kasue-worldさんのブログ
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2019-05-17 00:13:43

去年の夏に見た夢

テーマ:ブログ

地面に空いた東京ドーム何十個分ほどのクレーターを小高い崖の上から眺めていると、突如クレーターの中央に裂け目ができ、その中からどす黒い泡立った液体がしぶきを上げてあふれ、たちまちのうちにクレーターは黒い水で満たされる。急遽編成された調査部隊に入れられた俺は捨て駒として、ミッションインポッシブルみたいな感じで何かに吊るされ黒水が溢れ出した裂け目の方へ近づけられる。操作ミスによりおれは黒水の中に落ちるが、口に入ったときそれがシュガーフリーのコーラであることがわかり拍子抜け。いずれにせよ怪奇現象であることに変わりはないので調査は続行、もう恐れることはないのでジャンジャンコーラの中へ潜っていくと裂け目の中には鋭い針のような突起物があり、その周りはコーラでなく透明な真水である。これはどうしたことだと針の先端を見ると、先には土偶のようなものが刺さっていた。近づいてよくみるとそれは土偶ではなく、グレイ型の宇宙人のような生き者のミイラであり、テレビなどに出てくるグレイは目が空洞で表情はわりかしフラットでアンニュイな印象を受けるがこのミイラの顔つきは生々しく苦悶に満ちていた。もしこの宇宙人がこの針に刺さったことで死んだとするならば、この宇宙人は死んだ後の今も針に刺し殺され続けていて、こんなに死に続けられるいきものもいないんではないかというような印象、すでに痛みを感じる感覚は死んでいるからないはずなのに、今もなお刺さっている針から生きていれば生じるであろうもう感じれない痛みを、その表情を媒介としてそれを見た人に感じさせるような迫力。他者痛覚過剰刺激団体がもしあったならばその中でトップの役職を担っているであろうカリスマ、もはやプレイヤーとしてだけでなく後進の育成にもいくらか携わっているに違いない。
クレーターの裂け目の奥からはコーラではなく真水がわき上がっていた。針は宇宙人のミイラの肝臓あたりに突き刺さっていて、肝臓には水と混ざることでシュガーフリーコーラになる成分が大量に貯蔵されていたのである。シュガーフリーコーラなどという太らずしかも甘いなんて都合のいい飲み物が出来上がる過程には、目を背けたくなるような事実が隠されていたのだ。

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2018-04-20 21:15:23

テーマ:ハマー

このブログは高が作ってくれて皆に一緒にやらへん?と声がかかって始まったと記憶している。今でもたまに何かあった時に高だったらどう言うだろうと思う時がある。「こないだ久しぶりにヘラバ行ったんよ・・・」と自分の話を始めながら、煙草の煙を吐きながら最適な解を導き出そうとしている高の表情をちらっと見て話を続け、その解にもう既に笑う準備をしている。高の頭の中でカチャカチャ音が鳴っている様に感じていた。

高の最適な解はやっぱり面白くて鼻水が出るか、意外に真面目な返答で、でもその真意を全部理解できるか分からず自分の頭の悪さを痛感するかだった。全然聞いてない感じの返答を全然聞いてない感じで返す時もあって、そいういう時は、もう高の中で喋りたいことが決まっていたり、全然別のことを考えていたりしている様子だった。たまに助川さんの話をする時があって、高には珍しく妙にはしゃいでいるような切なさそうな感じで不思議な時間だった。シネ研のベランダで助川さんと二人で煙草を吸っていた時間が幸せだったという話はただただ美しい話だという印象で、普段の面白さとのギャップからか妙に印象深い。しーたんというワードも久しく聞いていないし、しーたんという言葉が居酒屋「りんぐ」での暗く甘く燻ぶり脂ぎった男だらけのにやけ顔と一緒に思い出されるのも感慨深い。北畠宅の麻雀明けのJRのアナウンスをBGMにシルポートとしーたんを一緒くたにして「どう思う?」と聞かれたときの自分の適当な返事に重要な情報があるかのように競馬情報が映っているであろうスマートフォンを覗き込む姿も未だに印象的で多分走馬燈に差し込まれる一ページだろう。

高と二人でいる時はだいたいあんまり会話がなくて二人各々煙草を吸っていた。そういう時の八割方は塩崎かカスエさんが来るのを待っている時間だった。塩崎がニヤニヤしながら駆け付け一杯のノリで陽気で楽し気な一人コントを始めるか、カスエさんが自転車で10分のところを一時間かけて来て口に手を当てながらちょっと申し訳なさそうに何か言うのをニヤニヤしながら聞いて高がカスエさんに軽めのジャブトークをかますのを見るか、そういう時までの宙に浮いているような時間だった。高と二人でいる時は落ち着いていながらどこか語弊を恐れる緊張感があった様に思う。塩崎やカスエさんの顔を見た瞬間にギアをガっと上げて気の利いた一言を言うために頭がカチャカチャと動き出すのを爛々とした目から感じていたのも懐かしい。夜、急に呼び出されて高とカスエさんのやり取りを聞かされて笑っていたあの時間を鑑みるに、高はオーディエンスがいるかいないかでコメディーモードとセンチメンタルモードの切り替えがなされていたんだと思う。塩崎と高の二人の時もセンチメンタル寄りの時間だと聞いた覚えがある。カスエさんと高が二人だけでもボケツッコミでやり続けられたというのはかなり貴重な人間関係だと思う。京大の庭を夜歩きながら高とカスエさんの即興漫談に笑い続けた記憶が何故かモノクロで、個人的にジムジャームッシュの映像を彷彿とさせる。女物の服を着てふらふら歩きながら心の闇を嗅ぎだし重箱の隅を突くようにわだかまりをえぐる高と活き活きしてつっこむカスエさんの画は印象深く(陰のある本質的な)青春という言葉を表すのに適切だと思っている。

高の見舞いに行ったときになんとなく「どういう会社に行けばいいんかな」みたいな話をしたときに「なんか堅い会社がいいんちゃう?鉄道関係とか、浜本の安定感からしたら」みたいなこととを言われてぼんやりなるほどなーと思ったけど、今の無職の話をしても「ええんちゃう?」と言うだろうなと思う。その「ええんちゃう?」には確かな高なりの考えや直観を孕んでいるだろうし、高は「ええんちゃう?」と言うだろうと推察する自分の思いも読んでいるだろうなと思う。

本当に惜しい人を失ったと思うが、未だに高が死んで今はこの世にいないという実感が湧かなくて、高は今頃フランスのゲロまみれの裏路地でナイジェリア人と楽しく喋っているんじゃないかと思っていて何故かいつかまた会えるような気がしている。やはり受け入れ難いんだろう。

この間一人墓(?)参りに行ったが報告することもあまりなく、高が同じ時間を過ごしていたとしたら面白い話の一つ二つは聞かせてもらえるだろうと思い、何もしていない自分が不甲斐なく、でももし生きていたら優しくて笑える言葉をかけてくれるんだろうなと思った。高の墓参りの度に「こんな幸せなことがあったよ」と言えるように生きたい。

枝雀やらもの動画を見る度になんとなく高の影がちらつく。葬式の二次会的な感じの時に食べたチャプチェが美味かったのを思い出すと、大前が姉さん女房を連れてきていたことや、小出が数年振りに話しかけてきたと思ったら7/8拍子がキメの曲「直下降」のアレンジに数年に渡って拘っていてその音源を聴かされたことや、シネ研の林くんが愛想良く喋りかけてくれたのに無下にして後々悪かったなあと思ったことなどを思い出す。

 

最近は仲田君が内に秘めた思いを吐き出しているような記事をブログにあげていて楽しいけれどもやっぱりカレーの記事が一番好きだなあと思ったり、カスエさんがまた大便を捻りだすように長文の記事を更新してくれたらなあと思っている。

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2017-12-06 00:15:54

今日婆心ドリーム2017日本シリーズ延長12回(dedicated to hama vega)

テーマ:ブログ

京橋に引っ越して11月で一年。

 

 

去る某日、初夏の昼下がり、買い物から家までの帰り道、はたと、自分が京橋の、いわゆるところの「土地勘」を知らぬ間に得ていることに気づいた瞬間があった。すこし前から自転車で会社に通い始めたからなのか、見えている建物の位置関係と距離感とおおよその方角を把握している自分、いつもと違う道を通っても、あそこに出るだろうなあと思ったところにたどり着くことができるようになっている自分。

 

そうなるまで半年弱もかかったのは、寒くなる季節に引っ越し、冬の間はほとんど最短ルートで家と会社と最寄の飯屋を行き来していただけだったからだろうか。10年前の六甲引越しの時には、初めての一人暮らしのストレスで夜中ずっと鼻血が止まらなくなって、当時十八歳の自分はビビって救急車を呼び、来た隊員に笑われた挙句乗せてももらえずそのまま置き去りにされ、翌日耳鼻科で鼻の血管を焼いてもらったりしてたけど、季節は春、新歓コンパに教養科目、なんだかんだよく出歩いて、今回よりも早いうちに六甲の土地勘は培われていたように思える。とはいえ10年前のことなんか、思い出そうとしても、河川敷に落ちてる、ページのくっついたカピカピのエロ本を無理やりはがして読もうとしているみたいに断片的で不明瞭なイメージしか出てこないし、そんなカピカピのおっぱいでむりやり興奮しようとしているやつはだめだ。

 

そうやって京橋に慣れ始めた矢先、向かいの空き地でマンションの建築工事が始まった。ただでさえ越した直後から時折、少し離れたところにある消防署の救急車が昼夜問わず、誰もいない、信号もないほっそい路地を爆音でサイレンを鳴らして走ってくるので、せめて大通りに出てから鳴らせよ、とか思って寝入る際などいらついていたのに、毎朝8時からコンクリをかき混ぜる太い棒のモーターの重低音、鉄筋が擦れぶつかるキンキンした高音、ハンマーが釘をパコンパコン、平日はどうせ起きないといけないからいいけど土曜にもあるのが最悪で、金曜に夜更かししても強制的に起こされゆっくり寝ていられない。最近になりやっとひと段落し、張り紙によると年明けには完成するらしいが、六甲ではウグイスや雀のさえずりで目覚めるほど静かな生活をしていたので、今年の夏から秋はずっと未体験のストレスを味わっていた。

 

そのことを塩崎に話すと、彼には騒音に対し悩まされた経験がないらしく、居酒屋の壁の木目を見ながら騒音に対するクレームをまくし立てる自分のことを彼は「騒音おばさん予備軍」と嘲弄し、その後カラオケで15の夜とハイロウズのサンダーロードを絶唱するのであるが、騒音への苦悩を共感されない自分は懊悩のあまり、適当に思い浮かんだ騒音とは無関係の人物や出来事について、 居酒屋のテーブルの溝を見ながら大音声で悪罵、その声を騒音と捉えた隣の席のカップルは早々に席を立ち、なんだかんだでその店のお寿司はとってもうまかったのであるが、果たして自分にかの有名な「騒音おばさん」に比肩し得る存在になりうるのびしろ、ポテンシャルがあるか考えた際、自分はそれにははなはだ懐疑的で、やはり第一には性別の違い、その種の競技種目における爆発力には、男女の間には陸上短距離におけるモンゴロイドとネグロイドのような厳然とした差があるように思われる。「騒音おばさん」はその中でも選ばれし存在のキャリアウーマンで、 ブルゾンちえみが言うところの 35億分の1風情の自分がたどり着けるのは、いかなる艱難辛苦をへようと所詮、二番煎じのしょっぱい騒音おじさんであり、そんなやつはだめだ。ブルゾンちえみに言わせればだめウーマンだ。

 

(たぶん)ブルゾンちえみがネタの中で言っていたように、人生は一度きりなので、テーブルの溝か壁の木目を見ながら誰かや何かを悪罵しているより、たとえしょっぱい二番煎じの騒音おじさんだろうが精一杯、力の限りに布団を叩いて 、アダムとイブの二番煎じの、居酒屋の隣の席のカップルのような誰かがすんでいる隣家に向かって、声の限りに叫んだほうが、きっとそのほうがいいのだと思う。たとえその結果が、「隣人が去っていく」という全く同じものだとしても。ブルゾンちえみもネタのなかで「結果なんてプロセスを楽しむことでしかないのよ」みたいなことを言っていた気がするし、もし言ったことがないとしても、手遅れだなんてことは決してないから、いずれテレビから消えるまえに、たった一度でいいからそんな感じのことをテレビで言ってくれたら、それを見たどれほどの数の、俺みたいな人間が救われるだろうか。

 

二番煎じであることに絶望している暇があったら、騒音おばさんに関する文献やまとめサイトの「騒音おばさんの真実」みたいな参考資料にあたり、奇抜なパフォーマンスや外見からだけでなく、内面から彼女を捉えようと努め、限られた一日の時間を可能な限り騒音おばさんに関することに費やすべきだ。平日は毎日最低4時間はおばさんについて考えることを自らのタスクとして課し、休日はSNSのコミユニティーや自宅周辺のバーなどで知り合った、気のおけない騒音おばさん仲間と快哉を叫び、テキーラをあおり酩酊、その結果、ブルゾンちえみのコスプレ姿をインスタにのせるタイプの女子と夜更けのホテルにしっぽりしけこむ。人生で一度でもいいから、ブルゾンちえみのコスプレ姿をインスタにのせるタイプの女子と心の交流と呼べるような暖かい言葉のやりとりや、アッツアツのほっけやあじみたいにパッカリ体を開いてもらえる瞬間が訪れたら、それはなんと豊かな人生だろうか。

 

 

物心ついてからずっと、とにかく無理をすること、無理をさせられることが嫌いで、できる範囲で寝たいだけ寝て、食べたいだけ食べ、やれることのみをやれるだけやり、無理強いするのも無理強いして来られるのも、無理している人の無理した言動とかも、俺にはまじ無理、と思って、できるだけ無理せず、無理させられないことを目標に生きてきた気がしている。今考えると、寝たいだけ寝て、食べたいだけ食べて、やれることのみをやることで誰かに無理はさせていただろうが、そういうことも含め自分は気づくのがいつも遅いので、今現在も気づいていないたくさんの過失をおかしているはずだ。まあそれはそれで、人間だもの、みつを。とか思っているからぬけぬけすごしていられるわけであるが、働き出して三年ほどが経過し、ここ最近、時間の過ぎ方がものすごく早い。その早さは、若干怖いくらいで、でもおそらくその怖さが「若干」であることこそが本当は怖がらないといけないことな気もするが、10年前の夜中の鼻血みたいに怖がる元気がない。最近は食べたいだけ食べると太るし、寝たいだけ寝てもなんとなく疲れる。無理してる人を見るのは好きではないけど、必然性を感じられるくらいにトチ狂ってる人を見るのは好きで、必然性を感じられるくらいにトチ狂える状態が自分にも訪れたら楽しいだろうなあという想像は楽しいが、果たしてそんな空疎であいまいな想像をしている場合なのか。かといってそうでなければ、それじゃあ今自分は一体どんな場合なのか、一向に分からない。

 

富と名誉と野心と運動能力の代わりに幾分の背丈を得た岡村隆史のような、面白くもないくせにユニークにこだわる、あまり魅力があるとは言えない、鬱傾向のスカンピン中年に自分はなるのか。今からでも遅くないのなら、少しでも富と名誉につながることを考えたいが、なにぶんあまり慣れていないのでとっかかりがよくわからないし、乾坤一擲そのようなバトルフィールドに向かったとしても、そこにはいびつな目をした歴戦の猛者がひしめき、彼らは富と名誉のことをずっと考えて生きてきているのだから、付け焼き刃の俺はすぐに、精神的な意味で顔面を殴られ、精神の鼻骨を折られ精神的鼻血を出し、慌てふためき逃げ帰り夜中、29歳のおっさんが精神的鼻血で精神の救急車を呼ぶ、なんてのは精神にまつわる大恥だと思い、一晩中精神の両穴にティッシュをあてがいうずくまり、それでは間に合わなくなり枕もとのエロ本を赤くカピカピに染め上げ、翌朝、精神的に歪みきった鼻筋で、ぬらぬら会社にいくだろう。

 

丈夫に生んで育ててくれた親のおかげで、身体的なコンプレックスはあまりなく、あったとしてもそれは全コンプレックスの内の2割程度で、しかしそれはとりもなおさず残りの八割を精神的なコンプレックスが占めている事実を明るみにしてしまう。精神的なコンプレックスの原因の8割を親のせいにしてしまう、なんてことは見当違いであるし許されないと分かっているが、人間だもの、みつを。のノリで時間にして2:8の割合でしてしまう。身体的なコンプレックスのひとつは鼻である。高校の時、野球部の練習試合で、ピッチャーの投げた球をバントしようとし、失敗してボールが鼻に当たった。大量の鼻血が出て、ベンチの隅でアイスノンをあてがいうずくまった。それ以来、普段眼鏡をかけていると分かりづらいが(身体的な)鼻筋がジェロムレバンナの35億分の1くらい歪んでいるのである。

 

とはいえ、それがなくても、そもそも自分は通常より穴が大きくてすこしうわむいていると思しき鼻がずっとコンプレックスで、その特徴のせいで、嘘をついたり、電車でパンチラを盗み見たりする際などの、ポーカーフェイスを繕うことで利益が享受出来る場面において、小鼻のヒクつきが通常より目立ちやすいために動揺が露呈し、結果普通の鼻の人より損をしている可能性と、普通の鼻なら格納されているはずの量の鼻毛すら飛び出てしまい、鼻毛が出ているという状況が平均より多く起こるふしがあるのという可能性をぬぐえずにいる。でも多分、本当にコンプレックスに感ずるべきは、自らの小心や助平や自堕落を鼻の穴の直径のせいにしようとする自意識をもった卑しい心根であることが、京橋に引っ越して一年、29歳になってようやくわかり始めた。田村正和みたいな鼻が良かった。

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2016-01-03 19:23:06

年末年始

テーマ:かすえ
酔っ払った浜本と電話して、ブログを書こうと思う。寝て起きて寝て起きて寝て起きた、くらいの朝に、ブログを書くとするならまとまった時間のある、年末年始に実家に帰る電車の中にしよう、そう思って家を出てから、支度を始めて家を出て電車に乗って席に座るまでの間に、これまでの冬の帰省の電車のこと、福井に入ったあたりで、何個目かのトンネルをぬけたときに外が雪景色になっていることに気付く瞬間が初めての帰省のときから好きだったこと、初めての帰省の時に同じ車両で見かけた同じ学部の女の子、亀沢さんとは卒業まで一言も話さなかったこと、何年目からその雪景色の中に福井に住み始めた姉とその子供と、内山英明の青みがかった顎のラインとスパルディングの靴が混じり出したこと、中2から五年間過ごしたあまりいい思い出のない金沢に帰ることが年々嫌ではなくなってきてること、一作も読んだことのない川端康成の雪国の冒頭のフレーズ、あとこれを書き出すまでに忘れてしまった、同じくらいどうでもいいことが思い浮かんだので、帰省の電車ではなく今この電車で書こうと思い、ブログを書き出した。

電車と言えば、この前電車に乗る前に、「メリークリスマス、全身刺青男とペリカンに犯された女の物語、知りたい?」というメールが塩崎から届いており、気づくより前に駅で塩崎に会い、そのことを指摘され、携帯を開き目視で確認した結果事実だった。その前の週に塩崎は上田さんと中田君と合コンに行ったらしく、女の子とアドレス交換した結果向こうからメールが届き、それには「メリークリスマス、全身刺青男とペリカンに犯された女の物語、知りたい?」ではなく、今度デートに行きましょう的なそんなんが書かれていて、羨ましさを押し殺しながらやんわりとその子の人となりを聞くと、女子大卒の23歳、見た目は酔っ払ってて覚えてない、ふにゃふにゃした感じの子だった、上田さんもその子が一番と言っていた、とのことで、翌々日にデートに行くことが決まっており、意気込みを聞くと、曰く「もはや悟りの境地でありガツガツしたり緊張したりする気持ちはない、私は宇宙と合一する中途であり彼女はその1ページに加えてやっても良いかなという程度である、このことによって皆さんを楽しませられるように、当日は善処する」という心持ちであるとのことで、俺は「宇宙よりもその子との肉体的合一あるいは精神的合一を優先すべきである、さもなくば彼女は塩崎の宇宙的意図を汲み取ることなく、この人は私に興味がないんだ、と普通に思い普通に何事も起こらないだろう、何事か起きることを君は望まないのか。あとこの場合はみなさんよりお前自身を楽しませるべきだ」という感想を述べ、「全身刺青男とペリカンに犯された女の物語」とはなんなのか、その場面はその物語のオープニングなのかクライマックスなのかと問えば「当然オープニングである。刺青男の刺青のモチベーションはよくある陳腐な変身願望に端を発している。ペリカンは刺青男とも被レイプ女とも全く関係がなく突然現れた野生種であり、刺青男と入れ替わり立ち替わり嘴を用いて女に対する加虐行為に参加している。」という返事が返ってきた。

今年の4月に再び社員として働き始めた、今日はその仕事納めだ。働き始めてすぐぐらいから、ロクタカソウの前に時折、家の中にいても聞こえるくらいの大声でビジュアル系らしき歌を歌って歩く、おそらくこの春から大学生みたいなやつが現れるようになった。最初はおもろかったがだんだんとムカついてきて、この前思い切って窓を開けてそいつめがけてアコギでdマイナーをジャンジャカ引いたらそいつの声は消えた。しばらくして少し遠くから続きが聞こえてきた。彼の歌を聴くといつも働く前の生活を思い出す。それは当時、毎晩3時ごろ布団に入るライフサイクルで、そのくらいの時間に毎晩、けたたましく甲高いエンジン音の軽トラがロクタカの前で止まり、ロクタカ全体に響き渡るような大きな音でトランクをバン!バン!バン!と三回叩きつけ閉める音が聞こえてきて、布団の中からうつらうつらしながらそれを聞いた後深く寝入っていく、という生活だったからである。気狂いにしては毎晩定刻に来るし、なんらかの配達などの仕事の人にしては狂気を感じさせるに足りる音量でトランクを必ず三回、配達業的な仕事の人が狂っているのか、何の仕事もしてない狂人が架空の仕事を心に抱いて躍動しているのか。働き始めて余裕が出てきた秋口のころ、夜更かしした時半年ぶりにその音を聞いて、彼の存在を思い出して、なんかちょっと感慨深かった。ロクタカにいるのはもうすぐ10年目になる。色々な理由で、ていうか汚くて床が抜けそうで気が滅入るから早くこの家を出たいけど、色々な理由で、ていうか何もかもめんどくさくてずっと二の足を踏んでいる。



この段落を書いているのは、初めの段落を書いたときにブログを書こうと思った、元日の帰省の電車の中で、暖冬のため雪は全く積もっておらず、隣の窓側の席では年齢不詳のフケまみれの男がくちゃくちゃおにぎりを食べていて、まったく窓の方を見やる気がしない。何より自分が電車酔いするタチであったことを忘れていたので、字面が並ぶ携帯の画面を見て文章を打っていると気持ち悪くなる。塩崎のデートは案の定であり、案の定であることにも問題意識がないという彼の気持ちも、以前より分かる気もしてきた。それがいいことかは分からない。大晦日は塩崎と井筒さんと三年連続で同じ神社に初詣に行った。2年続けて御神籤は大吉だったけど、今年は吉だった。この2年が大吉に相応しい年と言えるか分からなかったので、別に大吉じゃなくても嫌じゃなかった。2年間このブログは更新されてなかったけど、最後に更新した塩崎が書いたフレンドパークにおける行動は、2年後の今にもそのまま当てはまるように思えた。それは塩崎の洞察が正確で、変化成長しえない各々の本質を突いているからなのか、実際にみんなが変化成長をあまりしていないからのか、会う機会も少なくなったのに、みんなが変化、成長してないと思ってるおれが人のことを、自分のことと同じくらいなめているからなのか、変化成長することのない人間の本質を抽出し描きだす、フレンドパークという番組が優れているからなのか。井筒さんだけ大吉だった。

フケまみれの男が降りたので窓側の席にうつる。街並みに雪はないけど遠くの山にはわずかに積もっている。去年は辺り一面ものすごい吹雪のなかを鈍行で帰ったことを思い出す。こうが死んだ直後で、通夜の日の朝は神戸にも雪が降ってて、ロクタカの車のフロントガラスに薄く雪が積もっていたことを思い出す。その年の秋から冬にかけて、今はめったに乗らない阪急で京都と神戸を行き来してたのを思い出す。死んだ当日の朝は雪ではなく雨が降っていて、起きたら携帯に妹さんから連絡が来ていて、寝泊まりしていた京大の部室から傘を拝借して、とりあえず家に帰ろうと京阪から阪急に乗り換えて、頭がずっとぼーっとしていて、窓の外を見ていたら、茨木市を過ぎたあたりでふっと雨が止んで、雲の合間から日が差して、急に空がとても明るくなって、それを見たとき、知らせを聞いてから初めて、自分にとってとても悲しいことが起こって、それがもう絶対に覆らなくなった、ということに対する実感のようなものがわいてきて、ものすごくそれがつらく感じたことを思い出す。

金沢に着いて各駅に乗り換えると、元日なのに高校生が制服でたくさんいて、神戸の女子高生より金沢の女子高生の方がいもっぽくていいなと思った。家につくと高校生のころから十年以上生きていた文鳥が死んでいた。ある朝、目を瞑って餌入れに体を突っ込んで死んでいたらしい。両親は就職したので、去年までより俺に対して安心している感じだったのでよかったなと思った。祖父母の家の近くの神社で引いたおみくじは大吉だった。
2013-03-08 11:59:53

妄想フレンドパーク

テーマ:ブログ
急に実家に帰ることとなった。
最近の僕の生活リズムはといえば、多くの駄目大学生の例に漏れず日が昇る頃に強烈な睡魔が襲い、夕方ごろに「あぁ、また今日も・・・」という気分で目覚めるといったようなものである。
しかし実家に帰るとまぁ用事があって普通に朝起きて夜眠らないといけない。実家に帰った日は当然夜に眠ろうとするのだが眠れず結局朝まで寝れない。朝になり眠気が襲うが用事があるのでおきている。すると眠気が飛んで徹夜したような形にも関わらず体は夜になっても寝る体制に入らない。
そんな時に布団の中で妄想を繰り広げるのである。
実家暮らしの時分はいつもそうだった。


とまぁそんな感じで考えていたのが以下のようなkasue-worldの住人達がフレンドパーク(知らん間に終わってるけど)に出演したときの事。


・カスエさんの場合
 チャリでそばを運ぶアトラクションで二回ぐらいこけて、ぎりぎり間に合うか間に合わんか野ところで「あぁぁーーー」とか叫びながらたちこぎする。

・うっちーの場合
 ホッケーで真ん中らへんで静止した玉?を、真ん中まで行ってうとうとする時のニヤニヤした顔が印象的

・高の場合
 空気入れみたいなん押してタイミングよくジャンプするアトラクションで、一発成功。もう一回やって一発で出来れば金貨をもう一枚!みたいな展開になり成功して、合計金貨二枚ゲット。
 ダーツでとったたわしを楽屋で「ほんまにいらんなぁ。はまもと、いる?」はまもと「確かにいらんけど。普通記念にとっとくじゃろ」みたいな会話がなされる

・はまもとの場合
 関口宏に何か尋ねられて「おれあれなんすよ」という切り口で独特な意見を言う、というくだりが番組内に二回ほどあるが、一回は会場大爆笑、もう一回はみんなにあまり通じなくてはまもとをよく知る人だけにウケる。

・うえださんの場合
 走ってクイズ答えるやつで後一個の答えが出ず失敗したときに、「あれ、○○ってちゃいましたっけ?」といって、答えを聞くと「あぁー」となってぜんぜん知らん感じの答えで「へぇー」と、とぼけた顔をする。

・大前君の場合
 ダーツの景品の自分の指定するのが、自転車のいいパーツ。

・バタの場合
 最初のジャンプするやつで意外なほどの高得点。
 最後に金貨とダーツを交換するとこで、果敢にも最後の金貨を交換しないでおこうとするボケをはさむ。しかしその後、結局交換したダーツで高額景品ゲット


・番組終了後
 誰かが冗談で言った「景品かけてチンチロしようや」の声で、本当に景品をかけてチンチロをはじめるも、ぐちゃぐちゃになりすぎてよくわからんくなり、結局金銭をかけることに。その日の打ち上げ代金あたりで収まりがつく
2012-05-02 00:57:34

テキーラテキーラ

テーマ:こう
映画でも観ようかなと思っていたけど、なぜかgirl friendのloneliness version のディクテをしていたので載せてみました。 http://www.youtube.com/watch?v=TL7wYn-7DVI


[all the tapes were where I was grew up]

I used to walk around by the museum of fine arts in Boston
I would be lonely you know I was wandering clue places room keeps the cezanne
I was that by myself you know g by my hand by my side
girl friend I could look lonely paintings here
you know I could look right through them

I know something that I understand
I understand a girlfriend
now that's girlfriend
that's the G I R L loneliness F R I E N

that's the girlfriend now baby
that's something that I understand

I always used to walk around
I had my heart, my lonely head
I understand a girlfriend
now that's the girlfriend
that's the G I R L F R I E N
now that's the girlfriend now baby ah-
that's something that I understand

I gonna appoint that's stop you'll be gone out

[間奏中、アーとかウーとかルルルルルとか言ってる]

that's right I used to go lonely first I'm little kid
I wandered Fenway at my hand crabbed by my head
I understand, I used to understand a girl that's I used to
I knew I was a little kid

that's girlfriend now I can be G I R L F I E N
I'll said girlfriend now baby

that's something I understand

途中であれやったので、途中でやめました。
ヒアリングできる人は間違ってるとこ訂正してねー。
CD版と読み比べると結構話が違ってきてて、おかしいよねと思うよね。
2011-12-22 01:03:20

イラっとしますわ

テーマ:ハマー
酔ってるかわからんけど、おれが頭だけで考えてこねくり回して見切ってるせいかわからんけどね、自意識過剰な奴はもう一人でやっててくれって思いますわ。こっちはいい気分なのになんでそんなに残念なんかと思います。確かにこんなん強がって言えるのも自分に気の合う人がいるからっていうのでずるい感じはするけどそれ抜きでもいいとこだけ拾ってったらいいじゃないと思うのですよ。もういいじゃない自分がどうとか。一緒に同じ時間を幸せに過ごせる人がいたらいいじゃない。孤独とか一人で感じてばいいんじゃないのかな。周り見たら自分の事考えてくれてる人居るのにそういうのを無碍にするのはどうなんかなって思うの。そういうの大事だと思うんだけどなあ。
ナタデココはおいしいよな。いい感じだよ。おいしいミートソーススパゲティーが食べたいよ。
2011-11-28 22:44:52

yamatsuka happy おれ、げんき。

テーマ:こう
ある偶然の一致が同時に起こる。馬連が当たり、払い戻し金をそのまま全額、賭けたらまた当たるみたいな出来事に直面して、やはり精神を高く振動させ続けることが大事だという東洋思想にかぶれるみたいなことをいまさらながらに思いました。

精神を高揚させて楽しく、頼もしく、また共鳴。というのにはある種の演技とそれに対する実在しない認識の体系のMIXが必要なわけで、それの実現のために精神作用、詐称、だめ絶対だから。1000円づつお金を払わないといけないという事態、実体に相成った訳で、やけになったのも懐かしいですね。

お互いに聴こえていたのは同じ、旋律、リズム、であったのですが、異なった思想、ムーブメントに依拠していたわけで、お互いのfashion(fashionが人を表しているという考えについて逆だから裏の逆で対偶という中学生)からも明らかなのです。

2011-11-28 05:02:09

ラストタンゴ、ラストタンゴ、ラストタンゴin paris とかどうでもよくて、とにかくひどい。

テーマ:こう
(とりあえずこいでの文体)

rbn ise のこと、あと才とか


あーー、なんかー。かなー?

発案されて結局回されたかんじ?

あーー。撮ります



とかよくて



無為、ひげ。。。。 

(小出文体を意識すると内容まで小出調かなー-?)


かなーー、出ます。山塚的な現代的な感じ。ぶつぶつ、魚、魚、魚。


(小出文体で書くことが靄にしかなっていない、字面が気持ち悪い)

2011-10-28 22:44:36

原点回帰

テーマ:ハマー
串カツ屋にいった。塩崎と行った。千円ちょっとではっぴーになった。最近「面白くてしょうがない」っていう夢中になるものがない感じでそんな時で調度良かった。音楽してる人とか生きたくて生きてる人の話を聞いて、納得するものがあった。ビールはキリンよりスーパードライの方が好きなことに気付いた。最近はどうせサラリーもらって嫌々何となく飯を食っていくんだろうと思い込み、諦めて受け入れようモードだったけど、なんか面白いことしていきたいなっていう求める感じが少し戻ってきた。ただ何かを求めてるっていう体でうだうだしてるのは大学生までは許されることだけど真剣に好きなことするのは結構難しいと思った。ただしたいことしてて成り行きにまかせてるだけって言われたけど。
そういうのをすぐ忘れるから形にしとくブルーハーツ。
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