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罰についての御教示③


法華経には、法華経の修行者が十羅刹女等の諸天善神に守護されることが説かれていますが、しかし、法華経の信心している者が法華経よりも真言の大日経のほうが勝れるなどと、大聖人御図顕の御本尊への信心と他の教への信心とが二つに並ぶような「二頭の信心」は、
 「真言師が法華経を読誦し候はかへりてそしるにて候なり」(御書1232㌻)
となり、かえって罰を被ることになると誡められています。
信心していない世間の人々が、不信・誹謗により、必然的に罰を被るよりも怖ろしいのが、同心の者同志の嫉善、憎善等の十四誹謗であります。
本抄ではこれについて、
 「又法華経をば経のごとく持つ人々も、法華経の行者を或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじなのふるまひによって憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほるなり」(同)
と仰せられています。
たとえ大聖人の仰せのとおり、法華経での説の如く自行化他等の信行が実践できている人であっても、同じ信心をしている法華講信徒に対して、あるいは僧侶に対して、自分の貪り、瞋り、おろか等により、あるいは何か世間のことであれ、あるいは日常の様々な言動等に対して、憎んだりする人がいますが、このような人は大聖人の御本尊を信じていたとしても功徳はなく、かえって罰を蒙ることになると、大聖人は明確に断言されているのであります。
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