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第166話「中の人」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、何かをまとい、自分の姿を隠している者たちが集まっている。そして日々、偽りのキャラクターを演じ続けている。

 かくいう僕も、そういった仮面を被る系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、変身ヒーローも真っ青な面々の文芸部にも、裏表のない人が一人だけいます。モロボシ・ダンばかりのウルトラ警備隊に入隊した、アンヌ隊員。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横に軽やかに座った。先輩は眼鏡をかけている。その眼鏡の下の目を、優しげに細めた。僕は先輩の顔に触れたくなる。可愛らしい鼻に、ぷっくりと丸みを帯びた唇。その額はなめらかで、思わずなでなでしたくなる。僕はそんな楓先輩の姿を堪能しながら、声を返した。


「どうしたのですか、先輩。知らないフレーズを、ネットで見つけましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。輪廻転生を繰り返した人間のように、膨大なネット知識を蓄えています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、ベッドでも確認できるようにするためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、様々な立場の人たちの文章を読んだ。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「中の人って何?」


 中の人などいない! 僕は、着ぐるみやアニメキャラではないので、中の人などいませんよ。思わず心の中で、そう叫んでしまう。

 とはいえ、まさかそんな突っ込みを受けるはずもないだろうと、思い直す。これは楽勝コースだな。危険がまったくなさそうな言葉なので、僕は安堵する。華麗に軽やかに、このフレーズを説明して、先輩の尊敬の念を獲得しよう。僕は意気込んで、説明を開始する。


「中の人というのは、着ぐるみの中に入っているスーツアクターや、アニメの声を当てている声優などを指す言葉です。

 この言葉が定着した由来は、マンガ家吉田戦車によるギャグマンガ『伝染るんです。』だと言われています。同作品中に出てくるキャラクター、かわうそ君が、肩車をしてもらって身長をごまかした際に、『下の人などいない!』と発言するシーンが、元ネタだとされています。

 そのため、中の人という言葉は、『中の人などいない!』というフレーズで使われることも少なくありません。


 また、アニメの声優では、別の作品のキャラと中の人が同じということが生じます。その際、ファン活動において、中の人繋がりでキャラをからませるパロディーがおこなわれることがあります。


 中の人という言葉は、このように、目に映る存在に対しての、裏方的な存在を指します。そして、中の人という言葉をあえて出すことにより、表の立場と、裏の立場は違っているという、距離感を演出することができます。そこから、本音と建て前的なニュアンスを出すことも可能です。

 そういったことからこの言葉は、ネットゲームの運営や、ウェブサイトの管理人、企業の関係者などの、裏方的立場の人を指すこともあります。


 内部の人間の考えていることを想像する場合には、『中の人も大変だな』と使われたりします。また、運営の人間が出張ってきて自作自演をしていると感じれば、『中の人乙』と使用されたりします。これは、中の人お疲れさんという程度の意味になります。

 このように、中の人というのは、大人の事情で前面には出てこないけど、実際には中でがんばっている人がいる場合にも使われます」


 僕は中の人の説明を終える。だいたい、こんな感じで大丈夫だろう。


「へー、中の人って、そういう意味だったのね。着ぐるみということは、浦安のリゾート施設で働いている人なんかも、中の人なの?」

「あわわ、夢の国には、中の人などいません!!!」


 僕は、鋭い突っ込みをする。大きい丸の上に、小さな丸を二つ書くと、やって来る。みんな大好き、著作権モンスター。その顔色を窺いながら、僕は夢の国の虚構を壊さないように、楓先輩の台詞を妨害する。

 ええ、そうですとも。ネズミーランドや、東京デスティニーランドには、中の人などいませんから。


「ふーん。じゃあ、あれかな。江戸川乱歩の『人間椅子』?」

「えー」


 僕は、楓先輩の座る椅子の中に入りたい。そんな妄想に、ふけってしまう。

 先輩の下半身の柔らかさを、僕の太ももや膝で堪能し、先輩の背中の曲線を、僕の胸とお腹で受け止める。さらに、髪の毛とうなじが目の前にくることで、立ちのぼる汗の香りをくんくんするのだ。

 駄目だ。何と背徳的なのだ。僕は鼻血が出そうになるのをがまんして、先輩に向き直る。


「確かに人間椅子には、中の人がいます。何せ、家具職人が自分で罪を告白していますから」

「そうよね。あれも中の人の一種よね」


「ええ、そうですね」

「あと、企業や組織の中の人は、何となく想像ができるわ。ネット掲示板の中の人とか、いろいろと大変そうだもの」


「確かにそうです。削除要請を大量にもらったり、誹謗中傷を放置したと言われて、裁判を吹っかけられたり、なかなか大変なようです。楓先輩。これで、中の人のイメージは、だいたいつかめたでしょうか?」

「うん。分かったわ。そういえば……」


 先輩は、形のよい唇にそっと人差し指を添えて、斜め上を見る。どうやら、考え事をしているようだ。

 いったい、何を思い浮かべているのだろう。僕は、何となく嫌な予感がして身構える。


「サカキくんって、中の人がいるっぽいよね」

「ホワッ?」


 予想外の言葉に、僕は思わず声を上げる。どういうことですか?


「だって、学校の成績は悪く、記憶力もかなり悪いのに、なぜかネット知識と、オタク知識と、雑学だけは、異様に覚えているんだもの。まるで二人のサカキくんがいるように、錯覚することもあるよ。

 サカキくんってもしかして、サカキくんの中に、もう一人サカキくんが入っているんじゃないの? サカキくんの皮を被ったサカキくんがいるんじゃないの。私、たまにそんな気がするんだけど」


 えー、あのー、男の子に、皮を被ったとか言わないでください。

 僕は、そんなことを一瞬思ってしまった自分に、「ええい、このエロ子が、オタンコナス!」と突っ込みを入れる。


「あの、もしかして楓先輩は、僕のことを二重人格か何かだと思っているのでしょうか?」

「うーん、ちょっと違うかな。もっと近いものは、……そうあれよ! きつね憑き」


 コン、コン、コーン!

 僕は鳴き声を上げそうになる。僕の中の人は、人間ですらなく、動物でしたか。油揚げ大好きな、キツネさんが僕の体の中に入って、ネットスラングの解説をしていたと言うのですか。そして、「畢竟これ皆精神錯乱の致すところなり」と結論付けられるのですか。僕は毎回先輩の前で、精神錯乱しているというのでしょうか……。

 そりゃあ、あんまりですよと思い、僕は反論しようとする。


「あるいは、サカキくんは、人間の皮を被った宇宙人?」

「いや、普通の人間ですよ。確かに、人間型スーツを着た宇宙人というのは定番ネタですが、僕は普通の地球人です!」


「そうなの。だって……」


 楓先輩は僕の姿を眺める。うっ、もしかして、中に人が入れそうとか思っていませんか? 確かに細身でちんまりとした楓先輩なら、すっぽりと入れそうですが、僕に中の人などいませんよ! 僕はそのことを説明するために、おもむろに学生服に手をかけた。


「先輩。中の人などいないことを証明します。僕の背中にチャックはありません。さあ、見てください!」


 僕は上半身の服を脱ぎ捨て、半裸になる。


「きゃ~~~~~~~!!!!!」


 楓先輩は、僕の姿を見て、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。えっ、どうしてですか?

 ああ、そうか! これではただのヌードショーだ。うわあ、やってしまった! 僕は頭を抱えて猛省する。


 それから三日ほど、僕は楓先輩に、中身がエロイ人として避けられ続けた。

 おかしい。完全に安全なはずの言葉を解説していたはずなのに、なぜ僕の内面がエロイと、結論付けられるのだろう。

 僕はただ、背中にチャックがないか、楓先輩に触って確かめてもらいたかっただけなのに。僕は、この作戦が上手くいっていた時のことを想像する。先輩の可憐な指先が、僕の背中に触れる。そして、チャックを探すべく、一生懸命、背中をまさぐるのだ。なでなで、なでなでと。僕はその様子を想像して、背筋をぞくぞくとさせる。


「ファッ!?」


 僕は、思わず奇声を上げる。その様子を見て、楓先輩がびくりと仰け反り、顔を真っ赤に染めた。そんな謎の反応の連鎖を、三日ほど続けたあと、先輩は僕を許してくれました。よかった!


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