萌ゲーアワード受賞のアダルトゲーに転生したと喜んでたら実は設定が似通ったとある洋館ホラーゲーだった件   作:シン・タロー

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#70

 再び半日もの間を費やして引き返す決断は、苦痛をともなうものだったに違いない。

 出口の閉ざされた空間で、希望はなく、言葉もなく、景観もへったくれもない通路をエイイチとアヤメはひたすら歩んだ。

 

 そうして雑多に物が溢れるエントランスホールへとようやく舞い戻る。ここも得体の知れない場所ではあるが、延々と伸びる廊下を進むよりはましに思えた。

 

「……ただいま」

 

 無意識にエイイチが、そんな風に呟いてしまうほどには。

 

「はぁ……はぁ……うっ」

 

 汗を拭うエイイチの傍らで、アヤメが崩折れた。素早くエイイチは手を伸ばすと、アヤメの肩を支えながら屈んで水を差し出す。

 アヤメのやつれきった顔を見れば、その疲労が深刻な域に達していることがエイイチにもわかる。洗練されたメイドの姿はもうどこにもなかった。

 

「節約だとか気にしないで飲んでください。今は少しでも休まないと」

 

 ひび割れた唇はしかし水を口にせず、アヤメは震える指先をエイイチの背後へ向ける。

 

「……ショウ、ブ」

「え?」

 

 エイイチが振り返ると、そこにショウブが立っていた。髪の長い、幼い男児の姿のまま。赤い照明の下、今度は幾分か表情が見える。

 

「お、こっち来なよショウブくん。ちょっとだけど水もお菓子もあるよ。一緒にお姉さんの看病しよう」

 

 チョコバーを振って誘うも、ショウブは無感情に、光のない眼差しでアヤメを見据え続ける。しばらく立ち尽くしていたショウブは、やはり霞がかったように消えてしまう。

 目をごしごしと擦るエイイチ。

 

「……アヤメさんの弟って、MC(マインドコントロール)の使い手だったりします?」

 

 であれば恐ろしい。知らない間に感度千倍なんて淫術を仕掛けられたら、特殊な訓練を受けていないエイイチは抗える自信がない。

 

「あのような、冷たい目をする子では、なかったのです。でも……すべては、私のせい。恨まれて当然。そう、力を奪われたのも、当然の報いです」

 

 あえぎあえぎ紡がれる言葉の意味を理解するよりも、エイイチはアヤメの体調が心配だった。多少、無理矢理にでも唇へペットボトルを押しつける。

 館の力を失ったとはいえ、アヤメの消耗の激しさにはエイイチも戸惑うばかりだ。

 

「エーイチ、様」

「はい。なんですかアヤメさん」

 

 床に横たえられたアヤメの、片方の眼球がゆっくりと動いてエイイチを見つめる。

 

「封印が解けなければ、ここを出ることは叶いません。どうか……あなただけでも」

「な、なに言ってるんですか! こんなバグさっさと取り除くんで、弱気になんないでくださいよ!」

 

 エイイチは思わずアヤメの手を取った。冷たく細く、まるで剥き出しの骨をそのまま掴んだかのように錯覚し、手もとを確認してしまう。

 

「いいのです。これが、私の業。ショウブの仇は、ツキハ様や、狼戻館の住人じゃない。本当は、あのときショウブを――」

 

 アヤメがフッと、力なく笑った。

 

「私が殺すべきでした」

 

 

◇◇◇

 

 

 狼戻館には雨が降り注いでいる。

 ツキハはマリとセンジュを連れ、焼却炉奥へと隠された石塔の前へ立っていた。ショウブの墓石だというそれを、三人は傘もささずに見下ろしている。

 

「それじゃあ、エーイチくんもアヤメさんも……この中に?」

「だったらこれぶっ壊せば早いだろ。やるか」

 

 やる気十分に肩を回すセンジュを、ツキハがそっと引き止めた。

 

「だめよ。中に封印と同じ状況が作られていた場合、外部の力で破壊なんてしたらどうなるかわかるでしょう。二人とも助からない」

 

 振り上げた拳の行き場を失くし、センジュは悔しげに犬歯を噛みしめる。マリのように感情を表へ出さなくとも、気持ちは一緒なのだ。

 

「でも、アヤメさんもいるんだし。エーイチくん、大丈夫だよね」

 

 待つしかない歯痒さを顔に滲ませながらも、マリはつとめて明るく言い放った。

 

 ツキハは答えず、雨空を見上げる。

 

「夜陰の及びし、御山……」

「ちょっとお姉ちゃん。やめてよこんなときに、そんな(うた)

 

 唐突な呪詞を咎めるマリだったが、ツキハは彼方へ視線を投げ続ける。どこか遠い景色を見ているようで、マリもそれ以上言葉を挟むことが憚れるのだ。

 

「知っていて? 昔、この辺りの山には“神皮(かんぴ)”と呼ばれ、恐れられる黒毛の大狼が棲んでいた」

「……それって、ガンピールのことだろ」

 

 ツキハは微かに頷くと、目線を空から戻す。今度は狼戻館を取り囲む、広大な森へと目を這わせた。

 

「山のふもとには、かつて小さな村があったわ。近くでは戦が絶えなくて、村へと迷い込む落人(おちゅうど)が多くいたの」

 

 まだ狼戻館も建っていない頃の話だ。ここら一帯は、現在のように俗世と隔絶された場所ではなく、森を下った先にはたしかに村が存在した。

 

「村人達は快く落人を匿った。傷が癒えるまで親切に介抱し、快復した落人には逃げ延びる道筋を教えてあげた。森の深いところへ続くそのルートは、落人を神皮の生贄へと捧げるため――」

「ガンピールが生贄なんか望むわけない!」

 

 ツキハは“わかっている”とでも言いたげに、一瞬だけセンジュへ向け片眉をあげてみせる。

 

「だって怖かったのよ、得体の知れない黒狼が。異形が、ね。事実、送り出した落人はただの一人も生きて村へ戻ってくることがなかった。……けれど、長く戦が起きないときもあったわ。そんなときは仕方なく、村の誰かを生贄に捧げなければならない」

 

 森を見渡したツキハの瞳が、石塔に留まる。アヤメとエイイチを飲み込んでしまった、待雪ショウブの墓石に。

 

「選ばれたのは両親のいない、まだ幼い姉弟。弟の方は生まれつき盲目(・・)で、そして病弱だった。だから口減らしに選ばれてしまった。姉はもちろん、泣きじゃくって最後まで反対したのだけれどね」

「お姉ちゃん、それって……」

 

 何かを察したマリは、ツキハと同じく墓石に視線を落とした。

 立ち尽くすマリとセンジュ。二人の濡れた前髪を、ツキハは順に撫でて雫を払う。

 

「あれから何年、何十年……いえ、もっとね。もしアヤメさんが狼戻館に見放されたのだとしたら、それほど時間は残ってないわ」

 

 墓石に柔らかく触れるツキハの手は、とてもショウブを手にかけたものと同一とは誰も信じないだろう。

 

「アヤメさんは人間。本来、もうとっくに(・・・・・・)死んで(・・・)いるのだから(・・・・・・)

 

 

◇◇◇

 

 

 長い夢でも見ているようだ。

 骨だけになった己は、すでに風化している。強い風が吹き、かろうじて原型を保っていた体が粉々と散っていく――。

 

 目覚めたアヤメは、痩せ衰えた腕を持ち上げた。乾燥した青白い手の爪はひび割れ、握り込もうとしてもうまく力が入らない。

 アヤメにはわかっている。夢は間もなく現実となり、肉体は朽ち果てる。

 

「あ。アヤメさん、ゆっくり休めました?」

 

 濡れたタオルを手に駆け寄ってきたエイイチは、アヤメが上体を起こすのを手伝ってくれる。先の見えない状況で自身も不安だろうに、いつもの屈託のない笑顔で。

 

「私は……どれくらい眠っていましたか?」

「三、四時間ってとこですよ。ほら、寝起きはしっかり水分とって。チョコバーも食べちゃいましょう」

 

 もはやこの身はなんの役にも立たず、エイイチの邪魔にしかならないだろう。だけどアヤメにはまだ出来ることがある。たとえ自分は助からなくとも、エイイチに伝えられることがある。

 ショウブのこと、自らの考察を。エイイチと共有することで、それがきっと封印を解く一助となる。

 

「エーイチ様。私の話を……聞いてくださいますか?」

「もちろん。いつも言ってるじゃないですか。俺にとってアヤメさんの話は、絶対に忘れない教典みたいなもんですから」

 

 やはりどんな危機に陥ろうとエイイチは変わらない。この男を見込んだのは間違いではなかった。自身の“他人を見る目”というものを少し誇らしく思い、アヤメは無意識に笑んでいた。

 

「……弟は体が弱く、目も見えませんでした。でも境遇に不満をもらすことはなかった。貧しい暮らしにもめげず、いつも優しさをたたえた笑みを見せてくれていた。あの笑顔に私が、どれほど救われていたか」

 

 アヤメが見上げれば、静かに耳を傾けるエイイチの顔がある。不思議と、あの頃に似た暖かさでアヤメは満たされていく。

 

「あの子は希望に満ちた展望を私に語ってくれた。楽しげで安らかな未来の日々をたしかに描いていた。神皮に差し出されることが決まった日でさえ、気丈に振る舞って……むしろ私を元気づけようとしてくれました」

 

 森へ立ち入ることは禁忌とされていた。長屋と畑にしか居場所のなかった当時のアヤメには、大人の目を盗んでショウブを追うことは難しかった。

 

 霞む視界のせいか、思い出が胸に走らせる棘のような痛みのせいか。目もとを歪めたアヤメは、ショウブの面影を求めて自然と手を伸ばす。

 アヤメがハッと過ちに気づき落とす手を、エイイチはすくいあげると握りしめた。

 

 安堵したかのように目を細め、アヤメはまた口を開く。

 

「数年が過ぎても私は、ショウブが生きていると信じていた。そうして、ようやく森に入って、何日もさ迷って……」

「再会できたんですね?」

「はい。夢でも、幻でもありません。ですが弟は……ショウブは、以前とはまるで違う(・・・・・)存在になっていました」

 

 冷酷で無慈悲、無感情な――例えるなら、ショウブの姿をした化物。

 だがアヤメはそれでもよかったのだ。今度こそショウブの側を離れないと決めた。

 

 異形と化したショウブは人を超越した力で森を支配下に置いた。変わらず村から送られてくる生贄は容赦なく己の()とした。

 

 長い年月が過ぎ、いつしか生贄の風習もなくなっていた。“狼戻館”が建てられたのはこの頃になる。森深い場所にぽつんと建つ館の異様さはオカルトじみた噂を呼び、人足を遠ざけた。

 

 アヤメとショウブは二人きりで暮らしていたが、やがて各地を追われたという四名の異形をショウブは受け入れる。

 

「異形は、異形。ただの血を好む化物です。正直、私は恐ろしかった。でもショウブは、絶対に私への手出しを許しませんでした。……前々から抱いていた疑念が、私の中で少しずつ確信に変わっていったのです」

「疑念?」

「もしかするとショウブは、ショウブのままなのではないか、と。冷酷な異形の中に、やさしいあの子がまだ生きているのではないか、と」

 

 言葉を振り絞り、アヤメは訴えかける。

 同意してほしいのだろう。望む通りにエイイチは頷きを返した。

 

「だって、ツキハ様が、怯えるマリ様を連れて館を訪れたとき……私は、ショウブがすぐに二人を殺してしまうだろうと予感しました」

 

 それは二人が、アヤメの知る異形とはあまりにかけ離れて見えたから。ただの人に過ぎなかったあの時代を思い起こさせるような。もしまっとうに人生を歩んできたなら、このようにありのまま言葉を交わせる相手もいたのかもしれない。殺伐も、緊張もなく。

 アヤメがそう考えてしまうほどには、ツキハとマリはいたって普通の人間に見えたのだ。

 

 ただ、ショウブは人を嫌う。

 

「あの子はこう、言ったのです」

 

 ――“名前が気に入った”と。

 

 当時のツキハが名乗ったのは“希望の樹”という名だった。

 

 アヤメの話の大半を、エイイチが理解できたとは思えない。それでもエイイチは得意のエロゲーになぞらえたりせず、話の腰を折ることもなくじっと聞き入っていた。

 

「エーイチ様。狼戻館のメイドとして進言いたします。封印を解く鍵は“希望”です。この闇を打ち破る強烈な光。希望を胸に抱くことこそ、扉を開く唯一の鍵となりましょう。私を……信じてくださいますか?」

 

 希望――なんとも曖昧な鍵だった。具体性がなければ行動に移すことも難しい。精神性の話だとしても、そもそも己の心をここと定められるのは強靭な一部の例外だけである。人は弱いのだ。

 

 アヤメも理解しているのだろう。もちろん自信をもって提言したのだが、エイイチを見つめる瞳は揺らいでいる。何か突拍子もないことを言ってしまったかもしれない。馬鹿げていると一蹴されてもおかしくない。不安がよぎる。

 

「アヤメさんはすごいですね」

「……?」

「希望が脱出の鍵になる。じつは俺も、まったく同じことを考えていました」

 

 顔色をうかがうアヤメに対し、エイイチは朗らかに笑ってみせた。

 嘘か誠か、真相はわからない。それでもアヤメの気は楽になり、多少なりとも誇りを取り戻すことができた。エーイチだけは絶対に生きてここから出さなければならないと、アヤメは強い決意と覚悟を抱く。

 

「……偉そうに言っておいて申し訳ないのですが、どうも私には難題のようです。ですが、エーイチ様がここを脱するまでのサポートは、必ず遂げてみせます」

「なら、アヤメさんの脱出は俺が助けると約束しますよ」

 

 まるで子供同士の約束事のように、微笑みながら誓い合う。これまでずっとすれ違いを繰り返してきた二人は、ついに同じ認識を得て並び立ったのだ。

 

「もうしばらく休んでいてください。俺はいくつか部屋を回って、食料とか見落としてないかもう一度調べてみます」

 

 弱りきった体ではついていっても足手まといになる。素直にアヤメが頷くと、エイイチはエントランスホールを一つの扉へ向かって突き進んでいった。

 

 エイイチが扉に手をかけるのとほぼ同時、天井で微かに地鳴りのごとく音が響く。ぽかんと上を見たまま固まるエイイチへ、いち早く異変を察知したアヤメが叫ぶ。

 

「エーイチ様!? すぐに下がってください!」

「え? ――うわっ!?」

 

 エイイチの頭上にパラパラと埃が降った直後、突如轟音をあげて天井が崩れ落ちたのだ。

 間一髪のところで飛び退いていたエイイチは、尻もちをついて目前に積み上がった土石を見上げる。

 扉の一つは、完全に潰されてしまった。

 

 時間はあまり残されていないと、ツキハは言った。何もそれは、アヤメの寿命が尽きることのみを指したわけではない。

 

 ここは死んだショウブの念が呪いと化した、怨嗟渦巻く閉鎖空間。封印部屋の原初ともいえるねじれた狼戻館は、エイイチとアヤメに長い猶予は与えてくれそうになかった。

 

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