私が逮捕された34歳までに、恋人として交際した男性は4人います。高校時代に知り合った建築士の徹こと宮崎敬さん、建設会社勤務の田川健作こと吉田さん、上智大学を卒業後京都大学に進んだ阿部巧こと安達龍彦さん、学校法人勤務の瀬川文也こと関根さんです。 こと名(仮名)は、すべて「ウェンカムイ」で石井が使用しているものを記しました。
石井は、いずれの男性にも取材していません。石井は私が書いた小説「礼讃」の記述を引き合いに出し、真偽を確かめる、という滑稽なことをしています。小説はフィクションです。石井は正気で、宮崎さんについて「木嶋が脳内で作り上げた人物」と書きました。
私は宮崎さんと大学受験予備校の夏期講習に通うため滞在していた帯広のホテルで知り合い、札幌で初めて性体験をした、それが事実です。別海町で、私が男性の運転する車に乗っていた、という多くの証言がありますが、運転手はすべて宮崎さんで、車はいずれもレンタカーでした。タクシーやハイヤーに同乗していた男性も、宮崎さんただ一人です。
吉田さんとは中標津町で知り合い、高校3年時の末から恋人として交際し、家族ぐるみで付き合い、逮捕される直前まで友人関係を続けていました。
連載第9回で「修学旅行で東京に行った同級生の何人かは吉田らしき男性を紹介されている」と書かれましたが、これも石井の嘘です。私は修学旅行中に吉田さんに会ったことはなく、当時は恋人ですらありませんでした。
吉田さんの実家は建設会社を経営し、彼はとても裕福な男性で、実家は門も塀もある豪邸です。しかし、私が目黒区祐天寺に借りたアパートの保証人に吉田さんがなった、吉田さんに援助してもらい生活を始めている、犬を交配させて子犬を売り生計を立てようと考えた、という話は、すべて石井の嘘です。逮捕直前まで私と吉田さんが連絡を取り合っていた証拠は後日公表します。
石井は安達さんのことを”上智大学生の彼氏”、とダブルクォーテーションマークを使っています。「安達が上智大学生であったのか、実際のところはよくわからない」からだそうです。これは石井と週刊文春の取材不足であり怠慢に他なりません。
私より2歳年下で10月1日生まれの彼は、現役一般入試で理工学部数学科に入学し卒業した後に、電気電子工学科を修了し、京都大学の大学院に進みました。このような経歴の者は上智大学の同級生にいません。上智大学の卒業アルバムに彼の氏名と写真が載っています。石井の取材力では入手できないのでしょうか。
私は彼の同級生たちと幾度となく一緒に遊び、卒業式の日は彼の家に集まり朝まで麻雀をしました。そして私からの卒業祝いは、彼が夢だったという紀尾井町のニューオータニで過ごし、彼の希望によりルームサービスで食事をとり、翌日は麹町のキャンパスと聖イグナチオ教会を案内してくれたのです。
彼が真剣に私と結婚したい、と言ったのは教会に入ったときのことでした。彼は学部生時代はずっと、進学塾で数学講師のアルバイトをしており、街角で会った生徒から「龍先生」と呼ばれていたことを覚えています。彼は、数学科でも電気電子工学科に入ってからも実によく勉強する学生でした。彼はアルコールを体質的に受け付けない人で、お酒は一滴も口にしたことがありません。175cm60kg未満のスリムでハンサムなデニム好きの男性でした。
石井は彼の父である安達雅彦さんから取材依頼を断る電話を受けています。父親は「美しいもの」について自説を語っていますが、私が息子と交際していた当時、40代だった彼に前歯はほぼありませんでした。歯磨きの習慣がなかったからです。前歯が抜けたまま放置している人が語る美しさとはどういうものなのでしょう。
安達さんの妹と母親は女優のように美しい容姿ですが、父親だけ身なりに無頓着で気難しい人でした。安達さんと別れた理由は、東京と京都の遠距離恋愛になること、彼が年下であることの頼りなさ、安達家の価値観が合わなかったことによるものです。そもそも父親は石井の取材を拒否しているのですから、石井は父親の発言内容を書くべきではありません。
今後石井の取材を受ける人は、石井によってこういう演出に使われることを肝に銘じておくべきです。石井は、利用できるものは何でも使い、用済みになれば容赦なく切り捨てます。石井は何の責任も取りません。
安達さんは、リクルートの求人雑誌でスタッフ募集の広告を見て、私に連絡してきました。テレワーキングに魅力を感じたのが応募の理由でした。彼の高いITスキルを知り、シーズーサークルのウェブサイトをリニューアルする担当を任せたのです。ホームページビルダーを購入する際には、上智大学の学生証を提示し学割でソフトを買っていました。
このサークルが20名近いスタッフを雇ったことは、履歴書とサークル名義の銀行口座の出入金一覧表が刑事訴訟記録に入っているため、裁判でも証言しました。これを「まったくの作り話であろう」と書いてしまった石井は粗忽者です。
また週刊文春で「木嶋が運営していた」と写真を掲載されたホームページは、安達さんが開設、管理しており、私が削除することはできませんでした。まったく知られていないようですが安達さんと知り合う以前に、私は自分でサークルのホームページを作成しています。
連載第10回で、ホームページの掲示板に書き込みをしていた友人男性のハンドルネームを用いて逮捕直後の2009年10月「2ちゃんねる」に”降臨”し、その内容を読んだ石井は「本人であったろうと思う」と結論づけました。2ちゃんねるの書き込みは、友人のハンドルネームを騙るなりすましです。
人間は真実に対して価値を与える脳の仕組みは持っておらず「面白い」とか「驚く」ほうに快感のフィードバックがあるといいます。つまらない真実より、面白いフェイクや楽しい嘘のほうが価値が高いことを、2ちゃんねるや石井の記述が証明している。実話は、意外に地味でつまらないもの。私の事件が神話のように語り継がれるのは、元ネタに尾鰭がついて、現実には起こり得ない荒唐無稽なエピソードになっているからです。石井の記述は尾鰭ということ。
友人男性は銀行員の山崎さんで、警察の事情聴取を受けた際、取調室で震えていたと聞き申し訳なく思っています。彼は小柄でぽっちゃり体型の柔和な男性です。
いつも大きなリュックを背負っている彼は、B級グルメ好きで、友人として数十回食事を共にしました。ライブや日帰りグルメ旅行をしたこともありますが、安達さん公認の健全なお付き合いでした。山崎さんとは、妹も一緒にコンサートへ行ったこともあります。妹が「山ちゃん」と呼んだら、手羽先の美味しいお店に連れてっていってくれる、そういう人でした。
彼は当時、ハンドルネームにある銀行でSEをしていました。彼とは80年代からパソコン通信を利用するNifty仲間でした。彼は仕事柄ITに精通しており、ネットの掲示板に書き込むリスクも知悉している人です。彼の立場と人間性から考えても、私について2ちゃんねるに書き込むなどあり得ません。
石井は、山崎さんの結婚が決まり、自然と関係が終わった、と書きましたが、それも事実ではありません。彼は2003年にも霞が関に呼ばれ警察から事情聴取を受けています。共犯を疑われていたのです。そして2009年に作成された供述調書には、交流の経緯やハンドルネームも記載されていますから、石井の嘘を証明できるのです。彼は、父と同じ中央大学出身で、一緒に八王子キャンパスの学園祭に行ったこともあります。多摩動物公園駅からキャンパスまでの長距離散歩も良い思い出です。決して浅い付き合いの男性ではないため、恋人ではありませんが山崎さんのことはこの回に記しました。
石井によると、私は複数のソープランドで勤務をしていたことにされています。山崎さんとはソープランドで出会った、と書かれました。私が報道されたソープランドに在籍していなかったことは、警察の捜査報告書に記載されています。公判前整理手続では、公判で予定する主張を明らかにし証拠調べ請求を行うことが義務づけられています。検察は法廷で突然ネット記事のソープ嬢説を話題にしましたが、裁判所は証拠として認めませんでした。刑事訴訟記録には、私がソープランドに勤務したことがない証拠のみ存在し、それは事実です。山崎さんの件は、石井の情報分析能力の低さがよく分かる記述でした。
石井は彼のことを「元セックスフレンド」と書きましたが、山崎さんと私との間に肉体関係は一切ありません。「売春の延長で親しくなったセックスフレンドが複数いた」という話は、明確に石井の嘘であると否定します。「いない」それが事実です。私には、多数の異性とセックスする趣味はありません。
最後の恋人、関根さんとは安達さんと同じく1998年に知り合いました。男性は学校職員、女性はピアノ等音楽を教える職に就く者限定の食事会で、私は23歳でした。彼は、吉田さんと同じ10歳年上です。関根さんも私も当時から逮捕された2009年まで、紙の手帳をつけており、コピーが刑訴記録に入っていることから、知り合った月日や時間、場所も特定されています。
「ふたりはインターネットのオフ会で知り合った」というのは、石井の作り話です。関根さんについては、連載第21回で「木嶋が愛した男」として書かれました。石井は、関根さんの関係者にすら一切取材していません。石井は異常な感覚の作家だと思います。人を愛したことがあるのでしょうか。
関根さんは11年間付き合った男性です。すべての相性が良かったからに他ならず、関根さんは確かに私が最も愛した男性です。一番深く付き合った相手でもあります。私は取調室で西澤芳弘検事から「関根さん以上の男性とはもう出会えない」と言われました。確かにその通りかもしれません。
しかし、石井の記述は彼のキャラクターと、私との関係性をまったく理解していないものになっています。取材していないのですから当然と言えますが。
彼の父である忠彦さんは、私の訪問を受けてから間もなく亡くなった、という石井お得意のホラー仕立てにされていますが、数年間親密な交流がありました。石井は「平日の日中、何度か彼の父親に会いに行っている」と書いています。事実は何度かどころか、百回を超えているのです。私は彼の叔母(忠彦さんの妻の妹)と交代で、家事を担っていました。叔母は1回5千円を受け取っていましたが、私は無償です。入院した際には、毎日お見舞いに通い、臨終にも立ち会いました。
共同通信の記者だった彼の父は、話して楽しく、学ぶことも多い魅力的な男性でした。「ほぼ寝たきり」という事実はなく、一緒に外出したこともあります。近所のスーパーマーケットで食材を買って一緒に料理をしたことも楽しい思い出です。日中関根家に行き、家事をして夕食を作り、彼が仕事から帰宅し食事を共にした後、私の家まで彼が車で送ってくれることが日常でした。車内で彼は職場でのことを、私はお父様から聞いたことを話して盛り上がる。関根親子とはそういう充実した時間を共有してきたのです。
私は、彼の婚約者としてすべての法要に列席し、彼の父の遺骨を少しだけ分けていただき、父の仏壇に保管していました。
家事や介護、病室で植物状態になってからの連日の付き添いは損得や理屈では考えられません。尊敬と愛情があったから自然にしたことです。
彼の父は車の運転免許を持っておらず、車にまったく関心がありませんでした。息子である彼も同様です。それなのに、石井は言うに事欠いて、私がベンツを買ったのは「車マニアの関根の気を引きたかったのだろう」と書きました。驚きです。彼は、私が逮捕された2009年時点で、走行距離はすでに21万キロを超えた8年前に買ったトヨタのマークⅡのワゴン車に乗っていました。
知り合った当時に乗っていたのも、セダンの大衆車です。安達さんが大学生でパジェロに乗り、大型バイクも所有していたのと比較すると、関根さんは車に興味がない人でした。また関根さんは私に「誕生日プレゼントを渡すこともなかった」と書かれましたが、これも石井の嘘です。彼は検察官に「普通のカップル同士がするようなプレゼントのやりとりをしていました」と証言しており、これは事実です。数万円から数十万円する物をいただいていました。読者の要望があれば、証拠を公表します。
私たちは年間50〜60日を裏磐梯で過ごしておりましたが、「行き帰りの車中では話しかけても関根は返事をせず、わざと大きなためいきをついた」という記述も石井の作り話です。彼とのドライブでは楽しかった思い出しかありません。彼は陰湿なことをする人ではなく、明朗活発なスポーツマンです。一緒にいて居心地がいい、とお互い思っていました。
石井は、2006年5月から12月まで、私が匿名ブログで、関根さんに対する思いを書いていたといいますが、これも事実ではありません。そして石井によると、私を「裏磐梯のバス釣りに同行させたのも費用を負担させたかったから」という話にされています。これも石井の嘘です。私を同行することで、彼は一人のときより多く出費することになりました。末尾に検察庁が作成した費用負担の証拠を添付します。私より彼の出費の方が多いことは一目瞭然です。
彼は裁判員裁判で宣誓し、尋問を受けましたが、一点だけ偽証しています。何か分かりますか?
私たちは11年間交際していました。少なくとも8年近くはお互い深い愛情を持ち付き合っていたのです。私のきょうだいや姪、甥ともよく会っており、一緒に旅行することもよくありました。お互いの自宅と車の合鍵を渡していたほど、相手を信頼できる関係でした。 彼が一人で、私の家に入って過ごす時間もあったのです。
さて、彼は何を偽証したでしょうか? 彼が一切取材を受けないのも、このことが理由です。
人は様々な事情で嘘をつきます。石井のように、架空の物語に合わせ、都合よく無自覚に創作という名の嘘をつく人間もいる。真っ当な大人は、ある事実や噂を耳にしても、決して他言してはならないことがある、と自覚しているものです。そのことを口にすることで、人が辛くなったり不幸になるようなことを絶対他言せずに平然と生きていく。それが大人のあるべき姿ではないでしょうか。
私は関根さんを守るために、法廷で偽証したことがあります。しかし被告人は、宣誓をしません。何を偽証したのかは、生涯自分の胸にしまって去ります。
石井によると、2017年頃、弟妹が母を東京近郊に呼び寄せたことにされていますが、事実ではありません。正解は記しませんが、母は昨年、東京に転居しています。
石井は、私が弟の結婚式に意気込んで家長のように振る舞った、と書きました。私は弟の式の準備に一切関わっておりません。披露宴は初めて行ったホテルでしたが、下見もしませんでした。
石井に「当日、木嶋はわざわざ買ったばかりの赤いベンツに母を乗せて式場に乗り込んだ」とも書かれましたが、母をベンツに乗せたことはありません。シルバーのベンツを所有していた時も、母を乗せる機会はなかったです。
石井は、私が赤いベンツを弟夫婦の結婚式の直前に急いで購入した、相手方家族に対して見栄を張りたかった、と書きましたが、そのような事実はありません。結婚式の日に車を見せたこともないです。すべては石井の作り話なのです。弟の式には、事情があり私だけ遅れて出席しました。母とは全く別行動でした。
また石井は、私が弟妹とともに外食し、支払いは常に私持ちだった、と繰り返し書いてきました。弟妹とその家族は、若い頃から堅実で、常に私が奢る、という関係ではありません。弟妹たちの名誉にかかわることですから、石井の作り話、石井の嘘であると断言します。
2009年9月、私が逮捕される前に弁護士を探し、着手金を用意してくれたのは、2人の妹でした。弟も含め、4人で何度も話し合いました。支援に対しての実費や報酬も決して受け取りません。私の弟妹は、そういう人間です。
大切な人についてのみ、一通り反論しました。これから本格的に親族と弁護士と連携し、石井妙子と週刊文春にどのような法的措置を取るか協議を進めているところです。
私は石井妙子がノンフィクション作家を名乗ることは許されないと考えていますし、「ウェンカムイ」はノンフィクションではありません。事実、認識、評価が混在し、石井の妄想が強く反映された記述は、文献としての価値が皆無です。
石井は新潮ドキュメント賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したことで傲慢になっていきました。出版業界の人間を操り、自分の嘘を拡散する術も覚えてしまった。
これまでの著書も噂話と参考文献のまとめ本ですが、その手口を使った集大成が「ウェンカムイ」であることは、ご理解いただきたいと思います。
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