兵庫県問題のQ&A
1年がたって収まるどころか、ますます混迷の度を深める兵庫県問題の不思議と不可解をQ&A形式で説明する。
白川氏が12月に退職願いを出した理由は
2023年12月、産業労働部次長の白川氏は定年まで6年残っていたのに退職願いを提出した。定年逐次延長中だから6年より長く在籍できたはずだ。10年くらいか?その間にもらえる給与は約1億円。これだけの金額を棒に振って退職する決心をした理由はよほどのことだろうが、現時点ではわからない。この理由がわかれば、このあと続いた本件の謎があらかた明らかにできそうだ。これは、本件最初で最大の謎だ。
・白川智子産業労働部次長の関与
渡瀬氏が3月12日文書を撒いた本当の理由は
渡瀬氏は、当該文書の末尾に「兵庫県が少しでも良くなるように」と配布した目的を書いたが、もちろんそれは建前である。かねてから計画していた斎藤知事のクビを取るクーデターを、自分の退職を機に実行した。7項目も列挙した構成が、個々を改善すべき問題だと訴えたのではなく斎藤知事をおとしめたい一心で集めたものであることを露呈している。
県警、マスコミ4社など10か所に撒いた文書はすぐに、渡瀬氏の思いを越えて、他者が渡瀬氏から取り上げて、政治的に利用された。いまの混乱が始まった。
斎藤知事はなぜスルーしなかったのか
3月20日に民間人からデータを見せられた斎藤知事はそれを無視することもできたはずだが、そうしなかった。なぜ発信者を探索して処罰したのだろうか。虚偽にあふれた誹謗中傷性が高い文書だから、文中にある民間団体や県職員に迷惑がかかるからすみやかに対応したと、斎藤知事は説明する。しかし、その対応を取ったからこそ大混乱が発生して1年を超えて続いている。スルーしていればこれほどの大ごとにならなかったのではないか。全国に知られることはなく、民間団体や県職員への被害も小さかったのではないか。
公用パソコンを押収した理由は
公用パソコンは押収しなくても、起動していれば県庁からリモート接続で見ることができた。しかし、3月25日聞き取り調査の前にしたのはサーバーメールの検索だけだった。それによって渡瀬氏であることが確信できた。もしパソコンの前に本人がいるときにリモート接続すれば、本人に知られてしまう。証拠隠滅されてしまうのを恐れて、パソコン現物を本人から押収して県庁に持ち帰る確実な方法を取った。本人が留守でパソコンが起動している場合は、聞き取り者立ち合いの下、県庁からリモート接続してデータを手元に保存するつもりだった。
公用パソコンの中に何があるのか
3月12日文書、その送付先、クーデター計画、不倫日記、わいせつな文書があることがわかっている。11月29日以降、立花氏と丸山氏が中身を断片的にSNSで暴露した。2025年5月13日に第三者委員会がそれを真正なものだと認めた。
10年に渡る複数女性との不倫日記があるとする指摘もあるが、その証拠は公になっていない。立花氏と丸山氏が入手したのは核心部を削除したあとのコピーである疑いがある。ひわいな画像や不道徳な動画もあると言う人もいるが疑わしい。少なくとも公用パソコンの中にはなさそうだ。
・公用パソコンの中身は何か
渡瀬氏はなぜ公用パソコンの中に入れたままにしておいたのか
西播磨県民局は「辺境の地」であって、局長室は密室に等しい。渡瀬氏にとってはそこで公用パソコンで作業するのが、一番便利で安心できる時間だったようだ。しかし、3月12日文書を撒いたあと、3月25日まで中身を削除していなかったのは不思議だ。1週間後に退職が迫っていたのだから。3月25日は月曜日だった。削除にとりかかろうと思っていた矢先に押収されてしまったのだろうか。
保留を解除して白川氏の退職を認めた理由は
白川氏の退職願いは3月27日に保留になったが、4月12日に退職が認められた。公用パソコンの中から白川氏の深い関与を示す証拠をみつけたはずなのに、「調査の結果、懲戒処分に該当する事実はなかった」として退職を認めた。事態を大ごとにせず、幕引きしたかったように見える。渡瀬氏に懲戒処分を下したことと矛盾するようにみえるが、ほんらいは懲戒免職に当たるものを、停職3か月という極端に軽い処分ですませたと見るべきか。
公益通報者保護法が持ち出されたきっかけは
3月12日文書が公益通報に当たるとする意見は3月末からSNSで散見された。しかしこの見方が広く共有されるようになったのは、喜田あゆみ記者が奥山俊宏教授を産経新聞4月23日で大きく取り上げてからである。公益通報は百条委員会の当初目的にはなかったが、あとから追加された。所管している消費者庁も含めて3月12日文書を公益通報だと決めつけるひとが多い。
渡瀬氏が7月7日に自殺した理由は
斎藤知事のパワハラを苦にした説は党派的思惑によるものだと即座に却下してよい。
隠したい事実が百条委員会で暴露されることを苦にした説が有力だが、6月27日に百条委員会に送った不服申立てしない理由にはそのような気配がまったく感じられない。7月2日に代理人弁護士を介してプライバシー申入書を内容証明郵便で送付したときから様子が少し変わったようにみえる。自殺する当日(7月7日)朝10時に、百条委員会に宛てて3月12日文書と4月1日反論をメール送信した。奇妙である。いまから自殺しようとする人が律義にそんなことをするだろうか。
公用パソコンの中にある知られたくない秘密が暴露されるのを苦にしたとするなら、押収されてから3ヵ月たって急に心配しだした理由がうまく説明できない。百条委員会が設置されたのは6月13日である。渡瀬氏は、7月19日に予定されていた証人尋問に向けて想定問答集を用意していた(それは死後、妻が百条委員会に陳述書としてメール送信した。冒頭に「出頭による陳述に代えて、以下のとおり陳述書を提出します」とあるが不自然である。渡瀬氏の死後、誰かが加筆したのだろう。竹内氏か)。
井ノ本氏が公用パソコンの中身を印刷した大部の紙をもって県議の間を4月に回っていた話を竹内氏から聞かされてあわてたのではなかろうか。ただし、井ノ本氏が持って県議のあいだを回った印刷物よりもはるかに深刻なものが公用パソコンの中にはあって、それが広まっていると渡瀬氏が思い込んだ可能性がある。
竹内氏が迎山氏から聞いたのが6月19日前後だったから、それは不服申し立てしない理由を送付した6月27日の直後だっただろうと思われる。そのとき初めて、渡瀬氏は自分がのっぴきならない状況に追い込まれていることに気づいた。そして9日後に死を選んだ。
6月13日 百条委員会設置
6月19日頃 迎山→竹内
6月24日頃 陳述書執筆
6月27日(木) 不服申し立てしない理由送付
6月28日(金) 竹内→渡瀬
7月1日(月) 弁護士に相談
7月2日(火)プライバシー申入書送付
7月4日(木)申入書到着
7月7日(日)自殺
竹内氏が1月18日に自殺した理由は
斎藤氏当選の翌日に竹内氏は議員辞職して、その後ずっとふさぎ込んでいた。知事のクビを取るクーデターが、知事を失職させて成功したかに見えたが土壇場で失敗に終わった挫折感を味わっていた。立花氏の街頭演説やSNSの書き込みに苦しめられたという人がいるが、投票日翌日に議員辞職したことがそれではうまく説明できない。
秘密漏洩第三者委員会が12月6日に電子メールで、12月20日に郵送で、調査協力依頼したが何の反応もなかったという。また、12月25日の百条委員会で片山証人が竹内氏の疑惑複数を発言した。こういった追及が苦になったと思われる。
「あれしかないねん、斎藤知事のクビをとるには。そうでないと、渡瀬氏も浮かばれへん」と9月にカレー屋でアエラ今西記者につぶやいたという。竹内氏は、渡瀬氏が自殺したことの復讐をしていた。百条委員会証人尋問で斎藤知事に見せた人並外れた強硬姿勢が、そう考えるとうまく説明できる。
しかし、11月17日に斎藤氏が再選を果たしてそれが失敗に終わった。失望して翌日県議を辞職。その後ふさぎ込んで、2か月後に渡瀬氏のもとに行った。
・竹内氏が自殺した理由


コメント