08/05/03
法華経は、諸仏の秘法の蔵とも言われているもので、最も尊い教えであると言われています。
この事について法師品の中に次の様に説かれています。
○「若し、悪人が有って、一劫の永い間、如来をそしり、悪口を言ってののしる罪よりも、法華経を仏陀の教えの如く正しく修行している行者を唯一口でもそしる罪の方が、はるかに重いのである」と、仏陀は誡められています。
如来の現存している時でも、仏陀の正しい法の教えを嫉み、憎むのであるから、仏陀の滅後の末法の時代に入って法華経と言う正法を信仰し、教えの如くに修行し、実践しょうとすれば、色々な邪魔が襲いかかるで有ろうと仰せられています。
しかし、如来の滅後にこの法華経を教えの如くに正しく説く者は、如来の「室」に入り、如来の「衣」を着、如来の「座」に坐して、この経を広く弘通するであろうと説かれています。
この「室」と「衣」と「座」の三つを「弘経の三軌」と言います。
○三軌について
(イ)三とは
人の三を衆となすと言う。多い、衆の意味から来ていると言う。又孳乳して多くの心となるとも言うとあります。
(ロ)軌とは
車輪のあとの意味と言う。車輪の左右の両輪のあとの意味と言います。
即ち、法身如来、報身如来、応身如来の三身如来が通られ、残された足跡を辿る意味です。
○「室」と「衣」と「座」について
(イ)室とは
如来の室とは、大慈大悲の心で応身
(ロ)衣とは
如来の衣とは、柔和、忍辱(にんにく)の心で、報身。
(ハ)座とは
如来の座とは、一切法空で法身
一切法空とは、自然界に現象としてその姿を現し存在しているものは、それぞれに違った差別の相貌を顕しているけれども、それは、原因となるものが外界のものに縁をし、結果を生じ、報いの姿を現しているものである(これを、因果とも因縁果報とも、因果応報とも言います)。此等差別の現象のすべては、法界の「平等の真理」から顕れて来ているものであると言います。
すべてのものを原点の源にもどし、「法」と「仏陀」の一法一仏の中に治め入れ帰着させます。ですから諸菩薩も、諸神も、縁覚、声聞の二乗もすべては、法と仏陀の分身であるとされています。
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