萌ゲーアワード受賞のアダルトゲーに転生したと喜んでたら実は設定が似通ったとある洋館ホラーゲーだった件   作:シン・タロー

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 かつては何の躊躇いも持ち合わせてはいなかった。

 ヒツジは宴の道具であり、餌。べつに考えが変わるような決定的な出来事があったわけではない。

 だが待雪マリはいつからかヒツジの目に耐えられなくなり、部屋へ閉じこもると宴に参加することもなくなった。

 

 家庭教師を名乗る男が訪れたのは、そんな折である。

 

 たんに新たなヒツジを呼び寄せたに過ぎないのか、急に家庭教師などあてがったツキハの思惑を考察しつつも、待雪マリは流されるままにぼんやりと日々を受け入れた。

 何かを期待していたわけじゃない。

 

 清廉な優等生の少女。人として過ごす待雪マリの印象は概ねそんなところである。

 家庭教師は真面目で少し臆病なところは見受けられるが、優しい男だった。

 相性は決して悪くはなく、穏やかな時間と共にささやかな交流が描かれる。

 

 だがここは狼戻館。魔性の館に安寧など続くはずもない。

 狼戻館の恐怖にさらされ疲弊していく男は、ついに住人の秘密を突き止める。

 

 男は、待雪マリに宴など止めるよう迫った。家庭教師を経て待雪マリの人間性に可能性を見出したのだ。人のように暮らそうと懇願し、根気強く説得を繰り返した。

 

 しかし待雪マリに宴を止める手立てはない。男が館から出るには、館に住まう化物を排除するしか方法がない。

 排除とは当然、待雪マリ自身も含めてだ。

 

 ならばと待雪マリは、男に手鏡を渡す。呪具であり、最重要アイテムの一つだった。

 そして待雪マリは初めて男へ微笑みかけるのだ。意図は明かされない。もしかすると、これまでのヒツジへの贖罪の意味があったのかもしれない。

 最後まで渋っていた男もやがてその笑みに背中を押され、待雪マリを映した手鏡を破壊する――。

 

 

 

 以上がセンジュを介さず待雪マリを殺害する、もう一つの解法である。

【豺狼の宴】第一章“コドクノドクガ”はこうして幕引きとなる。

 

 マリは絶対的強者の立場にいながらヒツジを恐れていた。原作主人公の“人間らしい暮らしを”との説得に応じなかったのも、きっと今さら人になどなれるわけがないと罪の意識に苛まれていたからだ。

 そう、当時の多くのプレイヤーも解釈した。恐怖を与える側である化物の境遇に同情し、やるせない気持ちを抱えて第二章へと進んでいく。

 

 

 ……果たして本当にそうだろうか?

 現在エイイチが背を追いかける、現実のマリは本当にそんな底の浅い(・・・・)存在なのだろうか。

 

 エイイチは見てきたはずである。本来のマリを。ゲームでは描かれることのなかった、マリという少女の本質を。

 怠惰で短気、時には尊大で。年頃の女子の感性も併せ持ったマリを、エイイチは一番近くで見てきたはずだ。

 

 たとえばエイイチの行動や思想が【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】から強く影響を受けているように――。

 マリにもあるのだ。己のスタンスや理想に深い影響を及ぼしたものが。

 

 それが【ノベルティック・ラブ】だった。

 

 昼下がりの暇な時間も、寝る前も。マリはしょっちゅうこの漫画本を手にベッドを占有し、うつ伏せて足をパタパタやっていた。エイイチがパンツを覗き込もうと後ろに回り込んでもまるで気にしないほど集中していた。

 

 内容はそれほどめずらしいものでもない。

 普通に学生生活を送る普通の女子高生である主人公が、謎に影がある転校生に惹かれやがて恋に落ちていく。転校生の正体は実は(あやかし)で、ツガイと見初められた主人公が現世と幽世を行ったり来たりする和風伝奇ラブロマンス。

 全十五巻で発行部数は三百万部を突破している。

 

 面白さはエイイチも認めるところで、漫画を読んでいるときのマリは基本的に物静かな読書女子だった。さすがに太ももへ触れたりすれば蹴飛ばされた挙げ句睨みつけられるのだが、節度を守って眺める分には無害である。

 

 マリは人間に憧れ、化物である自身を嘆く悲劇のヒロインなどでは断じてない。

 恍惚と漫画を読み進める瞳は人への憧れではなく、もっと普遍的な感情の部分への――。

 

 

◇◇◇

 

 

「なんで逃げんの!?」

「追っかけてくるからでしょ! 見ないでって言ってるのに!」

 

 階段を上りきったエイイチは、膝に手をついて呼吸を整える。エロゲーヒロインの願い事は、すべて叶えるのが主人公の心意気。見ないでと言われれば見ない。

 

「はあ、はあ……大丈夫、見ないから」

 

 エイイチは取り込んでいた洗濯物をポケットから引っ張り出すと、ブラジャーを額へ鉢巻のように巻いた。後頭部でしっかりと結び、もう一枚取り出したブラジャーを目元の下へ装着する。

 四方の視認性が著しく低下した狭い視界で、エイイチはマリの頭を真っ直ぐ見据えた。ブロウバンドやシャドーロール、もしくはブリンカーを装着した競走馬の如き眼差しだった。

 

「よし行くぜ。待ってくれマリちゃん!」

 

 三階廊下を全力で疾駆するエイイチ。逃げつつ振り向き、あ然と言葉を失くすマリの瞳と視線が交わる。

 

「な――……なんでわたしのブラ顔に巻きつけてるの!?」

「これでもう、俺にはマリちゃんの顔しか見えてないから!」

 

 事実、エイイチは壁や柱に何度もぶつかりながらマリへと迫っている。揺れるブラジャーはエイイチの目の大部分をちらちら隠し、もはやなんとなく勘で走っている状態だった。

 

「ばかじゃないの!? ばかじゃないの! 追ってこないでよ変態!」

「バカバカ二回も言うことないだろ! こっちは要望通りやってんのに!」

「自分の下着顔に巻いた男が追ってきて、止まる女子がいるわけないでしょ!」

 

 マリの言い分はぐうの音も出ないほどもっともだ。言い返せない正論にエイイチの精神がごりごりと削られる。

 しかしエイイチは走ることをやめず、センジュとの一戦で疲弊したマリとの差は徐々に詰まっていく。

 

「もう! もう――……あ!?」

「ちょ!? マリちゃん危――」

 

 ふいに足をひねったマリへ、エイイチが後ろからタックルする形となった。二人はもんどり打って廊下を転がり、仰向けに倒れるマリへとエイイチは慌てて這い寄る。

 

「見ないで!」

 

 エイイチは覆い被さるようにマリを見下ろした。

 ちょうど腕を押さえられた姿勢のために隠せない顔をマリは背ける。モスアイ構造の複眼だけは、よく確認しなければただの黒い瞳に見えるかもしれない。こんな状況においてもマリはそんなことを考えている。

 

「はあ、はあ……だから俺は、なんも見えてないって!」

 

 エイイチの顔には垂れ下がる二枚のブラジャー。どう取り繕おうとも変質者のそれだ。だがマリが見る限り、ブラの隙間の奥に覗く瞳にヒツジの怯えはなかった。膝を立てたり、払いのけることすら造作もないはずだがマリはそれをしなかった。

 

「マリちゃんのことなんか何も見てない、知らない。だいたい、マリちゃんはどうなんだよ!」

 

 エイイチはポケットから引き出したパンツを、マリの目元へ被せた。覆面のようにパンツで顔全体を覆ったわけではなく、あくまで目元のみ。まさにパピヨンマスクの様相だ。

 

「マリちゃんだって何も見えてないだろ俺のこと。なんも知らないだろ。でもそれでいい」

 

 双眸にかかるパンツが邪魔で、マリのわずかな視界はエイイチの瞳を強調して映す。それ以前に、エイイチが何を言っているのかマリは一つも理解できなかった。

 

「いいんだよそれで。恋は盲目なんだから。見たいものだけ見てれば、思い描いた理想を見てれば今はいい」

 

 言葉が出てこなかった。エイイチが何を言おうとしているのか、マリはそれだけを気にして瞬きもせずに瞳を注視している。

 

「マリちゃんは俺に恋してる」

 

 元より大きなマリの瞳がなおさらに広がった。

 恋、とエイイチはたしかに言った。つまり、恋とはどういうことなのか。それは【ノベルティック・ラブ】なのか。マリは混乱する。

 

「俺も同じなんだ。好きだよマリちゃん」

 

 は――。と、淡く開いたマリの口から吐息がもれる。思えば最初に会ったときからエイイチは好きだの結婚しようだの言っていたのだ。今さらな台詞を前にして、なのにどうしてか呆れも怒りも湧いてこない。

 やっとの思いで疑問を絞り出す。

 

「……これが……恋……? なの? わたし、エーイチくんに恋してるの?」

「ああ。間違いないよ」

 

 答えの出なかったもやもやとした感情を、なぜこうも自信満々にエイイチは言い切れるのか。

 

「えと……大丈夫?」

 

 まるで事後のように無言で虚ろに横たわるマリが心配になり、エイイチは手を掴んで引っぱり起こす。黒髪の乱れを直し、背中や尻やもも裏の埃を叩き落としてやると、エイイチはマリの手を離した。

 

 マリの顔に張りついていたパンツが自然と剥がれ落ち、エイイチが拾い上げる。すると、マリが手を差し出している。パンツを渡そうとすれば手を引っ込めるので、首を捻るエイイチ。

 

「な、なに?」

「なにって。もう帰るでしょ。……ん」

 

 再び差し出された手を、エイイチは悩んだ末に握りしめる。マリは踵を返してエイイチの手を引き歩き出した。私室まで大した距離があるわけでもないのに、繋いだ手をマリが離すことはなかった。

 

 顔に二枚のブラジャーを垂れ下げながら、エイイチはマリの熱い体温を手のひらで感じ取っていた。

 これはもう、今夜中に行くところまで行くのではないかと。そんな確信めいた思いがよぎる。

 

「はやく入って。エーイチくん」

「お、おう」

 

 エイイチは期待を胸に、若干の緊張も覚えていた。マリに顎で促され、ロボット同様の固い動きで入室する。

 月明かりが蒼く差し込む薄暗い部屋へと、二人は静かに消えていった。

 

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