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ピエール手塚
ピエール手塚
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ピエール手塚
@oskdgkmgkkk
漫画が好き。「ゴクシンカ」「いじめ撲滅プログラム」が完結。「ひとでなしのエチカ」がヤングキングで、「恋のジンロゲーム」がコミックビームで連載中です。
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13歳下の妹が小学生のとき、勉強してるとおれが偉い偉いと褒めるせいか(おれ自身は本当に宿題をやろうとしなかったため)、おれが実家帰ってるときに、「宿題しようっと」とか言いながら、おれがごろごろしてる部屋まで来て宿題を始めるので、可愛くてよかったな。
小学校のときに、自己肯定感に溢れた快活だった少年が、実はまだ周りが見えてなかったからのびのびできていただけで、中学生以降に色んなことが急に見えるようになってきた段階で、そののびのびとした快活さが周囲との強い軋轢に変わり、一気に性格が暗くなるという現象は、ある話なんだよな。
昔、先輩が勤めてた会社が、退職を申し出ても全然辞めさせてくれないので、みんな社員寮から夜逃げしてたらしいんだけど、出勤して来ない社員がいると同僚が部屋を見に行って、電話で「もぬけの殻です!」って報告してたって話を効いて、もぬけの殻ですって言えるシチュエーションあるんだと憧れたな。
小学校四年生のとき、クラスで一番足が遅かったMくんが、運動会前日に釘を踏んだからと運動会を休んで、クラス全員リレーで、学年一速いTくんが人数合わせとして2回走って、学年一位になって皆大喜びだった思い出、大人になるとめちゃくちゃグロテスクに思えるんだよな。
むかし誰かが言ってた「みんなの花壇を踏み荒らした人が注目を集めているとき、踏み荒らした人が自分には注目を集める力があると感じたりするけど、みんなの興味関心があるのは実際は花壇の方であって、その人ではないというすれ違いがある」みたいな話、そうだよなと思う出来事がちょいちょいある。
駐輪場で、孫をつれたおじいちゃんが自転車を倒して、おれの原チャリに当たったんだけど、おじいちゃんがやらかして謝る様子を見るのは孫も嫌だろうな回路が瞬時に発動して、向こうが口を開くより先に「大丈夫ですか!?」と言うことで、全てを無効化することに成功した。
アニメ主題歌がアニメの内容とあってるかあってないか話、すごいよマサルさんのロマンスは、あってないんだけど、めちゃくちゃあってるので、どうやってあの正解にたどり着けたのかが想像がつかない。
お年玉、結構前から、あげる相手にサイコロ3個振らせて、出た目の積の百倍あげるって約束をして、最大2万1千6百円のお年玉ギャンブルをするんだけど、一万円とかあげてる爺婆よりも、おれの期待値数千円の方がいつも盛り上がるので、お得だなと思っている。
電車で、おっさんがベビーカーの人に混んでるのにみんな迷惑してるんだけど?って言ってたので、「いや、僕はしてないですけど?」って横からコメントしたら、怒られてしまった…。
うかつにセブンペイに登録してしまったのを後悔している人もいるかもしれないけど、それでも、登録して無料で貰えるおにぎりが欲しかったという純粋な気持ちだけは間違ってないよ。おにぎりが欲しかった自分の気持ちだけは否定しないでやってほしい。
何かを楽しむ上で、期待値のコントロールってめちゃくちゃ重要だと思ってて、昔ナイトスクープでやってた美味しい卵豆腐を、プリンですって嘘ついて食べさせたら、皆が不味い不味いって文句言って、実は卵豆腐なんですよって聞いた後、二口目を食べたら、美味しいって言うやつとかを思い出すんだよな。
「いきなり関係を断たれた、悪いところがあるなら言って欲しかった、言ってくれなければ分かりようがない」みたいな話、断った側に聞いてみると「何度も言ったのにまともに取り合ってくれることはなかった、今もこちらが言わなかったというせいにして、自分を改めるそぶりがない」ということがあった。
世界中の人が参加するトーナメント形式のジャンケン大会があったとして、優勝する人が確実に一人、何回ジャンケンをしても一度も負けずに勝ち続けてしまった人として存在するの、当たり前なんだけど、奇妙に思えて、自分がその立場になったら、もはや正常ではいられない気がする。
一番困っているときには、周りに「助けてください」って言わない方がよかったなという経験が結構あって、ただでさえ限界ギリギリになっているのに、「お前がそうなったのは自業自得」とか「自分がお前を助けないことがいかに正しいか」とかを説明されて、限界の底が割れそうになるから。
会社の仕事で頼まれたやつに、「やりたくないですねー、でも仕方ないのでやりますよ!」って元気に答えてたら、結局やるなら、やりたくないとかいちいち言わない方が印象良くない?って感じの指摘されたんだけど、これはやりたくないと明示しておくことで自衛しているんですよと意味を説明した。
ジブリアニメの原作改変があんまり気にされてないのは、改変が上手いからではなく、最初に見たのがジブリアニメ版の人が多いからではないかと思います。サザエさんの花沢さんも原作にいないけど、みんな大体アニメから入るから、その存在は批判されていない。
HUNTER×HUNTERコラボカフェで、まず水の入ったコップに葉っぱを浮かべたやつが出てくるんだけど、マナーをよく知らない人が、それが水見式用のやつだと知らずに飲んでしまって、それを見た人が、恥をかかせまいと、自分も飲んだという道徳の話。
会社とかで、誰かがやった方がいいことを誰もやらないから、仕方ないからやるかと思ってやってたら、だんだんとそれが重たい話になってきて、しんどくなってきたからしんどいのですが…と言ったら、「誰もやってくれなんて頼んでませんけど?」って言われて嫌な気持ちになる、みたいなのがあるけど、
40代で様子がおかしくなってるオタク、体力気力の低下により、昔ほど見る作品の量を追えなくなったし、作品に感動したり、それを文章に書いたりができなくなって、もう詳しい人ではなくなってるのに、自分はこの分野には詳しいという自意識を手放せなくて、結果至る行動がおかしいって感じがするな。
USBのコネクタを、ゆっくり差し込むと2.0、素早く差し込むと3.0として認識されるやつ、2.0として認識される刹那の拍子に、二撃目叩き込むことで、2.0+3.0が発生し、夢のUSB5.0に突入することができる。
ワニの映画、見たけど悪くなかったって話をしてる人に、「いくらもらってる?」「弱みでも握られた?」ってリプライがついてて、そういうこと言うのが面白いと思ってる感じの人にバカにされてるんだなあと思って、めちゃくちゃ悲しくなってしまった。
インターネットで失敗談を書いて拡散されると、ある閾値を超えたあたりで「お前の失敗はお前の自業自得だ」という意見が大量につき始めるんだけど、失敗談の共有は有益なことなので、公開したのはいいことだし、そうなったことにへこたれないでほしいという願いがある。
漫画家が面白い読切を年に何本か描ければ、それで十分暮らせる、みたいな環境、エロ漫画のダウンロード販売ではすでにそうなってる部分があると思うけど、なぜエロ漫画ではそれが成り立っているかというと、エロ漫画にはその読切一本に何百円とかのお金を払う人が何万人も既にいるということだと思う。
下描きなしでいきなりペン入れをする技のデジタル限定のコツですが、上手くいかなかったら、そのレイヤーを薄くして、下描きだったことにして再度ペン入れをするといいです。おれはこれを双龍閃と呼んでいます。
学生のときに、ジョジョの奇妙な麻雀という、一局始まる前にタロットカードを引いて、暗示されたスタンド能力を一回使っていいという特殊ルール麻雀をやってましたが、スターフィンガー!!って言いながら、盤面の好きなところからツモるやつ、自分がやっても他の人がやっても、毎回笑ってしまってた。
漫画ではひとつのコマに複数の時間が合成されるという言葉の意味が伝わってるか心配になったので、図を描きました。
Quote
ピエール手塚
@oskdgkmgkkk
キュビズムが、異なる視点から見える映像を一枚絵で表現するように、漫画のコマは複数の時間をひとつのコマにおさめることが出来る、時間的キュビズムみたいなことが当たり前にやられていて、分かりやすい例で言えば、連続パンチを打っているときに、腕が何本も1コマに入っているのがそれです。
前に女友達から、「なんで男って自分が好かれてる前提でコミュニケーションとってくる人が多いの?」って聞かれて、おれの経験だとそれはむしろ女の人に多くない?って感じてたけど、話を総合したら、それは性差ではなく、異性に対してアプローチが積極的な人の傾向なのでは?みたいな結論になったな。
昔から、他人と喋るのは時計の時刻合わせみたいなものだなと思ってて、一人でいるとだんだんズレていく現在時刻を、色んな人と喋ることでみんなとだいたい同じ時間に合わせていく感覚がある。ただ難しいのは、絶対に正しい標準時刻があるわけではないということで。
ガロにはインクでなく血で描かれた漫画がよく投稿されてきていたため、血で漫画を描くのは、どちらかというとありがちで平凡なこと、みたいな話、狂気ということについて考えるときに思い出す。
インターネットではすごい人が見えすぎるので、もっと小さい集団でお山の大将になれる時期が創作には必要という話と、小さい仲間内で褒めあっているのは創作者として堕落、みたいな話がそれぞれあるので、小さい仲間の褒め合いでまず加速して外に出て行く道を走れという話になってくる。
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Mくんは別にいじめられてたわけではなかったと思うけど、繰り返される運動会の練習の中で、自分がリレーで抜かれたことでの、皆のがっかりした気持ちは受けていただろうし、そこでの彼の気持ちについて想像をできるようになるのは、少なくともおれはもう少し大人になってからだったと思う。
なぜ、沢山の漫画家が同じタイミングで映画のPR漫画を公開したのか?賢明なバキの読者であれば、それがシンクロニシティの一言で説明できることがご理解頂けると思いますが?
インターネットをあんまり使ってない時期には、本屋に貼ってある色んな出版社の漫画の発売日を細かく書いてあるでかい紙を隅から隅まで見ていたので、今より買い逃しが少なかった。
漫画の売れてる売れてない、「本当に吐くほど売れてない」ケースと、「連載を今後続けていけるほどには売れてない」ケースがあり、次にくるマンガ大賞とかにノミネートされてる漫画でも後者のことは全然あって、もう来てるみたいなネットのコメントに、作者が裏で、来てねえよ!とキレてることがある。
この話は何度もしてるんですが、むかし、若者が「最近、すみませんって言うのでなくて、ありがとうございます」って言うようにしたんですよっていう話をしてて、その後、おれの足をうっかり踏んでしまったときに、「ありがとうございます!」って言ってきたやつ面白かったんだよな。全置換すな。
ネタバレ関連、世の中では、行儀のよい読者が、この面白さは是非読んで確かめてほしいと思ってみんな黙ってたら、ぜんぜん話題にならずに漫画が終わったり、貼られた致命的なキャプチャが何万リツイートされて何かが何かになったりすることもあるので、何が正しいかとかよく分からない領域があるよな。
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(13/13) おしまい&告知です!本作が収録された単行本「ひとでなしのエチカ」の電子版が、紙の本に1週間先行して本日発売しました!!!
若い頃に、システム障害の緊急対応をしていたときに、結構上の責任者の人が来て、どうなってるんだと怒鳴り散らしてただけだったことに、めちゃくちゃがっかりしたことがあって、緊急対応なのだから、権限を持った人に、適切に仕事の割り振りや、人の確保、許可の判断を率先してやってほしかったのに、
最近思うのは、幸福感の条件のひとつは「採算度外視でやってることがある」じゃないかということで、自分の抱えているあらゆることについて、採算性をつきつめるはめになると、調子が悪くなっていく感じがする。
自分たちが被害者になったときに、加害者にどう向き合うか(殴る、許す、忘れるなど)を描く物語の量に比べて、自分たちが加害者になったときに、被害者にどう向き合うかを描いた物語の数って少ない気がしていて、でも人生において役立つのは、実は後者かもしれないと思うこともある。
好きな漫画の作者の前でめちゃくちゃ気持ち悪くなってしまうけど、好きな漫画の作者に、気持ち悪いやつだと思われたくないから、好きな漫画の作者とはあんまりやりとりしたくないんだよなって話を友達にしてたら、「気持ち悪くなくあるよう努力をしろよ」という考えもしなかったアドバイスを貰ったな。
漫画描く話で、人に昔言われてかなり感銘を受けたのが、「同じ話は何回描いてもいいんだよ」っていうアドバイスで、しばらく考えて、そうだなと思ったため、その後はとりあえず今とりあえず一回描いて、もっと上手く描けるようになったらまた描こう(もっと上手く描こう)と思う感じになったな。