私のヤマビさんのセルモー
ターをボアアップ用強力型
に交換する。
後ろと両サイド外装とシー
ト周りを外し、チャンバー
を外し、リアタイヤを外し
てからモーターの交換作業
にかかる。
SA10Jはリアロック機構が
あるのでリアタイヤの脱着
は簡単。押さえジグは要ら
ない。外すのは力技で、締
め込みは最後にトルクレン
チを使う。
全ての作業の前に腕時計を
外す。これは二輪作業の常
識で、ピットでもガレージ
でも、腕時計を着けたまま
マシンをいじると、かつて
はチーフメカや先輩にぶっ
とばされた。
日本刀も然り。
日本刀を手に取って鑑賞す
る際には絶対に腕時計は外
す。これも刀剣界の常識だ。
モーターとハーネスを新品
強化型に交換終了。
ハーネスは装着後にギボシ
周囲を絶縁させて、さらに
念の為タイラップで固定。
モーター取り付けの前に内
部ギアの摺動部へのグリス
アップも忘れずに。
今回はヤマハEではない別
なグリスを使用した。
こちら御役目ご苦労様に
ござったのパーツ。49cc
ノーマル標準の純正品。

全作業時間約50分。
外したパーツ全てを装着し
全作業時間約50分。
外したパーツ全てを装着し
てから、エンジン始動。
セルのパワーがまるで違う。
125ccのピストンも回るの
ではなかろうか。
キュル、パン!と元気よく
エンジンがかかる。
いい感じ。

♪近頃私たちは いーい感じ〜

♪近頃私たちは いーい感じ〜
作業している時は極限集中
しているので、作業の事以
外は考えないが、終わって
からチェアに座って車両を
眺めてショッポをくゆらせ
ていたら、いろいろと思い
出した。
そういえば、俺のレーサー
の腰上交換を品川のガレー
ジで深夜まで手伝ってく
れたのは数日前に死んだあ
いつだったなぁ、と。
ジで深夜まで手伝ってく
れたのは数日前に死んだあ
いつだったなぁ、と。
また、あいつのバイクのフ
レーム載せ替えを手伝った
のも俺だった。トランポも
出して。
時には喧嘩もしたけど、真
に信が置ける友というのは
いいもんだ。親友とかの陳
腐な表現では言い表せない。
あいつは、最後まで仲間を
絶対に裏切らない奴だった。
「状況」に背を向けて逃げ
る事もしないし、そうした
行動や発想とは無縁の奴だ
った。
性別ではなく、「漢」ての
はあいつのような奴の事だ
ろう。
本物のいい奴だった。
俺が富士で飛んだ時、最終
コーナー手前で抱きついた
のでピットレーンに入るサ
インをケニーみたいに大き
く右足真横に出して後ろ見
てインベタを通っていた
ら、そこを無理矢理ピッ
トアプローチラインを割
ってインから抜こうとし
たド素人がいた。ボロボ
ロのカワサキのF3仕様で
ズタボロの車だった。
コーナー手前で抱きついた
のでピットレーンに入るサ
インをケニーみたいに大き
く右足真横に出して後ろ見
てインベタを通っていた
ら、そこを無理矢理ピッ
トアプローチラインを割
ってインから抜こうとし
たド素人がいた。ボロボ
ロのカワサキのF3仕様で
ズタボロの車だった。
それに接触してコースのア
ウト側に弾き飛ばされた。
起ち上って振り向くと両
側の真横を弾丸のように
別なマシンがピューン、
ピューンと通り過ぎて行
った。
あ、死ぬな、と思ったが、
走り去ってから這うよう
にコースガードレール外
に出てスポーツ走行時間
終了まで待機した。
起ち上って振り向くと両
側の真横を弾丸のように
別なマシンがピューン、
ピューンと通り過ぎて行
った。
あ、死ぬな、と思ったが、
走り去ってから這うよう
にコースガードレール外
に出てスポーツ走行時間
終了まで待機した。
その突っ込んで来た追突車
はかろうじて転倒せずに去
っていた。
はかろうじて転倒せずに去
っていた。
レッカーでピットに戻ると、
ピットでメカニックやっ
てくれていたあいつが事
情を聴いて、そのチーム
に猛烈抗議のカチコミを
かけようとしたので、と
めた。オフィシャルはち
ゃんと見てるから。
てくれていたあいつが事
情を聴いて、そのチーム
に猛烈抗議のカチコミを
かけようとしたので、と
めた。オフィシャルはち
ゃんと見てるから。
そんな奴だった。
遠い先祖は加賀藩士。
普段は一心太助か勝海舟の
ような江戸前の話し方だ
ったが、本物の漢だった。
ったが、本物の漢だった。
一時期、一緒にバンド活動
もやっていた。おれギター、
やつベース。毎週夜、東高
円寺のスタジオに集まっ
てギグってた。
円寺のスタジオに集まっ
てギグってた。
俺の公道用の青黒の革ツナ
ギと高井のブーツをあいつ
はお古ながらもらって喜
んで、新型のロードスポー
ツに乗り始めた。「今まで
のアメリカンだと厳しいけ
ど、これなら今度一緒に峠
行けるぜ」なんて言ってた。
そのバイクは人気車種で、
すぐに盗まれてしまった。
かなり落胆していた。
ギと高井のブーツをあいつ
はお古ながらもらって喜
んで、新型のロードスポー
ツに乗り始めた。「今まで
のアメリカンだと厳しいけ
ど、これなら今度一緒に峠
行けるぜ」なんて言ってた。
そのバイクは人気車種で、
すぐに盗まれてしまった。
かなり落胆していた。
俺も含めて、当時はバイク
本体やパーツが仲間内でも
ほんとによく盗まれた。
停めて買い物から戻るとバ
イク無いよ、てな事もあっ
たりした。
就職後、しばらくして一時
期、通勤バイクでスズキ
の2ストスクーターをあ
いつからの申し出で貸し
てもらっていた。
期、通勤バイクでスズキ
の2ストスクーターをあ
いつからの申し出で貸し
てもらっていた。
「都内最速!」と言ってい
たが、本当に通勤快速で良
いスクーターだった。
かみさんのベスパ100を借
りるので返す時「もういい
の?いつでもいつまででも
貸すから、そん時には言っ
てよ」と言ってた。
りるので返す時「もういい
の?いつでもいつまででも
貸すから、そん時には言っ
てよ」と言ってた。
学生時代「うちの持ちビル
のペントハウス住まない?」
と言ってくれた事があった。
六本木のど真ん中のビルの
屋上の洒落たペントハウス。
家賃を問うと格安、激安だ。
ただ、街中過ぎてバイクの
保管場所が無いので、やむ
なく諦めた。
あいつとの思い出話は尽き
ない。