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第150話「情弱・情強」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、先進的な知識を求め続ける者たちが集まっている。そして日々、諜報機関顔負けの活動を続けている。

 かくいう僕も、そういった情報収集に余念のない人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、新しい知識に振り回されている面々の文芸部にも、古い本をじっくりと読む人が一人だけいます。情報の海を泳ぐマグロの群れに紛れ込んだ、ふわふわと漂うマンボウ。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は、先輩を見て相好を崩す。楓先輩は、少し照れくさそうに笑みをこぼす。僕がじっと見つめていると先輩は、眼鏡がずれていたかなといった様子で、恥ずかしそうに眼鏡を直した。その仕草の可愛らしさを堪能しながら、僕は優しく声を返す。


「どうしたのですか、先輩。未知の言葉が、ネットにありましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの情報通よね?」

「ええ。織田信長並みに、新しい事物を積極的に採用します」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自分の部屋でも書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、新しいタイプの文学に出会ってしまった。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「情弱、情強って何?」


 先輩は、どうやら情弱、情強という言葉を知らないらしい。


「私が想像するに、人情が弱いとか強いとか、そういった言葉じゃないかしら」

「全然違います」


 僕は、思わず突っ込んでしまう。先輩は、にべもない僕の言葉に、しゅんとした顔になる。うっ。もっと優しく言えばよかった。僕は反省するとともに、先輩はネットで言うところの情弱だよなあと思う。

 本来の情報弱者の意味で言えば、楓先輩はネットをそれなりに使っているので、デジタルデバイドによる格差は少ない方である。しかし、積極的に情報を集めて活用していない楓先輩は、情弱乙と言われても仕方がない。何より、情弱という言葉を知らないことが情弱の証しである。鶏が先か、卵が先かみたいな話だが、それがネット社会の常識なので仕方がない。


 これから僕は、情弱、情強の説明を通して、楓先輩を情弱認定しないといけない。先輩は、そのことで傷付いてしまう可能性がある。これは、慎重に話をしなければならない。僕は、細心の注意を払いながら、楓先輩に語り始める。


「楓先輩。情弱、情強はそれぞれ、情報弱者、情報強者の略です。この二つのうち、元々使われていたのは、情報弱者を意味する情弱の方です。情報強者、情強という言葉は、その対立概念として出てきたものです」

「なるほど、情弱、情強は、情報弱者、情報強者の略だったのね」


「そうです。そもそも情報弱者という言葉は、現在ネットで使われている意味とは、違うものでした。元々の言葉があり、それがネットで利用されるうちに、微妙に異なる意味となり広がっていきました。ですから、本来の意味から、説明していこうと思います」

「うん。お願いね、サカキくん」


 楓先輩は、拳を可愛く握り、僕に寄り添い、見上げてくる。楓先輩は集中すると、その対象に向かって、ずんずんと近付いていく性質がある。そのため、僕の話に夢中になると、これでもかというぐらいに、体を密着させてくるのだ。僕は、ネット用語の解説のたびに、この役得を味わっているのである。


「情報弱者という言葉は、情報格差の生じた社会の中で、情報通信や情報技術の面で弱者となった人を指す言葉です。この情報格差という概念は、元々はデジタルデバイドという言葉の翻訳語です。

 このデジタルデバイドという言葉が公式に使われたのは、一九九六年の、アメリカ合衆国副大統領のアル・ゴアの演説だと言われています。彼とビル・クリントン大統領は、情報スーパーハイウェイ構想を打ち出し、社会的格差や経済的格差、機会の格差に繋がる、情報格差を取り除くことを提唱しました。

日本でも、二〇〇〇年頃からこの言葉が使われ始め、情報格差の解消に努めてきました。


 情報弱者という言葉は、元々は情報格差により生み出される、様々な不利益を被る人を指すものでした。しかし、この言葉は、ネット上で使われる際には、本来の意味とは異なる内容で使われ、拡散していきました。

 ネット上で情報弱者という言葉が使われる場合、特に情弱と略して使われる場合には、以下のような意味を持ちます。

 正しい情報にアクセスできない人。ネットを使って情報を自分で調べられない人。お得な情報を知らない人。分かっていればしないような損なことをしている人。メディアの情報を鵜呑みにしている人。IT関係で間違ったことをしている人。様々な小技を聞きかじっていない人。こういった人が、情弱と呼ばれます。

 この情弱は、基本的には罵倒語であり、自分が知っていることを知らない人を、高みからあざ笑うニュアンスで用います。そのため、面と向かって使うべき言葉ではありません。


 情報強者、情強とは、このネット用語の情弱に対立するものです。自分は情弱とは違う。自分は正しい情報を得て、活用できている。そういった立場のアピールに使用されます。これはある意味、相手に対して優位性を示す、マウンティングの言葉だと言えます。

 この情強は、本人が使う場合は、今話したような、自己を高め、他者を貶める言葉になります。しかし、他人が使う場合には、意味が一転します。はいはい、あなたは情報強者なんですね。それは、さぞ、様々なことに通じているのでしょうね。まあ、井の中のかわず大海を知らずで、狭い知識を誇っているだけでしょうが。といったニュアンスの、侮蔑的な言葉に変貌します。

 情強も、他人に対して使うとネガティブな言葉になるので、注意した方がよいです」


 僕は、ざっと情弱と情強の解説をする。僕の話を聞いた楓先輩は、少し考え込むような仕草をしたあと、僕に視線を向けた。


「ねえ、サカキくん。もしかして私、情弱?」


 うっ、やはりそう思うよなあ。僕は、その問いに答える代わりに、情弱チェックの質問をすることにした。


「楓先輩。今からいくつかの項目を尋ねます。そのすべてに当てはまると、情弱と言えるでしょう」


 よし、これなら大丈夫だろう。まさか、全部に該当するとは思えない。さすがにクリアできるだろうと考えながら、僕は質問を開始した。


「ウェブブラウザといえば、インターネットエクスプローラーしか知らない」

「えっ、インターネットって種類があるの?」


 楓先輩は、驚いたような顔をする。うっ、いきなり該当したか。

 先輩は、自分が使っているブラウザが、インターネットエクスプローラーかどうかも、定かではないようだ。それ以前に、ウェブブラウザとインターネットを混同している。まあ、ヤフーを使っていると言わなかっただけましか。

 僕は、嫌な予感を覚えながら、次の項目に進む。


「ブラウザの上の方に、よく分からないツールバーがいろいろとある」

「ねえ、サカキくん。ツールバーって何?」


 そこからか! 僕は、画像検索して例を示す。


「どうかな。家に帰らないと分からないけど、何となく、あるような気がするわ」


 おそらくあるのだろう。楓先輩は、再び情弱判定に黒星を喫した。


「えー、では、次の質問です。使用しているパスワードが、これから挙げるものの、どれかに一致する。0000、1111、1234、123456、12345678、abc123、password、自分の名前、自分の誕生日」


 あの、楓先輩。なぜ、目を逸らすのですか? もしかして、この中にありましたか。僕は先輩のセキュリティ意識の低さが、かなり心配になる。


「ネット上に公開されているオンラインソフトを、自分で調べて導入したことがある」


 先輩の頭の上に、無数のはてなが舞う。あー、使いこなしている以前に、オンラインソフトのことを、知らないのですね。僕は、これ以上黒星を重ねるのが怖くなってやめた。


「ねえ、サカキくん。私は、やっぱり情弱だったの?」

「えー、そうですね。そのようですね」


 これ以上取り繕うのは不可能だと判断して、そう告げる。


「私は情弱。そして、サカキくんは情強なのね?」

「まあ、ネットの基準ではそうなると思います」


 仕方がなく、僕はそう答える。


「はあ」


 楓先輩は、悲しそうにため息を漏らす。


「私とサカキくんの間には、分かり合えない格差があるのね。そして、見えない境界線が引かれているのね」


 楓先輩は、落胆した表情で声を漏らす。


 うえっ? 僕は、驚きながら大いに慌てる。楓先輩は、勝手に僕との距離を感じて、縁遠い人だと決めつけている。これはまずい。情弱の話のせいで、僕と楓先輩の仲に、溝が生じつつある。僕は、その溝を埋めるべく、必死に話を展開する。


「楓先輩。情弱、情強の差に、一喜一憂する必要はありません! ネットで情強だとされている人は、小手先の技を知っている程度の人です。ネットで使われる情弱、情強という区分は、ある意味では、時間の使い方の差でしかありません。

 ある人は、小さなノウハウを調べて活用することに時間を使っていて、またある人は、その時間をリアルな人間関係に当てている。そういった時間の用い方の違いが、差として現れているだけです。そんなことで、相手を罵ったり、格差を感じたりする必要はありません。


 それに、情強だからといって、世の中に本当に精通しているわけではありません。パソコンに詳しいとか、スマホを使いこなせるとか、無料情報や格安情報に精通しているとか、そういったことは、お金を稼いで、そのお金で他人に作業をさせれば、解決するようなことばかりです。

 そういったことを、自分で調べて、一生懸命しているということは、他人を使う立場にないということを、告白しているようなものです。それは、搾取される側の人間だということに他なりません。いわば、情弱、情強の罵り合いは、羊や牛が牧場の中で、自分の方が上だ下だと、主張しているにすぎません。


 真の意味での情報強者は、ネットで自分が情強であることを自慢したりしないです。そして、そんな些末なことに拘泥せず、大きなビジネスを組み立てて、多額のお金を動かしたりするものです。

 そういった視点で考えれば、情弱も情強も、そんなに大差はありません。楓先輩。情弱だからといって悲観することはありません。安心してください!」


 僕は、先輩の劣等感を拭い去るために力説する。先輩は、僕の言葉を熱心に聞いたあと、元気を取り戻した様子で、声を出した。


「ありがとう、サカキくん。でも、できれば私、情強になりたいわ。そのためにはまず、さっきサカキくんに指摘された、パスワードから改善しようと思うの」

「それはよいことです。パスワードに関しては、情弱云々というよりは、セキュリティの問題なので、なるべく早く改めた方がよいです」


 僕は、先輩を励ますようにして言う。


「うん。私、今日家に帰ったら、さっそくパスワードを変更するわ。サカキくんが挙げた1234ではなく、5678に設定し直すわ」


 えー、あー、うー。

 駄目だ。楓先輩は、自分のパスワードがなぜ問題なのか、一ミリも分かっていない。1234を5678に変えたとことで、パスワードの強度はほとんど上がっていない。それに、口に出して言ったら駄目だ。もっと言うと、楓先輩の口調から想像するに、すべてのウェブサービスのパスワードを同じものにしているのだろう。それは違うものにしないといけない。


 楓先輩は、いくら何でも情弱すぎる。さすがに放っておけない。そう思い、僕は先輩に向き直り、パスワードについて講義を始めた。先輩は、しおれた菜っ葉のような顔をして、僕の言葉を聞いた。


「情強への道は険しいわね」


 楓先輩は、疲れたような顔で、ぼそりとこぼす。

 えー、楓先輩が情強になるのは、たぶん無理でしょう。少なくとも、検索エンジンぐらい使えるようにならないといけません。でも楓先輩が情強になったら、僕に何も聞いてくれなくなる。僕は、とても独りよがりな考えだけど、先輩には、今のままでいて欲しいなと思った。


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