救護騎士団のアルバム:パンケーキの日(5)
錠前サオリ――――――――――――――――――――
レシピ本、要するに手順を書いた教練本。
先生が渡してくれたのは見本ではなかったのか
とようやく合点がいった。
教練が実戦で役立つものだとも思えないが
無意味なことをする人ではないし
何よりも今はミサキを信じて見ることにした。
「材料…薄力粉……小麦粉ではないのか?」
「リーダー!薄力粉って書いてあります!
……小麦粉とも書いてますけど何が違うんでしょうか?」
「しかし、…こちらの小麦粉がまだ…」
先ほど開けてしまった袋の中にはまだ半分ほどの小麦粉。
強力粉という違う物らしいそれが残っているのに
まだ未開封のその小麦粉を開けるのも気が引ける。
密封された袋は、きっと開封しなければまだ保つだろう。
この開けてしまった強力粉とやらでは代用できないのだろうか。
分量さえ同じであればよいのではないかと思案する私が
レシピ本を確認しようとちらりと目線を滑らせると
そこにはじとりとした目のミサキと
胸に抱かれて同じ目のスズラン。
「リーダー。」
「おりちゃー。めー」
「………分かった。開封しよう。ヒヨリ鋏をくれ。」
諫める二人の目線は、言葉の続きを聞かなくても意味は分かる。
ちらりと残った粉の方へと目をやって誘惑を振り切り
噛みしめながら私はヒヨリから鋏を受け取る。
爆弾解除の時よりも震える手でそれに切れ込みを入れると
そこには見た目も匂いも大差のない白い粉。
「薄力粉…200グラム。4…いや5人分か。
5倍として千グラム。…この袋まるごと一つか。贅沢だな。」
「リーダー、この分量は2人分、だから2.5倍で良いはず。」
姫に指摘をされて、そうか、とだいたい袋の半分をボウルに開ける。
このくらいだろうか、と手を止めて袋の中身とボウルの中身を見比べていると
不機嫌そうな顔をもっと不機嫌にして
ミサキが私の目の前にガシャンと一つ機械を置く。
上に乗った板が上下に動き、針が揺れるその機械は見た事のあるものだ。
「……ミサキ、これは。」
「秤。爆薬の調合の教練で使ったでしょ。」
「爆薬調合用の機材ではなかったのか。」
私の返す言葉に、ミサキは大きなため息をひとつ。
もう人を見る目ではなさそうなその目線が突き刺さる。
「ねえ、リーダー、今まで私はリーダーの事を凄い人だと思って尊敬してた。
だけど、今考えを改めないといけないかもしれない。」
私を尊敬していた、そんな嬉しい言葉と共に、それを切り裂く言葉。
感情が上下に振りきれるような鋭い言葉に
私は下唇を噛んで何も返せないでいると、姫が隣で私の背を撫でた
「サッちゃんは、元々戦闘バカ。
ミサキの理想を押し付けちゃダメ。」
「……うん、そうかもね。サオリ姉さんはそういう人だった。」
「でも、でもっ!サオリ姉さんは戦闘は本当に凄いので…
戦闘以外できなくても…凄い人だと…思いますっ!」
フォローをしてくれる3人に、胸の奥が熱くなる。
いや、果たしてこれは本当にフォローしてくれているのだろうか。
そんな疑念に思考を巡らせていると
何時の間にか、私の手元から消えたボウル。
それを姫が秤に乗せて、重さを量り直してくれていた。
「小麦粉は…うん、大丈夫みたい。
次は砂糖、350グラム。ヒヨリ、砂糖を取って。」
「えっと……はい、姫ちゃん。
え…?そんなに入れるんですか…
まだ入れるんですか…。えっ、まだ入れるんですか?」
姫の手によって、ボウルに追加された砂糖。
スプーン1杯、2杯、3杯とどんどん増えるその量は
既に配給されたことのある総量よりも多いのではないかと疑うほど。
それでもまだまだ止まらない姫の手を
慌てて次の1杯を入れるアツコの手に縋りつくヒヨリ。
「ひっ、姫ちゃん、お砂糖を入れすぎでは……!」
「これで200グラム。あと150グラム入れないと…」
「この秤、壊れてるんじゃないですか!?」
「大丈夫壊れてない。きちんと針は動いてる。」
なぜかむくれた表情の姫がヒヨリの腕を振り切り、もっと砂糖を入れる。
姫も壊れてしまったんじゃないかと思う程、ドバドバと入れるもので
あと1杯多ければ、きっと私も姫の手を止めていただろう。
「これで350グラム。
ミサキ、次は何をどのくらい入れればいい?」
「ベーキングパウダー、10グラム。これ…かな。」
「了解。」
既に計量の番人と化した姫。
しっかりとその針先を読み取って1グラム単位で正確に
爆薬の調合実習よりも真剣なその表情。
その後も、バターに牛乳をふんだんに使い
これだけあれば、どれだけ生活できるのだろうかと
私達はその量に毎回驚き、表情を引きつらせていた。
さらにはバニラビーンズの蓋に残ったままの値段を見て
失神しそうになっていたヒヨリ
容赦なく使う姫と、それを止めようとする私を止めるミサキ。
そんな騒がしい調理はいよいよと焼く作業へと突入をする。
フライパンに落としてなかなか様子の変わらない生地にやきもきしていると
スズランが私に指示を出す。
「こんのいろー!」
「……これが紺色になるのか?
焦げると黒くはなるが紺色にはならないだろう。」
「リーダー、これは狐の色の事。」
「なるほどキツネか。確かに焼き色としてはいい色だ。
個体差があると思うがどの狐だ。
潜伏訓練中に見た個体か?サバイバル訓練中に喰った個体か?」
「……いいから黙って焼いて。」
「すまない。」
弱火で焼くくらいなら、強火で一気に焼けばいい
そんなことを思っていたのだがきっとそれも間違いなのだろう。
もはや発言権というものが残っていない私は
ミサキとスズランの指示の通りにホットケーキを焼いていた。
ミサキの指示に従ってひっくり返せば
一面が綺麗な狐色。これは行軍訓練中に追って逃げられた個体の色だ。
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ボウルの中の生地を手分けして焼き進め
作った生地が空になる頃には
予想よりもずいぶんとうず高く積まれ皿に盛られたパンケーキの塔。
仕上げのバターをスズランが摘まんで乗せて
さらに甘い香りのするシロップをこれでもかと言う程垂らしてゆくと
鼻水まで甘くなりそうな香りが、部屋の中を支配してゆく。
それを見て、目を輝かせる姫とヒヨリ。
「完成。」
「これです…これがパンケーキ……」
うっとりとした目でそれを見つめるヒヨリ。
私達は調理場の片付けもそこそこに、テーブルに移動をして、食器の準備を始める。
フォークとナイフを写真の通りに並べると、見た事もない贅沢な食卓。
先生を呼びに行ったミサキもほどなくして戻ってきて
その後ろには、私達の任務の達成に満足げな先生の顔。
"うん、完璧。よく出来たね。"
その言葉だけで胸から溢れ、腹すらもいっぱいになりそうな心地がする。
しかし、それでも目の前のパンケーキへと目を向けると
空いていないはずの腹の中に入る気がするから不思議なものだ。
ミサキと先生もテーブルにつく
すっかり指定席となってしまったミサキの膝にはスズランが座り
その食べ始めるタイミングを今か今かと待ちわびる。
"どうしたの、みんな。食べないの?"
「いちゃらきましゅ!」
一番にパンケーキへとフォークを刺したのはスズラン。
その口には大きなその生地を口に寄せてひと齧り。
咀嚼をしながら、頬に手を充て、目をまん丸に変えていくその表情だけで
もうこれが、美味しいものだと言うのが分かる。
その表情にもう我慢の限界だったのか
姫とヒヨリも食べ始めて、スズランと同じ表情になる。
ミサキも口の周りをベタベタにしたスズランを拭って自分も一口。
「うん、美味しい。やっぱりレシピ通りが正解だったね。」
ああ、とても美味い。脳が壊れそうなほどに甘いそれ
ふわふわとした生地から噛むほどに溢れるシロップとバターの香り。
思わず夢中になってしまうその味に
思わず出来た高いタワーに、少し多いと思っていたそれも
すぐに皿の底が見えてくる。
皆が黙々と、表情豊かに食べ進め、スズランが最後に残る。
子供には少し多かったのだろうか。まだ丸々1枚を残しているようだ。
対してヒヨリはそれを見て、空っぽになったお皿をじっと見る。
物足りなかったのだろうか、と思っていると
そうではなさそうな表情に、姫がヒヨリの肩に寄り沿った。
「ヒヨリ、どうしたの?」
「……これで、この幸せな時間が終わって
また、つらい人生が待っているんだと思うと…なんだか悲しくて…」
目にはもう涙をいっぱいに、手のフォークをぎゅっと握る。
なんと声をかけようかと悩むが、今の私には言葉をかける資格はない。
何も言えない私の代わりに先生が優しい顔でヒヨリに言った。
"また、みんなで作って食べようね"
「ひよー、あい!」
何時の間にかヒヨリの足元にはスズラン。
先生がお皿を抱えたスズランを抱きかかえヒヨリの顔へと近づける。
手にはフォーク、その先には丸々一枚のパンケーキ。
それをヒヨリの口の方へと押し込むと
その頬を流れ始めようとしていた涙もどこへやら
美味しくて嬉しいのと、びっくりしたのとが半分の顔。
それを笑う姫とミサキ、そして先生。
いつか、好きな時に好きなだけ、これをみんなで食べられるようになりたい。
次の任務こそ成功させて、きっとみんなにこれを振舞おう。
その日を夢見て、私は自分に誓う。
同じことを考えていたのか、それとも私の考えを察したのか
姫が穏やかな顔でほほ笑んだ。
「また…みんなで食べようね。」
「…は、はい!みんなでまた…、幸せな日を…」
姫とヒヨリがこちらを見る。ミサキも横目でこちらを見る。
うん、と頷く私に怪訝な顔でミサキが訊ねた。
「リーダー、さっきから何も言わないけど…大丈夫?」
「なんだ、もう黙っていなくてもいいのか?」