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第154話「クラスタ」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、趣味を中心に生きている者たちが集まっている。そして日々、仲間を求めて活動を続けている。

 かくいう僕も、そういった同好の士を求める系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、ファン同士の交流に余念のない面々の文芸部にも、独自路線の人が一人だけいます。コミケ会場に紛れ込んだ、独立独歩のおひとり様。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、とやって来て、僕の横にすとんと座る。僕は先輩の姿を眺める。僕の視線に気付いた楓先輩は、えへへといった感じで笑顔を見せる。僕が見つめていると、髪型がおかしいのかなといった様子で、自分の髪を触りだした。その仕草を可愛いなと思いながら、僕は楓先輩に声を返す。


「どうしたのですか、先輩。見たことのない言葉を、ネットで発見しましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットに長く親しんでいるよね?」

「ええ。クイーンズランド大学で一九二七年に開始された、ピッチドロップ実験を見守るように、ネットの動きを観察し続けています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、少しでも多く書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、未知の言語空間に飛び込んでしまった。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「クラスタって何?」


 クラスタは、昔風に言えばファンや、何々系といった言葉に近いだろう。共通の趣味を持つ人間たちの集まりを指す。

 もしかしたら楓先輩も、ネットに慣れてきて同好の士と交わろうとしているのかもしれない。もしそうなら、僕のことなど忘れて、ネットに生息するパソコンの大先生に目移りする可能性がある。

 それは悲しい。そんなことを一瞬考えたけど、僕ほど的確にネット用語を把握して、説明できる人もそんなにいないはずだ。僕は、そう思い直して心を慰める。そして、それよりも気掛かりな、あることに意識を移す。


 先輩がクラスタに興味を持ったということは、当然その流れとして、僕がどんなクラスタに属しているのか尋ねてくるだろう。まずい。大いにまずい。最近僕が属しているクラスタは、先輩に教えるには危険すぎるクラスタなのだ。


 近頃僕は、とあるサイトに登録して、細々と活動を続けている。そこには同じ方向性を持つ仲間がいて、クラスタを形成しているのだ。そのサイトとは、エロ小説家になろう、という名前の場所だ。

 ちょっとエッチな短編小説をよく書く僕は、武者修行のつもりでこのサイトに登録して、短い小説を投下している。幸い一部のマニアな方々には好評で、感想をいただいたりもしている。そして、そのサイトの読者や作者の人たちと、エロ小説家になろうクラスタを形成しているのだ。


 そんな卑猥な活動を、真面目で健全な僕がしていると楓先輩に知られれば、どうなるか。先輩は僕を蔑むような目で見て、汚物のように扱い、部室の中で隔離して、視界に入れないようにするだろう。

 それは避けたい。全力で回避したい。そのためにはどうすればよいか。僕の説明で、楓先輩のお腹をいっぱいにさせるしかない。膨大な知識を一気に詰め込んで、先輩の思考能力を一時的にショートさせるしかない。


「先輩。クラスタの説明をおこないます」

「うん。サカキくん、お願いね」


 楓先輩は僕に密着して、ひな鳥が餌をねだるようにして、言葉を求める。僕はその先輩の期待に応えるべく話し始める。


「クラスタ、クラスターとは、果実や花の房、そして塊、群れ、集団を意味する英単語です。このクラスタは、同種のものが寄り集まって、密集している様子を表します。

 分かりやすいものとしては、ぶとうの房などが挙げられるでしょう。ああいった感じで、同じようなものが多数集まることで、グループを形成しているものをクラスタと呼びます。


 このクラスタは、様々な分野で使われている言葉です。たとえば、物質科学の分野では、原子や分子が複数個結合した物質を指します。またスタークラスターといえば、恒星が集まった星団のことになります。クラスター爆弾といえば、内部に小型爆弾を多数搭載した大型爆弾といった意味になります。

 都市計画の分野では、建物や道路、空き地や公園などを相互に関連させて配置する際に、その集合体をクラスタと呼びます。産業クラスターと使えば、特定分野の企業や団体などが、地理的に集中して、競争しつつ協力している状態を指します。


 さらにクラスタリングという使用法もあります。クラスタリングは、統計学のデータ解析手法の一つです。様々な方法を使い、データを部分集合に切り分けて解析する手法のことです。また、人口統計学の分野では、民族や宗教などに基づいた、人口の集合体を指します。


 このクラスタという言葉は、実はコンピューターの分野でもよく出てくる言葉です。たとえば、クラスタリングといえば、複数台のコンピューターを房のように繋げて、一つのコンピューターのように振る舞わせる技術を指します。

 また、記憶媒体でクラスタと言った場合は、ディスクの最小構成単位であるセクタを複数まとめて扱う際の、構成単位を指します。

 このように、元々コンピューター業界には、クラスタという用語と概念が、存在していたのです。


 このクラスタという言葉が、ネットのオタク層や一般層に使われるようになったのは、ツイッターというマイクロブログの普及によると言われています。

 ツイッターでは、興味のある相手をフォローして、その人の発言を閲覧します。フォローされた相手は、フォロー返しをすることもあります。そうやって、同じ趣味や嗜好の人間たちが、自然にゆるい繋がりを形成していくといった現象が発生しました。この集団のことを、房状の集団としてクラスタと呼んだのです。

 そしてこの言葉は、興味対象が同じ集団、ネット上の同好の士、そういった意味を表すネットスラングとして定着していきました。


 このクラスタは、興味対象の名前のあとに、クラスタと付けて用います。たとえばゲームでポケモン好きならば、ポケモンクラスタと言えばよいわけです。特定のアニメの、特定のキャラといった、狭い範囲に限定しても構いません。また対象は広くてもよく、映画好きならば映画クラスタと名乗ることもできます。オタククラスタなどもありです。

 クラスタはこのように、好きな対象や所属、主張を同じくする集団を指す場合に利用します。

 また、頭にアンチを付けてアンチクラスタとすると、嫌いなことを意味するようになります。たとえば、オタクアンチクラスタならば、オタクが嫌いな人になります。僕の場合は、体育アンチクラスタ、ただし保健体育は除く、といった感じですね」


 僕はクラスタについての説明を終える。様々な分野の話をすることで、目くらましのように先輩を幻惑した。先輩は、一度に多数のクラスタの話を聞いたことで、おそらく混乱しているだろう。

 これで安心だ。そう思った瞬間に、先輩が僕に声をかけてきた。


「なるほど、クラスタは同質なものが集合した状態を指すのね。それで、ネットスラングとしては、趣味の対象を同じくする集団を意味するのね」


 えー、全然困惑していないですね。もしかして、僕が流暢に説明しすぎましたか? 僕は、自分が放った言葉の幻術が、華麗にスルーされたことにショックを受ける。


「ねえ、サカキくん。それで、サカキくんは何クラスタなの? ネットに精通して、多彩な趣味を持っているサカキくんだから、やっぱり多くのクラスタに属しているのよね」


 ぐはっ! 恐れていた攻撃が来た。だが幸いなことに、僕の現在のクラスタを限定するような質問ではない。先輩は、僕が多数のクラスタに関わっていると思っている。


「ええ、まあ。僕はネットの中でも、かなりディープな方だと思いますからね。それなりに、多数のクラスタに分類されるような活動をしていますよ」


 そのまま終わってくれと思いながら、僕は曖昧に答える。


「さすがね。それで、サカキくんが今、一番力を入れているクラスタは何なの?」


 ぶほっ! 高性能巡航ミサイルのように、楓先輩は僕の危険な場所を、狙い撃ちしてきた。

 駄目だ。エロ小説家になろうクラスタ、なんて言えるわけがない。しかし、楓先輩に嘘を吐くわけにもいかない。どうにかして回避手段を考えなければ。僕は、必死に脳を稼働させて、台詞を導き出す。


「……かになろうクラスタです」

「えっ?」

「ですから、……かになろうクラスタです」


 僕は高速詠唱で、「エロ小説家」の「エロ小説」の部分を、時の彼方に追いやった。言葉の魔術師、レベル百の僕だからこそできる、大技だ。そして時は動きだす。


「ねえ、サカキくん。かになろうって何?」


 楓先輩は、小首を傾げて僕に尋ねる。


「えー」


 駄目だ。そこまで考えていなかった。先輩の好奇心を甘く見ていた。僕は必死に「か」のことをひねり出す。


「双翅目カ科の昆虫です。吻が発達して針状になっており、人などの動物を刺して血を吸います」


 楓先輩は、頭の上にはてなを飛び散らせる。


「えーと、サカキくんは、蚊になりたいの?」

「えっ、ええ。そういうことになると思います。かになろうクラスタですからね」


 僕が答えると、先輩は自分の手を持ち上げて、その甲をじっと見た。


「サカキくんは、もしかして血を吸いたいの?」


 僕は、先輩の白い手の甲をじっと見る。す、吸いたい。先輩の血ならば、チューチューと吸ってみたい。先輩の肌に触れて、その血を吸うなんて、そんな破廉恥なことが許されるのならば、僕は蚊になってみたい。


「は、はい。先輩を吸いたいです」


 僕は力を込めて言った。

 楓先輩が、僕から距離を取った。えっ? 何ですか先輩。そのおびえるような表情は?


「ごめんなさい、サカキくん。私、サカキくんの、かになろうクラスタには付いていけないわ」

「か、楓先輩!」


 先輩は、ぴゅーと逃げて、僕の視界から消えていった。


 それから三日ほど、楓先輩は僕から血を吸われないように、距離を取り続けた。うっ、ううっ。素直に、エロ小説家になろうクラスタ、と言った方がよかっただろうか。僕は、先輩に避けられ続けた三日間、自分の行動の是非について悩み続けた。


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