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第133話「痛車」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、痛い雰囲気の者たちが集まっている。そして日々、ちょっとやばげな活動を続けている。

 かくいう僕も、そういった、はたから見ると恥ずかしい系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、アレゲな面々の文芸部にも、至極まっとうな常識人が一人だけいます。コミケの最終日に紛れ込んだ、学校帰りの普通の女子中学生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。その拍子に、先輩のスカートがふわりと開き、ぱすんと閉じた。先輩は、ふわふわの綿毛のような、可愛さを持っている。僕は心を弾ませながら、そんな先輩に声を返す。


「どうしたのですか、先輩。またネットで、知らない言葉を発見したのですか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。頭文字Dの主人公ばりに、ネットの峠道を攻めています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、数々の文章表現を目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「痛車って何?」


 少し手数の必要な、言葉が来た。そもそも楓先輩は、痛いというネットスラングの意味を理解していないはずだ。だから、そのまま説明したら、怪我や病気で、痛い思いをしている人が乗っている車だと、思われかねない。ここは少し大変だが、痛いという用語についても、話さなければならないだろう。


「痛車と言う言葉は、見ていて痛々しい車、痛い車という意味と、イタリア車を表すイタ車の語呂合わせからできた言葉です」

「痛々しいとか、痛いとかって、何か事故にでも巻き込まれたの?」


 先輩は、気の毒そうな顔をしながら言う。やはり楓先輩は、痛いのネットスラング的用法を知らないようだ。


「実は、痛いという言葉自体も、ネットスラングです」

「えっ、そうなの?」


「ええ。この痛いは、オタク系の人たちに対して使う言葉です。ある意味マイノリティーである、アニメやゲームを趣味としていることを、日常生活で隠そうともせず、赤裸々に周囲に発信しているような人に対して使う言葉です。レッテルとして用いることもあれば、本人が自虐的に使用することもあります。


 辞書などにある本来の言葉の意味で、最も近いのは、言動がひどく場違いで、見るに堪えないさま、だと思います。また、痛々しいの前に精神と付けて、精神が痛々しいと使うと、分かりやすいかもしれません。痛々しいの意味は、気の毒で見ていられないほどかわいそう、ですから。

 そういった、ネットスラング的な痛いの意味の系譜に、痛車という言葉はあります」


 楓先輩は、痛いにはそういった意味があるのか、という顔をしている。きっと先輩は、博識博学のサカキくんとして、僕のことを認識しているはずだ。


「ねえ、サカキくん。それで、痛車はどう痛いの? 今の説明から推測すると、アニメやゲームの趣味を全開にして、周囲にアピールするような車、になると思うのだけど。もしかして、アニメやゲームに出てくる車に乗っている場合に、その車のことを痛車と呼ぶの?」

「いえ、全然違います」


 僕は、右手を出して、楓先輩の言葉を遮る。


「痛車は、そんな生ぬるいものではありません」


 先輩は、僕の強気な態度に、少し驚いたような様子を見せる。僕は、オタクの端くれとして、痛車の何たるかを、楓先輩に伝えようとする。


「痛車というのは、車の全面に、アニメやゲーム、マンガのキャラクターなどを描いたり、張り付けたりした、デコレーションカーのことです」


 楓先輩は頭の中で、痛車がどういったものなのかを考えている。どんな絵面が浮かんでいるのかは、僕にも分からない。


「つまり、デコトラのオタク版? 『トラック野郎』の菅原文太的世界が、車の全面に展開するわけ」


 先輩は、必死に頭の中のイメージをまとめて、僕に言う。

 僕は、先輩の頭の中を想像する。萌えティーシャツを着た菅原文太が、アニメの女の子キャラでラッピングされた、派手な電飾カーに乗って、エンジンを吹かしている。そんな絵面が浮かんでくる。


「えー、微妙に違うと思います……。というか、だいぶ違うと言うか。実物を見てもらわないと、ちょっとイメージが湧かないかもしれませんね」


 菅原文太のイメージから離れてもらうために、僕は画像検索で痛車を探して、楓先輩に見せる。先輩は、ようやく痛車の意味が分かったのか、右手を左手の上にぽんっと置いて、頷いた。


「なるほど。痛車って、こういうことだったのね」


「ええ。百聞は一見に如かずです。こういった、彩色やラッピングを施した車のことを、痛車というのです。ですから、デコトラのイメージよりも、レーシングカーの広告に近いイメージでしょうか。

 ただ、広告とは違い、痛車のオーナーは、自分の好きなキャラクターのデコレーションを自分の意志でおこなっています。愛が余って、周囲に溢れ出して、痛い状態になっているわけです。そういった意味では、精神的には、デコトラの方に近いかもしれません。


 実際の痛車は、様々な方法で作られます。デジタル出力してフィルムを貼り付ける方法、カッティングシートを使い、職人芸で制作する方法、マグネットでシールを留める方法、エアブラシで塗装する方法などがあります。


 さて、この痛車という言葉ですが、かなり市民権を得ています。テレビで登場することもあれば、専用の雑誌やムックが出たりもしています。さらにそこから派生して、痛電車、痛バス、痛タクなどといった言葉も出てきています。

 ただ、広告目的のものは、本来の痛いという意味から外れることもあり、普通にラッピングバスや、ラッピング電車、宣伝カーと呼ぶべきではないかとも、言われています。こういった、痛車の文化は、日本の新たな文化として、世界に発信されつつあります」


 僕は、痛車の説明を、あまりディープにならないようにおこなった。元々車趣味というものは、収集や改造といったオタク的気質を伴うものだ。そのため、そういった人が、オタク向けアニメやゲームにはまると、常人では考えられないような、時間とお金を突っ込んで、車をカスタマイズしたりする。

 そういった、ガチの痛車は、僕のようなライトオタク層では、とてもではないが付いていけない。本気の痛車を見るたびに、僕はオタク世界に、右足の小指ぐらいしか突っ込んでいないなあと思うのだ。


「なるほど、痛車の意味がようやく分かったわ。それと、アニメやゲーム好きの人が、そういった女の子のキャラクターを、大きく貼り付けてカスタマイズをしたものを、痛何々と呼ぶのね」

「ええ。痛バイク、痛単車、痛チャリ、痛トラという言葉もあります。乗り物以外にも存在しており、痛アイフォーン、痛PC、痛キーボードなども世の中にはあります。今後も様々な種類の、痛何々が出てくると思います」


 これで説明はすべて終わりだ。僕は満足して、楓先輩の表情を見る。きっと、僕の華麗な言葉に酔ってくれたはずだ。しかし、楓先輩は違う表情をしていた。そして、僕から視線を逸らして、僕の机の下を見ていた。

 どうしたのですか楓先輩? 僕の下半身に興味があるのですか。僕は、そう思いながら、先輩の視線をたどる。そこには、僕のカバンがあった。


「サカキくんのそれって、痛カバン?」

「うっ……」


 僕は言葉を詰まらせる。確かに僕のカバンには、そういった改造が施されている。学校指定のカバンに、アニメのキャラクターの女の子が、可愛いポーズを取っているラッピングを施している。本来ならば校則違反なのだが、先生たちは、なぜか見て見ぬ振りをしている。それはきっと、僕があまりにも痛々しいからであろう。


「それに、サカキくんの筆箱は、痛筆箱?」

「こ、これは……」


 痛筆箱と言えなくもないですが、これは普通に公式グッズです。


「他にも、痛シャーペンに、痛消しゴム?」

「いや、これらは、普通に売っているものなので、厳密に言うと違います」

「そうなの? じゃあ、スマホは」

「ぐ、ぐぬう……」


 僕は、自分のスマホを取り出して、その姿を眺める。背面には、女の子が扇情的なポーズで、ウインクをしている。そのラッピングは表面にもおよび、待ち受け画面も女の子のキャラで賑わっている。残念なことに、僕のスマホは、痛スマホだった。どこからどう見ても痛いです。ごめんなさい。

 僕は、痛いオタクであることを自覚した。先輩はそんな僕を、痛々しいものを見るような目で眺めた。


 翌日のことである。僕が部室に行くと、楓先輩が、ととととと、と僕の許にやって来た。


「サカキく~ん。私も痛いものを作ってみたよ」

「えっ?」


 先輩が、痛いものを? 僕は、驚きながら顔を向ける。先輩はカバンから、一冊の本を取り出した。その本には、自作のブックカバーがかけられており、その全面に女性の姿が印刷してあった。おそらく、家のプリンターで作ったのだろう。

 僕は、そのブックカバーを見て、どう反応してよいのか迷った。アニメやゲームに詳しくない楓先輩は、仕方がないので文豪の中から、女性を選んで印刷したのだろう。楓先輩が選んだのは、与謝野晶子だった。

 ……あの、その、与謝野晶子は、ネットでは、違う意味で有名なのですが。与謝野晶子といえばバナナ。与謝野晶子、バナナで検索しては危険。そういった、ちょっと痛い理由で、知れ渡っている人なのです。

 しかし、楓先輩は、そのブックカバーを、いたく気に入っているようだった。僕は突っ込みができず、そのまま放っておいた。楓先輩お手製の、違う意味での痛ブックカバーは、一週間ほどで破れた。先輩は残念そうにしていたけど、僕は胸をなで下ろした。


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