Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

Blog21・プルーストのいう「そもそも相違のある世界」としての<この世界>

シャルリュスの言葉をめぐってプルーストが要している余りにも長い箇所。「社交界とは虚無の王国である」という有名なフレーズも妥当するのだろう。夜会の主催者は誰か。どの参加者もヴェルデュラン夫人とシャルリュスとを勘違いすることができてしまう、というように。しかし社交界がどうしたこうしたという<暴露>は、なるほどプルースト作品のテーマの一つではあるものの、もはやその焦点をなすものではなくなってしまっている。当時のような社交界という世界は、少なくとも「先進諸国」ではどこへ行っても消失してしまってすでにない。当時の社交界人士たちももういない。しかし次の事情は今なおまるきり残っている。

 

「もっともモレ伯爵夫人は、この観点からすると、世間でとりたてて聡明だと言われている評判にふさわしい存在ではなく、その世評が想わせるのは凡庸な俳優や小説家たちがある時代に天才と言われる地位を獲得している場合で、その連中が天才とみなされるのは同業者たちがだれひとりあらわれないからであり、あるいは観客や読者が凡庸なせいで、たとえ破格の個性が存在してもそれを理解できないからである」(プルースト失われた時を求めて11・第五篇・二・P.197」岩波文庫 二〇一七年)

 

当時の有力者たちが作り上げた世界とはどのような世界だったか。自分で自分自身を目に見える形でどんどん無用化していく世界だった。それら有力者たちが、本気であろうと呑気であろうといずれにせよ、身も世もあらぬサバイバル・ゲームに打ち込める、夢幻のような物事に夢中になれる、存分に味わって差し支えないと法律上でのみ保証されている不可解な世界が支配的だった。そして第一次世界大戦後、一定の反省と課題とが共有された。とはいえ、そんなわかりきった事情を共有するために地球が丸かったわけではない。身近なところでは、それら反省と共有とのないところでは考えられないように、今なおフォークナー、フィッツジェラルドヘミングウェイどころか、ヴァージニア・ウルフヘンリー・ミラー夢野久作たち、を持つことはできなかったと言う意味で共有できたのは一致すべくして一致して湧き出した現象だったといえるばかりだ。それらの作家は何をしたか。ここでの問いはそれだ。二箇所。

 

(1)「作家の書いた本は、それなくしては読者が自分自身のうちに見ることができないものを認識できるよう、提供する一種の光学機械にほかならない」(プルースト失われた時を求めて13・第七篇・一・P.521~522」岩波文庫 二〇一八年)

 

(2)「ある新進作家が発表しはじめた作品では、ものとものとの関係が、私がそれを結びつける関係とはあまりにも異なるせいか、私には書いていることがほとんど理解できなかった。たとえばその作家はこう書く、『撒水管はみごとに手入れされたもろもろの街道に感嘆していた』(これはさして難しくないので、その街道沿いにすいすい進んでゆくと)『それらの街道は五分ごとにブリアンやクローデルから出てきた』。こうなるともはや私には理解できなかった。町の名が出てくるはずだと思っていたのに、人名が出てきたからである。ただし私は、出来の悪いのはこの文ではなく、私のほうに最後までゆき着くだけの体力も敏捷さも備わっていない気がした。そこでもう一度はずみをつけて、手脚も駆使して、ものとものとの新たな関係が見える地点にまで到達しようとした。そのたびに私は、文の中ほどまで来ると、のちに軍隊で梁木(りょうぼく)と呼ばれる訓練をしたときのように、ふたたび落伍した。それでもやはり私は、その新進作家にたいして、体操の成績にゼロをもらう不器用な子がずっと上手(じょうず)な子に向けるような賞賛の念をいだいた。そのころから私はベルゴットにさほど関心しなくなった。その明快さがもの足りなく思えたのだ。その昔には、フロマンタンが描くありとあらゆるものがだれにもそれとわかり、ルノワールの筆になるとなにを描いたものかわからない、といった時代もあったのである。趣味のいい人たちは、現在、ルノワールは十八世紀の大画家だと言う。しかしそう言うとき、人びとは『時間』の介在を忘れている。ルノワールが、十九世紀のさかなでさえ、大画家として認められるのにどれほど多くの時間を要したかを忘れているのである。そのように認められるのに、独創的な画家や芸術家は、眼科医と同じ方法をとる。絵画や散文によるその療法は、かならずしも快くはないが、治療が終わると、それを施した者は『さあ見てごらんなさい』と言う。すると世界は(一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家があらわれるたびに何度も創造し直される)、昔の世界とはまるで異なるすがたであらわれ、すっかり明瞭に見える。通りを歩く女たちも昔の女とは違って見えるが、それはルノワールの描く女だからであり、昔はそんなものは女ではないと言われていたルノワールの描いた女だからにほかならない。馬車もルノワールの描いたものだし、水も空も同様である。われわれは、その画を最初に見たときには、どうしても森にだけは思えず、たとえばさまざまな色合いを含んではいるが森に固有の色合いだけは欠いたタピスリーに思えたものだが、そんな森と今やそっくりの森を散歩したい欲求に駆られる。創造されたばかりの新たな世界、しかしやがて滅びる世界とは、このようなものである。この世界は、さらに独創的な新しい画家や作家がつぎの地殻の大変動をひきおこすまでつづくだろう」(プルースト失われた時を求めて6・第三篇・二・二・一・P.339~342」岩波文庫 二〇一三年)

 

さらにここ数年、飛躍的かつ深甚な打撃をますます与えつつある傾向について触れることができるだろう。社会的圧力としての価値の「均一化」作用について。

 

「われわれの知覚はどんな国をも均一化するのだから、この地上には相違のある世界など存在しない、ましてや『社交界』なる世界にそれが存在するわけがない。そもそも相違のある世界など、どこかに存在するのだろうか?ヴァントゥイユの七重奏曲は、それが存在すると私に告げているように思われた。だがいったいどこに?」(プルースト失われた時を求めて11・第五篇・二・P.198」岩波文庫 二〇一七年)

 

芸術は問いであると同時にこれまでなかった新鮮な問いを可視化させてくれる作用を併せ持つ。何度も述べてきた。だが問題はまだ解消されていない。いないのにどうして「次へ」ということがいとも簡単に言ってしまえるのか。何十にも条件付けされた上で、ただ単に答えればよいとされているばかりの「受験勉強」とはまるで違っているというのに。

 

或る種の、絶えざる「均一化/均質化」圧力。何のことをいうのか。一般の会社内とか学校内とかにまでどかどか侵入・浸透させてしまった経緯を持つ問題だけれども。ところが、再三再四のリスク情報にもかかわらずもうすでに浸透どころか定着している印象さえある。次のような傾向。

 

「われわれの行為、観念、感情、運動すらもーーーすくなくともそれらの一部分がーーーわれわれの意識にのぼってくるということは、長いあいだ人間を支配してきた恐るべき『やむなき必要』の結果なのだ。人間は、最も危険にさらされた動物として、救助や保護を《必要とした》、人間は《同類を必要とした》、人間は自分の危急を言い表し自分を分からせるすべを知らねばならなかった、ーーーこうしたすべてのことのために人間は何はおいてまず『意識』を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを『知る』こと、自分がどんな気分でいるかを『知る』こと、自分が何を考えているかを『知る』ことが、必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。《意識にのぼって》くる思考は、その知られないでいる思考の極めて僅少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。ーーーというのも、この意識された思考だけが、《言語をもって、すなわち伝達記号》ーーーこれで意識の素性そのものがあばきだされるがーーー《をもって営まれる》からである。要すれば、言葉の発達と意識の発達(理性の発達では《なく》、たんに理性の自意識化の発達)とは、手を携えてすすむ。付言すれば、人と人との間の橋渡しの役をはたすのは、ただたんに言葉だけではなく、眼差しや圧力や身振りもそうである。われわれ自身における感覚印象の意識化、それらの印象を固定することができ、またいわばこれをわれわれの外に表出する力は、これら印象をば記号を媒介にして《他人に》伝達する必要が増すにつれて増大した。記号を案出する人間は、同時に、いよいよ鋭く自分自身を意識する人間である。人間は、社会的動物としてはじめて、自分自身を意識するすべを覚えたのだ、ーーー人間は今もってそうやっているし、いよいよそうやってゆくのだ。ーーーお察しのとおり、私の考えは、こうだーーー意識は、もともと、人間の個的実存に属するものでなく、むしろ人間における共同体的かつ群畜的な本性に属している。従って理の当然として、意識はまた、共同体的かつ群畜的な効用に関する点でだけ、精妙な発達をとげてきた。また従って、われわれのひとりびとりは、自分自身をできるかぎり個的に《理解し》よう、『自己自身を知ろう』と、どんなに望んでも、意識にのぼってくるのはいつもただ他ならぬ自分における非個的なもの、すなわち自分における『平均的なもの』だけであるだろう、ーーーわれわれの思想そのものが、たえず、意識の性格によってーーー意識の内に君臨する『種族の守護霊』によってーーーいわば《多数決にかけられ》、群畜的遠近法に訳し戻される。われわれの行為は、根本において一つ一つみな比類ない仕方で個人的であり、唯一的であり、あくまでも個性的である、それには疑いの余地がない。それなのに、われわれがそれらを意識に翻訳するやいなや、《それらはもうそう見えなくなる》ーーーこれこそが《私》の解する真の現象論であり遠近法である。《動物的意識》の本性の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、ーーー意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、群畜的標識に《化する》。すべて意識化というものには、大きなしたたかな頽廃が、偽造が、皮相化と一般化が、結びついている」(ニーチェ「悦ばしき知識・三五四・P.393~395」ちくま学芸文庫 一九九三年)

 

これらの諸条件とともに同時進行するほかない種々の事情についてニーチェはいう。すべての人間の均質化という危機的問題に対する処方箋としても読めるのだが、もっとも、ニーチェは処方箋を書くつもりで書いたわけではまるでない。ただ、そう見えるがまま、そのように思考することができるがまま、多少なりとも作法をわきまえたドストエフスキーのような態度で、そう書いたに過ぎない。二箇所。

 

(1)「《主観を一つだけ》想定する必要はおそらくあるまい。おそらく多数の主観を想定しても同じくさしつかえあるまい。それら諸主観の協調や闘争が私たちの思考や総じて私たちの意識の根底にあるのかもしれない。支配権をにぎっている『諸細胞』の一種の《貴族政治》?もちろん、互いに統治することに馴れていて、命令することをこころえている同類のものの間での貴族政治?

 

肉体を信ずることは『霊魂』を信ずることよりもいっそう基本的である。すなわち後者は、肉体の断末魔を非科学的に考察することから発生したものである。

 

《肉体》と生理学とに出発点をとること。なぜか?ーーー私たちは、私たちの主観という統一がいかなる種類のものであるか、つまり、それは一つの共同体の頂点をしめる統治者である(『霊魂』や『生命力』ではなく)ということを、同じく、この統治者が、被統治者に、また、個々のものと同時に全体を可能ならしめる階序や分業の諸条件に依存しているということを、正しく表象することができるからである。生ける統一は不断に生滅するということ、『主観』は永遠的なものではないということに関しても同様である。また、闘争は命令と服従のうちにもあらわれており、権力の限界規定が流動的であることは生に属しているということに関しても同様である。共同体の個々の作業や混乱すらに関して統治者がおちいっている或る《無知》は、統治がおこなわれる諸条件のうちの一つである。要するに、私たちは、《知識の欠如》、大まかな見方、単純化し偽るはたらき、遠近法的なものに対しても、一つの評価を獲得する。しかし最も重要なのは、私たちが、支配者とその被支配者とは《同種のもの》であり、すべて感情し、意欲し、思考すると解するということーーーまた、私たちが肉体のうちに運動をみとめたり推測したりするいたるところで、その運動に属する主体的な、不可視的な生命を推論しくわえることを学んでいるということである。運動は肉眼にみえる一つの象徴的記号であり、それは、何ものかが感情され、意欲され、思考されているということを暗示する」(ニーチェ「権力への意志・下・四九〇~四九二・P.34~36」ちくま学芸文庫 一九九三年)

 

二点目は実例として。

 

(2)「個々の哲学的概念は何ら任意なもの、それだけで生育したものではなく、むしろ互いに関係し類縁を持ち合って伸長するものであり、それらはどんなに唐突に、勝手次第に思惟の歴史のうちに出現するように見えても、やはり或る大きな大陸の動物のすべての成員が一つの系統に属するように、一つの系統に属している。このことは結局、極めて様々の哲学者たちもいかに確実に《可能な》諸哲学の根本図式を繰り返し充(み)たすか、という事実のうちにも窺(うかが)われる。彼らは或る眼に見えない呪縛(じゅばく)のもとに、常にまたしても新しく同一の円軌道を廻(めぐ)るのである。彼らはその批判的または体系的な意志をもって、なお互いに大いに独立的であると自ら感じているであろう。彼らのうちにある何ものかが彼らを導き、何ものかが一定の秩序において次々と彼らを駆り立てる。それはまさしく概念のあの生得的な体系性と類縁性とにほかならない。彼らの思惟は実は発見ではなく、むしろ再認であり、想起であり、かつてあの諸概念が発生して来た遥遠な大昔の魂の全世帯への還帰であり帰郷である。ーーーそのかぎりにおいて、哲学することは一種の高級な先祖返りである。すべてのインドの、ギリシアの、ドイツの哲学の不思議な家族的類縁性は、申し分なく簡単に説明される。言語上の類縁性の存するところ、まさにそこでは文法の共通な哲学のおかげでーーー思うに、同様な文法的機能による支配と指導とのおかげでーーー始めから一切が哲学大系の同種の展開と順序とに対して準備されていることは、全く避けがたいところである。同様にまた、世界解釈の或る別の可能性への道が塞(ふさ)がれていることも避けがたい。ウラル・アルタイ言語圏の哲学者たち(そこにおいては、主語概念が甚だしく発達していない)が、インド・ゲルマン族や回教徒とは異なった風に『世界を』眺め、異なった道を歩んでいることは、多分にありうべきことであろう。特定の文法的機能の呪縛は究極のところ《生理学的》価値判断と種族的条件の呪縛である」(ニーチェ善悪の彼岸・二〇・P.38~39」岩波文庫 一九七〇年)

 

そこで、<次へ>という言葉。ニーチェが述べた事柄は、一般の「学術論文」とは多少なりとも<ずれ>を生じさせずにはおかない。