1929年に旧京都帝国大(京都大)の研究者が、琉球王族らをまつる「百按司墓」(むむじゃなばか、沖縄県今帰仁村=なきじんそん)から遺骨を持ち去り、子孫らが返還を求めていた問題が、思わぬ展開を見せた。京都大が今月21日、遺骨を同村教育委員会に「移管」していたことが分かったのだ。関係者は96年ぶりの「帰還」に安堵(あんど)する一方、対話なき京都大の手法に憤りの声が上がっている。(福岡範行、木原育子)
◆話し合いにも応じなかった京都大
「ふるさとに帰還したことは非常にうれしく思う。ただ、ヒトの心を取り戻していないのは歴然です」。琉球王朝を創設した第一尚氏の子孫で、遺骨返還訴訟の原告だった亀谷正子さん(80)が「こちら特報部」の取材にそう答えた。
琉球遺骨を巡っては2017年に京都大に「保管」されていることが明らかに。返還に応じてもらえないことから2018年に提訴。一審の京都地裁、控訴審の大阪高裁ともに「祖先の主たる祭祀(さいし)継承者に該当しない」などとして原告の訴えを退けた。ただ、2023年9月の大阪高裁判決では「遺骨は、単なるモノではない。ふるさとで静かに眠る権利があると信じる」と異例の付言をし、原告を含む関係者間の話し合いによる解決を促した。
原告側は改めて京都大との対話を求めたが、一向に始まらなかった。2024年7月に原告側が京都大に赴いたこともあったが、「検討中」などと門前払いに。対話の始まりを待っているところだった。
◆京都大「移管の事実は認めるが、それ以外はコメントはできない」
一方、京都大は原告側ではなく、今帰仁村教委と協議を始め、2024年12月に村教委に管理を移す「移管」の協議書を交わした。
問題はその協議書の内容だ。協議書では「人類の貴重な学術資料として保存されること」が条件に。原告が求めてきた「再風葬」もしないとした。今帰仁村教委によると、同様の遺骨返還で2019年に台湾大から沖縄県教委に移管された際の協議書にならったという。
真意はどうか。京都大は取材に応じたが、谷川嘉奈子・広報室長は「協議は判決を受けたものではない」と主張し、なぜ研究ありきなのかも「現時点では回答を差し控えたい」と述べるだけ。「移管した事実は認めるが、それ以外は大学としてのコメントはできない」。つまりゼロ回答だった。
だが、世界のアカデミアでは、先住民族ら当事者を尊重するのは当然だ。同意がなければ研究には使えず、論文の査読も通らない。
◆「これを『学問の暴力』と言わずして何と言うのか」
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