北村紗衣の便宜供与・ 田中東子の査読問題・ 日本女性学会での造反騒動・ 現代フェミニズム研究会設立 の暗流
「北村紗衣は、なぜ見も知らぬ学生の、表象文化論学会加入の推薦人になったのか?」一一この疑問への「解答」示したのが、本稿である。
と言うか、先日アップした拙稿、
を読んで、あなたは「北村紗衣は、なぜ見も知らぬ学生の、表象文化論学会加入の推薦人になったのか?」という「疑問」を、持つことが出来ただろうか?
出来なかった人は、意外に多いと思う。
どういうことかと言うと、要は上の記事を読んで、単に「北村紗衣は、いい加減なことをしてるなあ」と思っただけの人が、案外多いのではないかと、そう疑われるのだ。それどころか、同記事を読んで「ホントだ。北村紗衣先生って、とっても親切な方なんだ!」と本気で思った人も、案外いるのではないだろうか? 一一だとすれば、日本の未来は尚更暗い。
(※ 【訂正報告】・本日アップした本稿では当初、北村紗衣が、当時学生であった面識もない「鈴木さちひろ」氏の学会加入のため推薦人になったのは、「日本社会学会」だという誤認による記述をしていたが、鈴木氏の文章を読み返したところ、「表象文化論学会」であろうことが判明してので、「日本社会学会」としていた箇所を「表象文化論学会」と訂正した。したがって、鈴木氏が現在所属しているのは「日本社会学会」である。
なお、私のこの思い違いは、鈴木氏の記事のタイトル「日本社会学会」に引っ張られたのと、北村紗衣の専門であるフェミニズムは、社会学者が扱うことが多いため、その印象からであった。以上、記して訂正する)
いずれにしろ、上の記事を単に「情報」として摂取するだけで満足して、その意味するところを「考えようとはしない人」という、意外に少なからざる存在というのは、情報過多である今のインターネット社会においては、十二分に想定し得るものなのではないか。
「情報に接すること」と「その情報を理解すること」の区別が、ついていないのである。
ただ「大量の情報に接し、それ記憶する」だけでは「意味がない」。一一というのは、少し考えれば分かる話であろう。
なにしろその人は、胸ポケットに入るほど小さな記憶媒体にも、はるかに劣る記憶媒体でしか、あり得ないからである。
今どきは機械でさえ、既存の情報を複雑に組み合わせることで、新しい情報を作ったりするのだから、単に「大量の情報に接した」だけで、その情報の大半を忘れてしまうような、お粗末な記憶媒体でしかないような人間は、その点に関しては、ほとんど存在価値がない。
もちろん、摂取した情報を、ほとんど完璧に記憶できたとしても、記憶したものをそのままアウトプットして並べるだけなら、「生成AI」より遥かに劣る、というのも、言うまでもないことだろう。
つまり、人間が「情報」を摂取するのなら、「生成AI」の「複雑な組み換え創作」を超えるような、「発想の飛躍」を伴う「情報の再生産」がなされなければならない。言い換えれば、真に「クリエイティブ(創造的)」でなければならない。
無論、「クリエイティブ」と、他人の「猿真似」や「パクリ」との区別のつかないような人は論外。要は、その人でなければ出来ないような「個性のある再創造」が出来なければ、「人間」として、情報を摂取する甲斐がないのである。
閑話休題。
したがって、拙稿「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」を読んで、「そうなのか」で終わってしまったり、「さすがは北村紗衣先生!」で終わってしまったような人は、自分の「思考努力の無さ(怠惰さ)」を反省すべきである。そんなことをしていれば、早晩「認知症」にもなれば「詐欺被害」にも遭うだろうということである。これは、少しも冗談事ではないのだ。
そんなわけで、私の記事を読んで「北村紗衣は、なぜ見も知らぬ学生の、表象文化論学会加入の推薦人になったのか?」という疑問を、持てた人には、次のように尋ねたい。
一一あなたは、その疑問に、自力で「解答」を与えることが出来ただろうか?
本稿は、拙稿「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」において、暗に提示しておいた「北村紗衣は、なぜ見も知らぬ学生の、表象文化論学会加入の推薦人になったのか?」という問いへの、私の解答を示すものである。
つまり、【問題編】にあたる記事「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」に対して、本稿は【回答編】をなすものなのだ。
したがって、この「問題」について、まだ考えていなかったという人は、【問題編】である「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」を読んで、自分なりに「解答」を出してから、本稿を読んでほしい。
そして、すでに自分なりの「解答」を出していた人は、本稿を読んで「答え合わせ」をしてほしい。
私としては、今回の「出題」は、決して高度なものではなく、最初から「解答」を書き込んでおかなくても、多くの人が自力で「正解」に辿りついてくれるだろうと、そう期待し、提出したものであった。
だが、どうやらそれは「期待水準が高すぎたようだ」と思われてきたので、不本意ながら、本稿で「正解」を示すことにしたのである。
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上の記事で、紹介したのは、他の人の書いた「3つの記事」である。
したがって拙稿「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」は、一見したところ「面白い記事の紹介文」と見えるが、本当はそうではない。拙稿「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」もまた、批評文として書かれたものなのだ。
一一つまり、単に「他人の記事を紹介したもの」なのではなく、そうした記事の紹介を通じて「私の見解を(暗に)示したもの」。
紹介した「3つの記事」の記事の「意味するところ」を適切に組み合わせれば、そこに私が込めた「意味」が浮かび上がるように書かれていた、ということなのである。
だから、「3つの記事」について、「こんな記事があるのか」で済ませていては、拙稿「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」を、半分しか読んでいなかったということになってしまうのだ。
さて、この「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」という【問題編】を構成する「3つの記事」とは、以下の3つの「note」記事である。
(1)与那覇潤「ある "学会乗っ取り" の背景: トランスジェンダリズムは「戦前の右翼」である」
(2)MS-420「逆にこの発言で問題が悪化したかもしれない」
(3)鈴木さちひろ「日本社会学会」(※ すでに削除されている)
以上の「3つの記事」について、簡単に紹介しておくと、
(1)は、北村紗衣を中心としてなされた「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」の「発起人(呼びかけ人)」だったメンバーが、既存の学術団体である「日本女性学会」の乗っ取りを企てたという「事件」を伝える報告記事である。
問題は、その手法が、「差別だ!」と声を上げ、学会外部の人間も含めた「署名活動」を展開し、その「数の圧力」で、「日本女性学会」を意のままに操ろうとした、という「オープンレター」と同様の手法が、そこでも採られていた、という事実である。
(2)は、東京大学の田中東子教授の「論文査読」が「身内びいき」的なもので、「利益相反」の疑いがある、と批判するものだ。
こうした批判のうちのひとつに「査読を受けた人物は、田中東子教授の研究室のメンバーではないのか?」と問う指摘があったのだが、これに対して田中は、『(※ 問題視された)冷さんの所属は、私の研究室ではありません。私のHPにもおりません。』『私が指導した学生ではありません』と反論したため、上の指摘をした人物は一応納得したようなのだが、(2)の執筆者である「MS-420」氏は「それで済む問題ではない」と指摘しているのである。
つまり、同じ「研究室」や「HP」に所属しておらず、直接「指導」したことがなかったとしても、その「イデオロギー」や「政治目的」を同じくする人物の論文を「査読」するのは、不適切だと指摘しているのだ。当然のことながら、そこに「同志」に対する「政治的配慮」の入り込む公算が、極めて高いためである。
したがって、田中東子教授の上の「抗弁」は、まったく不十分なものだというのが「MS-420」氏の主張するところなのである。
(3)は、この記事の執筆者である「鈴木さちひろ」氏の「実体験」を記したエッセイである。
学者を志している同氏が、「学会に入りたいけど、推薦人になってくれる人がいないから、入れない」という趣旨のことを、Twitterでつぶやいたところ、縁もゆかりもなかった北村紗衣先生が、そのつぶやきを見て「私が推薦人になってあげましょう」と申し出てくれ、そのおかげで、めでたく「表象文化論学会」に入れた、という経緯を記したものなのである。
この記事については、すでに削除されているが、当方であらかじめログとスクリーンショットを採ってあるので、それを直接見ていただいた方が、下手な要約紹介よりも、「鈴木さちひろ」氏の執筆意図を正確に伝えて、話も早いだろう。
『鈴木さちひろ Sachihiro SUZUKI
2025年4月19日 12:43
博士論文を書くにあたって、そもそもの条件が色々とあり、論文投稿やら学会での発表やら…そのためには◯◯学会へ加入しなければならず、とりあえず…急ぎ“日本社会学会”への入会申込書を本日郵送発送。
入会には推薦者の記名捺印が必要だったので、名古屋学院大学で准教授を務める知人にお願いをし、書類を整えた。
過去には“表象文化論学会”へ加入していて、この時にもやはり推薦者がマストだったのどけれど…Twitterで「入会したいけど、身近に推薦して頂けそうな方がいません…」と呟いたら(御著書も色々拝読していた)北村紗衣先生から「推薦しますよ」というありがたいリプを頂き、加入することができた次第(本当に感謝です)
こちらの学会へは、以降、色々なセミナーに参加させて頂いたりしていて凄く役立っている。(以下略)』
私は、「鈴木さちひろ」氏によるこの記事について、拙稿「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」で、次のような「解説」を加えた。
『驚くべきことに、北村紗衣先生は、Twitterのつぶやきを見ただけで、頼まれたわけでもないのに、ご自分の方から積極的に、見も知らぬ人の推薦人になってあげたらしい。なんと、度を越して親切なことか!』
そして、上の記事のコメント欄にも書いたことなのだが、私のこの記事がアップされた6時間ほど後には、「鈴木さちひろ」氏による当該記事「日本社会学会」は「削除」され、跡形もなく消えていた。
そして今のところ、同氏の記事を採り上げたことについて、私は同氏からは、お礼は無論、批判のご連絡も受けてはいない。
だから、「鈴木さちひろ」氏が、どうして自身の記事「日本社会学会」を「削除」したのか、その意図は確認できていない。
だが、ほぼ間違いなく、同氏は、私が記事を引用紹介しているのを見て「マズいことを公にしてしまった」と気づき、慌てて削除したと、おおむねそういう事情なのではないだろうか。
あるいは、「鈴木さちひろ」氏の「表象文化論学会」入会の推薦人になったのだから、当然、その後もなんらかの繋がりがある北村紗衣が、いつも気にかけている「私の記事」を読んで、初めて「鈴木さちひろ」氏の記事「日本社会学会」の存在を知り、「なんてことを書いてくれたのよ!」となって「お叱りのメール」が「鈴木さちひろ」氏へと飛び、それで記事が削除された、ということなのかもしれない。
なにしろ、北村紗衣と私は、研究対象と研究者の間柄だから、北村紗衣は、陰ながら、いつも私の記事をチェック(エゴサーチ)してくれているからである。
さて、以上が【問題編】である。
ここまでで、「解答」へと辿りつくための「すべてのヒント」は、読者に与えられている、というわけだ。
以上のことを、紹介した拙稿「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」を読んで、そこに秘めた「出題」の存在に気づき、さらにその「解答」にまで正しくたどりついた人は、一体どれだけいるだろう?
一一ここからが、【回答編】である。ぜひ「答え合わせ」をしていただきたい。
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しかしまあ、ここまで書けば、その「解答」も、おのずと明らかだろう。
「北村紗衣は、なぜ見も知らぬ学生の、表象文化論学会加入の推薦人になったのか?」
という「疑問(設問)」あるいは「問い」の正解は、
・学会内に子分を作るため
である。
自分(北村紗衣)が推薦人となってやったおかげで、その人物が、普通なら入れなかった学会に入会でき、会員に限定された「便益」に浴することが出来るようになったのであれば、当然、その人物は、自分(北村紗衣)に「恩義」を感じて、たいがいのことについては、私(北村紗衣)の「指示」に従わなければならなくなるだろう。一一そう、北村紗衣は考えたであろう。
つまり、「子分(手下・手駒)化」である。
無論、推薦はされたけれど「あとは、自分の良心にのみ従って学問の道を追求して、誰の指示にも意向にも従わない」というほど骨のある人物ならば良いのだが、それはそれで、北村紗衣からすれば「裏切り者」でしかなくなるだろう。
だが、いずれにしても、そんな「骨のある人物」など滅多にいないし、ましてや、慌てて「記事を削除するだけ」の人になど、到底「骨がある」とは思えない。
まして、Twitter上で見つけた、自分の意見に反論する者や意に沿わない者に対しては、「ファンネル・オフェンス」を使役して黙らせてきた北村紗衣なのだから、「恩を仇で返す」ような者の存在を許すわけがない。
したがって、恩人である自分の指示に従わないような者など、きっと自らの手で、その将来を摘み取ってしまうだろう。
これまで、呉座勇一や山内雁琳などの敵手の「職を奪って」きた北村紗衣なのだから、そのくらいのこと、考えない方が不自然なのである。
一一そんなわけで、北村紗衣のこと知っていればいるほど、北村紗衣に対しては逆らいにくくなる。
ましてや、同じ業界の「大先輩」であり「有力政治家」であると知っていたなら、立場的に言っても「逆らえるわけがない」ということになるのだ。
だが、ここでよくよく考えなければならないのは、北村紗衣が「便宜」を図って、学会に入れてやった「若手会員」とは、「鈴木さちひろ」氏、ただ一人なのか? 一一という問題である。
無論、そんなことはあり得ない。
なぜなら、「子分(手下)づくり」をするというのは、「子分(手下)は、多い方が良い」と考えるからであり、北村紗衣は、そう考えて、見も知らぬ「鈴木さちひろ」氏にまで「声をかけた」のだと、そう考えるべきなのだ。
つまり、北村紗衣が声をかけて、学会の「会員にしてやった」若手研究者は、すでに少なからず「学会内に入り込んでいる」と、そう考えるべきなのである。
「若手」であろうと、学生に毛が生えただけの「ヘボ研究者」であろうと、「会員は会員である」から、当然のことながら、その学会内においては、「一定の発言権」が与えられる。
だとすれば、そういう「その他の会員」であっても「頭数」が揃えば、それなりの「影響力」を、確実に行使できるだろう。
つまり、便宜を図って、学会に入会さえてやるというのは、推薦者の学会内における「影響力=政治力」を高めるためでもあると、そう考えるべきなのだ。
ある議題について、民主的に「多数決」を取る局面になった際、そうした「にわか学者」たちであっても、「一票は一票だ」ということになってしまう。
実際、そうした「頭数」効果は、「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」でも、与那覇潤が報告した(1)の 「日本女性学会における造反劇」でも、あきらかな効果(影響力)を発揮しているのである。
だから、「オープンレター」の面々が、「質」の問題は別にして、ひとまず「仲間の頭数を増やそう」と考えるのは、当然のことなのだ。
一一となれば、北村紗衣が、見も知らない「鈴木さちひろ」氏を「表象文化論学会」に引っ張り込んだのも、単なる「親切」などではないと考える方が、よほど合理的であろう。
しかもだ、ひとまず「仲間の頭数を増やそう」と考えたのは、なにも北村紗衣ひとりではないはずた。
つまり、「オープンレター」を主導した面々、あるいは、彼(女)らが主導して最近立ち上げ、北村紗衣も所属している「現代フェミニズム研究会」の面々だって、当然、似たようなことを考えているはずなのである。
そうした面々は皆、北村紗衣と同様、自分たちの「党派」の、学会内における影響力を強めるために「学会に、若い研究者を引き入れて、私兵化する」という「党派組織の強化」を、北村紗衣と同様に、すでに遂行している蓋然性が極めて高いし、そう考えない理由など、どこにも無い。
ということは、すでに指摘したとおりで、「オープンレターの面々」が所属する「各種学会」には、すでに北村紗衣や田中東子や河野真太郎や清水晶子いった大学教授たちの「息がかかった若手研究者」が、多数入り込んでいる蓋然性が、きわめて高いのだ。
さて、ここで「田中東子の査読」問題を考えたい。
「田中東子が、論文の査読において、身内びいきしているのではないか」という批判に対し、田中本人は、前記のとおり『(※ 問題視された)冷さんの所属は、私の研究室ではありません。私のHPにもおりません。』『私が指導した学生ではありません』と反論した。しかし、例えば、その「査読対象者」の中には、北村紗衣の関係者や、河野真太郎の関係者までもが、1人も含まれていなかったのであろうか? 一一ということだ。
なにも、この3人だけではない。
「オープンレター」の発起人(呼びかけ人)だけでも10数名、署名者に至っては1000名以上いるのだし、「オープンレターの面々」か先ごろ立ち上げた「現代フェミニズム研究会」に所属する学者も数十人いるのだから、それらの人々とすら、まったく誰とも関係のない若手研究者の存在など、そもそも考えられない。
なぜなら「日本のフェミニズム研究業界」というのは、そこまで規模の大きな世界ではないからである。
つまり、仮に「若手ヘボ学者」の「ヘボ論文」であっても、その執筆者が「現代フェミニズム研究会」の会員や会員の学生や、あるいは入会してくれそうな若手のものなら、査読担当者・田中東子の直系の学生ではなくても、その「査読」は、おのずと甘くなるのではないだろうか。一一なぜなら、それも「仲間(手下)を増やす」という大目的の為だからである。
つまり「優れた学者を育てるため」に査読するのではなく、「業界内に手下を増やすため」に査読するのなら、その査読が「甘くなる」というのは、理の当然なのだ。
むしろ「手下」は、「優れた学者」であるよりも、自立できない「ヘボ学者」の方が「扱いやすい」とも考えられるのである。
したがって、「北村紗衣の(入会)便宜供与」と「田中東子の査読」は、「党派拡大」という大目的においては、一体のものと考えていい。
「学会に潜り込ませて、その論文を甘く評価して肩書きをばら撒き、業界内での発言権を与える」というのは、一連のものなのだ。
いくら「ヘボ学者」であっても、業界(学会)内部では「肩書きが物を言う」部分は確実にあるのだから、手下に肩書きを与えておくというのは、有事蜂起の際の「武器」を与えておく、ということなのである。
さらに言えば、「学会に潜り込ませて、その論文を甘く評価して肩書きを与え、業界内での発言権を与える」という一連の作業は、「オープンレターの面々」の中において、相互的なものであるからこそ、効果的なのだ。
つまり、「北村紗衣が便宜供与して入会させ、田中東子が査読する」だけではなく、「北村紗衣が便宜供与して入会させ、河野真太郎が査読する」。
逆に、「田中東子が便宜供与して入会させ、北村紗衣が査読する」とか「河野真太郎が便宜供与して入会させ、北村紗衣が査読する」ということもあり得るし、「田中東子が便宜供与して入会させ、河野真太郎が査読する」などのパターンも、当然あり得る。
一一そして、この3人だけではなく、田中東子と同じ東京大学教授の清水晶子など、「現代フェミニズム研究会」会員の学者間や「オープンレター」関係学者の間で、相互にこのようなことが行われれば、早晩、「日本女性協会」や「表象文化論学会」や「日本社会学会」だけではなく、北村紗衣や田中東子や河野真太郎や「現代フェミニズム研究会」の面々が所属する、「あらゆる学会」において、「日本女性学会」で発生したのような「乗っ取りのための造反」が起きないとは限らないのだ。
なにしろ、すでに、北村紗衣らの「手下」が、多数、各学会の中に入り込んでいる蓋然性が、きわめて高いのである。
例えば、現在、会員募集中である「現代フェミニズム研究会」に入っておけば、各種学会に入る際に「便宜が図ってもらえる」とか、「論文査読の際に(顔見知りの先生がいて)有利である」とかいったことになれば、学者になりたいだけの「非倫理漢」は、こぞって「現代フェミニズム研究会」に入会して、先輩会員である「教授」たちに「個人的なコネ」を作ることで、便宜を図ってもらおうとするのではないだろうか。
少なくとも、見知らぬ人物の学会入会の推薦人になる北村紗衣なら、同じ研究会に属する若手の推薦を断る理由など、どこにも無かろう。
また、そのようにして頼られた先輩学者の方も、そこで便宜を図ってやり、恩を売っておけば、のちに「事を起こす」際などには、そうした若手たちを「戦闘員(雑兵)」として動員することができるのから、「学者としては三流」でも「言いなりになる手下」の「頭数」を増やしておくというのは、政治的に、きわめて意味のあることなのである。
一一だからこそそれを、すでに実行に移してもいるのだ。
(1)の記事で、与那覇潤も強調していたのは、「日本女性学会における造反劇」では、造反グループが「学会外部の人間にまで署名を集め、その頭数の力で主導権を握ろうとした」という事実である。
これは、この「乗っ取りのための造反劇」を告発した、同学会の元理事や、現会員の発言の「外部の人は口を挟まないでほしい。自分たちのことは自分たちで、話し合って決めるのだから(決めたのだから)」という主張を受けてのものだ。
この「外部の人は口を挟まないでほしい。自分たちのことは自分たちで、話し合って決めるのだから(決めたのだから)」という主張は、至極もっともなものである。
しかしながら、それを主因として「造反者たち」を批判した場合、当然、造反者たちは「ならば、会員の多数決のよる結果なら、あなた方も無条件に従うのですね?」と、いずれそう問い返してくるだろうし、それに対して「そりゃあ、民主的な組織ですから、当然従いますよ」とでも回答すれば、言質を取ったとばかりに始めるのが、「手下の会員」づくりだというのは、目に見えた話なのである。
いや、すでにそれは、着々と進められているのだ。
「正規の手続き」を従って、手下を「会員」したなら、その「頭数」の力で、今度こそは学会を乗っ取ることができるはずだし、それならもう「どこからも文句は言わせない」ということにもなるだろう。
だから、「日本女子学会での造反劇」と、「北村紗衣の便宜供与」と「田中東子の査読」問題と「現代フェミニズム研究会の設立」は、すべて「裏で連動している」蓋然性が、きわめて高いということなのだ。
すべては、「学会内部に手下を増やして、数の力で学会を牛耳ろう」という、一連の「策謀」の各パートだった、ということである。
したがって、私の示した「3つの記事」を読んで、それを「そんなこともあるのか。こんなこともあったのか」というふうに「バラバラに読んでいるだけではダメ」なのである。
一見バラバラに見える「事件」の背後には、「隠された、一貫した意図」が作動しているのであり、そこまで読み取れなければ、この「連続した事件の本質」を理解したことにはならないのである。
私の記事「とっても親切な、北村紗衣先生に感動!」を、読んで「理解した」と言うためには、そこまで読み取らねばならなかった、ということなのだ。
そこまで読み取って、初めて「事の真相を理解した」ということになるのである。
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そんなわけで、「日本女性学会」や「表象文化論学会」、「日本社会学会」だけではなく、北村紗衣や田中東子などの「オープンレター」メンバーや「現代フェミニズム研究会」のメンバーが所属している、すべての各種学会においては、こうした「内部からの政治的乗っ取り」を許さないための「対策」が、必要かつ急務であろう。
具体的に言えば、「加入のための推薦人制度」を見直して、一人の会員が推薦できる人数を厳しく限定するとか、業界政治的な意図を持ったグループの言動を監視して、そうした「原理主義」的なグループの、メンバー内での相互扶助的な会員推薦や査読を許さないようにするなどの、「監視と備えと組織管理」が必要となる。
同じ学者同士でそんなことをしなければならないというのは、極めて遺憾なことではあろう。
だが、それをやっていなかったが故のガバナンス不全によって、現に「日本女性学会」は、乗っ取られかけているのだから、そうした事情を知る他の学会は、これを「他山の石」として、必要なガバナンスの強化を行い、組織と学問の自由を守る義務がある。
しかも、政治的な意図に基づく「会員推薦」だの「手心を加えた査読」などを許せば、その学会が「乗っ取られる」だけではなく、その学問ジャンル自体の「質の低下」も、おのずと招かざるを得ないだろう。
そうなれば、それこそ「役に立たない文系の学問など、無くしてしまえ」という浅はかな声に、こちらからその根拠を与えてしまうことにもなるのだから、「文系の知」が「決して無力ではない」というところを、行動と結果において、いまこそ示してみせるべきなのである。
はたして、あなた方の学問と学会は、その知略をもって生き延びる「備え」ができているだろうか?
(2025年5月26日)
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(※ 北村紗衣は、Twitterの過去ログを削除するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべて削除させている。上の「まとめのまとめ」にも90本以上が収録されていたが、すべて「削除」された。そして、そんな北村紗衣が「Wikipedia」の管理に関わって入ることも周知の事実であり、北村紗衣の関わった「オープンレター」のWikipediaは、関係者名が一切書かれていないというと異様なものとなっている。無論、北村紗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、多数にのぼるだろう。)
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