元横綱 白鵬の宮城野親方が日本相撲協会を退職へ 史上最多優勝

大相撲で現役時代に史上最多となる45回の優勝を果たした元横綱 白鵬の宮城野親方が、日本相撲協会を退職することになりました。
親方は去年2月に弟子の暴力問題で懲戒処分を受け、その後、宮城野部屋は閉鎖され、伊勢ヶ濱部屋に移籍していました。

宮城野親方は、現役時代史上最多となる45回の優勝を果たすなど現役生活およそ20年で数々の記録を打ち立てて、4年前の秋場所後に引退しました。

3年前の7月に宮城野部屋を継承し師匠を務めていましたが、去年2月に弟子の元幕内力士の暴行問題で日本相撲協会から2階級降格と報酬減額の懲戒処分を受けました。

その後、部屋は閉鎖され、宮城野親方は部屋の全員ととともに所属する伊勢ヶ濱一門の伊勢ヶ濱部屋に移籍し、部屋付きの親方として指導にあたっていました。

宮城野親方は部屋の閉鎖から1年を過ぎても再興のめどがたっていないことなどから相撲協会を退職する意向を周囲に漏らしていて、関係者によりますと、夏場所中も協会側と話し合いを行いましたが折り合いはつかず、一門の関係者に退職届を託して自身の去就を一任していました。

日本相撲協会は2日午前から開いた臨時の理事会で、宮城野親方の退職届を受理し、6月9日付けで宮城野親方が退職することになりました。

さらに、元の宮城野部屋に所属していた力士については、引き続き伊勢ヶ濱部屋に所属することになりました。

宮城野親方は現在、所用でモンゴルに滞在中で、関係者によりますと日本に帰国後、6月9日にも会見を開く意向だということです。

また相撲協会は、ことし1月に引退した元横綱の照ノ富士親方が、年寄・伊勢ヶ濱を襲名して伊勢ヶ濱部屋を継承することを承認しました。

これに合わせて、7月、相撲協会の65歳の定年を迎える元横綱 旭富士の伊勢ヶ濱親方は、年寄・宮城野を襲名して今後再雇用され、伊勢ヶ濱部屋の部屋付きの親方として残るということです。

退職決断の要因は主に2つ

宮城野親方が退職を決断した要因には、部屋の閉鎖から1年が過ぎても再興のめどがたっていないことに加えて、移籍していた伊勢ヶ濱部屋の継承の動きも絡んでいます。

宮城野親方は言動などを理由に現役時代に何度も注意や処分を受けていることから、令和3年秋場所後に引退する際、親方の襲名を議論する「年寄資格審査委員会」で、「親方になっても10年は部屋持ちの師匠にはさせない」などという厳しい意見が出ました。

最終的には「協会の指導に従い、規則やしきたりを守る」という誓約書の署名を条件に、年寄・間垣の襲名が承認されました。

極めて異例な形で親方になったあと、令和4年に宮城野部屋を継承した宮城野親方は、師匠だった去年2月に弟子の暴力問題が発生したことで監督責任を問われたほか、報告の遅れを指摘され、自身が厳しい懲戒処分を受けました。

この当時、処分意見を相撲協会にあげたコンプライアンス委員会の一部の委員からは、親方になる際の誓約書の存在も念頭に「相撲協会から排除するべきではないか」という声まで出たということです。

このあと、宮城野部屋は去年3月に親方や力士など部屋の全員が同じ一門の伊勢ヶ濱部屋に移籍することが決まり、閉鎖されました。宮城野親方は部屋付きの親方として力士の指導を行う一方で、伊勢ヶ濱親方から部屋の運営など師匠としての心構えを学び、毎場所ごとに、所属する伊勢ヶ濱一門の理事から相撲協会に、宮城野親方や宮城野部屋から移籍した力士の様子を報告することになっていました。

しかし、宮城野部屋の閉鎖から1年がたったことし3月の理事会でも部屋の再興についての協議はされず、再興のめどがたたないと考えた宮城野親方は関係者に対して、「1年頑張ったのに」と不満を漏らしていたといいます。

さらに最終的にこの時期に退職を決断した理由のもう1つには、移籍先だった伊勢ヶ濱部屋の継承の動きも絡んでいます。師匠の伊勢ヶ濱親方がことし7月に定年を迎えるため、1月に引退した元横綱の照ノ富士親方が伊勢ヶ濱部屋を継承する流れとなっていました。

照ノ富士親方は宮城野親方にとって、同じモンゴル出身で7歳年下の力士としても親方としても後輩にあたります。伊勢ヶ濱部屋の継承までに宮城野部屋の再興が認められなければ、宮城野親方は後輩の師匠の下に付くことになります。

これについても宮城野親方は関係者に「好きとか嫌いとかは関係なく、後輩だから嫌だ」と不満を口にしていたということです。

一方で、相撲協会側は部屋の再興については宮城野親方が所属する伊勢ヶ濱一門からの報告や意見を受けたうえで、理事会で議論するという立場でした。しかし、「まだ部屋の再興は早すぎる」などの意見もあり、これまでの定例の理事会の議題には上がりませんでした。

夏場所中には、協会側と宮城野親方が何度か話し合いを持ち、同じ伊勢ヶ濱一門内の別の部屋に移籍する案なども出ましたが折り合いはつかず、最終的には宮城野親方の退職の決断につながりました。

宮城野親方のこれまで

元横綱 白鵬の宮城野親方は40歳。15歳のときにモンゴルから来日し、現役時代は史上最多となる45回の優勝を果たしました。

また通算1187勝、横綱在位はおよそ14年に渡る84場所といずれも史上最多を記録し、現役生活およそ20年で数々の記録を打ち立てて、4年前の秋場所後に引退しました。

現役中の令和元年に親方を目指すうえで必要な日本国籍を取得し、引退後は間垣親方として宮城野部屋の部屋付きの親方として後進の指導にあたり、令和4年7月に宮城野部屋を継承し、部屋の師匠を務めていました。

また、現役中の平成22年から「白鵬杯」と名付けた少年相撲大会を主催し、相撲の普及と発展にも尽力してきました。

一方で現役時代から取り口や言動で批判を受けることもあり、平成29年九州場所の優勝インタビューでは万歳三唱をして場所後に厳重注意を受けたほか、平成31年春場所の優勝インタビューでは手締めをし相撲道の伝統と秩序を損なうとして、相撲協会から「けん責」の懲戒処分を受けました。

また、現役を引退した際、取り口や言動をめぐって批判的な声があることなどから、相撲協会内では親方になることについて懸念する意見も出ていました。

横綱経験者の退職相次ぐ

大相撲では、横綱経験者が親方としての定年を待たずに日本相撲協会を去る例が相次いでいます。

現役の豊昇龍と大の里を除いて、ことし1月に引退した照ノ富士までの直近10人の横綱のうち、半数を超える6人がすでに相撲協会を退職しました。

このうち、外国出身力士として初めて横綱となった第64代横綱の曙は引退後、東関部屋の部屋付きの親方として後進の指導にあたっていましたが、平成15年に相撲協会を退職し、その後プロレスなどほかの格闘技に舞台を移して活動しました。

また、幕内で25回の優勝を果たした第68代横綱の朝青龍は、場所中に酒に酔って知人の男性に乱暴したとされる問題で現役引退を表明し、親方として残ることができず相撲界を去りました。

さらに、兄の第66代横綱 若乃花とともに「若貴フィーバー」と呼ばれる空前の相撲人気をつくり、22回の優勝を果たした第65代横綱の貴乃花は、貴乃花一門を率いていましたが、平成29年に起きた元横綱 日馬富士から弟子への傷害事件を発端に相撲協会と対立し、よくとし、退職しました。

そして今回は、歴代最多優勝を誇る第69代横綱の白鵬が退職することになりました。

親方としては幕内の伯桜鵬や、ことしの春場所と夏場所で2場所連続十両優勝を果たした草野を角界入りに導くなど、後進の指導にも強い意欲を見せていました。

相撲協会は実績や知名度に加え、豊富な経験をもとにした指導力も期待される横綱経験者という貴重な財産を、再び失うことになりました。

八角理事長「大変残念」

日本相撲協会の八角理事長は「大変残念だが、意思が固いので、弟子のことを決めて受け取るしかない」と話していたということです。

佐渡ヶ嶽広報部長「師匠として頑張ってほしかった」

佐渡ヶ嶽広報部長は「残念だ。立派な横綱だったからこそ、師匠として頑張ってほしかった」と話していました。

伊勢ヶ濱親方「本人が望んでいること これ以上言えない」

元横綱 旭富士の伊勢ヶ濱親方は宮城野親方について、「あれだけの実績があるのでなんとか協会にとどまって弟子の育成をしてほしかった。何度も辞めないように説得していたが、本人がやりたいことがあって望んでいることなのでこれ以上は言えない」と話していました。

一方で、「本人からはこれからはいろいろな形で相撲協会の発展に尽くしたい、自分の視野を広げて恩返しをしていきたいという気持ちが強いと聞いている」と話していました。

伊勢ヶ濱部屋を継承する元横綱の照ノ富士親方については、「横綱でいろいろなことを経験してきているので、それを弟子に教えていってくれると確信を持って継がせている」と期待感を示していました。

また、自身が年寄・宮城野を襲名して、部屋付の親方となることについては「私のやることは変わらない。すべての弟子を強くするために指導していくだけだ」と話していました。

炎鵬「整理がつかない」

宮城野親方とともに伊勢ヶ濱部屋に移籍した幕内経験者の炎鵬は「突然聞いたので整理がつかない。何と言えばいいかわからない。何も考えられない。頑張るしかない」と話しました。

草野「さみしい思いある」

また、宮城野親方にスカウトされ角界入りした草野は「残ってくれると思っていた。さみしい思いがあるが、今は相撲に集中してしっかりやっていきたい」と話しました。

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