建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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場所は当社が運営する、コワーキングスペース co-ba kamaishi marudaiの隣。 建物の所有は、私宮﨑が代表をつとめるもう一つの会社、ロータイドになります。 詳しい内容は、以前の投稿(↓)をご覧ください。 ロータイドで物件を購入し、高校生Sちゃんのお母さんAさんに賃貸するという形になっています。 建物は、昔の商品がそのまま置いてある状態で、雨漏れもあり、トイレが汲み取りであったりしました。 さらには道路に面した出入口のシャッターが壊れて、開け閉めもままならない状態。 外壁がはがれているところもありました。 それをロータイドで、物品を処分し、雨漏れを直し、トイレを下水道につなぎ、シャッターを撤去して、耐震壁なども設置。 さらにDIYで直すつもりでした。 今年度は思ったよりも、釜石にいることが出来なくて、ほとんど鈴鹿のほうにいたため、DIYなどはあまり出来ず、物品の処分もテナントさんの側にやってもらうことに… いろいろとご負担をおかけしましたが、なんとか予定よりは少し遅れて(予定では年内)、今年1月31日にオープンとなりました。 大家サイドで大変だったのは、改修費が予定より倍近くになったことでした。 具体的には200万円ほどで計画していました。 借入が100万円で、自己資金が100万円。 自己資金というのは、私の個人的な貯金です。 会社経営をしていない方は驚くかもしれませんが、資金繰りのために、個人的なお金を会社に貸すことは珍しくはありません。 ところが、見積もりを取ったら、工事費が300万円でした。 自己資金が200万円になりますが、ギリギリなんとかなるかなと思いました。 しかし、工事が終わりに近づくころ、とんでもない事実が発覚。 私も当たり前のことだと思って、見積もりのチェックを怠っていたのが悪いんですが、工事業者さんは、トイレが汲み取り式のまま、便器だけ替えるつもりだったのでした。 常識の違いとは恐ろしいもので、鈴鹿市のほうではトイレをリフォームするのに、汲み取りトイレのままなんてあり得ません。 汲み取りトイレはほとんど絶滅していて、町中で汲み取り車を見ることもありません。 なので、トイレを改修するなら、当然下水に接続するだろうと思って、特に図面にも指示がありませんでした。 ところが、釜石ではまだまだ、トイレリフォームの際に「簡易水洗」という方式が採用されることがあるようです。 簡易水洗とは、一見、水洗の洋便器なのですが、水を流すレバーを引くと、水が流れると同時に、便器の底があいて、下の便槽に落ちるというもの。 つまり、汲み取り式トイレなのです。 自分の所有する建物で、汲み取り式はどうしても嫌なので、追加の見積もりをとることに。 すると、またしても予想外の金額で、78万円の見積もりが。 結局、380万円ほどかかってしまい、ギリギリだった自己資金がたりなくなり、あちこちからお金を集めて、なんとか支払いました。 カードキャッシングなども頭をよぎりましたが、それはせずに済みました。 下水道接続の工事が増えたために、工事も遅れて、完成したのは11月。 そこから、テナントさん側のDIYや、店舗の整備が急ピッチで進みました。 壁の塗替えや、天井の塗替え、間仕切り壁を張り替えて、試着室を作ったり。 私は最初のほうだけ指導して、あとは自分たちでやってもらうという感じでした。 本当はもっと手伝うつもりだったのですが、釜石には月に1週間ぐらいしかいなかったので、時間が限られていました。 道具はco-ba釜石と、その反対隣のLIFULL FaM(以前の投稿→どうする床柱)などのDIYを経て、かなり充実してきていたので、それを使ってもらいました。 工事を進めつつ、販売する商品や什器の購入、その他必要なインフラを整え、1月1日にプレオープン。 高校生なのに大丈夫かな?という心配もありましたが、Sちゃんは一度もへこたれるような様子も見せず(少なくとも私には)、毎日がんばって準備を進めていました。 女子高校生が起業ということで、注目度が高いので、テレビや新聞、ウェブメディアなどにも取り上げられました。 そのせいもあってか、また、クラウドファンディングやSNSを頑張った成果もあって、プレオープンには商品がほとんどなくなるほどの売れ行きでした。 お母さんのAさんの影響も強いと思うのですが、高校生のSちゃんは子どもの頃からオシャレな服を着ていたので、センスがいいのだと思います。 個人的には置いてある商品の、セレクトがいいと思いました。 話題だからということもありますが、売れるのも納得です。 といっても50代の私の感覚が、どこまであてになるかはわかりませんが… 女性の物ばかりでなく、男性用もあって、私もアウターを一着購入しました。 仲見世で買い物が出来るなんてすばらしい! いいお店が出来ました。 釜石大観音仲見世商店街再生の、実質的な第一歩になるかも。 末永く繁盛しますように。 #
by 3839ttsy
| 2025-02-07 10:49
| 釜石大観音仲見世リノベーションPJ
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その豊田市美術館を設計された、谷口吉生さんが12月16日に肺がんのため亡くなられました。 大学を卒業してすぐに名古屋の工務店に就職し、配属されたのは豊田営業所でしたが、それはあまり関係がありません。 大学の時も、会社に就職した時も、また設計に転向してしばらくの間も、実は建築家の作品である建築には、それほど興味はありませんでした。 興味が出始めたのは、まさに豊田市美術館を見てからではなかったかと思います。 それは設計に転向してから、2年目ぐらいのころ飲食店の設計依頼があり、豊田市に類似の物件を見に行きました。 その時に、父である所長と、私の他もう1名の所員がいて、その所員のすすめで豊田市美術館に行ったのでした。 駐車場を降りて、坂を上っていくと視界が開け、豊田市美術館が現れました。 その時、父である所長が「ああ、これはいいなあ」と言ったのでした。 広々とした高低差もある敷地に、完全なバランスで建物とランドスケープ、そして屋外展示の美術作品が配置されていました。 広い水盤もあって、豪華なつくりでもありました。 でも、その時は、その設計をしたのは、谷口吉生さんという建築家であることを覚えて、認識することは出来ませんでした。 その後はだんだんと、建築雑誌などを見るようになり、ある時、ニューヨーク近代美術館の別館を、日本人建築家が設計したことを知りました。 それが谷口吉生さんでした。 また縁のある豊田市美術館で、そのことを記念して、谷口吉生さんの作品展が開催されるのを知り、見に行きました(2005年12月4日の投稿記事)。 そこで知ったのが、葛西臨海水族園です。 アイデア満載の建築に感動して、ぜひいつか見たいと思いました。 約2年後に、東京周辺の建築をみる旅行を計画し、その一つとして見に行くことになりました(2008年1月4日の投稿記事)。 建築のデザインとしては主張が少なく、自然そのものという感じで、主役はあくまでも水と水の中の生き物。 立体的な動線と光のみをデザインしているというイメージ。 他には類のない、素晴らしい建築だと思います。 いずれも端正で美しいモダニズム建築でした。 谷口吉生さんの建築は、全体的には高級感がありますが、ところどころに遊びというか、茶目っ気があるのも特徴かと思います。 特に美術館だと、現代アートはポップなものも多いのですが、見事にバランスをとって景観に取り入れていると思います。 その他、谷口吉生さんは、親子二代で建築家というところも特徴です。 お二人とも有名であるというのは、なかなか珍しいタイプだと思います。 お父さんは谷口吉郎さんといって、ホテルオークラ東京などを手掛けています。 そのホテルオークラを、息子の吉生さんが改修設計を行い、2019年に竣工しました。 父が設計した建物を、息子が改修して長く使われていくというのは、素晴らしいですね。 まだ行ったことがありませんが、ぜひ見てみたいです。 ニューヨーク近代美術館も、もしもニューヨークに行く機会があれば行ってみたいですね。 あらためて谷口吉生さん、素晴らしい作品を残していただき、感謝いたします。 心からご冥福をお祈りいたします。 #
by 3839ttsy
| 2024-12-25 10:54
| 建築
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でも、尾崎神社の本宮が尾崎白浜という小さな漁村集落にあって、そこでも釜石まつりと同じように、曳舟祭りが行われることは、知らない人もいるのではないでしょうか。 尾崎100年学舎(カテゴリ「尾崎100年学舎」参照)が活発に活動していたころ、話には聞いていたのですが、震災前は3年に1度、尾崎白浜本宮例大祭があったそうなのです。 震災の年の2011年が、開催の年にあたり、地域の人の生活再建もままならない状態では祭りは出来ないということで、それ以降途絶えていました。 仮設住宅もなくなり、住民のみなさんの生活も元に戻ったということで、そろそろ例大祭を…という話が持ち上がったようなのですが、コロナ禍があり、また延期になってしまいました。 それがようやく今年になって、開催することになったということです。 実に16年ぶりの開催。 正直なところ、尾崎半島の火災があって尾崎100年学舎の活動があまり出来なくなり、さらに私自身も病気になり、また翌年にはco-ba釜石がオープンになって、軸足がより仲見世に移ったこともあって、尾崎白浜から足が遠のいていました。 それで、直前に尾崎100年学舎代表のSくんから、連絡があるまで、例大祭があることを知りませんでした。 11月9日(土)に宵宮があり、10日(日)に曳舟があったのですが、日曜日の曳舟だけ見に行くことに。 9時30分に曳舟が始まるということで、その時間に向かうと、すでに20艘ほどの船が、港内で大漁旗をかかげてスタンバイ状態。 いつもあまり人気のない尾崎白浜に、見物の人もたくさんいて「おお!」となりました。 天気もよく大漁旗が映えます。 船か山道を徒歩で行かないとたどり着けない、青出浜の奥宮からご神体が運ばれ、昨日から本宮におさめられていたそうなのですが、そのご神体をのせた神輿が、すでに船にのせられていました。 その船が出港し、他の船もいっせいに港から出ていきます。 先導する船には、神楽や華やかな衣装を着た男衆がのっていました。 天狗のような面をつけた、猿田彦も乗っていたと思います。 後でわかりましたが、華やかな衣装を着た男衆の一人が、われらが代表S君だったのでした。 港の外を大漁旗をつけた数十艘の船が、大きな輪になって回ります。 小さな漁村の船が、せいいっぱいの装いをして海を彩る。 感動の光景でした。 船が戻ると、神事があって、神楽や「そうさ」という踊りが披露され、子ども虎舞も奉納されました。 5分以上にわたる踊りを、みごと踊り切りました。 その後は、お囃子の太鼓とともに、山の上の本宮に神輿が担ぎ上げられましたが、私は妻の側の不幸があったばかりだったので、境内に入るのは(念のため)遠慮しました。 しばらくすると、神輿が降りてきて再び船に乗り、汽笛とともに奥宮に帰っていきました。 山奥にいる神様が町に船でやってきて、町の人々が歓待して、再び山に帰っていくというストーリーが、ほっこりしていいですね 船が出た後、S君に話しかけたら、そうさの踊りは、1か月ぐらいでマスターしたそうです。 16年も途絶えていたら、出来る人もいなくなると思いますが、指導する人がいて、平成4年に撮った動画があったそうで、なんとかマスターできたということでした。 当時の動画があったのは幸運だったと思いますが、1か月でマスターするのは大変だったでしょうね。 尾崎白浜の神楽は、釜石まつりの時にも奉納されますが、実はもっといろいろな舞があると聞いていました。 例大祭が復活したことで、いろいろな伝統がよみがえってくるようで、とても素晴らしいことだと思いました。 #
by 3839ttsy
| 2024-11-12 11:16
| 尾崎100年学舎
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ETICさんは、釜石で地域おこし協力隊の制度をつかったローカルベンチャーのプログラムを提供している団体です。 ローカルベンチャーは全国の自治体で実施されています。 これまでボランティアなどで、輪島市門前町、羽咋市などに行きましたが、今回は能登町。 今までより、だいぶ能登半島の奥地まで入った感じであり、また半島の東側に行ったのも初めてでした。 最奥というか、半島最先端の珠洲市にもあと数十キロという地点でした。 作業は農地の復旧作業や、稲刈りでした。 1日目の派遣先の農家さんの田んぼは、山間部の棚田のようになっていて、そこを稲の高さをはるかに超える水が流れたそうです。 なんと1時間に100ミリの雨が降ったそうで、想像しただけで恐ろしい… 収穫直前で稲が倒れてしまい、稲刈り機は使えないし、地震も含めた復旧作業に追われていて、また手で刈るのも人手不足もあって、間に合わない状態でした。 知らなかったのですが、稲は倒れて水につかると、芽が出てしまうんですね。 芽が出ると、おいしくないので、出荷が出来なくなります。 作業は倒れている稲を手で刈って、芽が出ていないものだけを選別するという内容でした。 場所によっては、ほとんど芽が出てダメになっていて、たかだか数時間のボランティアでも、気持ちが沈んできます。 農家さんの心痛は想像を絶するものです。 現地のコーディネーターさんのお話では、やはり農家をやめることを考えている人も多く、今が重要なタイミングだということでした。 正直言って、ボランティアが1日やそこら来ただけでは、実質的に助けになりません。 でも、人が来てくれることが、再起への活力になるということでした お昼をごちそうになってしまい、かえって申し訳ないようなところもありました。 もちろん、弁当は持参で行きましたが「持ってきた弁当は、ここに用意したものを全部食べて、足りなければ食べてください」と(冗談ぽく)言われましたので、ありがたくいただきました。 ちなみに、その地域には「よばれ」という、近所の大勢の人に食べ物をふるまう文化があるそうです。 2日目は別の農家さんに行きましたが、そちらも稲刈り作業などをお手伝いしました。 そちらでも、いちごをいただいたり、近くの観光スポットのようなところを案内いただいたりして、歓待を受けてしまいました。 ETICさんのプログラムは、宿泊や食事などもこまかく配慮されていて、ボランティアが初めての人でも、参加しやすくなっていました。 スタッフさんが張り付きでいて、一緒に作業するというのも、一般的なボラセンではあまりないことかも。 ちなみに、誰かに会えるかなと思って行ってみたら、スタッフさんの一人は、以前、大槌で活動していたIさんでした。 いずみさんは、釜石大観音仲見世のイベントをお手伝いいただいたこともある方で、久しぶりに再会できてよかったです! ところで、ボランティアは楽しんではいけないとか、完全なる自己完結型でないといけないという声もありますが、そんな厳しい条件だと来る人が少なくなってしまいます。 復興初期はともかくとして、長い目で見て力となるのは、移住者や、関係人口だとすると、分母を増やすことは重要だと思います。 人と出会う、行ったことのない地域を見る、現地の人と話す、いずれも単なる観光では難しいことです。 というわけで、ETICさんのボランティアとてもいいなと思いました。 さて、最後におまけのエピソードを。 車でボランティアに行く人には、高速道路が無料になる制度があります。 その証明をもらうために能登町役場にいったのですが、どの窓口にいけばいいかわからず、ウロウロしていました。 すると、職員さんに話しかけている、私と同年代ぐらいの男性がいて聞いていると、どうやら同じ目的のようでした。 それで便乗して、窓口を教えてもらいました。 その男性は、熊本から来たとのこと。 熊本地震の際に、多くの人に助けてもらったので、能登で支援活動をされているということでした。 こういう話を聞けるのも、ボランティアのいいところですね。 #
by 3839ttsy
| 2024-10-14 11:41
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築年数不明の平屋建てで、その他の木造2階建て、赤い屋根、モルタル塗りの「仲見世モデル」が登場する前の建物です。 参考までに、これまで取得してきた、co-ba釜石や現在LIFULL FaMとなっている建物は、昭和52年築の仲見世モデルです。 釜石大観音が出来たのが昭和45年なので、おそらくその頃に建てられたと思われます。 とすると築50年というところでしょうか。 以前からオーナーさんに「買ってほしい」と打診されていたのですが、古いし隣の物件とくっついている(構造上一体になっている)ので、どうしようかなぁと思っていました。 しかし、ある時から、平屋だからDIYで直しやすいということに気づきました。 平屋なら外壁の塗替えなど脚立で出来るし、屋根の塗替えも2階建てよりは、かなりやりやすいです。 ただし、借りる人がいないと、お金がありません。 融資を受けるにしても、収入がないと返済できませんし、そもそも銀行は賃貸契約書がないと貸さないという立場であることは、以前のLIFULL FaMの物件で明らかになっていました。 賃貸契約が結ばれていて、その額が月々の返済額よりも多ければ、確実に返済することが出来るから、銀行としても、私としても安心というわけなのです。 その借りる人が、今年になって現れました。 なんとそれが女子高校生! …と、そのお母さんでした。 このブログのカテゴリーに「劇団もしょこむ」がありますが、そこに登場したことのあるAさんと、その娘さんのSちゃんでした。 Aさんは脚本演出をやっており、Sちゃんは稽古についてきていました。 当時は小学生でした。 それから年月が過ぎ、Sちゃんは中学3年生になり、進学を考える際に、普通に高校に通うより、起業してお店を作りたいと思いました。 それで時間の制約が大きい普通の高校ではなく、通信高校に進学することにして、その一方で古着屋を始めることにしたのでした。 ただ、実際に古着屋を始めようと思うと、未成年では制度上、難しいこともあり、お母さんと共同で店を始めることになりました。 長年、仲見世で店舗を開かせたいと思っていた私からすると、思わぬところから、嬉しい出店者が現れたという感じです。 実はきっかけとして、地域課題解決を通して企業研修を行う、日本能率協会さんのプログラム「ことこらぼ」があるのですが、説明が複雑になるので、省略させていただきます(参加者のみなさま、すいません💦)。 というわけで、Sちゃんが高校に進学するのと同時に、プロジェクトがスタートしました。 私の側では、まずお金を工面しないといけなかったのですが、おそろしいことに何もありませんでした。 とりあえず、多少の紆余曲折がありつつ、物件購入の資金を日本政策金融公庫でお借りすることが出来、6月に土地と建物を購入しました。 それから、改修計画を立て、図面を書いて、工事の見積もりを取得。 工事の頭金は、岩手銀行さんでお借りしました。 とにかく、待ちに待ったプレイヤーであり、しかもそれが小学生の時から知っているSちゃんということで、なんとかしないわけにはいきません。 そういうわけで、少しもたつきつつも、8月末に工事がスタート。 その前に、テナントさんのほうで、そのままになっていた物品を片付けていただいていたので、助かりました。 本当は大家側がやらないといけないのですが💦 なお、使えそうな土産物などの商品は欲しい人に持って行ってもらったり、陸前高田でリサイクルショップなどを運営している山猫堂さんに持って行ってもらったり、現在も無人販売所ならぬ、無人おすそ分け所を設置して、欲しい人に差し上げたりしています。 あ、ところで、テナントさんというのもなんなので、ここで屋号を発表します。 Crush on たすいち です。 Crush onはSちゃんのお店で、たすいちはAさんのお店です。 といっても、たぶんそんなにかっちり分かれるわけではないと思いますが。 たすいちはAさんがもともとやっていたこともあり、駄菓子屋をすることになっています。 駄菓子と古着の販売と、ダンスなどが出来る、貸しスペースになるということです。 9月中、大工さんが入って工事を行い、雨漏れや壊れていたシャッターの撤去と、外壁の修理、アルミサッシのリフォーム、その他、内壁の変更やドアの修理などが行われました。 一部、水回りの工事が残っていますが、店舗部分が完成というか、スケルトン状態になりました。 電気も使えます。 一方、Crush onたすいちのお二人は、クラウドファンディングを実施。 最初は遠慮がちなお二人のことで、スロースタートだったのですが、終盤の伸びがすごくて、最終日の終了直前に目標額に達するというドラマが。 これで資金も出来て、今月からは、DIYで内装を始める予定です。 特に、私でさえ、もう壊すしかないかなと思っていた古い建物が、なんだかオシャレな感じに見えるようになって、このインパクトは大きいんじゃないかと思います。 高校性のSちゃんがお店を始めるというニュースも、とてもインパクトがあるので、相乗効果で釜石大観音仲見世の再生が、一気に加速するんじゃないでしょうか!? #
by 3839ttsy
| 2024-10-09 15:22
| 釜石大観音仲見世リノベーションPJ
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