「ニホンカワウソの記録」宮本春樹
根が残虐ながら極めて動物愛護にできてる私は、ニホンカワウソが絶滅したと聞いた時、かなりショックでした。
最後の一匹がどんな思いで、悲しく鳴きながら生き、寂しく死んだかと思うと、胸が詰まります。
ニホンカワウソは、ユーラシアカワウソの独立種か亜種であったのかはっきりしたことはわからないまま、ヨーロッパでも韓国でも絶滅は回避できたのに、日本では絶滅しました。
本書は、ニホンカワウソ最後の生息地となった愛媛、高知両県にまたがる四国西南部におけるニホンカワウソ調査、保護の記録です。
日本にはもはやいなくなったと思われていたカワウソが、四国西南部の海岸部や河川に生き残っていることが確認されたのは、昭和29年のことです。
愛媛県は、道後動物園が野性のカワウソを捕獲して飼育するなど保護に乗り出しましたが、カワウソはストレスに弱く、幼獣から育てたマツ(メス)が6年6ヶ月生きた以外はことごとく失敗しました。
さらに高知県ではもとよりやる気がなく、ようやく本格的に調査に乗り出した昭和48年には、すでに個体群の絶滅回避が手遅れになっていました。
ニホンカワウソの最後の目視は、昭和54年(1979)高知県須崎市新荘川であり、最後の生存痕跡は、平成6年(1994)高知県佐賀町の海岸で発見されたタール便とされています。
そして昭和29年に四国で生存が確認されてから58年、平成24年(2012)8月、環境省よりニホンカワウソの絶滅が宣言されたのです。
あまりにも無策でしたが、現代であれば絶滅が回避できた可能性が高いそうです。
ニホンカワウソは水辺の生態系の頂点に君臨していました。雄の個体で12キログラム以上になります。
頭は平で、泳ぎながら周囲が見えます。河童のモデルとも言われています。
足には水かきがあり、2~3分は潜水ができます。100メートルを30秒程度の速さで泳ぎ、数十キロも移動することができたという報告もあります。
非常に大食で、1日に1キログロム以上のエサが必要なために、一箇所にいては魚を取り尽くすため、いくつかの巣を巡回しながら生活します。よく人になついたそうです。どことなく猫に似ていると思います。
江戸時代、日本各地に当たり前に生息していたカワウソがどうしていなくなったかというと、明治以降の狩猟による減少に加え、水辺の環境激変が重なったことが原因です。
カワウソの毛皮は国産毛皮の最高級品とされ、肝臓は肺結核の特効薬として珍重されていました。
昭和2年(1927)に保護獣として狩猟が禁止された後も、高値がつくために密漁が止むことはありませんでした。
近代になってからの河川改修、海岸の護岸工事も生息数減に追い打ちをかけました。
水辺の生態系の頂点にいたカワウソは、底辺の魚が減ればその影響をもろに受けるとともに、漁民にも嫌われていました。
漁村が日本最大級の魚類養殖場になった宇和海では、環境激変による赤潮発生などでその住処を追われていったのです。
著者は愛媛の学校の先生であり、内容は四国西南部に限っていますが、写真をまじえたその記録の詳細さは、ニホンカワウソの最期を語るに相応しいものであり、ありし日のニホンカワウソをしのぶには格好の一冊であると思います。
もういなくなったと思われていたニホンカワウソが、かつて四国の西南部に数百頭ばかりいた。
しかしそこには県境があり、愛媛と高知両県が共に手を携えて保護に乗り出すことは難しい事情がありました。
行政は一筋縄ではいかないのです。
しかし、当時の技術ではストレスに弱いカワウソの養育、繁殖は無理だったと思われます。
捕獲がどんどん成功していたとしても、残念ながらね。
まあ、愛媛はまだマシで高知なんて、ほんとやっとこさ調査したときには手遅れって、無策極まりないとは思いますが。
でも結局は、本州・北海道全域においてとっくにカワウソは絶滅していたのですから・・・
日本人はもっと考えないといけないことがたくさんあるようですね。
最後の一匹がどんな思いで、悲しく鳴きながら生き、寂しく死んだかと思うと、胸が詰まります。
ニホンカワウソは、ユーラシアカワウソの独立種か亜種であったのかはっきりしたことはわからないまま、ヨーロッパでも韓国でも絶滅は回避できたのに、日本では絶滅しました。
本書は、ニホンカワウソ最後の生息地となった愛媛、高知両県にまたがる四国西南部におけるニホンカワウソ調査、保護の記録です。
日本にはもはやいなくなったと思われていたカワウソが、四国西南部の海岸部や河川に生き残っていることが確認されたのは、昭和29年のことです。
愛媛県は、道後動物園が野性のカワウソを捕獲して飼育するなど保護に乗り出しましたが、カワウソはストレスに弱く、幼獣から育てたマツ(メス)が6年6ヶ月生きた以外はことごとく失敗しました。
さらに高知県ではもとよりやる気がなく、ようやく本格的に調査に乗り出した昭和48年には、すでに個体群の絶滅回避が手遅れになっていました。
ニホンカワウソの最後の目視は、昭和54年(1979)高知県須崎市新荘川であり、最後の生存痕跡は、平成6年(1994)高知県佐賀町の海岸で発見されたタール便とされています。
そして昭和29年に四国で生存が確認されてから58年、平成24年(2012)8月、環境省よりニホンカワウソの絶滅が宣言されたのです。
あまりにも無策でしたが、現代であれば絶滅が回避できた可能性が高いそうです。
ニホンカワウソは水辺の生態系の頂点に君臨していました。雄の個体で12キログラム以上になります。
頭は平で、泳ぎながら周囲が見えます。河童のモデルとも言われています。
足には水かきがあり、2~3分は潜水ができます。100メートルを30秒程度の速さで泳ぎ、数十キロも移動することができたという報告もあります。
非常に大食で、1日に1キログロム以上のエサが必要なために、一箇所にいては魚を取り尽くすため、いくつかの巣を巡回しながら生活します。よく人になついたそうです。どことなく猫に似ていると思います。
江戸時代、日本各地に当たり前に生息していたカワウソがどうしていなくなったかというと、明治以降の狩猟による減少に加え、水辺の環境激変が重なったことが原因です。
カワウソの毛皮は国産毛皮の最高級品とされ、肝臓は肺結核の特効薬として珍重されていました。
昭和2年(1927)に保護獣として狩猟が禁止された後も、高値がつくために密漁が止むことはありませんでした。
近代になってからの河川改修、海岸の護岸工事も生息数減に追い打ちをかけました。
水辺の生態系の頂点にいたカワウソは、底辺の魚が減ればその影響をもろに受けるとともに、漁民にも嫌われていました。
漁村が日本最大級の魚類養殖場になった宇和海では、環境激変による赤潮発生などでその住処を追われていったのです。
著者は愛媛の学校の先生であり、内容は四国西南部に限っていますが、写真をまじえたその記録の詳細さは、ニホンカワウソの最期を語るに相応しいものであり、ありし日のニホンカワウソをしのぶには格好の一冊であると思います。
もういなくなったと思われていたニホンカワウソが、かつて四国の西南部に数百頭ばかりいた。
しかしそこには県境があり、愛媛と高知両県が共に手を携えて保護に乗り出すことは難しい事情がありました。
行政は一筋縄ではいかないのです。
しかし、当時の技術ではストレスに弱いカワウソの養育、繁殖は無理だったと思われます。
捕獲がどんどん成功していたとしても、残念ながらね。
まあ、愛媛はまだマシで高知なんて、ほんとやっとこさ調査したときには手遅れって、無策極まりないとは思いますが。
でも結局は、本州・北海道全域においてとっくにカワウソは絶滅していたのですから・・・
日本人はもっと考えないといけないことがたくさんあるようですね。
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