5歳の息子はおそらく軽度のアスペルガー。
物事を白か黒かで判断するきらいがあり、3歳くらいの時には見知らぬ他の子に「はしっちゃダメ!」と注意して向こうの保護者に嫌な顔をされることがよくあった。それはまぁいい。
言葉の発達が遅かったので文字に触れ合う時間を意図的に増やしたせいだろうか。4歳ぐらいから識字と言語能力がやたらと発達してきた。
小3レベルぐらいの漢字混じり文章は読める、簡単な英語の疑問文を見て答えを日本語で言うぐらいはする。
何かで泣きじゃくった時に「まちがってる! このせかいはまちがってる!」とわめくので、笑ってしまったことがある。その言語センスどっから持ってきた。人生2周目か? なお、進撃の巨人や東京グールは読んでも見せてもいない。
だが、幼稚園では、年少の頃に癇癪をおこすことがよくあった。
怒ってしまう理由を家で聞くと「おこりたくないけどがまんできないんだよー」と子供ながらに言う。
自分の失敗も他人の失敗も間違いは許せないらしい。白黒思考というやつだ。隣の子が塗り絵をほんの少しだけはみ出してしまったことを許せず、癇癪することさえあった。
いいんだよ、思いっきり失敗しても楽しんでやればいいんだよ、といつも教えたのだけれど、許せないらしい。
いずれ治るかもしれない今だけかもしれないと願っていたが、年少の秋口に園長と担任に個別面談を希望された。直接の原因ではないけれど、癇癪を起こしているところに心配して声をかけてくれた子を突き飛ばすようなことがあったらしい。
優しい子だと思っていたし、感情を抑えられなくても誰かに手を挙げるようなことはしていない、と思っていたので、ああそうなのかやってしまったのか、と悲しくてしょうがなかった。
先生たちには謝りながらも、怒りたくないけど怒っちゃうと普段から彼が言っていたことも伝えた。性根は優しい子だということはわかってやってほしかった。感情をコントロールできなくて息子も苦しんでいるのだと涙ながらに伝えると、先生も少し泣いていた。いい先生達だった。
息子がつらいのであれば園は辞めさせてもいいと思っていたが、園は通いながら療育へも行くことになった。それはまぁいい。
療育のソーシャルスキルトレーニングで、息子の癇癪は少しおさまってきているように見えた。
それでも運動会はかけっこで負けて悔しくて、最後までずっと泣きわめいていたこともあった。
言語能力は5歳になるとさらに発達してきて、父の本棚からモンテッソーリ教育の本を引っぱりだして勝手に読んで、「テストのせいせきがいいかわるいかじゃなくて、プロセスをほめないと、ぼくのチャレンジせいしんがそだたないんだよー」などとマジで言う。二宮金次郎じゃないが、その本を幼稚園のバス停まで持って行って読んでる。それもまぁいい。
今日、2人でお風呂に入ってると息子は「じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない」と辛そうに言うのだ。
「できないことをかんがえると、じぶんがきらいになる。じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない。じぶんにきびしくなければ、もっとらくなのに。じぶんにきびしいじぶんになんて生まれてこなければよかった」と、言う。
「できないじぶんがきらい。できないじぶんなんてきえてしまえばいいとおもっちゃう。のうではわかっているけど、きもちがかってにでてくる」と、言う。
私は、涙をこらえながら、優しい言葉を探してやるのに必死だった。
この子はたぶん他の子より若干頭が良い。5歳だが漢字は読めるし、英語もやれるし、5の位の掛け算はやるし、なんなら48+3=51ぐらいの繰り上がり計算を英語で言う。
でもそれ以上に、自分にはできないことばかりがよく見えてしまう。
お前、5歳なんだよ、もっと何も考えずにウェイウェイ遊んでいればいいんだよ。
きっと彼もそうした方がいいことは理解している。でも、わかっているのにできないのだ。
私は泣いた。
できないことばかり数えてしまう息子の生きづらさを思って泣いた。
そんな気持ちを言葉にして伝えられる5歳児は凄いことなんだよ、大人に近づいているんだよ、と言っても息子の表情は暗いままだった。
この世界は間違ってるといつか泣いた息子は、今も間違いだらけの自分の世界を受け入れられずにいる。
父と母は、お前が日々成長していくだけで喜びに満ちた世界にいるのに、なんでそんな遠いところに独りでいるつもりになっているんだ。
私は覚えているよ。
3歳のお前は、遊び場で初めて会った子と意気投合して、楽しく遊んでいたことがあったんだ。
私が何がそんなに楽しいのか聞いたら、「あのね、くつしたがね、おそろいだったの!」と2人で同じ靴下を履いた足を並べて、2人で満面の笑みを見せてくれたね。
あの時ね、私はとても感動したんだ。
遠い異国の地では遠い昔にルーシという国から派生した国の人達が争っている。ワクチンを撃つべきか、マスクは強制なのかと、大人たちが今も揉めている。老害・こどおじ・ツイフェミ・リベラル、ネットは今日も自分以外のカテゴリを雑にくくって他者を攻撃することばかりだ。
そんな世界でお前とその子は、靴下の柄が同じだけで人は初めて会う誰かと心を通じ合わせることができるのだと、輝くような笑顔で教えてくれたじゃないか。私はこの世界も捨てたもんじゃないと本気で思ったんだ。
こんな自分に生まれたくなかった、そういうお前の気持ちを私は否定しなかっただろう。私もそんな時があったし、いつも言っているが、そう思っているのはお前ひとりだけじゃないんだよ。
だからどんなにお前が自分を嫌いでも、父と母はいつまでもお前の味方だと、何まんべんでも言ってやるよ。お前がお前を許してやることができるまで、ずっと付き合ってやるよ。
確かに間違いだらけの世界でさ、私も何が正しいのかはよくわからないんだけど、この世界は間違ってるって、お前と一緒に喚きながら暮らしていきたいよ。