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6月5日:ジミー・ウェールズから皆様への大切な メッセージ

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太田耐造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

太田 耐造(おおた たいぞう、1903年明治36年)5月16日 - 1956年昭和31年)3月21日)は、日本の検察官司法官僚弁護士

経歴・人物

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東京出身。東京帝国大学法学部卒業。

東京地方裁判所検事、司法省刑事局第六課長、司法省会計課長、甲府地方裁判所検事正満州国司法部刑事司長を歴任し、1944年大審院検事となった。

この間、司法省刑事局第六課長時代の1941年治安維持法改正に関わり、長年の懸案事項であった予防拘禁制を立案し盛り込んだ[1]。さらに国防保安法の立案立法化も手がけた。また、ゾルゲ事件[2]捜査に関わった。

塩野季彦を頂点とする思想検事の主流「塩野閥」において、佐藤祥樹、岸本義広、佐野茂樹らとともに「塩野閥四天王」の一人に数えられ、戦後も岸本派はその実、太田派とされた[3]

戦後は公職追放を受け、弁護士を開業した[4][5]

占領期が終わる逆コースで、1951年秋に辻宣夫、小島玄之、松下喜太郎、柏木勇、三田村武夫らが、近代的な反共主義運動を起こすため創設した「日本青少年善導協会」の世話人として、有馬頼寧丸山鶴吉吉田茂後藤隆之助安倍源基鹿内信隆とともに迎えられた。

1952年7月、法律雑誌『ジュリスト』に治安維持法に関する論文を発表。日本共産党スパイ査問事件について言及し、「被害者大泉兼蔵小畑達夫警視庁のスパイであった。」「起訴された後予審において大泉は、自分が警視庁のスパイであることを自白したが、検察側は、このようなスパイ政策を容認していなかったので、これに対して断乎たる態度で臨んだ。」「小畑は撲殺された」等と述べた[6][7]

1972年『太田耐造追想録』が同刊行会により出版された[8]

論文・著作

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  • 『財産刑に就て』司法省調査課 1934年 (司法研究報告書集 ; 第18輯 11)
  • 「昭和十年夏以降に於ける中華民国在留不逞鮮人団体の情況」司法省刑事局『思想研究資料』特輯第25号 1936年
    • 『思想情勢視察報告集 : 中華民国在留不逞鮮人の動静』司法省刑事局 社会問題資料叢書 ; 第1輯 東洋文化社 1976年、復刊収載。
  • 「改正治安維持法を繞る若干の問題」『法律時報』、1941年5月
  • 「思想犯予防拘禁制度概論(一)」『法曹会雑誌』、1942年9月
  • 「検察側から見た治安維持法とその運用」『ジュリスト』1952年7月15日号、有斐閣
  • 「英水兵事件の教えるもの」『法律のひろば』ぎょうせい編 5(11) 1952年11月

脚注

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  1. ^ 林尚之 『近代日本の思想司法:検察権と国体をめぐって』 (<特集> 1940〜50年代の日本の憲法と政治) (PDF) 『立命館大学人文科学研究所紀要』97, 63-90, 2012-03
  2. ^ 後年『ゾルゲ事件史料集成――太田耐造関係文書』(加藤哲郎 編・解説、全10巻)不二出版、2019-2020年)が公刊
  3. ^ 向江璋悦『鬼検事』法学書院 1971年6月10日発行 P118
  4. ^ 太田耐造 おおた-たいぞう デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
  5. ^ 「太田耐造【おおたたいぞう】」CD人物レファレンス事典 日本編
  6. ^ 衆議院会議録情報 第077回国会 予算委員会 第3号 昭和51年1月30日
  7. ^ 民社党教宣局『歴史を偽造する日本共産党―リンチ事件をめぐる9つの嘘』、1976年10月、pp.68-69
  8. ^ 国立国会図書館検索より