十一月は一瞬で過ぎ去り、十二月もまた同様に過ぎ去ろうとしている。
その間に相変わらずの特別性を見せた英雄ハリー・ポッターについて、最早言及する必要は無いだろう。
それは彼が全校生に対して初めて見せる〝選ばれし資質〟で有り、スリザリンである僕もその光景を当然目の当たりとする事になった。
正直な所、僕は肉体派というより頭脳派であり、更に言えばクィディッチに対して興味の欠片も抱けなかった。
その箒遊びの戦略性、すなわち一見シーカーの働きによって決まる欠陥スポーツのように見えて、その実、全選手の有機的な動きが要求されるという点は認めるとしても、それが自分もやりたいとか見たいとかいう欲求に直結するとは限らない。
また、その勝利が寮杯の行方に関わると言っても、僕にとって点数というのは〝スリザリンにおける平穏ポイント〟以上の何物でも無く、そもそもスリザリンに対して帰属意識は有していても忠誠まで抱いている訳では無かった。畢竟、何処が寮杯を取ろうが僕にとって些細な話であり、一部の上級生――端的に言えば、寮杯の行方は彼等の就職や出世に意義を有さない。勿論、スリザリンに限らず普通に学生生活を謳歌している者からは異端だ――と同様に冷ややかな目で見ざるを得なかったのだ。
ただ、クィディッチにもそれに付随する寮杯の行方にも興味が無いからと言って、その事がそのままそれらと距離を置ける事に繋がる訳では無い。既に述べた通り、それは異端の立場である。〝間違いなく純血〟というような揺ぎ無い立場が有るならば別だが、僕のようなふわふわした立場において、世論に逆った末路など目に見えている。
故に、興味が有る振りをしながら凍える中でのクィディッチ観戦という刑罰に僕が服するのは至極当然であったし、デビュー直後の一年生に派手に負けた事による試合後の愚痴や怒号の爆発を我慢する事も、また善良なスリザリン生としての義務とも言えるものであった。
ただそれも冬季休暇前ともなればある程度落ち着き、主たる話題は休暇中に何をやるかという事に移っていた。
流石にスリザリン、僕の耳に聞こえてくるものでも休暇の予定は浮ついた煌びやかな物が多く、名家の連繋と権勢を実感するには十分だった。グリフィンドールを筆頭に他寮はスリザリンの純血政策を馬鹿にしがちだが、彼等は戦争では無く婚姻を進める事により世界を支配しかけた非魔法族の家系の事を知るべきである。強大な家同士の強固な結び付きというのは、互いの足の引っ張り合いを避けられる為に、単純な総和以上の力を発揮する。勿論、彼等のその末路が現在の純血主義の閉塞と重なる辺り皮肉とも言えるかも知れないが。
そんな祝祭日前の浮かれた生徒達を後目に相変わらず陰気な顔をしたスネイプ寮監は、十二月の半ば頃にはホグワーツに残る生徒は名前を記載するようにと酷く事務的に告げ、羊皮紙を残していった。当然の事ながら、殆どのスリザリン生には無用の物であると言えたが、僕はそれに用がある数少ないスリザリン生の一人であった。
別に帰る家が無いという訳では無い。
母が僕を〝収容〟していた些細な屋敷は、ただ一点を除き厳格にして公平なる副校長の〝少しばかりの〟手間によって、母の死を原因として滞りなく僕の物になっている。正確には、僕の後見人となっている非魔法族の管理下に置かれているが、事実上自由に扱えるという点においては何ら変わりがない。望めば冬季休暇中を過ごせるだけの十分過ぎる空間が存在している事には違いも無かった。
もっとも、母が居ない屋敷に帰る理由は無く、屋敷しもべ妖精を雇う程に巨大でも無い我が家において、未成年者一人での生活がどの程度文明的であるかなど論ずるに俟たない。 であれば、ホグワーツに残るという選択肢の採用は自明であった。
その事に対してドラコ・マルフォイが揶揄してきたのもまた些細な事だ。
寧ろ、彼の奇妙な盟友としては、彼がそのような
ただ、彼がそれと共に、僕に散々休暇中の予定を自慢してきた事を考えるに、彼は僕に頭を下げて仲間に入れてくれと言って欲しかったのかも知れない。無論、僕が頼んだ所で彼は理由を付けて当然に断っただろうが。要は、自分が優越感に浸る為の儀式をしたいだけだった。それを察せられる程度には、ドラコ・マルフォイとの交流を有していた。
そうして日々は刻刻と過ぎていき、冬季休暇二日前となった今――僕は、ハーマイオニー・グレンジャーと通算六度目の、図書室での〝偶然〟に直面しようとしていた。
ハロウィン以来、彼女が独り図書室で学習するような事は、格段に減った。
物理的に貸出禁止のような場合──つまり、鎖に繋がれているという事だ──は兎も角、それが許容されている場合は寮の談話室へ持ち帰る事が多くなった。そうでない場合においても、彼女の二人の親友と共に居る場合が少なくなかった。もっとも彼女は僕との〝偶然〟を取りやめる気は無いらしかった事は、僕にとって確かな救いだった。
まあ、彼女の友人について語る際の聞き手が欲しいだけなのかも知れないが。
司書の巡回をやり過ごす為にポツリポツリと話す事を余儀なくされる――
ただ一方で、僕がドラコ・マルフォイについて語った所で御互いに何ら楽しくなりようもない事は明白なのだ。それを考えれば、彼女の行いは〝英断〟であると言えよう。そもそもの話、彼女の囁くような声に耳を傾け続ける事は、僕は決して嫌いでは無かったのだから。
もっとも、今日は何時もの〝偶然〟と何処か違うようだった。
彼女が親友との付き合いで忙しくなった結果、御互いの片割れが占有する机以外が埋まっている程の好機を見計らうのは不可能になった。故に、両者が暗黙の内にある程度のリスクを見ない振りをするというのは、ここ二回くらいの傾向だった。
しかし、今は冬季休暇二日前である。
大量に出された冬季休暇の宿題を先送りするのが学生として正しい姿であり、浮かれ気分で休暇を待つというのもまた学生として在るべき姿である。つまり、こんな時期に図書室にやってくる者など変わり者が殆どで、必然的に利用者も少ない。開店休業状態とまでは言わないが、常と比べれば酷くガランとしている。
だが、彼女はそれを気にした風も無く、真っ直ぐと僕の占有する机の方向に向かってきて、付近の棚から可能な限り分厚いのを無造作に何冊か選び取り、それを閲覧机へと置いて席に着いた。今日は、僕の左斜めに座る気分らしかった。
……まあ人数が少ないというのは見咎める人間も減ると考えたのかも知れないが、
「──ええと、ここ良いかしら?」
などと声を掛けたのは、明らかに何時もと異なる不自然な点で有ったと言えよう。
そんな彼女は、やけにソワソワしているようだった。
こう言っては何だが、彼女は感情を制御するのが苦手なタイプである。
落ち着きが無かったり、神経質で有ったりといった心境は、ダイレクトに彼女の言葉や行動に現れる。それを考えれば、彼女の気を特に逸らせるような理由が有るのは歴然としていたが、流石に図書室でそうなる理由というのも推測が付きかねる。実際、図書室を訪れているのはただの時間潰しに過ぎず、彼女の態度は今後待ち受ける何かに原因を求められるのかも知れなかった。
しかし、このような
その後暫くの間、僕と彼女の間に会話は無かった。
しかし、僕はそのような時間も決して嫌ってはいなかった。確かに僕は彼女によって一方的に紡がれる声に耳を傾けるのが好きだったが、御互いが捲るページの音だけが存在する空間を共有する事もまた心地良く思っていた。恐らく、彼女もそうだろう。彼女は友人と楽しく過ごす事について強い執着を抱いてはいても、本質的には〝本の虫〟であるのだから。
そのように穏やかな時間は過ぎ、乾いた紙の立てる音が二人合わせて百を優に超えたであろう頃、彼女は何時もの囁き声で、何時もとは違う話の切り出し方をした。
「ねえ、貴方に聞きたいんだけど――」
ハーマイオニー・グレンジャーが僕に質問をするのは、酷く稀有な事態であった。
魔法界について知識を欠いていた入学前は逆に質問マシンであったのだが、入学後には殆ど記憶に無かった。彼女は依然として学年一の秀才である事を証明し続けており、優秀層とは言えても彼女より遥かに劣る事が明らかな僕では、彼女に助力する事など早々無い。
ただ、皆無とまでは言えなかったし、その頃には僕は既に、ハーマイオニー・グレンジャーが当初から何時もと違う様子を見せていたという良く有る事を頭から飛ばしていた。だから僕は、次々と紡がれる彼女の質問に淡々と答えていった。
その間、僕が本から視線を上げるような事はしなかった。
それが何時ものスタイルであるという面は有ったが、一番の原因は彼女の殆どが機械的に処理できるような物であったからである。紡がれる質問の大半が冬季休暇中に出された宿題に関する事であるのは彼女らしくも有ったが、僕が簡単とすら思う問いをする事は彼女らしくないとも言えた。ただまあ、求められているのに敢えて答えない理屈も無い。
そのように、何時もと比して珍しく僕の言葉数の方が多いと言う状況がひとしきり続いた後、彼女は一つの質問を僕へと投げ掛けた。
「じゃあ、ニコラス・フラメルについては?」
「ニコラス・フラメル? 君が授業の予習に余念がないのは知っているが、まさか五年分も先取りしようとしているとは知らなかった」
その質問も既知であり、やはり顔を上げないままに僕は言葉を紡いだ。
まあ、それが
だからこそ、僕はその問いが為された事に左程疑問を持ちもしなかったのだが、彼女の反応は劇的だった。
「貴方知っ――!?」
半ば椅子から立ち上がろうとしながら発させた彼女の言葉は、一瞬で途切れた。
賢明にも、自分が今何処に居るかを途中で思い出してくれたからだ。
もっとも、マダム・ピンスは当然というように見咎め、鋭利過ぎる視線を飛ばしてくる。ハーマイオニー・グレンジャーは何度か咳払いをするが、どう考えても誤魔化しきれていないのは明らかだった。しかし、短気な司書にしては珍しく今回は見逃す事にしたらしい。偶々遠くに居たからなのか、或いは冬季休暇を彼女ですらも楽しみにしているのか。その理由は
だが、ハーマイオニー・グレンジャーはへこたれないらしく、たっぷり三十分程度読書に時間を費やして厳重な監視を逃れた後、その姿勢を崩さないままに囁き声で問うてきた。
「……ニコラス・フラメルについて、貴方は知ってるの?」
「ああ。非魔法族の書籍で見た事がある。確か、賢者の石の製作者だと」
その瞬間の彼女の表情の変化は見物だった。
無意識的にであれ、彼女は己の血筋故に、非魔法族について魔法族よりも詳しいという自負が有ったのだろう。だからこそ半純血とは言え僕のような魔法族の口から『非魔法族の書籍』で読んだ──それが馬鹿げた
「……まさか、マグル側にヒントが有るなんて考えもしなかったわ。てっきり魔法界の人物かと思って探していたもの」
「いや、君がそう言うのであれば、魔法界で遺した功績が非魔法族にも伝わっているというのが正確なのだろうな。何せ彼は数百年前の錬金術師だ」
「つまり、1692年の国際機密保持法成立前って事?」
「或いは、多少の魔法的隠蔽では隠しきれない程に彼が偉大で有ったかだ。両方の理由かも知れないが」
数百年前の人物とは言え、賢者の石が何たるかを思えば、彼の業績や彼に関する記述など有り余る程に残っている筈だ。特にホグワーツの蔵書数は膨大である。自分の屋敷に山積みされている類の書籍が禁書となっていて事実上閲覧出来なかったり、或いは意図的に欠落させられてすらいるのは
そう思ったのは彼女も同様だったのだろう。得た手掛かりの確証を得る為に、すぐさま本の再発掘に旅立ちなどしなかった。
その代わり、降参を示すかのように椅子に背を預け、感慨深げに溜息を吐く。
「冗談交じりで考えていた事が正しいとはね。私は家に帰った際、パパやママに聞いてみようとも思ったのよ。でもまさか、それが正解だったなんて」
「……たとえ聞いても答えが返ってきたとは思わないが。君の両親は単なる歯医者だろう」
「あら、錬金術という〝学問〟が、マグル社会において一体何を発展させたのか御存知ないのかしら? そして歯医者にも科学的な知識は必要なのよ」
そう彼女は言うが、非魔法族の書籍ではどう考えても胡散臭い形で記載してあったと記憶しているし、論理と合理を重んじていた彼女の両親があんな不確かな事柄について信じるとは──彼らが、自分の娘が魔法族であるという最高に不確かな現実に直面した事を考えても──更々思えなかったのだ。
まあ、それは別に良いのだが。
「しかし、何だってニコラス・フラメルに興味を抱いたんだ? まさか本気で五年分の勉強を先取りしようとしていた訳では無いだろう?」
ハーマイオニー・グレンジャーは、聡明な女性である。
しかし、必ずしも賢明であるとは言えず、そして隠し事をするのもやはり下手だった。
「ええと、個人的な興味よ。たまたまニコラス・フラメルの名前を見かけて、彼が何をやったのかなーと気になっただけ。そう、それだけよ」
早口で紡がれる言い訳は胡散臭く、ここ最近の彼女の行動を考えれば完全に嘘だった。
ハーマイオニー・グレンジャーは二人の友人とつるむようになっていたが、しかし彼等は頭脳派よりも肉体派である。迫りくる期末試験によって強制されたのであれば兎も角、自発的に〝本の虫〟になりに来る事など有り得ない。だが、ここ暫く彼等は三人連れ立って図書室に入り浸り、何か熱心に調べ物をしていたのだ。
そして、その内容は今は明らかである。すなわち、ニコラス・フラメルについて彼等は調べていた。流石に、何故調べていたのかという事は解らないが。
ただ、誤魔化すように紡がれた次の彼女の言葉は、僕の核心を突いていた。
「そ、それより! 貴方もマグルの書籍って読むのね。いえ、入学前に貴方がマグルに関して色々と話をしようとしていたのは私も覚えているけど、本当に短い間だったじゃない? というか、一日だけ? 最初話した感じでは余りマグルにも興味も無さそうだったし」
「……一応君は知っていると思うが、僕の母は非魔法族だった。自分のルーツに興味を抱くのがそんなに不自然だろうか?」
「べ、別に悪くないわよ。ただ、半純血でも魔法側に
後半はぼやくように言うが、しかし聡明なる彼女の推測は完全に間違いでも無かった。
非魔法族の母と未成年者が暮らすという都合上、その生活は必然的に非魔法族に近しいものだった。けれども、母はそうでありながら、可能な限り僕を魔法以外に触れさせたくないと考えていたから、僕の知識は圧倒的に魔法にどっぷりだったのは事実である。
但し、僕は母への反抗から、寧ろ非魔法族の知識をどうにかして手に入れようと何時も企んでいたし、母の死後はその動機を喪った代わり、一人の女の子の関心を買う為の手段に成り代わった。故に、それなりの数の書籍には目を通したし、他の魔法族よりは圧倒的にマシである事は疑いない。ただ、時間が無かった上に突貫で仕上げた為に、細部が御座なりになっている部分が余りにも多い事は否定出来ない。
そしてまあ、その後のオチについては語るまでも無いだろう。
それなりに知識を得たと自負した僕は意気揚々と女の子に話題を振ったのだが、彼女は新たに知った魔法界の事に
結果としてそれが求められていない事を理解した僕はそれを封印し、彼女が好む魔法界の事について話題を広げる事にしたのだった。自身が彼女に抱く想いを恋であると自覚する前に、舞い上がった心のままに突っ走った愚か者の失敗談である。
……ただ、彼女がその事を覚えていたとは意外だった。
いや、彼女の並外れた記憶力からすれば、何ら可笑しくなど無いのかもしれないのだが。
「……しかし、スリザリン生にとっては望ましくない在り方だ。解ってると思うが──」
「──あら、私が誰かに言うと思うの? まして、一般的なスリザリン生に?」
少しばかり怒ったような、しかし何処か悪戯っぽい口調と共に彼女は僕を流し見た。
「私が話すスリザリン生は貴方だけだし、話したいと思うスリザリン生も貴方だけだわ。そんな心配は全くもって無用よ」
……その言葉が僕にとってどれ程反則的で、破壊的であるのか。
言いたい事は言い終わったというように軽く伸びをしている彼女には、それが解らないだろう。
「嗚呼、この部分はハリーやロンにも言わないわよ。スリザリン生がマグルに理解が有るなんて、彼等は言っても信じないでしょうしね」
「……君が僕に関して余計な事を言い触らすなんて、それこそ心配していない」
「なら良かったわ」
彼女は満足気に微笑みを見せて、全体の分量に比して殆ど目を通していない本の山を片手に立ち上がる。
恐らく彼女はそれらを借りもせずに元の場所に返し、その代わりにニコラス・フラメルについて書かれた書籍を探しに行くのだろう。今日話掛けてきたのは、その名前について僕が何か知っていないかを聞く為であり、その目的を果たした以上、最早ここに留まる理由など無かった。
「本当に助かったわ。探すべき本が多過ぎて、取っ掛かりが見つからなかったから。これで先に進めそうだもの」
僕の顔に彼女の顔を近づけて囁きの感謝を述べた後、彼女は颯爽と立ち去った。
そうして予想通り手早く目的の物を発見したらしい彼女は、スキップしそうなくらい浮かれているのを司書に怒られた後、貸出を受けて図書室を出て行った。彼女が戻って来ない事を若干残念に思う気持ちも有ったが、彼女が何も言ってこなかったという事はニコラス・フラメルについて僕が間違った事を告げた訳でも無いという事であり、自身が助力出来たのは喜ばしい事だった。
……言うまでも無い事だが。
この時点で、そしてその後かなりの間、僕は彼女の質問の真意に気付かなかった。
ニコラス・フラメル──その最も著名な業績である賢者の石。それについて何故彼女が関心を抱いたかを知る為には材料が不足していた。
すなわち、彼女の質問と禁じられた廊下を直接結び付けるのは論理が飛躍し過ぎていたし、第一、賢者の石について魔法族が興味を抱く事は決して不自然でも無いのだ。それは、誰にとっても解りやすくて酷く魅力的な奇跡で有り、万人が時代を超えて渇望して来た代物だったのだから。
故に、僕がその不愉快な真実に気付いたのは、ドラゴン騒ぎが起こってからの事になる。