冬季休暇が明け、一月になって授業が開始した。
休暇中、ハーマイオニー・グレンジャーと友人二人に何か有ったらしい。彼女は図書室を良く訪れるようになった。その理由について、僕は何も問わなかった。
僕に語る必要が有るならば彼女から告げるだろうと考えていたし、また無遠慮に触れる事も無いだろうとも思っていたからだ。何より、他に人が傍に居るだけで心が癒される事が有るのだという事を、三年程前に僕は他ならぬ彼女から教えて貰っていた。
だから、僕のやる事と言えば、何時もより図書室に居る時間を増やした位だ。彼女の口数が非常に少なかろうと、疲れ果て、苛立ち、時に僕へと当たる事が存在しようとも、それは当然の事だった。
案の定ヒッポグリフの死刑予告通知が来たというのは、或る意味で都合が良かった。ただ、僕が既に頑張り過ぎていたという事は、逆に都合が悪かった。彼女が没頭する対象を、一つ奪ってしまったと言えるからだ。
その代わりというように、ルビウス・ハグリッドの授業を余計熱心に〝改善〟しようとしている事は痛々しく有った。
一方で、懸念されたシリウス・ブラックの再度の襲撃は未だに無い。
学校が依然吸魂鬼付きである事と、スネイプ教授が冬季休暇中校内を駆けずり回っていた事を考えれば、やはり彼は逃げおおせているのだろう。彼が大量殺人犯であろうと冤罪囚であろうと、今年のアルバス・ダンブルドアにそれを泳がせておく理由は無い。一昨年や去年と違うのだ。あの老人からどうやって逃げ遂せているか、少しばかり知りたくも有った。
とはいえ、やはり僕にとってシリウス・ブラックは関心の対象では無く、さりとて今年は向こうから関係者が寄ってくる年のようだった。
新学期が始まって二度目の闇の魔術に対する防衛術の授業が終了した後、放課後に自身の研究室に来るようにリーマス・ルーピン教授から告げられた。
その時の他のスリザリン生の反応は……まあ、何も言うまい。何故その雰囲気になったのか知らない教授は酷く不思議そうでは有ったが。
そして注文通りに教授の部屋を訪れてみれば、何と言うか、そこは普通だった。
何となくギルデロイ・ロックハートのあの派手さが懐かしくなってくるというのは、単に部屋を訪れた回数の差異なのだろうか。僕やギルデロイ・ロックハートの言葉に対して、一々部屋中の写真が反応を示すというのは、あれはあれで悪趣味だったが、見物でも有ったのだ。そして、最早永遠に見る事の出来ない光景でもある。
そんな僕の感傷を他所に、リーマス・ルーピン教授は部屋へと招き入れた後、僕を椅子へと座らせた。そして、予め淹れていたであろう紅茶のマグカップを差し出してくる。
「スティーブン、いやステファンだったか。ティー・バッグなのが申し訳無いが」
「いえ、構いません。有難うございます」
リーマス・ルーピン教授から、縁の欠けたそれを受け取る。
個人的な好みで言えば珈琲の方が好きなのだが、さりとて客として呼ばれているのに文句は付けられまい。
僕の反応に微かに笑った後、教授は僕と向かい合うように座った。
「……それで、何の用でしょう? まさか、成績について問題でも?」
先んじてそう切り出した僕の言葉に、リーマス・ルーピン教授は不意を突かれたような顔をして、しかし微笑みを見せた。
「いいや、そのような堅い話では無いよ。君は全体から見ても、非常に良く出来ている。ただ、実技よりレポートの方が苦手なのかな? 勿論、それはどちらかと言えばの話だが。そそっかしい勘違いや間違い、或いは独自的な見解が目立つ。最後は一概に悪い事では無いが」
「……参考までに、教授から見て、スリザリンの中でレポートが優秀な生徒は誰です?」
「そうだね。男子生徒の中では、やはりセオドールだろうね。彼は何時も安定して良いレポートを仕上げてくる。後は……ドラコも良いね。もっとも、彼は君とは逆に実技の方をもう少し頑張るべきだが」
「
僕は笑った。少しばかり、愉快な気持ちだった。
もっとも、リーマス・ルーピン教授にその意味が通じる筈も無い。彼を知らなければ、僕とドラコ・マルフォイとの正反対さについて反応したと思うだろう。実際、教授は僕の返答について、何ら引っ掛かりを覚えなかったようだった。
「それで、違うというならば何なんです? 成績が問題でないのであれば、僕には教授に
「……今更か。嗚呼、そうだね」
レポートの話題の真意について理解出来なくても、そちらの皮肉は通じたらしい。
もっともリーマス・ルーピン教授はその身分に相応しく、僕に対して怒りを見せるどころか、単純に恥じ入ったような笑みを浮かべるだけだった。
「本来ならば、直ぐ君に言葉を掛けるべきだったのだろうね。しかし、あの状況ではあー、何と言うか、そういう雰囲気では無かったというか。そうしてしまう事は、寧ろ君の立場を非常に難しい物にしてしまうように思えたのだよ」
少しばかり言い辛そうにする教授に、今度は僕が苦笑する番だった。
「……まあ、解りますよ。殆どが自分の恐怖と向き合ったのに、僕だけ特別扱いする事など出来なかった事は。そして、都合の悪い事に、貴方はグリフィンドールだ」
要するに、あの老人と同じ寮だった。
そしてまた、僕はそれと犬猿の仲であるスリザリンだった。
「別に非難している訳でも有りません。僕にとって、あれは左程気にすべき事でも何でも無い事でしたから。実際、あの時も授業は何事も無く終わったでしょう?」
「そうだね、君は確かに退けてみせた。見事なものだったよ」
教授は穏やかに、称賛を隠す事無く認めてみせる。
その後の雰囲気は終始一貫して微妙にはなったが、大問題に発展しなかったのは間違いない。僕に促されて我に返った教授は僕の番が無かったかのように授業を進め、そして退治までやりおおせた。
また、僕自身にとって気にすべきでは無いというのも偽りでは無い。
所詮アレは偽物だった。良く出来ていたが、一瞬の泡沫でしかない。その間をやり過ごしてしまえば消え去ってしまう程度の存在を、どうして畏れられようか。
だから、気になったのは──
「──
僕の言葉に、リーマス・ルーピン教授は少しばかり怯んだような表情を浮かべた。そして何かを逡巡するように一呼吸置いた後、誤魔化すように微笑みを浮かべて答えた。
「そうだね。それが無かったとは言わない。ただ、私がこのような機会を設けようとしたのは、ダンブルドア校長から御話を聞いたからだよ」
「…………」
成程、あの老人か。
確かに休暇中、シリウス・ブラックの影響により生徒の数が露骨に減った事も有って、あの老人の手は空いていた。どれくらいかと言えば、学期中も不定期的に続いていた閉心術……と開心術の訓練について、再度僕に集中講義をする位には暇にしていた。
そして、それが終わった後、同時に一応の卒業も言い渡された。既に基礎が殆ど固まった以上、自分が教え続けても大幅な実力向上に繋がらないだろうという事らしい。
実際には、アルバス・ダンブルドアの教えを受け続ければ、全く実力が伸びないという事では無い。閉心術の訓練は、やはり相手有っての物である。
ただ、今の僕にとってそれは習熟までの時間を短縮する程度の効果しか無い。裏を返せば、これぐらいの上達が有れば非効率的な自学自習でも十分同じ所まで行き着けるだろうというあの老人の御墨付で有り、それに文句は無かった。
ただ、その辺りの事情は当然、リーマス・ルーピン教授は知らない筈だった。スネイプ寮監ですら知らないだろう。そして言うまでもなく、普通の生徒であれば、アルバス・ダンブルドアという大魔法使いは、雲の上に位置する筈の、遠い存在だった。
だからこそ、僕の沈黙を当然に教授は誤解し、少しばかり早口で付け加えた。
「嗚呼、君が不安になるのも解る。そして、余り人に話すべき内容では無いという事も。だが、校長は別に君の事を悪く仰っては居なかった。寧ろ、君の事を案じていらした」
案じていたというのは間違いなく体面だけ取り繕ったものだろうと確信していたが、そのような僕と老人の関係性についても、やはり教授は知り得なかった。
「別に、責めるつもりは有りませんよ。教授としては、自分の校長がまね妖怪として現れたなんて、十分報告案件でしょう。……それで、どんな反応を?」
「校長は、驚いていらした。けれども、その後直ぐに納得していらっしゃった」
その内容からは不自然さすら感じる程落ち着き払ったままに、ルーピン教授は言い切った。
「まあ、良く解らないのが、その後に『自分が現れただけだったか』と聞かれた事だったけどね。しかし、私は何も答えられなかった。……嗚呼、別に私が君に答えを求めて居る訳じゃない。ただ、校長はそう仰っていた事は伝えておくべきだと思ってね。私が校長に伝えた事が、手放しで褒められたものじゃないのは確かだから」
「────」
流石に校長閣下は僕と同じ考えだったらしい。
敵意と殺意に満ちたアルバス・ダンブルドア。それが現れたのは別に良い。
だが正直言って、僕はハーマイオニー・グレンジャーの死体が現れるという事を
彼女の杖なんかが良い典型だろう。折れたそれを握っていたとかであれば、僕はそれを素直に受け止められた。
だが、僕のボガードが再現したのは、アルバス・ダンブルドア以上の物では無かった。
それがボガードの再現能力の限界に有るのか、或いはそれ以外に何か理由が有るのか解らない。けれども、どんなに探しても他の要素は見付からなかった。
「しかし、その様子では校長の質問に対する答えを、君も持っていなさそうだね」
「……ええ、まあ」
教授の想像している理由とは全く違うが、誤解を解かずに僕は頷いた。
それを少しばかり観察するように教授は見た後、言葉を続けた。
「ただ、私としても考えが足りなかった事は認めざるを得ないだろう。闇の帝王、或いは死喰い人が現れるという可能性は、当然に思い描いていた。可能な限り、そのような生徒には向き合わせないようにしたし、ハリー──ハリー・ポッターはその典型だった。けれども、その逆の可能性というのは、完全に想定外だったよ」
まあ、この教授もあの瞬間完全に硬直していたのだから、余程の衝撃だったのだろう。
「……教授が気に病む必要は無いでしょう」
全くの本心と共に、僕は言葉を返す。
「実際、僕の方が異常なのでしょう。〝本気〟のアルバス・ダンブルドアに現実味を感じているのは、恐らくこの校内に僕しか居ない筈ですから」
僕は過少評価してしまっていたのかも知れない。
アルバス・ダンブルドアという存在の事を。
考えても居なかった奇縁によって、僕はあの老人と近くなり過ぎてしまった。
御互いに不可避の反感を抱けども、あの老人は僕を糾弾するには老成し過ぎており、そしてまた僕はあの老人と訣別するには矮小過ぎた。更に言えば、御互いが似たような傷を持っていた。そして何より、如何にその本質が頑迷で、傲慢で、冷淡で有ろうとも、僕は二年前の最後に見た姿を──愛に惑わされた姿というのを忘れ去って居なかった。
また、僕が接触する存在が何も変わらなかったという事も小さくないのかもしれない。
ハーマイオニー・グレンジャーはその事実を知らず、ドラコ・マルフォイは半純血の僕程度を恐れて避けるような屈辱を自らが許せなかった。必然として、僕の狭い社会では、その重みというのを実感する事は遅れに遅れた。
僕のまね妖怪の正体について告げた時の、ハリー・ポッターの表情を覚えている。
そして、恐らくそれが客観的な評価として正しいのだろう。彼は〝英雄〟で、そうであるが故に全ての解答でもある筈なのだから。
「君は、あのような校長の姿を見た事が有るのかい?」
「いいえ、有りませんが」
静かに投げ掛けられた問いに、軽く首を振る。
訓練中に何度か不可避的に過去を覗きはしたが、その影響は無かったのは明らかだ。
まね妖怪は良く知る姿──老人の姿だった。そして僕はそれを不思議に思うものでは無い。ゲラート・グリンデルバルドとの伝説的な決闘も含めて、全ての過去は現在の老人の中に在る。肉体と魔法力の活力の衰えは、時の積み重ねの前では些細な差異に過ぎない。
「まね妖怪の模写対象は、現実に見た物でなければならないという制限は無いでしょう? 見た物にしか変化出来ないというのであれば、あれ程までに正確に個人の恐怖を写し取る事は出来ない。その存在自体が人で言う開心術そのものであるからこそ、人によってそれが恐怖を掻き立てるか否かの大きな差異を生み出してしまう」
寧ろ、見た事の無い物を──目に見えない抽象的な部分を、再現性に難を抱えるにも拘わらず視覚的な制限の内に再現しようとしてしまうからこそ、時にちぐはぐで、時により致命的な結果を生み出してしまうのだろう。
ハリー・ポッターの変化が良い例だ。
彼のまね妖怪は、親の死んだ状況を再現するのでは無く、それを再現する吸魂鬼こそを再現する。直接的に言えば、例えば今まさに死のうとしている両親達の姿、或いは声を再現する方がシンプルで難が無いと言える。けれども、まね妖怪はそうしない。何故なら、まね妖怪は本能的に、その状況を再現される事自体がハリー・ポッターの恐怖では無いと理解しているからだ。
彼にとって両親の死は最悪の恐怖の象徴で有ってもそれ自体では無く、言ってみれば人の精神を蝕み破壊する恐怖そのものを恐怖している。もっと噛み砕いて表現すれば、恐怖が齎す影響こそを恐れているというべきか。
だからこそ、平和と幸福、希望を奪い取る吸魂鬼の姿に変わってしまうのだろう。
「……確かに君の言う通り、まね妖怪の性質はそのような面があるが」
教授は、口元に僅かな微笑みを浮かべたままに、僕の眼を真っ直ぐ見て言う。
「あれ程精巧な変化な物だから、私は見た事が有るのだと思って居た」
「……一生徒が、何時見る機会が有るというんです? アルバス・ダンブルドアの存在をもってすれば、僕を殺す事など指一本すら必要無いでしょうに」
「一生徒という表現が正しいのか私には疑問が有るがね。とはいえ、確かに見た事が無いというのは、そうなのかもしれない。先学期のミスター・ポッターが墜落した時ですらも、そして私が知る中でも、あれ程の感情を御見せになった事は一度として無い」
「貴方が知る中、というのは不死鳥の騎士団の際の事ですか」
その単語を出した瞬間、リーマス・ルーピン教授の瞳が僅かに鋭くなる。
けれども、すぐさま普段の授業を思わせるような、先程までと同じような、穏やかな物に戻った。
「君は私が思うより多くの事を知っているようだ。とは言え、私はそれに対して答えてあげる訳には行かないな。ダンブルドア校長がそれを率いていたのは事実だが、彼を信頼する者全てがその組織に属した訳では無いし、逆に信頼しない者も属していたのだから」
ただここで誤魔化し過ぎるのも不自然だろうと、教授は続けた。
「私がダンブルドア校長と『例のあの人』の衝突の瞬間に立ち会った事は無い。けれども、仮にその瞬間に立ち会ったとしてもああはならないと思うよ。敢えて言うならば、伝説的な決闘をしたゲラート・グリンデルバルドくらいじゃないかな。校長が本気にならないとは口が裂けても言わないが、恐らくそこまで入れ込んではいるまい」
「……アルバス・ダンブルドアにとって、闇の帝王はその程度でしかないと?」
僕の詰問にも似た言葉に、教授は明らかな苦笑を見せた。
「そうじゃないさ。強弱の問題では無い。純粋な力量だけ言えば、闇の帝王はグリンデルバルドよりも上回るかも知れないのだから。言ってみれば、自分の存在意義に対する闘争とでも言うのかな。世間的な善悪を超えて許せない物であるか否かという事だ」
「……大人的な比喩は解りにくいので、もう少し簡潔に言ってくれませんか」
「本当に君に伝わっていないのかな? まあ良いが、恋でも愛情でも、友愛でも家族愛でも何でも構わない。自分の価値観において認められず、そして自らが何としてもそれを挫かなければならない。そういう妄執めいた物が足りない気がするんだよ、私にはね」
どういう経緯に至って、教授がそのような事を思ったのかは解らない。
けれども、その言葉の意味までが理解不能な訳では無い。
『彼はヴォルデモート卿といずれ対決するであろう』
二年前、アルバス・ダンブルドアはそう言った。
その口振りは、まるで彼こそがそうせねばならないというようで有った。実際、アルバス・ダンブルドアはハリー・ポッターを闇の帝王と向き合わせる事にこそ拘った。管理された形で有っても、賢者の石を餌としてでも、彼の成長を促す必要性を確信していた。
この魔法戦争が、闇の帝王と今世紀で最も偉大な魔法使いを打ち手として、魔法界を盤と見立てて対立する物では無く。あくまでそうであるのは――主役であるのは、〝生き残った男の子〟だというように。
「まあ、君が私の考えに同意するかは別だがね。ともあれ、私にとって痛恨だと感じたのは、スリザリンの前にアルバス・ダンブルドアという存在が現れたのもそうだが、それ以上に、生徒にそのような類の激情に触れさせてしまった事こそある。あれは余りに刺激的過ぎた。少なくとも、ホグワーツ三年生が向き合うような物じゃない」
何せ私も大いにビビってしまったものだ。
冗談のように口にするが、釣られて笑みを浮かべるには真剣味を消し切れていない。
……この教授は、僕の一件が大失敗だったとハリー・ポッターに漏らしてしまった。
それが気の緩みから、或いは親しみから感じる物である事は否定しきれないだろう。だが、彼が他の生徒の前ですらそう独白せざるを得なかったのは、彼が彼なりに真剣に矜持と覚悟を持ってあの授業を──まね妖怪を用いる事を決断していたからなのだろう。
他の授業で如何なる失態を犯そうとも、あれだけは絶対に失敗してはならない。それ程の意義を教授が見出していたからだった。
「……貴方は、何故まね妖怪を用いるという過激な授業を一番初めに行ったのです?」
「何故だと思う?」
リーマス・ルーピン教授は、静かに微笑んだ。
その微笑みは今までと別種の物で、真実に満ちていて、同時に挑発的だった。そして、問いの答えを求めて居なかった。
「闇の魔術に対する防衛術。その核心は、邪悪へ向き合う覚悟を持っておく事だよ」
資格無き愚か者は逃げるべきなのだと。
かつてその教訓を身をもって示した人間と同じ地位でもって同じ科目を教えながら、しかしリーマス・ルーピン教授は全く別の解答を口にした。
「邪悪は人間を襲う機会を常に伺っている。そしてそれは突然訪れる物で、襲うのを待ってもくれない。別にそれは『例のあの人』とやらに限った物じゃない。この世には、邪悪というのは有り触れている。だからこそ、僕はまね妖怪を使った。疑似的とは言え、その覚悟を抱かせ、そして打ち破る経験をさせる為に」
たとえ教授によって守護された状況で有っても、リディクラスという呪文一つで追い払える偽物で有っても、大勢の仲間達が傍で見守っている物で有っても──いや、そうであるからこそ、教授はその価値を見出し、他の人間から最も介入を受け辛い一番最初においてそれを行ったのだろう。
「平和になったのは良い事だ。私の学生時代とは雲泥の差だね。しかし、全ての邪悪が打ち払われた訳では無い。そして、恐怖の下に硬直してしまえば、それはそのまま死を意味する事が多いというのを僕達は肌で理解している。同時に少しでも動けさえすれば、それだけで生きられる可能性が上がるという事もだ」
リーマス・ルーピン教授は、魔法戦争を知っている。そして、その教訓も。
それは僕が決して持ち得ない物だった。
一昨年、僕は動けなかった。杖を持っていながら、何も出来はしなかった。
スネイプ
そして眼前の教授はその一端でも生徒に伝えようとした。
「……もっとも、上手く行ったとは言い難いがね」
自分の気持ちを慰めるかのように紅茶を啜った後、カップを置きながら教授は苦笑する。
「教師というのは匙加減が難しい。ハリーのように恐怖を知り過ぎている人間には向き合わせられないし、逆にそうでない人間には余り重みが伝わらない。そして、まね妖怪が恐怖を再現しきれない君のような人間には、そもそも試練自体に成り得ない」
ただそれでもこの教授は、何かが残る事を期待して、あの授業を行ったのだ。
感慨に沈む僕を前に、教授は少しばかり姿勢を正す。両手を軽く組み、椅子から多少身を乗り出すようにして、リーマス・ルーピン教授は、僕へと言葉を投げ掛けて来る。
「さて、校長は何も言わなかった。君に対して問い詰めたり、何かを聞いたりする必要も無いとさえ仰った。だから、その事自体に君が不安を感じる必要性もまた無い」
口元には依然として微笑みが有ったが、瞳には真剣さが有った。
「とはいえ、私は一応教授だ。
「…………」
「レッドフィールドという名前は、私には聞き覚えが無い。死喰い人としても、それどころかホグワーツ卒業生としても。同姓を探せば居るのかも知れないが、君のように印象的な魔法使いとなれば、まず居ないだろう。父上と母上、どちらの姓なのかな?」
教授の問いに、軽く溜息を吐く。
「
何処の国に一番近しかったかは父や母の言葉からは想像が付いているが、さりとて父が卒業生であった事までは保証しないだろうし、一箇所に留まっていたかも怪しい。
僕の答えに、教授は満足を示すかのように軽く頷く。そして、更に何かを口にしようとしたが──僕が口を開く方が更に早かった。
「その前に、リーマス・ルーピン教授。一つ質問をしても?」
「ん? 何だい?」
教授は一瞬面食らったようだったが、しかし微笑みを浮かべ直した。穏やかで、理想的な大人として在ろうとしていて──それでいて、作り物だと解る表情を。
「教授はシリウス・ブラックが何故ホグワーツに侵入出来たと思いますか?」
「……何故私にそれを聞くんだい?」
リーマス・ルーピン教授は動揺を現さなかった。
「貴方が狼男であり、彼と繋がりが有るから」
だから、僕はそれを告げた。
リーマス・ルーピン教授は硬直し、その瞳には大きな動揺が有った。
それは狼人間である事を当てられたが故でもあり、またシリウス・ブラックとの繋がりを示唆されたが故でもある。
けれども、彼がそこまで大きな反応を見せた一番の理由は、自分が僕の事を探ろうとしていたにも拘わらず、逆に自分の事について手酷い逆襲を受けた事に違いなかった。
「非常に教授らしい態度で有ったと思いますが、グリフィンドールがスリザリンに親切過ぎるのは不自然です。最初からそうであったならば別ですが、まね妖怪の授業が終わってから四か月も経ってそういう事を言われれば、怪しまない方が可笑しいでしょう」
細部が多少異なりはすれども、僕はクィリナス・クィレル教授を思い出していた。
寮監でも無いにも拘わらず、個人について余計な事を詮索しようとする態度は、やはり真っ当であるとは言えまい。一応今回は授業内容の事で灰色では有るが、それでもやはり期間が空き過ぎているのは致命的だった。
何より、アルバス・ダンブルドアが問題無いと言っているのにも拘わらず、この教授が関わって来ようとする態度にこそ僕は引っ掛かった。
「僕は最初に言った筈ですが。今更だと。そしてそれと共に、ハリー・ポッターに何か聞いたんですかとも」
一昨年、去年はレイブンクロー。しかし、今年はグリフィンドール。
そしてボガートの件を考えれば、僕に対して
片方だけならば、見逃したかもしれない。否、恐らく、ボガートの件については、この教授は可能な限り速やかにあの老人に照会したのだろう。そして、一応の保証が得られたから、彼は僕に対して何も問わなかった。九月の学期初めにボガートの授業を終えて尚、教授は一月まで沈黙を守り続ける事が出来た。
けれども、彼はハリー・ポッターと会話して、僕と交流が有る事を知った。この時期なのは、やはり守護霊の呪文の訓練を始めたからに違いない。あの話の流れからして、ハリー・ポッターは僕の事を当然に話題としただろう。
その上、彼は単なる教授では無く、ハリー・ポッターに非常に深い想いを──恐らく、ジェームズ・ポッターとの繋がりの為に個人的な強い感情を抱いている教授であった。
ハリー・ポッターへ確認した事柄に加え、客観的に見て、学年の適性水準を超え、当人が覚えられるかどうか不透明な魔法の習得の為に時間を割くというのは相当入れ込んでいなければ不可能である。あのミネルバ・マクゴナガル教授とて、そこまでするかどうかは怪しい。
そして、僕は幾何かの材料──ピーター・ペティグリューやシリウス・ブラックに関する諸々の言及、監督生名簿と首席名簿、寮監のリーマス・ルーピン教授及びハリー・ポッターへの態度など──を有していた。
であれば、僕の存在に対して強い懸念を、或いは隔意を抱くというのは、それなりに真っ当ですら有る。
確証までは抱かずとも、導かれた回答を、ぶつけてみる価値は十分有ると僕が判断する程度には。
激昂するのか、惚けるのか、それとも開き直るのか。
如何に普段の授業において穏やかであるとは言え、その本質までは解らない。だから、僕は教授の前に座ったままに待った。
決壊しそうな激情と、酷い混乱。何故という疑問。自分はどう答えるべきかという逡巡。それを読み取るのに、開心術など必要無い。僕の先の切込みは、正しく効果を発揮していた。
それらが落ち着くまで、優に二、三分の時間は要しただろう。
しかしその後で、リーマス・ルーピン教授は覚悟を決めたように大きく息を吐いた上で、降参するように小さく両手を上げた。
「……参ったよ。その通りだ。ハリーに対して怪しいスリザリンが、それもアルバス・ダンブルドアを恐怖とする人間が近付いていると聞いてしまったんだ。それ相応の警戒──というか、興味かな。まあ、それでもやはり前者に近いが。それを抱くのは真っ当だろう」
教授は認める。
僕に探りを入れようとしていた事を。
「いや、話している内に不味いかな、と思いはしたんだ。君の成績が優秀層に属するのは知っていたが、それでもそれで計り得ない要素と言うのを考えるべきだった。いや、まね妖怪をアルバス・ダンブルドアに変える人間が、普通である筈が無いか」
自分でそう言って、教授は苦笑してしまっていた。
その表情は、先程までと違い自然体だった。つまり、僕に対する警戒や敵意は無かった。スリザリン生から反撃を受けた筈だと言うのに、ハリー・ポッターに対して一定の強い想いを抱いているらしい存在だというのに、彼は逆にそれらを丸っきり喪ってしまっていた。
……その理由が、全く察せない訳では無いが。
それは、恐らく酷く悲しい事であった。
「何故僕が狼人間である事に気付いた──と問うべきでは無いんだろうね。スネイプ教授の宿題、私の定期的な病欠、そしてまね妖怪。後は、スネイプ教授の反応かな」
「……更に言えばハーマイオニー・グレンジャーの言葉ですかね」
「彼女が?」
流石にもう一人真実を知っているとは思ってもみなかったのか、教授は驚いた顔をする。
もっとも、今回は彼女の隙故にでは無い。
彼女は狼人間が教授を続けて良いものか、それを黙っておいて良いのか判断が付かなかった――恐らく二人の友人に相談してすら――のだろう。だからこそ、僕に対してもその事実を示唆した。
直接的に狼人間という単語は出さなかったが、それでも多少の誘導さえ有ればすぐに僕が気付くと踏んだのだろうし、気付かなければそれで構わないとも考えていたのかもしれない。そして僕は気付き、彼女に伝わる形で、言う必要は無いのではないかと示した。
「……いや、ハーマイオニーならば気付いていても可笑しくない、か。彼女と同年齢でより賢い魔女を、私は知らないからね。そして、ハーマイオニーと君に交流が有るという事は、確かにハリーも言っていた」
その嘆息には、納得の色だけが有った。
「とは言え、君がハーマイオニーから答えを聞いた訳では無さそうだ。そうであれば、ハリーは私が狼人間だと知っている筈だから」
「……ハリー・ポッターが知らないとは思いませんでしたが」
正直言って、僕は知っているものだと思っていた。
あの友人達に告げないで、僕のみに告げる理由は無いのだから。
ただ、リーマス・ルーピン教授は微笑みながら首を横に振って否定した。
「いや、ハリーが知らないのは間違いないよ。知っていたら、彼は私が言葉を濁した部分について、当然なんらかの反応を示しただろう。嗚呼、君に教えた──いや、ヒントだったか。それを与えたハーマイオニーを責める気も無い。つまり、彼女は君ならば遅かれ早かれ気付くと踏んだのだろう。私が定期的に休むのは、これからも続く訳だから」
教授はそう言うが、僕が彼女の言葉無しには気付かなかった可能性はそれなりに高い。
狼人間を教授にする、というのはそれくらいの爆弾だ。流石にスネイプ寮監の宿題に取り組んでいれば別だったが、僕はそもそもやらなかった。代理で来た人間が出した宿題をリーマス・ルーピン教授が唯唯諾諾と受け容れるとは思わなかったし、それが本来のカリキュラムから大きく外れているともなれば猶更の話だった。
ただ、少しばかりの示唆を受け、寮監の敵意を併せて一度考えを巡らせてみれば、正しい答えに至らない道理も無い。その点では、教授の言葉も強ち間違いでは無いのかもしれない。
「一方で、シリウス・ブラックの繋がりは、彼女から聞いた訳では無いんだろう? ……嗚呼、何故君が気付いたのかは大体想像は付く」
教授は軽く手を振って、言葉を続けた。
「ジェームズはハリーの父親として有名だし、ピーターにしても友情と裏切りというのは新聞や本の恰好の題材となった。まあ、それで解るのは三人組が親友だった事止まりだが、さりとて他の情報を繋ぎ合わせて私もその一員だったと推量するのは不可能では無い」
何より、教授陣の誰かから聞く事は不可能でも無いだろう。シリウス・ブラックと違って、その事は隠すまでは無いのだから。
呆れ半分、諦め半分に言った後、教授はカップを改めて取った。
既に中身は冷え切っているが、それを気にした様子も無い。いや、寧ろ生温い方が教授にとって都合が良いのかも知れなかった。
たとえ僕に期待を裏切られる事は無いと予感していても、煮え滾る現実を言葉で表すにはそれ相応の覚悟が居る。恐らく、教授は幾度もその苦々しさを味わってきただろうから。
経験則は、理性と本能の両方に教訓を深く刻み付けてくれる。
「……最後に聞かせてくれ。君は私がシリウス・ブラックと関係が有る上に、そして何より狼人間であると理解していながら尚、今こうして悠長に話している。
──それは、酷く危険な行いだとは思わないのかね」
その言葉を示すように、半ば脅迫するように教授は軽く僕の方へと身を乗り出した。
彼の口は自身の歯を誇示する軽く開かれている。今は何の変哲も無いが、変身すれば最後、人間を害し、その血を汚染する不可逆の損傷を与える凶器に変わるのだというように。
だから、僕は極めて理性的な言葉と冷笑を返した。
「ハリー・ポッターが野放しなのに、何故貴方を警戒しろと?」
今回アルバス・ダンブルドアが何も言っていないというのも有るが──先学年の教授選任の苦言に対して心して置こうとか言った割にこれだからあの老人は救えない。僕が文句を言わなくとも、それ以上に他から非難轟々な事は解っているだろうに──最も大きな理由はやはりその点にこそ有った。
「狼人間が生物兵器として優れているのは、満月の夜に一噛みすればそれで全て終わるという事です。〝生き残った男の子〟が狼人間になったというのは、彼の権威を失墜させるには十分過ぎる傷だ。その程度には、魔法界では狼人間に対する差別的な見方が蔓延っている。しかし、そうなる気配は一向に無い」
だからこそ、今年は何も思いはしなかった。
正体が解りやすく危険であるが故に、近付くのに躊躇しないで済むというのは皮肉だ。
去年のギルデロイ・ロックハートの方が、余程近付く事に警戒が要求されたものだ。訳の分からない存在こそ、人の恐怖を掻き立てる物は無い。逆に言えば、正体が解っている存在を、必要以上に警戒する必要もまた無い。
「……満月の夜以外でも、狼人間なんてのは暴力的で、ロクでも無くて、嫌な奴等ばかりだ。そういう反論は……まあ、君には響かないようだね」
成程、とリーマス・ルーピン教授は疲れ果てたような口振りで言った。
しかし、その全身からは緊張が抜け、自然体にすら近しい姿であるように見えるのは、それまでの反動なのだろう。一貫して作り物だった教授の態度は今や完全に剥がれ落ち、素の態度に酷く近い物となっているに違いなかった。
「君のまね妖怪が校長に変わる訳だ。もしかしたら、君こそが最もアルバス・ダンブルドアの強大さを信じているのかも知れないね。何せ、ホグワーツの教授陣にも、まね妖怪がヴォルデモート卿に変わる人間は少なくないだろうから」
先程とは違い、その名前を教授は冷静に呼んだ。
それは、僕が知る二人とは違って闇の帝王を恐怖しないからでは無く、もっと大きな恐怖を教授自身が知っているが故の行為だった。
「君の事はもう詮索しないよ。ハリーが君に感じて居るのは友情では無いようだが、それでも交流する価値を見出しているのは間違いないようだしね。ハーマイオニーも同様だろう。そして、校長が問題無いと断言するならば、教師が余計な首を突っ込む事では無かった」
「そうしてくれると助かりますよ。終わった過去を蒸し返されるのは、僕としても余り気分が良くないですから」
「シリウス・ブラックについて僕に聞いてきた君が良く言えたものだ」
その皮肉は、まあ甘受すべきだろう。
「……それで、君の質問は彼の脱獄の手段についてだったか。
教授は酷く穏やかに、僕の眼を真っ直ぐ見つめながら言った。
「彼は由緒正しい高貴なブラック家の一員だ。ヴォルデモート卿から闇の魔術を教わったのでは無いのかね? アズカバンでは殆どの者が狂うというが、死喰い人の中には依然として正気に踏み止まり、ヴォルデモート卿への忠誠を語る者が居るとも聞く」
視線が交錯する。教授は、僕の下世話な詮索を受けて立っている。
……そして、正直言って僕は期待していた。
あの老人から一応の卒業を言い渡された事で、そしてドラコ・マルフォイから確かに真実の一端を掬い上げられた事で、開心術を自在に操れるようになったのではないかと。
けれども、そんな都合の良い事は無かった。
やはり、あれは無防備な相手が対象だったのであり、半年程度の修練しかしていない人間が、杖無しで相手の心を読み取るなど出来る筈も無かった。
そして僕の眼には、教授は全くの真実を吐いているように見えた。
「……まあ、そう考えるのが真っ当なんでしょうね」
「おや、簡単に君は引き下がるのだね。根拠も確証も無かったのかい?」
「嫌味ですね。アルバス・ダンブルドアが突き止めて居ないんです。僕が推量を働かせるのは不可能な事は半ば解っていましたよ」
「だろうね。校長が突き止められないのであれば、僕が思い当たる程度の手段を用いている筈が無いだろう。誰にも思いつかないような、深い闇の秘術に違いない。何せ、あの方は、
あの老人が、シリウス・ブラックの侵入手段について全く検討が付いていない──その見当が付かないとは、何も思いつかないでは無く、無数に手段を考え付いてしまうという意味だが──事を、僕は確信している。
手段を知って居れば、今世紀で最も偉大な魔法使いに侵入が防げない筈も無い。
寧ろ、その程度の監視が出来なければ、そもそも
そして一度接触してしまえば、あの老人にはシリウス・ブラックを止める魔法の言葉が有る。つまり、ピーター・ペティグリューは生きているのかという質問が。それが事実であれば当然止まるだろうし、事実でなくとも隙を作る事が出来るだろう。
招き入れる必要が有った一昨年、そして動きに制限の有った去年とは違う。今年はアルバス・ダンブルドア自らが問題解決に直々に動いている。
そして、あの老人としても何度も何度もハリー・ポッターの機転や努力に頼るような真似をする隙をしないだろう。
賢者の石の時のように他ならぬハリー・ポッター自身が遂行せねばならないと確信している場合は別だが、今回はシリウス・ブラックのみならず、言葉が通じない吸魂鬼まで校内に存在する。守護霊の呪文を習得しようとしているとは言え、それが実を結ぶかどうかは不明確であり、実際に箒から叩き落された今となっては血眼になって探している事だろう。
ただ、それでも未だにシリウス・ブラックは逃げおおせている。
であれば、一分野とは言えアルバス・ダンブルドアを超える手段を有しているのであり──当然、リーマス・ルーピン教授がその手段を推量出来ないのもまた道理である。
敢えて引っ掛かる事を述べるとすれば、リーマス・ルーピン教授が監督生となったのが75年、つまり70年頃から始まった魔法戦争中であり、流石のアルバス・ダンブルドアとて校内に居る狼人間の警戒が多少疎かになる程度には忙しかったのでは無いかという点だが──それは何の推量にも繋がるもので無いし、流石の老人とて、その辺りの確認は取っているだろう。
シリウス・ブラックの脱獄手段のみでは無い。
英雄として死んだ親友を侮辱する言葉であるが、激昂一つで真実を知れるなら安いものだ。
ただそれを僕が口にしないのは、つまりはまあ、あの老人への一種の信頼と言えた。
徹底的に嫌味な老人なのだから、人の傷を的確に抉る程度は平気で出来るだろう。ハリー・ポッターというより優先度の高い存在の危険が掛かっているのであれば猶更だ。何より、僕は必要以上に嫌悪を獲得する趣味も無い。
そして、僕にとっては先の言葉に気に掛かった点が有った。
「……貴方は、随分とアルバス・ダンブルドアに冷ややかなんですね」
今世紀で最も偉大な魔法使い。
そう言った教授の口振りは、皮肉の響きを隠し切れて居なかった。
そのような僕の指摘に教授は少し眼を見張った後、自嘲するかのように笑った。
「今更君に対して隠しても意味が無いだろうね」
リーマス・ルーピン教授は認めた。
あの老人に対する感情が、親愛や心酔とは程遠い事を。
「恩義や感謝、敬慕を抱いているのは事実だ。忠誠を抱いているのも偽りが無い。また今こうしてこの職場に居る事も、十三年前にあの人の下に居た事も、別に不満は無いとも」
教授がアルバス・ダンブルドアの崇拝者である事。それは疑う余地が無い筈だった。
「ただ何というかな、収まりが良くないというのかな。嗚呼、相応しい表現としては――僕は多分、心の何処かで恨んでいるのだろう」
思えば、僕の正しさは他ならぬアルバス・ダンブルドアが保証したと教授は言った。
けれども、それでも僕がハリー・ポッターと相応の交流を持っていると聞いた時、この教授は我慢がならなかったのだろう。単に接触するのではなく、親身な態度を示すような芝居をした上で見せかけの好意を獲得し、内実を探ってやろうと考える程度には。
「あの時もそうだった。心の通じる友人達と引き離され、北で明らかな汚れ仕事に従事させられた。……嗚呼、解っていたとも。私以上に適任者は居ないと。しかし、決定的に踏み外す事は何とか拒否したが、それでも多くの悪に手を染めさせられた」
そこまで言って、教授は首を横に振った。
「否、私は自らの意思でやったのだ。彼等の信頼を得る為にというのは、言い訳に過ぎない。友が見ていたら、それを知ったらどう思っただろうね。狼男らしい、見下げ果てた奴だと考えたかもしれない。それも已むを得ない事だが」
その瞳の内には、戦争が映っていた。
泥臭く、陰鬱で、そして救いようがない現実の焔が。
「元々卒業時から、僕は何処にも受け入れられなかった。夢のような
苦渋や屈辱と言った感情は、その声には無かった。
それらを忘れさせるだけの信頼に基づく関係からか、ただ懐かしむような響きだけが有った。
「筋で言えば、未だ存命だった僕の両親に頼るべきだった。けどまあ、僕はこんな身だろう? 既に僕の家の金庫は空だった。それを見透かしていたジェームズは、半ば無理矢理にガリオンを押し付けてくれた。親からの遺産を浪費するには良い使い道だと嘯いてね。有り難かったよ。同時に情けなくも有ったがね」
彼の両親は、狼人間となった息子を治療する為に四方八方手を尽くしたのだろう。しかし、治療法は見つからなかった。
脱狼薬の発明はほんのつい最近、それも症状を根本的に治療するのでは無く緩和するのみに過ぎない。
その上脱狼薬は、非常に希少な材料を要求する上に、調合するのにも高度な技量を要する。加えて、脱狼薬は満月前の一週間にわたって飲み続けなればならず、一度でも欠かせばその効力が無くなる。
仮に学生時代に存在していたとしても、教授にはどうにでもなるものでも無かっただろう。
「だからという訳では無いが、半ば当然に僕は戦争へと身を投じた。汚れ仕事であろうと、危険な任務であろうと構わなかった。……まあ、それ以外、僕に道が無かった事も否定しない。けれども、僕は本心から友人達を守りたかったという事だけは信じて欲しい。僕と違って、彼等には未来が有ったのだから」
未来。子供達。
ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズとの関係は勿論、シリウス・ブラックやピーター・ペティグリューについても、彼は同じ事を考えていたのだろう。
ただ、結果は悲劇に終わった。ジェームズ・ポッターとピーター・ペティグリューは英雄的に死に、シリウス・ブラックは裏切りによって監獄に送られた。
「そして戦争は終わった。けれども僕に待ち受けていたのは、前以上の苦境だった」
残った物は確かに存在する。ジェームズ・ポッター達の忘れ形見が。
ただ言うまでもなく、狼人間である彼は安全の為に近付く道など最初から無かったのであるし、自身が狼人間である事を知って尚それを受け容れてくれた理解者を喪ったという点においては、その事実は何ら慰めにならなかった。
「実の所、狼人間は死喰い人達にすら受け容れられなかったのが現実なのだが、善良な者達にとっては関係無かった。フェンリール・グレイバックの悪名は轟いていたからね。そして、戦争が終わって役目も無く世に放り出された中途半端の僕は、何処にも居場所が無かった」
声には憂いが滲んでいたが、それ以上に空虚さが立ち込めていた。
「──それで、どうして恨まないで居られようか。それはホグワーツ入学前と別種の、しかし比較にならない程に激しい想いだ。僕は既に温かさを知ってしまったのだから」
「……罵倒され、迫害される狼人間を見た事が?」
「当然有るとも。何人かはまさに眼前でね。そして同じようになりたくないと決意した事すらある。馬鹿げた事だ、僕の本質も彼等と何ら変わらないというのに」
狼人間が真に畏怖されるのは、血の汚染にこそ有る。
治療法が無い不可逆変化に対して、純血は勿論、それ以外の魔法族も酷い恐怖を抱いている。誰だって、我が子から自分を産んで欲しくは無かったという言葉を聞きたくも無い。だからこそ、狼人間というのは、他のヒト以外や危険な魔法生物よりも苛烈に忌み嫌われる。
「……貴方は、アルバス・ダンブルドアがその力を使って自分の為に──狼人間の為に社会を変えてくれる事を期待した事は?」
「ステファン。自分が出来ないからと言って、他人にその行いを期待してはならない。それは余りに身勝手で、子供っぽい行いだ」
……けれども、リーマス・ルーピン教授にも子供だった頃は有る筈だ。
いや、既に教授はアルバス・ダンブルドアに対する感情を吐露している。であれば、僕の問いに対しては言葉を返す必要は無いのだろう。回答は予め与えられているのだから。
「ダンブルドア校長が、
「……一昨年には死に、去年は記憶を永遠に失ったような教職をですか」
その言葉に教授は一瞬驚き、しかしそれを打ち消すかのように笑い声を上げた。
「……何故、そんなに可笑しいのです。変な事を言いましたか?」
「いや、君でも知らない事は有るらしいと思ってね。確かにそれらは例外的であるが、僕の契約はどの道一年で終わりだ。僕の入学前から、そして在学中は当然、闇の魔術に対する防衛術教授は一年以上続いた試しが無い」
「────」
僕は定職とするものだと考えていた。
教授は疑いなく教える者としての才能が有る。
僕個人の意見でなく、ここ二年程の酷い教授に当たった人間は、誰もがそれを認め、彼の教育に対して感謝を示している。狼人間という属性など関係無く、リーマス・ルーピンというその人に対して、その資質を見出している。誰もが──他ならぬ僕としても、これから卒業時までずっと在籍して欲しいとすら思って居た。
この学校で脱狼薬を調合しうる程の卓越した魔法薬学の才を持った人間は、少なくとも一人居る。
そして、あの老人から強制されての嫌々ながらであれ、間違いなく脱狼薬をこの教授に対して提供しているだろう。そうであれば、理性を飛ばして変身し、他の者を襲う事など有り得ない。
リーマス・ルーピン教授がこれまでの四か月で善良さを示し続けたように、そして死の呪文を行使出来る魔法使いを友とする事が出来るのと同じように、彼はこの学校で何事も無く教育を──それまでと違う日の当たる所での静穏な生活を送る事が出来る筈だった。
であるからこそ僕は、教授の正体を知って尚、何も言わなかった。ハーマイオニー・グレンジャーに対して、口止めめいた事までした。
しかし、教授は最初から覚悟していたのだ。一年限りだ、と。
「その風変わりな
「……それは良いでしょう。しかし、貴方はそれで納得しているのですか? 確かに友人は既に居なくとも、貴方が落ち着いた生活を送る事が出来た場所は、変わらずここに在った筈だ」
クィリナス・クィレル教授。ギルデロイ・ロックハート。
理由は違えど、彼等はホグワーツに対して愛着を有していた。その為に戻ってきた。
そして、リーマス・ルーピン教授も同じだろう。彼等にとって、そして僕にとってすら、ここは紛れも無く〝家〟で、それ以上の物であるに他ならないに違いなかった。
「確かにそれは否定しない。スネイプ──君の寮監にも非常に世話になっている。彼の好意により、僕は満月の夜も無害な子犬で居られる。自分の事を少しばかり好きで居られる。戦争後を考えれば、最も心落ち着く場所で有る事は否定しない」
だが。
だがそれでも、リーマス・ルーピン教授は認めようとしない。
「諦めるのに納得が必要かい? 僕はそれ以外の道など無いのだから」
「────」
その諦念を与えるのが魔法界であり、社会であり、そして世界だった。
如何に僕が言葉を尽くそうとも、その結論を覆す事は出来ない。アルバス・ダンブルドアや僕が抱く痛みが彼に理解出来ないように、彼が抱く痛みを僕達は理解出来ない。
狼人間を可哀想だと思うのも、差別をしてはならないと声高に叫ぶのは簡単だ。その事に意義が有る事も。しかし、幾らそれをしたって、彼等への理解には決して繋がらない。僕達が狼人間でない以上、その間には永遠に埋まらない断絶が存在する。ただ出来るのは、その断絶を受け容れ、彼等がそれを飛び越えようとした時に初めて、彼等が傷付かない為にそれを受け止める事だけの筈だった。
これ以上、この話題を続けても無駄なのだと悟っていた。
だから、矛先を変える事しか出来なかった。
「……一年後。いえ、もう六か月程ですか。それから貴方は何をするつもりなのです?」
僕の言葉に、リーマス・ルーピン教授は虚を突かれたような表情を見せた。
彼は僕よりも倍以上の年齢だった。だというのに、その瞬間は、まるで同学年の少年のように見えた。
「ホグワーツ魔法魔術学校の教授というのは、それなりに地位が有る筈です。たとえ一年ごとに辞任し、〝闇の魔術に対する防衛術教授〟という肩書を持った人間が大量に居るとしても、それは変わらないでしょう。その職務を無事に真っ当出来たとすれば、相応の箔が付く筈です」
この国における唯一無二の公的教育機関の、
「貴方が日陰で生きる事を余儀なくされていた事は見れば解ります。しかし、これからはそうでは無いでしょう? ささやかで有っても確かに幸せを得られる道が有る筈だ」
「……今後か。それは、考えてもみなかったな。また北へ──半ば朽ち果てた懐かしい我が家へ戻る事しか頭に無かった」
リーマス・ルーピン教授は半ば茫然と呟いた。
「……成程、君のまね妖怪が校長を写し取った理由が、そしてそれを退ける事が出来た理由が解った気がする。そして、君が抱く激情の根源も。君は僕と違った理由の下に、社会を、世界を――アルバス・ダンブルドアを恨んでいるのだろう」
そう言葉を紡いでいくにつれて、教授は段々と自身を取り戻して行ったようだった。
「……貴方は僕の事を詮索しないと、既に言った筈ですが」
「詮索はしていないさ。勝手に理解してしまっただけなのだから」
教授は笑った。快活に、愉快そうに。
そして単刀直入に、一切の回りくどさを排し、結論のみを告げた。
「――君が変えようとは思わないのかい?」
「僕が──?」
彼は真っ直ぐと僕を見ていた。
嫌になる位に、憎悪を抱きたくなる程に透き通った瞳で。
グリフィンドールだけが持ち得る、その勇気を持った心でもって、僕を捉える。
「君は他人にそれを求めようとしているように思える。僕がかつてそう在り、今もそれを捨て切れていないように。しかし、君が真に世界に対してそう在って欲しいと願うならば、他ならぬ君が自ら先頭に立って動くべきだ。君の理念を実現する為に。理想をこの世に齎す為に」
「……馬鹿げている。世界を変える事が出来るのは、アルバス・ダンブルドアのような、或いはハリー・ポッターのような人間だ。人の眼を気にし、小狡く立ち回り、決定的な勇気を踏み出せないスリザリンなどでは無い」
僕は、〝英雄〟などでは無い。
ハーマイオニー・グレンジャーとて、そうでは無い。
「そうかね。私はそう思わないが。私は君が入学した頃の事を知らないが、今の君は、本当に他のスリザリンの眼を気にして行動しているのかな?」
「…………」
「まね妖怪が校長に──アルバス・ダンブルドアという大魔法使いに変化した時、誰もが動けなかった。私自身ですら例外では無いさ。あの瞬間、生徒を守らなければならないという意識など掻き消えていた。けれども、君だけは違った。じっくりとそれを見つめた後、馬鹿馬鹿しいと切って捨てた」
当たり前だった。
アルバス・ダンブルドアというのは、あの程度の存在では無かった。
何より、僕にとってはあの老人が恐怖の象徴では有っても、恐怖そのものでは無いのだろう。恐らく、僕が心の奥底で恐れているのはそれを超えた所に有るのだ。……残念ながら、それはハーマイオニー・グレンジャーとは関係無い所に存在するに違いない。
理性がそうであって欲しいと願っていても、本能までがそうなれる訳では無いのだから。
けれども、そんな僕の内心など、外部の者にとっては何ら関係無いのだろう。
「解るかい? あの瞬間、他のスリザリン生が真に得体が知れないと思ったのは君なんだ。嫌悪を抱き、不気味さを感じ、それでも己が同様に在れないという点において一種の畏敬を払わざるを得ないと思ったのは」
「……だから何だと言うんです? それはリーダーの資質では無いでしょう。人を惹き付け、従わせ、そして自在に動かす事が出来るような類の力では無い」
「そうだね。しかし、君と同じ力は、ハリー・ポッターも、アルバス・ダンブルドアさえも持っていない。それは価値を見出すべきでは無いかな?」
同意出来ない。
個の力は必要だった。けれども、最終的に物事を決めるのは、やはり数の力の筈だった。それを正しく運用出来る存在こそが、〝英雄〟の筈だった。良く話に聞いたゲラート・グリンデルバルド、そして闇の帝王でさえも、そのような資格を持ち得ていたに違いなかった。
しかし、僕には無い。
それが有れば、僕はあの時、母を──
「ステファン。ハリーは、ジェームズやリリーを救えなかった。ダンブルドアでさえも。彼等は魔法界を救ったが、それでも救えない者は確かに有った」
リーマス・ルーピン教授は、明確に釘を刺した。
「君は、自分がその器で無いという。ならば、逆に考えてみたまえ。彼等とは反対に、一を救う事で、魔法界を救うのだと。それは酷く愉快な事では無いかな?」
「……貴方は」
優し気に微笑む彼の前で、言葉を無理矢理に絞り出す。
「夢想家に過ぎる。妄想家と言って良い。英雄的に在ろうとして、実際に英雄に成れる者など居ない。ただ彼等の輝きを添える灯として消費されるのが精々だ。
「しかし、
そう言って、教授は困ったように茶色の髪をかき上げた。
「参ったな。私もこのような事を言う人間では無かった筈なのだが。若者に期待し過ぎてしまうのは、教師になってしまった故の性なのかな」
苦笑を浮かべる彼の口元には、時を刻むように皺が寄っていた。
「友人達と出会う以前、自分の状況が堪らなく嫌だった。誰かが変えてくれと、そう願っていた。そして、友人達と出会ってからは、自分で変えたいと思った。色々と夢想したものだ。魔法省に輝かしく入って出世したり、或いは呪文の分野で大きな発見や功績を為したりとね。そして、狼人間の苦境を改善させるような、立派な指導者となる事を夢見はした」
若い時分であるならば誰でもやるものの筈だ、と。懐かしむように教授は言った。
「…………」
「しかしまあ、あの頃は戦争の時代だった。そして、僕にとっては見知らぬ狼人間を救うよりも、やはり友人達の方が大切だった。だから夢を捨てて戦争の為に己を捧げた。その点で言えば、僕は君の言うような〝英雄〟などでは無かったのだろう」
「……今からでも変えようと思わないんですか?」
「もう若くないからね。そして、あの時守りたかった物は、全て喪ってしまった」
その言葉に僕は反発を覚えた。反射的に言葉が出ていた。
「貴方にはハリー・ポッターが居るでしょう。未だに貴方はジェームズ・ポッターに対して恩義を返し切れて居ない筈だ。幸運な事に、貴方は今、教授として此処に居る。ならば、貴方は彼を父親の代わりに導く事が出来るし、それ以上の事もまた出来る。何も終わっていない。死んでしまった彼等と違って」
「────」
どういう意図でそれを口にしたのか、自分ですら説明しがたかった。
けれども、リーマス・ルーピン教授は僕を馬鹿にしなかった。驚きの表情を浮かべはしたが、それでも彼は嬉しそうに笑った。
「……そうだな。確かに、私はその点で恵まれているのだろう。そして、誰よりも彼にとって、良い教師で無ければならない」
教授は座ったままに、流れるような動作で杖を取り出した。
向けられる先は中空。そしてまるで円を描くように振り、共に言葉を紡がれる。エクスペクト・パトローナムと。
それによって顕現するは、青白い輝を宿した狼。リーマス・ルーピン教授の本質を表す守護霊の姿。狼は踊るように研究室の中を駆け巡った。
「君の守護霊の解釈は興味深かった。主流の解釈から外れていて、広く受け容れられる物かどうかは解らないがね。しかし確かに、私の最も幸福な記憶とは、学生時代のどれか一瞬を切り取った物では無い。それを超えた所に、私の幸福は存在する」
狼。それは高度な社会性を有する動物だ。
家族集団を核として群れを作り、互いに密接な協力をもって狩りや子育てを行う。
今の狼人間の現状を思えば、そして教授が自身の変身する姿を何よりも忌み嫌っている事から考えれば、余りに皮肉な特性であると言える。
けれども、教授はそれと訣別する事は出来ないのだろう。それは、間違いなく自分を構成する一要素であり──そして恐らく、彼等の友情を真に確信させたものの筈なのだから。
「私がこうして君と穏やかに会話している理由は既に解っているだろう? 私は、狼人間だとバレた瞬間に掌を返したような扱いを受けるのを幾度も見て来た。実際に見て来たという事は、同じく見捨ててきたという事でも有る。しかし、君はそうしなかった。それが打算や計画的な物かは、結局私には見破れなかったが」
リーマス・ルーピン教授は、それでも構わないと言った。
「私の弱みを握った者として、君が望むのであれば何時でもこの研究室に来ても構わない。守護霊の呪文を教えろというのであればそうしよう。……だが、君はそれを余り良しとしないのだろうね。君は、弱者である事を受け容れられる人間だ」
「……貴方は、グリフィンドールだ」
「しかし、君はスリザリン的でも無いのだろう。だからと言って、君がグリフィンドールに合うとも思えないのが酷く残念であるがね。君は異常に聡すぎ、そして不気味過ぎる。その根源は恐らく、私が探りきれなかった所に在るのだろうが」
その短評に、侮蔑や軽蔑は無い。淡々と事実のみを告げる響きだけが有った。
「ただ、一つだけ言わせてくれ。私が、君にとっても良い教授である為に」
リーマス・ルーピン教授は守護霊を消して、僕に向き直って言った。
その瞳には、今回の中で最も強い輝きが有った。下手すれば、僕がハリー・ポッターへと近付くよからぬ存在だと考えていたその時以上に。真っ直ぐと、言葉に力を籠めて、その警鐘を鳴らす言葉を告げる。
「君がハーマイオニー・グレンジャーに対して、どのような執着を抱いているのかは解らない。だがそれでも、君は彼女と訣別するような言葉を吐いてはいけない。何が有っても、どんな意図が有ろうと絶対に。それは間違いなく、良い結果を齎さない」
「…………」
その言葉には、僕には理解しがたい、しかし何処か確信めいた響きが有った。
教授はそれを経験則でもって述べているのだろう。彼にはそれを断言するだけの根拠が有り、そして僕にそうして欲しくないのだと、何故だか強く思っているようだった。
……けれども。
僕の心に決定的に残ったのはその言葉では無かった。
若い時分ならば誰でもやるものの筈だ。そう教授は言った。
しかし、僕は一度もそのような真似をした事が無かった。
不満は有る。怒りは有る。それ以上に、この世界に対して様々に思う事も、形容しがたい汚泥のような感情を抱いてすら居る。されど、そのような世界を変える自分の姿を思い描いた経験は無く──思い描く事も出来なかった。
そして、その時が来る事は無いのだと、それが自分の事であるが故に確信してしまっていた。