「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。

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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。

ほほえみ

許 書寧

今日の心の糧イメージ

 通りすがりの小さな和菓子屋さんの前でふと足が止まった。

 「名物どら焼き」と書かれた貼り紙の美しい筆文字にそそられたからか、それとも老舗のような店構えの懐かしさに惹かれたからか、私は吸い込まれるようにその店に入っていった。

 店の扉を開けると、一瞬にしてゆずの香りに包まれた。奥から「こんにちは」と柔らかい声と共に少し年配の店主がほほえみながら出迎えてくれた。ゆずの香りをほめると、彼女は目を細めて嬉しそうに言った。

 「ええ、毎年この季節に、1年分のゆずを仕込むのですよ。今日も朝からせっせとゆずの皮をすりおろしています」

 私は貼り紙を思い出してどら焼きを求めた。すると彼女は、「今日はちょうど売り切れてしもうて...」と残念そうに謝ってから、ふと「あ、ちょっと待って」と奥へと急ぐと、すぐにまたにっこりと出てきた。

 「これは自分で食べようと思って冷凍しておいたものです。常温に戻したら普通に美味しいですよ。よろしければお味見にどうぞ」と、小さなどら焼きを紙に包んで私に差し出すと、話を続けた。

 「実は、この凍ったどら焼きは母の大好物でした。しかも、母は凍ったまま食べるのが好きでね、「アイスケーキ」とか言って」

 そう述べると、店主は幸せそうに笑った。その笑顔は母を慕う幼子のようだった。

 私はほのぼのとした気持ちで思い出の詰まったアイスケーキと共に帰路についた。気がつくと、自分も笑顔になっていた。

 風に乗って運ばれるゆずの香りのように、きっとほほえみは伝わり広がるのだろう。

 そうでなければ、道端の草花も、木の根元に群がる鳩も、路地に佇むお地蔵さんも、皆ほほえんでいるように見えなかっただろう。