キリストの幕屋という集まりに12年間所属していました。

 無教会のキリスト教です。

 原始福音という、
 イエスキリストの教えに学ぶ集団でした。

終戦直後の熊本は阿蘇で、
生けるキリストと出会い、
回心し、
キリストの伝道に命をかけたのが、
幕屋の創始者、手島郁郎氏です。

手島氏の直弟子、

高橋恒男先生という素晴らしい伝道者に出会え、聖書を学べたことは、私の財産です。


また、マクヤは日本の歴史を大切にし、

祖国を愛する心を取り戻させてくれました。


天孫降臨の地を歩き、古事記の学びを深めたのもマクヤのおかげです。

実際に高千穂の峰に登り、鹿児島側から宮崎側まで縦走もしました。

雨の中、大変な行軍でしたが、生涯の思い出です。

足の裏で古事記を読んできました。

 

日曜の礼拝も守りました。

結婚式も、お葬式も、お断りして礼拝を優先していた時期もありました。

毎朝6:30から高橋先生と共に聖書を読む日々を2年以上続けたこともありました。

旧約聖書・創世記から新約聖書・ヨハネの黙示録まで声に出して読み通せたことも大きな力となっています。

 

夏になると全国各地で何千人ものマクヤ人が集い、祈りの集会も持たれましたし、

大晦日は男だけで富士山や静岡の寺に集まって祈りながら年を越え、元旦の午後に帰ってくるという生活を何年も続けました。

 

マクヤでのイスラエル巡礼も経験しました。

糸川先生とのツアーとは次元の違うものでしたが、不思議とどこかに共通点があったように思えます。


糸川先生も霊的な人物でした、

科学者ではありましたが。


そのマクヤの聖地巡礼に行かなければ、山元加津子さんとのツアーもなく、

「宇宙の約束」の本も映画もなかったわけですから、人生は実に味わい深い、不思議なつながりで織りなされているのだと思わされます。

 


マクヤを離れ、高橋先生が昇天された今、

魂の底から新しい祈りが湧いてきているのを感じます。

大いなるエネルギーへの渇望でしょうか。

私は、渇いています。


すがるように求める心が湧きあがっています。

 

祈りは、神との対話

呼吸のように、神の息吹を魂にうけること。

 

人は「被造物」

創られたものである以上、造ってくださった創造の主に繋がらなくては生きていられません。

 

祈りは教会に行かなければできないものではありません。

神社やお寺で手を合わせて祈るのも大切でしょうが、息をするように今ここでつながるものです。

今ここが聖地

私の肉体が神の宮

 

私は渇く・・・ 祈りを復活させ、ネオやまとこころのキャンドルサービスのための扉を拓きます。


500年先、1000年先の日本を素晴らしい国にするため、今日も目の前の人を喜ばせて生きましょう。


 祈りとは、

私が願うことではなく、

私に願われていることを

神に聴きながら歩くことでもあります。




 

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