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第151話「コテ・ハンドル・トリップ」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、自己主張の強い者たちが集まっている。そして日々、ハンドスピーカーでアジテーションをしかねない勢いで、活動を続けている。

 かくいう僕も、そういった騒々しい系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、自己顕示欲の強い面々の文芸部にも、自己主張が特にない人が一人だけいます。顕花植物の大地にひっそりとたたずむ、隠花植物。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にふわりと座る。先輩はふわふわの綿毛のように軽やかだ。それは、先輩の生き方を反映しているのだろう。僕は、そんな楓先輩が大好きだ。先輩と一緒に、大空まで飛んでいきたいと思っている。僕はそんなことを考えながら、笑顔を浮かべて、楓先輩に声を返す。


「どうしたのですか、先輩。ネットに知らない言葉がありましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。オーソン・ウェルズが、『火星人襲来』をラジオで放送して、人々をパニックに陥らせるぐらいに、ネット民の心をつかむ術を知っています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、こつこつと書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、未知の言語空間を発見した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「コテって何?」


 ああ、先輩には分からないだろう。これまでの会話から、楓先輩はハンドルネームについては、ネット上のペンネームのようなものだと理解しているようだ。しかし、その先は把握していなさそうだ。僕は、先輩のために、コテについて説明する。


「コテは、コテハンの略です」

「コテハンって何? もしかして、何かの略語なの」


 先輩は、どんな言葉が略されているのだろうと考え始める。


「もしかして、湖底の犯人とか?」

「えー、どんなミステリーですか」


「鼓笛隊の犯行?」

「それは、騒がしそうな事件ですね」


「小手調べ半蔵」

「時代小説っぽいですね」


「虎徹を携えた犯人」

「辻斬りっぽいですね」


「古典に見る藩王」

「何かの論文っぽいですね」


「うーん、なかなか当たらないわね」

「えー、答えは、固定ハンドルネームです」


 僕が正しい名前を告げると、楓先輩は不思議そうに首をひねった。


「ハンドルネームって、ネットで使う、ペンネームみたいなものよね?」

「そうです」

「そのハンドルネームに、固定が付くとどうなるの?」

「その説明を、今からおこないます」


 僕は、楓先輩に告げて、続きを語る。


「ネットの匿名掲示板などでは、本来匿名であるために、自分が何者かと名乗ることは、あまり意味がありません。それに、名乗ったとしても、関係ない第三者が自由にその名前を名乗ることができるので、本人の識別には、あまり役立ちません。

 そういった場所で、ハンドルネームを固定して、その名前で発言するような場合、その名前を固定ハンドルネーム、コテハン、コテなどと呼びます」


 僕の言葉を聞いて、楓先輩が納得できないといった感じで、声を出す。


「でも、サカキくんが今言ったように、無関係な人がその名前を名乗れるのよね? 本人だと特定できなければ、その固定ハンドルネームが、本当にその人のハンドルネームか分からないよね。その行為に何か意味はあるの?」


 楓先輩の疑問に、僕は答える。


「まあ、そうなのですが、いちおう意味はあります。たとえば、自己顕示欲を満たすために使う場合があります。また、その場所の初心者で、匿名での発言に慣れていないために使用するケースもあります。

 そういった事情で用いられることが多いため、コテハンを利用すると、周囲から浮いてしまったり、悪目立ちして叩かれるようになったりします。そういったコテハンの中でも、空気を読まなかったり、自己主張が強すぎたりして、嫌われる人のコテハンは、糞コテと呼ばれたりします。


 では、コテハンは総じて糞コテになるのかというと、意味のあるコテハンもあります。管理人や運営的立場の人、積極的に良質なコンテンツを投下している人。そういった人は、周囲から一目置かれているわけですので、糞呼ばわりはされません。また、そうした、場の中心的な人は、名前があった方が便利なので、コテハンを名乗る方がよかったりします。

 コテハンの反対語は、捨てハンになります。同一人物と思われたくないような時は、捨てハンドルネーム、通称捨てハンを使うことがあります。こちらは、自己主張のないハンドルネームになります。


 さて、このコテハンですが、種々の掲示板や動画サイトなどによって、用いられ方が違います。名前欄に、単純に入力して使えばよい場所もあれば、文章のあとに『@名前』と書くような場所もあります。

 また、掲示板に、本人証明をするための簡易的なシステムが、用意されていることもあります。楓先輩も『テスト ◆Abc123zy98』みたいに、名前のあとに英数字や記号が付いているのを見たことがあるかもしれません。この『◆文字』の部分は、トリップと呼ばれます。

 トリップは、名前のあとに『#パスワード』と入力して利用します。このパスワードから生成された一意の文字列が、トリップとして表示されます。こういったパスワードのことを、トリップキーと言います。


 このトリップは、一人用キャップの略です。一人のトリと、キャップのップを繋げて、トリップと読むようになりました。また、キャップというのは、偽造防止の防止を、帽子と読み替えたところから来ています。

 ネットの言葉は、このように、元の経緯を知らないと、どんなに考えても、意味が分からないものが多いです。


 コテハンは自由に設定できる名前です。そのため、コテハンを書くだけでは、同じ人物だと証明できません。しかし、そのあとに続くトリップが同じならば、本人だと証明できます。こういった仕組みを使うことで、コテハンを使いつつ、同じ人だと周囲に分からせることが可能です。

 こういった感じで、匿名掲示板であっても、発言者の同一性を保ちながら、書き込める仕組みが用意されていたりします」


 僕は、コテハンの説明を駆け足で終えた。ついでに、トリップとキャップについても教えた。これまでの質問内容から、楓先輩は、某巨大掲示板に出入りしている可能性が高い。そのために、こういった知識も知っておいた方がよいだろうと思ったからだ。

 楓先輩は、僕の説明に納得した顔をする。そのあと、僕に顔を向けて、声をかけてきた。


「サカキくんも、固定ハンドルネームで会話したりするの?」

「まあ、たまにしますね。その場合には、トリップを使って、きちんと同一人物だと分かるようにしますが」


「へー、最近だと、どんな会話をしたの?」

「そうですね……」


 そこまで言い、僕は動きを止める。そういえば、三日前に、僕はコテハンとトリップを使って会話した。そこで悲劇が起きたのだ。僕はそのことを、フラッシュバックのようにして思い出す。


 三日前、僕は、アニメについて語り合うスレッドにいた。惑星的水兵制服という、昔大ヒットしたアニメ。その続編の放送に合わせて、各キャラについて語り合うために、スレッドを開いていたのである。そして、議論の流れを分かりやすくするために、それぞれ代表的な論客は、コテハンを使うことになったのだ。


「こんにちは、ポニテ命です」

「こんにちは、強気娘ラブです」

「こんにちは、ツインテール之介です」


「こんにちは、メガネスキーです」


 僕は自身のコテハンを、トリップとともに書き込んだ。


「キモイ奴」

「キモイ奴」

「キモイ奴」


 僕の書き込みに対して、立て続けに、三つのレスが付いた。それらはすべて、僕をキモメン呼ばわりするものだった。


 どういうことだ? 僕は、頭を悩ませる。自己紹介をするだけで、ここまで僕がキモメンだと断言するとは、どういうことだ。

 ハンドルネームの中に、何かそういった要素があっただろうか? しかし、眼鏡が好きだと主張しているだけだ。そこには、どこにも、僕がキモイ人間であると証明する要素はない。あるいは他の場所での、僕の書き込みを知っている人が、僕のことをキモイ奴と認識していたのだろうか?


 分からない。しかし、このスレの中で、キモイ奴認定されていることだけは確かなようだ。困ったことになったぞ。僕は、変なからまれ方をしないように、慎重に発言しようと心がける。

 そういったことを考えている間にも、スレは着々と進行していた。


「ポニテ命です。やはり、惑星的水兵制服の中で、最も魅力的なキャラは、ポニーテールの子だと思うのですよ」

「強気娘ラブです。僕は、気の強いキャラを推します」

「ツインテール之介です。僕は(ry」


「メガネスキーです。残念ながら、このアニメには常時眼鏡をかけている子がいません。しかし、たまに眼鏡をかけてくれる短髪の子がいます。僕は、その子でがまんするしかないでしょう」


「キモイ奴」

「キモイ奴」

「キモイ奴」


 キモイ三連星とばかりに、素早く僕へのレスが入った。どういうことなんだ? 僕の発言はそんなにキモイのか。確かに、アニメとは直接関係のない、眼鏡について語る僕は、この場所では異端児なのかもしれない。

 しかし、どうすればよいというのだ? このアニメには、三つ編み眼鏡のメインキャラはいない。たまに出てくる、眼鏡っ子で満足するしかない。僕は、自分のアイデンティティーをねじ曲げてまで、このスレの住人たちに迎合するべきかと、頭を悩ませる。


「あの、すみません。僕は、そんなに、キモイ奴でしょうか?」


 あまりにもキモイ奴を連呼されるので、がまんできなくなり僕は尋ねた。

 このままでは僕が発言するたびに、キモイ奴と合いの手が入りそうだったからだ。それでは僕が辛いし、スレ的にも問題があるだろう。僕がキモイ奴と言われる理由に納得がいけば、このスレから僕が身を引くという、選択肢も考えられる。

 糞コテみたいな呼ばれ方をして、場を壊してまで、ここに居座る気はない。僕だけ嫌な思いをして、丸く収まるならば、それでもいい。自己犠牲の精神に溢れる僕は、そう考えた。


「いや、キモイ奴というか、自分でキモイ奴だと自己主張していたから」


 言い訳のようなレスが入る。僕は、不満をあらわにして、返信を書き込む。


「眼鏡キャラが好きなことは、そこまでキモイことでしょうか?」


 人はそれぞれ好みが違う。その人の趣味が、他人の生命や財産を侵さないものであれば、それは許容されるべきものだ。僕はそのことを、十行ずつに分けて十回、合計百行分投下して、強く主張した。


「えー、あの、メガネスキーさんのトリップが、キモイ奴でしたから」


 非常に、申し訳なさそうにレスが付いた。


「えっ、どういうことですか?」


 僕の質問に、先ほどの人が答えを返した。


「◆ki.m018/tu。これがキモイ奴と読めるので、みんなキモイ奴と反応していたんです」

「うん?」


 ki→キ

 m0→mo→モ

 1→i→イ

 8→ya→ヤ

 tu→ツ


 そういえば、たまに単語や文章として読めるトリップを使っている人がいる。僕の場合は、そういったことを意識していなかったので、偶然の一致でキモイ奴と読めるトリップになってしまったのだ。

 だから、みんな、ネタだと思って「キモイ奴、キモイ奴」と合いの手を入れていたのだ。花火の時に「玉屋、鍵屋」と言うように、僕の発言に対して、トリップの言葉を書き込んでいたのだ。


 しかし、どうして奇跡的にキモイ奴になってしまったのだろう? それは僕が、キモイ奴の星の下に生まれてきたからだろうか。僕は心の底から頭を悩ませる。そして、仕方がなくトリップキーを変更した


 そんなことが、三日前にあったのである。僕にとっては、心を痛める出来事だった。何が原因で、キモイ奴呼ばわりされるか分からない。まさか何の落ち度もないのに、そんな称号を得るとは思わなかった。


 そういえば称号といえばハンドルは、俗用で「肩書き、称号、名前」といった意味を持つ。ハンドルだけで名前を意味するのだが、それでは分かりにくいので、和製英語としてハンドルネームという形で使われている。

 僕はトリップの文字列を、肩書きとして使われた。つまり、あのスレの住人にとって、僕のハンドルはキモイ奴であり、その前に付いていたメガネスキーは、何かよく分からない付属物だったということである。

 僕のコテハンは、メガネスキーではなく、キモイ奴だったのかもしれない。僕は吐血しそうな気持ちになりながら、文芸部の部室に意識を戻した。


「どうしたのサカキくん?」


 心配そうに楓先輩が尋ねてくる。


「えーと、最近コテハンでおこなった会話でしたね。アニメの話でした。ええ、それ以上でも、それ以下でもありませんでした」

「どんなコテハンだったの?」


 僕は、自分の顔が青ざめるのが分かった。楓先輩は、なぜそんなに的確に僕の急所を突いてくるのですか? あなたは僕にとって、SMの女王様的存在ですか。僕はめまいを覚える。そして、楓先輩にひざまずいて、うやうやしく答えた。


「キモイ奴です」

「えっ。そのコテハン、自分で付けたの?」


「はい。どうやらそのようです。僕は、知らず知らずのうちに、そう名乗っていたようです」

「そ、そう……」


 本当はトリップなのだけど、僕的にはそれは、ハンドルネームと等価なものになっていた。

 楓先輩は、僕からゆっくりと離れていく。うん? どういうことですか。僕は納得がいかないまま、去ってゆく楓先輩を見送った。


 翌日のことである。楓先輩は一枚の紙を持ってきて、僕に熱心に話しかけてきた。


「サカキくん。やっぱり、自分で自分のことをキモイ奴なんて言っては、駄目だと思うの。名は体を表すと言うでしょう。きちんと、自分自身を表した名前を、名乗るべきだと思うの」


 先輩はそう言い、手に持つ紙を僕に渡してきた。僕はその紙を見る。たくさん字が書いてある。どういうことだろうと思い、楓先輩に尋ねた。


「昨晩、サカキくんのコテハンに使うハンドルネームを、一生懸命考えたの。サカキくんにぴったりだと思うから、使ってちょうだい」

「あ、ありがとうございます」


 僕は、紙の文字を見た。


 ――動漫画愛好智祐大居士

 ――電脳界遊泳悠祐超居士

 ――知徳院言海解説榊居士


 えー、あのー、これは、ハンドルネームというよりは戒名なのですが。

 僕は、生きたまま鬼籍に入ってしまったのだろうか? さすがにこれはと思った。しかし、楓先輩が、一生懸命夜なべして考えた名前なので、引きつる笑顔で受け取った。


 どうするんだ、これ?


 僕は先輩の顔を見る。楓先輩は、心の底から満足そうだった。はあ……。僕はくたびれた顔で、その仏門的、汎渡流寧無を、どこで使おうかと考えた。


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