこの話題から離れてください! 僕は、そう思いながら、声を返す。しかし、楓先輩は、僕の意図通りには動いてくれなかった。先輩は、あくまで、どや顔を追求し続ける。


「どや顔のことは、よく分かったわ。ネット文化と相性がよいのよね?」

「ええ、とても親和性が高いです。ネットの文化と、どや顔という言葉には、引力のようなものが存在していると、僕は思います」


「ということは、日本以外でも、どや顔に相当する言葉があるはずよね。英語でどや顔は、何て言うの?」


 楓先輩は、好奇心の塊のような顔をして尋ねる。先輩は、いつものように、僕を見上げて、にっこりしている。僕は、その表情が、悪魔の微笑のように思えた。


 なぜここまで的確に楓先輩は、僕を地獄に叩き落とせるのだろうか? もしかして、狙ってやっているのか。いや、ネットについて知識がない楓先輩が、そんな高度なことをできるはずがない。圧倒的な、言葉に対する嗅覚。それがきっと、猟犬のように、僕の逃げ道を封じて、的確に僕を地獄に導くのだろう。


 どや顔を英語に翻訳すれば、トロールフェイスになる。そんなことを説明すれば、僕は鷹子さんのバイオレンスに巻き込まれる。

 しかし、楓先輩の質問は絶対だ。楓先輩に思いを寄せている僕が、先輩の頼みを断れるはずがない。僕は、死を覚悟して説明を開始する。


「どや顔を英語で言えば、トロールフェイスになります」

「トロールの顔? どういうことなの」


 楓先輩の問いに、僕は殉教者のような気持ちで答える。


「トロールというのは、北欧の伝承に登場する妖精です。地域によってその姿は異なり、人間より大きくて凶暴な妖精だったり、小人の妖精だったりします。一般的なイメージでは、巨大で、怪力で、凶暴な、鬼のようなモンスターというものです。

 このトロールという言葉は、ネット上では、場を荒らす『荒らし』と言われる人や、挑発的な発言を意味する『釣り』と呼ばれる行為をする人を指します。また、そういったトロールによる行為をトローリングと言ったりします。


 こういった背景を紹介した上で、トロールフェイスについての説明をおこないます。このトロールフェイスという言葉と画像の発祥は、アメリカの匿名画像掲示板群4chanと言われています。

 そこに掲載された、トロールの理想と現実といった内容のマンガの顔が、非常に特徴的で、みんなに受けました。そして、様々な派生作品が生み出されました。その顔が、まさに、どや顔としか言いようのないものだったのです。

 そのため、どや顔をトロールフェイスと呼ぶことが、英語圏を中心に広がりました」


 僕は、そこまで説明して、楓先輩の理解のために、トロールフェイスの顔を検索して表示する。その画像を、楓先輩と鷹子さんは見た。


「なるほどね。これがどや顔というものなのね」


 楓先輩は、何度も頷きながら言った。


「なるほどな。これが、サカキが言っていた、私が喧嘩の直後にしているという顔なのか」


 鷹子さんは、何度も指を鳴らしながら告げた。僕は、その様子を、恐れおののきながら眺める。そして、拳の一撃から逃れるために、席を立った。


「というわけで、説明がすべて終わりましたので、僕は旅に出たいと思います」

「おい、サカキ、どこに行くんだ?」


 扉に向かおうとした僕の肩を、鷹子さんがつかんだ。


「えー、ですから旅に」

「お前は、冥土に旅をしろ!」


 鷹子さんは拳を振り上げて、僕の頭に一撃を食らわせた。ぎゃふん! 僕は、潰れたゴキブリのように、べちゃんと床に横たわった。


 うわあ~~~ん。冥土に旅に行くのではなく、メイド喫茶に旅に行きたいですよ~~~~。

 僕は、鬼ではなく、可愛いメイドさんに取り囲まれたいと思った。僕は心の中で、魂の叫びを上げた。


 それから三日ほど、楓先輩は鷹子さんに、どや顔を見せてと、迫り続けた。


「おい、サカキ、何とかしろ!」

「えー、僕の魂は、冥土に旅に出ているので不在です」


 僕は、鷹子さん相手に、どや顔で応じた。猪突猛進の楓先輩は、そんな僕のどや顔に気付かず、鷹子さんを延々と追いかけ続けた。


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