この身はただ一人の穢れた血の為に


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作:大きな庭
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今世紀で最も偉大な魔法使い


賢者の石の章は、後二話(今回を含めれば三話)で終了する予定です。


 細長い文字の招待状が、何処からか届いた。

 

 それに署名は無い。書いてある内容としても、ある日時と、それに加えて単語一つだけ。だが、それで十分伝わるのだろうとこの送り手は言いたげだった。

 実際そうだった。既にスネイプ寮監からは、〝罰則〟が有る事と、ある場所についての伝言を受けている。寮監はただ場所を告げただけで、そこに何の部屋が有るのかを告げなかったし、ましてやそれ以上の事を何も言わなかった。僕も問わなかったが、やはりそれで十分だった。

 

 御互いにとって、否、寮監も含めて、他からその会話を知られる事は何も得しない。その点において誰もが意見を同じくしている筈だった。

 

 そうして僕は、夜のホグワーツを一人歩いてその場所へ向かった。

 ガーゴイルの石像をどかし、螺旋階段を上った先。多くの肖像画と、奇妙な道具に囲まれる部屋の中。その中央に鎮座する机の前に、その老人は僕を待ち構えるように掛けていた。

 

 アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。

 すなわち、今世紀で最も偉大な魔法使い。

 

「──おお。良く来た、()()()()()。待っておったよ」

 

 僕が入ってきた事を感じた老人は、瞑っていた瞳を開き、僕をそう呼んで部屋へと招き入れた。

 

 

 

 

 

 入学時に、その姿は一度見た筈だった。

 その際の印象は、案外大したものではないなという失望めいたものだった。

 

 頭の悪い校歌を馬鹿げたリズムで歌うのを許容する。禁じられた廊下についてわざわざ語るという放言をする。笑う気にもなれないような間の抜けた挨拶を抜かす。

 その振る舞いは頑迷で偏屈な大魔法使いというよりも、加齢によって必然的に能力を喪った道化の老人という方が遥かに近かった。

 

 そして、同時に納得したものだ。

 書籍という物は余分を省略し過ぎてしまう。

 それは時に物事を過度に美化し、時に過度に冒涜し、結果として人に本質を見失わせる。だからこそ、書を読み解く際には心して掛からねばならない。それは、禁忌を記す魔法書の類を読む上で必然的に学ぶ事柄であった。そして、この時も、その原理原則はやはり正しかったとそう思ったのだ。()()()()()()()()()()()()

 

 その蒼い瞳が向けられた瞬間、僕の身体は凍ったように冷たくなった。

 湛える色は穏やかだ。悪戯っぽく輝くそれは、校長室に呼び出された生徒を落ち着かせるように、緩やかに細められている。しかし、深い。余りにも深すぎた。百年以上の時が、六十年以上も英雄として君臨し続けてきた歴史が、そこに濃縮してしまっている。

 

 この老人は紛れもなく書籍以上の怪物で。

 僕は、この老人が余りにも怖ろしくて堪らなかった。

 

「君の事はセブルスから聞いた」

 

 手を机の上で組んだまま、老人は言った。

 静かで、柔和で、不自然なまでに力が覆い隠された彼の言葉が耳を打つ。

 

「つまるところ、君がこの老いぼれの愚行について、明確に〝抗議〟したいという事をね」

「…………」

 

 そこまで端的な言い方はしなかった。

 が、寮監は正しく僕の意図を伝えてくれているようだった。

 そして、この老人はその抗議を受け止める用意が有るという事も、同時に伝えていた。

 

 けれども、それを理解した所で、僕の口からはすぐさま言葉が出なかった。大きく息を吸い、そして吐いて漸く、予め用意していた言葉を紡ぎだす事が出来た。

 

「……愚行と解っているなら話は早いですね。僕が言うべき事は、ただ一つです。あのロクでもない物をこの学校からさっさと撤去して欲しい。ただそれだけです」

 

 僕の言葉程度で激昂する筈が無い。

 それが解っていたし、実際に老人は穏やかな表情を崩さなかった。

 もっとも、現れたのは意外な反応だった。この老人は、僕の言葉を聞いて、明らかに喜ぶような煌めきを、その瞳に映したのだった。

 

「……嗚呼、君にとっては解らぬじゃろうな」

 

 僕の微細な困惑を至極当然のように見透かして、老人は軽く頷いた。

 

「しかし、そのような直截的な物言いを儂が生徒から──それもよりにもよって、スリザリンの生徒から聞くのが何年振りかを知れば、君はその事に同意してくれるかと思うておる。儂は長く生きておるが、もう四十七、八年はそのような事は無かったのじゃから」

 

 僕が生きて来た四倍以上。

 そのような年月を軽く口にする老人は、まさしく僕の想像以上の存在だった。

 

「昔はそうでは無かった。当時儂が校長では無かったというのを差し引いても。ある生徒が影響力を行使するその時までは、生徒との信頼は結べたのじゃ。純血主義という断絶が有っても、寮の違いが有っても、確かに共に同じ世界に立ち、同じ物を見て、衝突する事は出来た。

 そう、ゴドリック・グリフィンドールと、サラザール・スリザリンが雌雄を決したように」

「……ホグワーツ創設期において、二人が数年間共存したように、ではなくですか?」

「それも有るじゃろう。しかし、サラザール・スリザリンは学校を去ったのじゃ。ゴドリック・グリフィンドールは彼を殺さなかった。そして彼もまた、学校を去ったのみで、ホグワーツを滅ぼさなかった。そこには儂は、相容れぬ者への理解と敬意が有ると思う」

「グリフィンドールの方は同族殺しが出来ない純血かぶれの腰抜けで、スリザリンの方は創設者三人に勝ち目が見えなくて失意のままに死んだ。僕はそれだけだと思いますけどね」

 

 真に〝マグル〟を護りたいならば、グリフィンドールは彼を殺しておくべきだった。

 僕はスリザリン的価値観から当然のように考える。実際に、その後にサラザール・スリザリンが遺した〝秘密の部屋〟などという有りもしない呪いによって、純血と非魔法族の両方を縛り続けているのだから。

 そして、彼は殺人を嫌う善良な人間だったという生温い反論も適切ではないだろう。

 

 千年前だ。迫害の時代なのだ。決闘と戦争がそこら中に転がり、今とは比較にならない程に血に濡れた、魔法使いの命が今より遥かに価値の無い時代だった。その中を騎士道精神という馬鹿げた――そう、馬鹿げた、だ。騎士道精神が尊ばれたのは、それらを略奪と殺戮に生きる大多数が守護出来なかったからこそ尊ばれたのだ――下に生きた彼が、流血と死に全く無関係であったと考える方がどうかしていた。

 

「見解の相違じゃな。けれども、儂等はこうして議論を出来ておる。理解し得なくとも、御互いに前に進もうとしておる。そこにはやはり価値が有るとは思えぬかね?」

「……否定はしませんが。しかし、衝突の果ての別離であれば意味は無いでしょう。グリフィンドール生は、スリザリンが決闘で敗北した事を、正義の鉄槌の証だと誤信している」

「儂が見るに、その点ではスリザリン生も同種の誤信をしているように思う」

 

 冷ややかな言い方だった。けれども、逆にそれは僕に仄暗い喜びを齎すものだった。

 老人はその温厚で、物柔らかな態度を未だに崩していない。だが、その物言いこそが、僕と──吹けば飛ぶような実力の差があり、また権力の差が有る存在とすらも、真正面から向かい合おうとしているという証明でもあった。

 

 しかし、それを老人は瞬時に自覚し、恥じ入ったのかもしれない。

 御互い平行線であると解りきった議論を打ち切るように、彼は微笑んだ。

 

「ともあれ、儂には喜ばしいのじゃよ。君がスリザリン生で有りながら、このようにグリフィンドール的な側面を見せてくれた事は──」

「──その物言いは、流石に不愉快なので止めてくれませんか」

 

 僕が口を挟むと同時、周りの肖像画からも強弱の差はあれ種々のクレームが入った。

 それらが存在している事には気付いていたが、彼等彼女等は全て寝ていると思っていた。事実、先程まで目を瞑っていたし、そちらの方に視線をやった今も、やはり目を瞑っている。だが、それが寝たふりであるのは最早聞くまでも無かった。

 

「おお、すまぬの。スリザリンの偉大な校長の方々からも、そして他ならぬ君からも注意を受けてしまった。ホグワーツ生は、誰もが自分の寮が一番だと思ってしまう。そして、儂もその因果から抜け出せぬ。たとえ十分に気をつけていているつもりでものう。

 ──しかし、逆に言えば、君もスリザリン生であるという自負が有る訳じゃな」

「…………」

「結構結構。それは非常に良い事じゃ。要するにそれは、君が自身の在るべき場所としてスリザリンを定義しているという意味じゃからの」

 

 老人は笑いながら髭を撫でた後、蒼い瞳を真っ直ぐ僕に合わせようとし──しかし、僕はそれを拒絶した。

 そして、それによって漸く、老人は困ったような反応を見せた。

 

「……君は酷く賢明で、慎重な魔法使いらしい。じゃが、開心術は心を読める万能の術では無いし、何より儂は生徒に対して無闇矢鱈に開心術を掛けるような恥知らずな真似はせぬよ」

 

 老人が今度はそう言うが、しかしそれは勘違いだった。

 僕は最初に、既に老人と視線を合わせている。そもそも寮監が疑念を呈したように、真っ当なスリザリン生であれば、何の護りも無いままに、この大魔法使いと一対一で話し合う機会を作る筈も無かった。その意味では、僕がグリフィンドール的行いをしたのは事実であり、それ故に、心を読まれる事は既に最初から許容していたのだった。

 

 だから僕が視線を合わせるのを避けたのは、反射的で、純粋な感情の顕れ──過度に踏み込まれるという恐怖から出た反応に過ぎなかった。

 

 もっとも、そうであるからと言って、老人の失言を見逃すという事は有り得なかった。

 

「……無闇矢鱈にという事は、理由が有れば掛ける事も有るという事ですか?」

「……そのようなつもりは無い」

 

 否定の言葉と共に、じゃが、と老人は付け加えた。

 

「そうしたいという誘惑を跳ね除ける程に、儂は強い自覚も無い。もっとも、幸か不幸かその機会には巡り合っておらぬよ。実の所、その誘惑は幾度か有った。しかし、それらの相手は常に卓越した閉心術士であり、掛けようとすればバレたであろうし、当然に防がれたであろうからのう」

 

 その言葉を聞いて、思わず僕は老人の瞳をまじまじと見た。

 つい先程目を逸らした行いからは、余りに筋が通っていないともいえる。けれども、その言葉の重みが、響きが、人を惹き付けるだけの引力を持っていた。

 

 眼前の老人は、たちまちの内に全く変貌していた。彼が積み重ねた時が、そのまま表れていた。

 地べたに打ち捨てられ、朽ち果てた巨木。使い古され、汚れ、擦り切れた襤褸布。そのようなみすぼらしさと弱々しさしか持ち得ない今の老人は、今世紀最大の魔法使いどころか、グレートブリテン唯一の魔法学校の校長の地位すら相応しく見えなかった。

 

 老人は、僕の先に、何処か遠い誰かを見ていた。

 

「そして君の対応が間違っていたと非難する事は出来ぬ。先程儂が君に開心術を掛けるつもりが無かったというのは保証しよう。けれども、誘惑に駆られたのは事実じゃ。正しくは、あれらの時も、開心術を使うべきで有ったのでは無いかという事では有るが」

「…………」

「……嗚呼、あちこち話が飛ぶのも老人の癖じゃの。君にとって知った事ではないともなれば余計にじゃ。そして、長々と話過ぎた。久々に楽しんでいた。それは否定せぬ。このような立場になった宿命とも言えるのじゃが。

 故に、君が最も関心が有る事について話を戻そう」

 

 胸の内を吐き出したからか、少しばかり力を取り戻した老人は言う。

 

「予め言うが、疑っている訳では無い。しかし、君は賢明にも、セブルスの前ですらその〝物品〟の名前を言わなかった。そして開心術無しの我等が理解を深める為には、一応であれ確認が必要じゃろう」

 

 道理であり、続けられる問いも予測が付いた。

 けれども、老人が言う通り、御互いの為に、問うて答えるという儀式は必要だった。

 

「君は、あの廊下の奥に何が秘されていると考えておる?」

「──賢者の石」

「見事じゃ」

 

 此処に至って、最早勿体ぶるつもりは無いらしい。

 老人の言葉は、僕の言葉の正しさを証明するものであった。

 けれども、僕が全く嬉しく無い事は言うまでもない。この老人によって称賛されたくはないという以上に、そもそも自身が独力で気付いた訳でも無いからだ。

 

「……貴方なら理解しているのでは有りませんか。それが何処から漏れたのかを」

「その推論も正しいの。グリフィンドールの三人組じゃろう? そして、それ故に君は、このように儂に直接抗議する気になった訳じゃ」

 

 そこまで解っているならば、本当に話が早かった。

 

「一応、推理の過程もお聞かせ願えるかね? 勿論、君の気が許すのであれば、じゃが。正直な所、あの三人組とて君に対して馬鹿正直に賢者の石が隠されておると──或いはそれを容易に推察出来るような発言をしたとは、決して思えぬのじゃ」

「……僕がスリザリンだからですか」

「いや。その場合で有れば、ここに居るのは全部で四人の生徒である筈じゃからのう」

 

 挑発めいた言葉に、しかし老人は朗らかに笑いながら否定した。

 そして、その言葉にも一理有る事を認めざるを得なかった。無理矢理に、或いは騙し討ち的にでも彼等を連れて来られるのであれば、僕はそうしただろう。けれども、その考えは些か以上に無謀だという事は否定しなかった。何より、僕はそれが()()()()()()()()()()()()()()()()()()と薄々予感していた。

 勿論、その真偽を眼前の老人に問い質す程に愚かでは無かった。

 

「……先のドラゴン騒ぎですよ」

 

 渋々という口調を取り繕い、僕は答えた。

 もっとも、その解答は何故か老人にとって酷く意外なもので有ったらしい。一瞬で有るが、虚を突かれたように目を見開き、口を僅かに開けた。

 

「ほう? 儂もその事については少しばかり、しかし確かに耳にしておる。けれども、儂にはあの騒ぎが()()()賢者の石の事柄に結び付くとは思えぬ」

「僕も正気では無いと思いますよ。何より、アレは切っ掛けに過ぎなかったんですから」

 

 だが何にせよ、決定打である事には違いなかった。

 

「賢者の石──ニコラス・フラメルについて、ハーマイオニー・グレンジャーが僕に聞きました。彼女は意外にもその名前を知りませんでしたから」

「ふむ。彼女の生まれを考えれば──嗚呼、勿論これは侮蔑では無いのじゃが──魔法的な事に知識を欠いていても奇妙では無い。けれども、一年生でありながら尚校長室にすら轟く彼女の優秀さに鑑みるに、他に助けを求めたのは意外である事は否定出来んの。しかし、結論としてその点に関して君は彼女より優秀だったのじゃな」

「その点〝のみ〟ですよ。そして不思議な事でも無い。彼女は余りに完璧主義であり、忙し過ぎる。彼女は百点のテストで百二十点を取ろうとする人間ですから」

 

 言うまでも無く、テストで──O.W.LやN.E.W.Tであったとしても──最高評価「O」を取るのに百点中百点満点を取る必要は無いし、ましてや百点以上の点数を取る必要も無い。仮にそうであれば、最高評価など殆ど飾りの存在でしかないだろう。

 そして、彼女のような過剰な努力をしない分──すなわち、それなりに優秀な生徒として留まる分、余計に時間が有るのは事実だった。

 まあ、ニコラス・フラメルについて知ったのは、この学校に来る前では有るのだが。それでも彼女がやり過ぎだという事に変わりはない。

 

「しかし、ドラゴン騒ぎの方は? 否、正確には、寮に大減点をもたらしたハリー達の夜遊び、ないしはドラコがハリー達に嵌められた騒ぎとも言うべきか。何せ、アレがドラゴンに関する物じゃと知っている者は限られている。彼等も吹聴する筈も無いからのう」

 

 それは間違いなく正しいだろう。

 だから、彼等の口を割らせるような努力をする気は無かった。

 

「もっとも、幾つかの事を結び付ける事は出来ます。ドラコ・マルフォイは、愚行によって罰則を受ける羽目になるまでの数日間、酷く有頂天でした。そして、その前に彼は僕に対して聞きました。ドラゴンを飼う事が禁じられている事について、何を調べれば良いかと。僕は端的にワーロック法に関して答えました」

 

 そしてドラコ・マルフォイは、異常なまでに熱心に調べていた。

 

「確かに、その推量は自然であるのう。じゃが、それはあの騒ぎがドラゴンに関するものであるという解答を導くに過ぎないじゃろう」

「ええ。しかし、ドラゴンについては、最も有名な生態にして逸話が有るでしょう? 実際に、魔法界の銀行が正しくその運用をしているのだから」

「──宝の護り手、か」

 

 顎髭を撫でつつ、中空を見つめて考え込む老人に、僕は頷く。

 

「けれども、その時点では推論に過ぎません。ただ、後は推論を検証するだけです。見つかるのはグリンゴッツ破りであったり、ニコラス・フラメルと校長閣下の関係であったり、反証どころか補強する材料ばかりでしたが。また、僕は端的に三人組──ハリー・ポッターに対して質問もしました。ただ、これはスネイプ寮監に対して話をした後ですが」

「大胆不敵としか言えぬのう。しかし、この老人の勝手な推測であり、同時に間違いないとも確信しているのじゃが、ハリーは間違いなく素直に答えなかった筈じゃ。であれば、君はハリーに対して、一体何と質問したのかね?」

「貴重な宝を守るには、どうしたら良いか」

「彼はどう答えたのかね?」

「獰猛な獣にそれを守らせる事だと」

 

 その失言に気付いたハリー・ポッターの表情と、彼にハーマイオニー・グレンジャーが肘打ちを食らわせた事も更なる推論材料では有ったが、そこは省いた。この老人とて、自身の不用意な言動に誰よりも恥じ入っているのがハリー・ポッターだという事は当然に気付いている筈だからだ。

 

 ただ、ハリー・ポッターの名誉の為に言えば、それは厳密には失態とも言えない筈だった。彼は賢者の石について何ら言及していないし、何となくであるが、彼は──そしてハーマイオニー・グレンジャーすらも──獰猛な獣自体が何かを守っている事自体、すなわちその獣の存在自体は別に隠す事でもないように考えているようだった。

 もしかしたら、あの部屋に立ち入る事自体は何ら難しくないと誤解しているのかもしれない。寮監によれば、あの部屋に生徒はそもそも立ち入れない〝筈〟なのだから。しかし、それが明らかに〝筈〟で留まってしまっていた事が確認出来たという意味で、ハリー・ポッターに投げ掛けた質問には意味が有った。

 

 老人は目を閉じて暫く何かを考え込み、僕はそれを静かに待っていた。

 長かった。酷く、酷く。そしてこの老人は、僕に対して短期的な解答をした場合について考えている訳では間違いなくなかった。彼は彼だけが秘める知識と経験の下で、己がどうするのが最善であるかを吟味しているに違いなかった。

 

 そして、彼は言った。

 

「残念ながら、君の解答は間違いだと言わざるを得ぬ」

「────」

 

 本音を言えば、推論が外れていようが構わなかった。

 

 彼女達が禁じられた廊下に『賢者の石』が隠されているのだと信じて探検ごっこをする事を止めたかったに過ぎない。要するに、その物品が危険であり、彼女が賢者の石が隠されていると()()()()()()()()()()のを厭っただけで、実際にそれが隠されていようがどちらでも良かった。

 だが、予測が外れて愕然としなかったと言えば嘘になる。

 

 もっとも、老人は僕の表情を愉快がる訳でも無く、寧ろ真摯に言葉を紡いだ。

 

「間違っているとは言ったが、落第だと言ったつもりは無いがの。性悪の老人らしく君の推量の弱点や、或いは誤答を導いた原因をあげつらう事も出来るが、儂はその気は無い。そもそも最初から無かった。儂は確かに言ったじゃろう、『見事じゃ』と」

 

 その言葉で確かに思い出す。

 老人は、賢者の石が隠されている事自体は何ら否定しなかったのだと。

 

「君が得た材料からの推論としては自然であろう。君は、間違いなくあの三人組よりも手掛かりが少なかったのだから。……成程、賢者の石を守護するドラゴンか。確かに組み合わせとして収まりは悪くない。今度機会が有ればそうするとしようかの」

「……それが決して訪れない事を祈っていますよ」

 

 それに、と僕は続けた。

 

「多少は安心しているのも事実です。正直な話、僕が探偵ごっこに興じたのは、子供達がウロチョロする学び舎に狂暴な生き物を持ち込む馬鹿げた大人など居ないと信じたかったというのも有りますから」

 

 そこまで言ってはたと我に返る。

 校長閣下は、僕の推論が間違いだと言った。さりとて、賢者の石の存在は認めた。つまり、どの点が過っていて、どの点が正しかったのか──

 

「儂は聞くべきを聞いた。そして君は答えてくれた。ならば、次は儂の番じゃろう」

 

 だが、老人は僕の思考を待つことは無かった。

 そして断固たる決意の下に言った。

 

「儂は、それを止める気は無い」

「…………」

 

 それは解釈の余地が無い程に明確な拒絶だった。

 

「君の懸念は理解出来る。そして、儂の常識としても、それが正しい事は重々承知している。しかし、それは出来ぬのだよ。それを為さねばならぬ理由がな」

「……明らかな形で生徒を危険に晒してでも?」

「制御出来る形で晒す必要が有るのじゃ」

「それこそ馬鹿げている。不老不死の一端を欲しがる人間など山のように居る筈だ。元死喰い人に、狼人間。それに、『例のあの人』の残党──」

「ヴォルデモート卿じゃよ、ステファン。物事には正しい呼び名が有る」

「御言葉ですが、貴方は彼が死んで十一年経って尚、魔法族がその名を呼ばない理由を重く受け止めるべきだ。そして、僕はそれを軽んずる気は無い。馬鹿げた迷信や御伽噺が時として一欠片の真実を含んでいる場合は、往々にして存在する」

 

 何より、と僕は更に付け加えた。

 

「その『ヴォル何とか卿』の姓──或いは、名前でも良いですが──―それは何と言うのです? 如何に邪悪な魔法使いとて人間の母親から生まれた筈ですが、その『ヴォル何とか卿』の上か下に続く名前を、僕は一度も聞いた事が無いんですが。正しい呼び名が有ると仰るのならば、是非お聞かせ願いたいものですけどね?」

 

 この皮肉は、どういう訳か老人に痛烈に利いたようだった。

 

 もっとも、それが何故なのかを察する事は出来なかった。僕は当然の事を言ったつもりだった。少なくとも、非魔法族の社会を知る半純血として真っ当な疑問な筈だ。

 

 ヴォルデモート・何某にしろ、何某・ヴォルデモートにしろ、その記述を見つけ出す事は、如何なる本であっても叶わなかった。

 死の飛翔などという仰々し過ぎる名前を付けた親を恨んでいるからなのか知らないが、過激な純血主義思想の持ち主としては、自身の誇らしき家名──つまり一点の疑いなくサラザール・スリザリンに繋がる家名──を名乗らないのは奇妙以外の何物でも無いからだ。

 

 そして、反応から見るに、この老人はその理由を知っているようだった。だが、それと同時に、僕に対して語るべきではないと考えているのも明らかだった。

 

「……この議論について、儂の方がより分の悪い事を認めざるを得ないようじゃの」

「貴方が認めざるを得ない事は、もう一点有ります。賢者の石という危険物を、十一歳の人間の前に晒すという事の愚かさだ」

「更にもう一点有るとも。すなわち、若人の──君の聡明さを見誤っていた事じゃ」

 

 老人は、そう告げる瞬間だけは笑みを見せなかった。

 

「おお、じゃが、それでも儂には君の願いを跳ね除ける事しか出来ぬ。別に君が若い、十一歳の少年であるからでは無い。何せ儂は君よりも遥かに長く生き、経験を積んだ魔法使い達の反対に対しても、残らず却下をしてきたのだから」

 

 賢者の石の守護。

 複数人により何重にもそれを張り巡らせるならば、当然に教授の協力が必要だった。

 

「今回の事情を知る教授陣からは、例外なく猛烈な反対を受けた。この大事な年に、正気の沙汰では無いとな。まして()()()()()()教授は言ってくれた。百歩譲ってその危険な物品を学校に受け容れる事は許容しても、そのような愚行は決して許されるような事では無いと」

「……ホグワーツの教授陣に良心というものが有った事は喜ばしく思いますよ」

「儂も常々実感しておるよ」

「ただ、教授陣を統轄する校長にそれが無かった事は残念極まりない事ですが」

「それもまた儂が常々実感しておる事じゃ」

 

 この手の皮肉は、老人には通用しないようだった。

 そして、この老人は、それを少しばかり面白がっている。

 同時に何処かで諦念を抱いている。百年以上生き、五十年近く〝英雄〟のままに君臨してきた者として、その性分を放棄する事が出来ない事に。

 

「けれども、渋々で有ったが、最後には彼等は受け容れてくれた。信頼を委ねてくれた。結果としてこの学校の護りは、意図せぬ悪しき者を入れる程に軟ではなくなった」

「つまり──」

 

 そこまで口にして、先の言葉を紡ぐのは止めた。

 ……〝意図せぬ〟者か。成程、真に巫山戯けた事を言っている。

 そして老人は、僕が何を言おうとしたかを見透かしている癖に、何も見なかった振りをして断言した。

 

「故に、確信しておるよ。それでも一般の生徒は間違いなく安全であると」

 

 この老人が、何を意図しているかは解らない。

 けれども、〝安全〟だというのは、確かな経験と知見に基づく確信に基づくモノなのだろう。そして、僕にはそれを覆す材料など無い。この老人は今世紀で最も偉大な魔法使いであり、闇の帝王亡き今、この世で最も強力な魔法使いである筈なのだから。

 

 だから引き下がるしかなかった。

 

 しかし、引き下がるだけで納得出来ないのが、自寮の性分だった。

 

「……杖に誓って貰う事は?」

「儂──アルバス・ダンブルドアは、今回の賢者の石に関する事で、君に一切の命の危険が無い事を、この杖に懸けて保証しよう」

「僕が真に求めて居る保証を、貴方は解っている筈ですが」

 

 気負いなくさらりと言われた言葉に、端的に僕は回答する。

 だが、アルバス・ダンブルドアは余計な反論を口にしなかった。それが通じない程にこの老人は愚鈍である筈が無く、僕が出会った中で──そして全世界の全歴史を見渡してすら有数の──最も叡智に満ち溢れた魔法使いだった。

 

「今回の賢者の石に関する事で、最も厚い護りを受けた唯一の者以外の生徒が、真なる邪悪に直接対峙する事が無いような措置を取っており、尚且つそれを全うする事につき最善を尽くす事を、儂はこの杖に懸けて誓おう」

 

 今の言葉の中で留保付きで除かれた者については、僕としてはどうでも良かった。

 

 そもそもの話、この老人はその点に関しては譲る筈も無かった。逆に言えば、この老人にとってそれ以外の点については、譲る譲らないとか或いは杖に誓う誓わないとか以前に、ホグワーツ校長として当然死守すべき事柄なのだろう。

 だからこそ、自惚れた生徒の傲慢極まりない下劣な願いに対しても、こうして何ら躊躇いも無く受け入れてみせる事が出来るのだ。

 

 けれども、偉大な魔法使いが最大限の誠意を示した事には変わりない。

 

「……ドラコ・マルフォイは勿論、あのグリフィンドール的な三人組も含めた全ての者に対して、僕は賢者の石に関する事柄について──勿論、この校長室で為された会話も含めて──誰にも話さないと、この杖に懸けて誓いましょう」

 

 もっとも、僕の杖は貴方よりも遥かに価値が無いですが。

 そう結んだ僕に、老人は悪戯っぽく微笑んで見せた。

 

「価値が無い筈は無いとも。寧ろ他ならぬ君がそう誓ってくれた事こそ、儂は嬉しく思う。比較するのは失礼な事かもしれんが、我がホグワーツの教授陣が儂に信頼を委ねてくれたのと同等以上にの」

 

 そうは言うが、僕には全くもって同意しかねた。

 己が知るべきでは無い事を、知り過ぎたという実感が有った。そして、僕の前にこの老人と寮監が散々やりあっただろう事も。

 

 恐らく寮監は、僕の話の内容を伝える事に同意はしても、僕が校長と直接面談する事までは賛同しなかっただろうからだ。すなわち、この老人に対する皮肉を述べるには、ただ僕の事を告げるだけで目的は達せられたのは明らかだからだ。

 

 故に、立ち去る前に聞いておかなければならなかった。

 

「これは初めに聞くべきでしたが。

 ――僕に忘却術を掛けようとは思わないんですか?」

 

 それは紛れも無く、挑発のつもりで掛けた言葉だった。

 だが、老人は揺らがなかった。その程度で、生徒の戯言如きで崩れる程度では、今世紀で最も偉大な魔法使いと呼ばれる訳も無かった。

 

「全くもってスリザリンらしい物言いじゃ。君達は必要と有れば、それを躊躇う事は無いじゃろうしの。……嗚呼、しかし儂は明言せねばならぬ。先程告げた通り、確かに儂は開心術を生徒に掛けたいという誘惑に駆られた事は有るが、さりとて生徒に忘却術を掛けたいという誘惑に駆られた事は断じてない。ただの一度も。一切の例外無く」

「…………」

「儂は儂の弱さと愚かさを理解している。否、少なくとも理解しようとしているつもりじゃ。けれども、そこまで弱いつもりもまた無いのじゃよ」

 

 その瞳は揺ぎ無かった。先程までと違い、断固とした意思により貫かれていた。そしてその事がまざまざと実感させるのだ。アルバス・ダンブルドアという存在は、どんな状況に陥ろうとも、それを是とする事は無いのだろうという事を。

 

 そしてだからこそ、僕は次の言葉を紡ぐ事を止められなかった。

 

「しかし、その者を守る為に忘却術が適切だという事も有る筈だ。知るべきではない事を知った者に対してそれを行使する事は、決して倫理的にも否定される事ではない」

「それは大人の身勝手な言い訳でしかないじゃろう」

 

 老人は首をゆるゆると横に振った。

 

「儂は、儂以外の者がそれを行う事までは否定せぬ。この魔法界とて、マグルに対してその理屈を振り翳しておるしの。そして、儂も場合によっては、それと同種の魔法を行使する事に躊躇う事は無い。けれども、それは本質的に儂の流儀では無いし、そもそも君が思う程に忘却術は万能では無い。隠す事が、逆に危険を招く事も有る」

 

 その言葉には、この老人の経験則によって裏打ちされた重みが有った。

 間違いなく、老人はそれを直視して来たのだろう。厳重に秘されたが為に興味と関心を惹き、粗雑かつ乱雑に暴かれ、そして破壊的で不可逆的な惨劇を齎した結果というものを。

 

「じゃから、儂は君に忘却術を掛けるつもりは全く無い。儂はそうしない事が正しいのだと、心の底から信じておる」

 

 そして善なる魔法使いとしての矜持を、この老人は持っている。

 何より、直接会話して解った事だが、余りにも頑迷かつ頑固だった。

 

 ……ただ、それはアルバス・ダンブルドア個人の主義に過ぎない。

 セブルス・スネイプ寮監、或いはミネルバ・マクゴナガル教授にその措置を頼めば、その限りでは無いに違いない。前者は当然の合理性から、後者は逡巡をすれども確かな生徒愛から、その行いを肯定するだろう。だから、僕がこの老人に真に反抗したいというのであれば、この部屋から出た後、彼等の下に一直線に向かうべきだった。

 

 もっとも、僕はそこまでする気が無かった。その一番の理由は明らかだった。

 この老人は保証したのだ。常識的に見ればどう考えても杜撰で、危険な状況を放置しながらも、尚、既に十年前に偉業を為した〝英雄〟以外が、直接危険に晒される事は無いと。当然ながら、僕を含めてさえ、確かに保証してみせた。

 

 そんな〝疑いなく英雄〟の言葉は、やはり重いものであった。

 

「どうやら我々の此度の話し合いは終わりのようじゃの」

 

 時計を見つつ、老人は静かに告げた。

 

「もっとも、儂が勝手に考えるところ、君とは少なくとも後一度は話す必要が有るように思う。けれども今日は既に、生徒が出歩く時間としては少々不適切じゃ。儂もここまで君と会話が弾むというのは思ってもみなかったからのう。

 だから帰りたまえ。後はセブルスが良くしてくれるじゃろう」

 

 その言葉に、僕は何も反論する事なく従う。

 この密会の口実を授業の相談等では無く、敢えて罰則を受けている事にしたのは寮監の地味な嫌がらせだったが、それでも寮監が口の堅い類の人間であるとは理解していたし、真実を隠す為に相応の擁護をしてくれる事は間違いなかった。

 

 しかし、僕は校長室から辞する前、それを口走る事を止められなかった。

 

「……貴方は狂っている」

 

 呟きに近かろうとも、老人には届いた筈だ。

 ちらりと振り返ってみた彼の表情は、酷く愉し気で――何処か物悲しかった。

 




・賢者の石の守護
 論理パズルを解いた事で得られる薬は一回につき一口分。
 但し、それより前に今回の黒幕は確かに通過していた(事実、トロールは倒されていた)。
8/100 



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