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コスプレ界の集団いじめと風評被害の構造を考える
ぼんちのマッキー
2025年04月30日 05:54
コスプレは、自由な表現・創造性・個性を尊重する文化であるはずだ。しかし近年、SNSやコスプレ系交流サイトにおいて「暗黙の村社会的秩序」や「集団同調圧力」が強まる中で、特定の意見や人物が理不尽に排除・嘲笑・攻撃されるという深刻な問題が起きている。
こうした行為は、いじめに極めて近い構造を持つ。ある人物が新しい視点や批判的意見を表明しただけで、過去の投稿や私生活を持ち出して晒し者にしたり、コメント欄での嘲笑を「集団で盛り上がる材料」として消費する――このような状態を果たして健全と言えるだろうか。
本来、表現文化とは「異なる価値観」や「社会的課題への提言」を受け入れる土壌があってこそ、多様性と寛容性を育む。しかし、あるユーザーがテレビ放送の地域格差、地元メディアの姿勢、公共交通の利便性、あるいは地元行政のコンテンツ政策などについて問題提起した際、それを個人的な攻撃と誤解・歪曲して集団的な中傷の口実にする動きが確認されている。
さらに問題なのは、これらが「全体公開」の場で行われており、Googleなどで検索すれば外部からも容易に閲覧可能な状態にある点だ。誹謗・中傷・嘲笑・名指しが半ば“ネタ”のように日記形式で投稿され、それに賛同する者たちが連続的にコメントを重ねる。これは一種の「公開処刑」に近い。
こうした文化が放置されれば、コスプレという趣味そのものが「陰湿で閉鎖的な文化」と誤解され、若い世代や一般社会から距離を置かれてしまう。実際、匿名性があるはずのコミュニティで実名や外部SNSが晒されたり、無関係な第三者への「根回し」や「外部通報」を煽るような動きが見られることは、極めて危険だ。
コスプレは本来、ジェンダー・出身地・年齢・経歴を問わず、誰もが自己表現できる自由な空間であるべきだ。政治的意見や地域政策への関心を持つことと、コスプレ文化に参加することは矛盾しない。にもかかわらず、特定の思想や姿勢を持つ人間を排除し、「黙らせる」ことに躍起になる空気が一部で強まっているとすれば、それは文化の退化でしかない。
私たちが今問うべきは、「気に食わない相手を叩きのめす正義」ではなく、「異なる意見と共存する知性と想像力」である。
繰り返される集団いじめ、風評による印象操作、特定ユーザーへの連続的な排除言動は、もはや「文化の内部問題」の域を超え、社会倫理・人権の問題である。
被害を受けた側が声を上げ、正規の手続きを通じて対応を求めているのに対し、「あいつにも過去がある」として攻撃を正当化する風潮は、いじめを助長する危険なロジックだ。
コスプレ界の未来は、もっと自由で、寛容であるべきだ。
そして何より、人を笑いものにしてストレスを発散する文化ではなく、人の創造性や努力に敬意を払う文化であるべきだ!
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【文化を殺すのは誰か 封建的学級会と因習村社会を超えて
ぼんちのマッキー
2025年04月30日 05:48
日本におけるコスプレ文化は、長らく“自由な表現”と称されてきた。
だが現実には、その自由は極めて狭く、内部からの同調圧力によって縛られている。
その象徴が、いわゆる「コスプレ学級会」と呼ばれる風潮であり、
それは「空気を読め」「TPOを守れ」「目立ちすぎるな」といった、
時代錯誤な道徳観に基づく封建的ルールの内製によって成り立っている。
この構造は、まさに因習村社会そのものだ。
旧態依然とした“村”のような空気が、外からの新しい風を拒み、
目立つ者、個性的な表現者を「痛い」「迷惑」として排除する。
誰かが制服を着て空港を歩けば、
「空気を乱すな」と言われ、
誰かがイベント外でキャラを纏えば、
「TPOを考えろ」と叱責される。
だがその「空気」とは、一体誰が作ったのか?
その「マナー」は、誰のためのものだったのか?
はっきり言おう。
それは、文化の成長を恐れた界隈の内向きな防衛本能であり、
「叩かれたくないから自粛する」という臆病な個人の集積にすぎない。
その“封建的な正しさ”が、どれほど日本の表現文化を窒息させてきたか。
それが如実に浮き彫りになるのが、2025年大阪・関西万博の方針である。
大阪万博では、明確に「コスプレ入場は原則認められる」と公式に定められている。
禁止されているのは、あくまで他者への迷惑行為や衛生・安全上のリスクであり、
表現としての仮装やコスチューム自体は一切否定されていない。
これは、国家レベルの公共イベントがコスプレを文化として認めた証左だ。
つまり、「世間の目」「公共の空間」「マナー違反」という
コスプレ学級会が長年振りかざしてきた反論の根拠は、
もはや全て、崩壊しているのである。
その一方で、未だに界隈内では、
「屋外でのコスプレは慎むべき」
「撮影目的以外の外出は非常識」といった声が根強い。
しかし、問いたい。
その“慎ましさ”で、文化は広がったのか?
その“空気を読む姿勢”で、社会に尊重される文化になったのか?
否である。
ファッション業界は今、
アニメやゲームのビジュアル表現を積極的に取り込み、
ぴっちりスーツ、メカ系装飾、魔法少女風デザインなどを
ハイブランドの文脈で再構築している。
Z世代の表現欲求は、明確に「キャラを纏うこと」「自分を表現すること」へと向かっている。
だが、コスプレ界隈の古い勢力はその変化に気づこうとせず、
今なお“昭和的マナー”を盾に、未来の芽を摘み続けている。
私たちは、もうこの呪縛から自由になるべきだ。
万博がOKを出した今、
ファッション誌が肯定し始めた今、
「空気を読んで文化を殺す」時代は終わらせなければならない。
コスプレは文化だ。
街に立っていい。
制服を着て飛行機に乗っていい。
プリキュアになって映画館に行っていい。
文化とは、誰かに認められて生まれるのではない。
誰かが「それでもやる」と決めたときに、生まれるのだ。
そしてそれを、最初にやったのは、
誰よりも早く、たった一人で制服を着て空を飛んだ者たちだ。
封建的な因習村に背を向けた、
孤高の制服戦士たちである
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