萌ゲーアワード受賞のアダルトゲーに転生したと喜んでたら実は設定が似通ったとある洋館ホラーゲーだった件   作:シン・タロー

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#71

 いまだ残雪が溶けない山を勇壮な大狼が闊歩する。

 黒毛を風になびかせて、威風堂々とした佇まい。眼光も、時おり覗かせる牙も鋭い。見る者に例外なく畏怖を抱かせる風貌だろう。

 

 人間が“神皮(かんぴ)”などと渾名で呼ぶのも頷ける話だ。

 

 白い山の中腹まで足跡を刻んできた黒狼は、草原との境界線をまたいであくびをする。その後に前足でカリカリと首を掻いた。

 澄んだ水源に舌を伸ばし、喉を潤すと、咲き乱れる雪割草の真ん中にうずくまった。日光に背を照らされ、瞳をうとうと半分閉じる。人にとってはまだまだ身を刺す寒さだろうが、分厚い毛皮があればなんのことはない。

 

 黒狼は春の陽気を浴びにきたのだ。これが禁忌の山の支配者。人間から畏れ敬われる存在の日常、季節ごとのルーティンである。

 神を冠した名に興味などあるはずもなかった。日々の自由を謳歌できればそれでよい。

 

 長年を山で生きる異形の実態は、人の想像とは大きく違っていた。

 

 

 

 こんこんと眠り続けたのち、黒狼が目を覚ます。空にはすっかり星が瞬いている。

 ふと重みを感じて身じろぎをすると、見たこともない少年の頭が腹に乗っている。黒狼はうんざりとでも言いたげにグルグルと唸った。

 

 山の支配者、神の如き異形の逆鱗に触れてはなるまいと。あるいは超常がもたらす恩恵を賜ろうと。下界の村人は、折に触れこうして望まれもしない生贄を差し出してくるのだ。

 

 何度か尻尾でパシパシ叩いてやれば、目をこすりながら少年は身を起こす。やはり“神皮様ですか?”“村を襲わないでくれますか?”など問いかけてきて、村から献上された生贄で間違いないようだ。

 

 馬鹿馬鹿しい。黒狼はいつもそうするように、少年の眼前でグアッと大口を開け、殺意の牙を見せつけ咆哮を浴びせる。

 人身御供の覚悟をもって山へ立ち入った者だとしても、これで逃げ出さなかった人間はいない。

 

 恐怖で凍りついてしまったか、少年は瞳を見開いたまま微動だにしなかった。しかし少年の口からは、黒狼すら耳を疑う言葉が返ってくる。

 

 “食べる気は、ないんですね”。

 

 長い前髪の奥の目が光を失っていることは、黒狼もすぐにわかった。だが見えずとも、咆哮に殺気や覇気は存分に込めたつもりだ。あれを受けてこんな反応はありえない。気が触れたのだろうかと少年の顔をまじまじ見つめる黒狼だったが、どうやらそうでもないらしい。

 

 馬鹿馬鹿しい、放っておけばそのうちいなくなるだろう。そんな風に考えたのか、黒狼は少年を無視して二度寝に入る。

 しばらくしてまた腹に重みを感じるも、怒る気も失せて眠りに落ちた。

 

 

 

 盲目の少年は、その日から黒狼の寝床へ居座るようになった。

 生贄の身の上だ。今さら村へ帰れないのかもしれないし、他に行く宛もないだろうとは察する。けれど相手は神の名をも冠する大狼、人智を超越した異形である。誰が好き好んで側にいようものか。

 

 孤高の黒狼は人の子など歯牙にもかけない。

 日中は庭同然の山を自由に散策し、猪や鹿を狩る。自然を駆け回って堪能したあとは、たくさんの果実、木の実を咥えてオヤツ代わりに寝床へ持ち帰る。

 

 毎度毎度食べきれない量だったが構わない。

 果物や山菜の食べ残しは、勝手に寝床へ住み着いた人の子が、餌として貪り食らうだろう。せめて残飯処理くらいはやらせて寝床を清潔にさせるのだ。

 

 山には黒狼の住拠がいくつもあり、少年が邪魔ならば他へ移ればいいだろうにと疑問を持つ者もいるかもしれない。けれど、それこそなぜ人の上位存在である異形がそのように気を回さなければならないのか。黒狼の行動は、少年との立場が揺るぎないことの表れなのである。

 

 黒狼に忌々しく思われているとは知らず、または気にしない性格なのか、少年は夜毎に将来の夢想をにこやかに語った。多くの人間が己の不遇を呪うであろう状況で、少年の描く未来は希望に溢れていた。

 

 大好きな姉がいること。いつかは二人で穏やかに暮らすのだと。それぞれに家族などというものが出来たら、大きな家で一緒に住む。貧困も差別もない、そんな大家族の一員になりたい。笑顔の絶えない家庭を眺めていたい。

 

 そうありたいと願うだけで、手段や過程が省略された子供特有の夢物語。実際、欲張らなければこの山でだって叶いそうな話だ。

 黒狼は毎晩眠りにつくまで、代わり映えのしない少年の夢を飽きるほど聞かされるのだった。

 

 

 

 ある日のこと。その日のオヤツを口に黒狼が寝床へ戻ると、少年の姿がない。目の届く範囲から消えるなど、これまでなかったことだ。

 元より変わった少年であるが、数ヶ月を共に過ごす内ある程度は黒狼にも思考が読めるようになっていた。つまり行動に思い当たる節がある。

 

 禁忌の山に、生贄を要求する異形は端から存在しなかった。村人が創り上げた幻想に過ぎなかった。

 しかし現実として、生贄に差し出された者や、山へ迷い込んだ罪人が無事に下山することはなかった。

 

 人の手が入っていない、自然豊かな険しい山だ。埋め尽くされる木々に方向感覚を狂わされ、餓死や滑落の憂き目に遇う者も多い。

 ただもう一つ。山を禁忌たらしめる、凶悪かつ神聖な“神皮”なる異形を生み出した要因がここにはあったのだ。

 

 戦が頻発したつい近頃まで、山は落人狩りが盛んだった。村人に騙され山へ逃げ、命を落とした兵も含めると枚挙に暇がないほどだ。

 

 非業の死を遂げた人間の念は、色濃く地に残る。地下に染み込む雨のように、呪いとなって蓄積されていく。黒狼でさえ長くは留まろうとしない、呪いの集積所の如き場所が山にはいくつか存在する。

 

 豊富な木苺が採れる一角だった。

 普段は目的の食物を確保してすぐさま離脱するその場所へ、匂いを追い風と見紛う速度で黒狼は駆けつける。

 

 少年はたしかにそこへいた。

 地面から伸びる荊のような黒いもやが全身に絡みつき、頭を抱えてもがき苦しんでいる。収穫したばかりの木苺が辺りに散乱し、おそらく苦労して黒狼の痕跡を辿ったのだろう。

 

 日頃の食事の恩返しとでも考えたのだろうか。馬鹿馬鹿しい。食べ残しをくれてやっただけだ。生贄といい、いったい誰が望んだというのか。

 

 両膝をつき、嘔吐する少年の姿を黒狼はじっと見つめる。

 もはや手遅れだ。憑き殺されるのを待つか、発狂して身投げでもするか。これまで何人も同じ症状を見てきた。

 

 割れんばかりの頭を押さえ悶絶していた少年は、だがふいに身を起こす。纏う黒い瘴気はそのままに、自らの手を黙って見下ろしている。

 

 よもや取り込んでしまったのか、魔に魅入られたか。いずれにせよ、これもまた黒狼は初めて見る光景だった。

 

 人の念は、異形すら避けるほどに強烈なものだ。手懐けられるものでは決してない。少年が“呪い”に親和性の高い体質を備えていたとて、正気でいられるはずがない。

 

 魔性を帯びた少年は、以前の彼とはまるで別人となった。

 少年が黒狼の寝床へ戻ることは、もうなかった。

 

 

 

 月日が流れる。

 黒狼は優雅に山を闊歩し、狩りを楽しむ。澄んだ水を舐め、高い空を見上げる。

 そしていつものように、その場所へ向かった。

 

 負の念が集う一角、呪いの集積所。あの日以降、少年はそこを住処としている。

 生贄に送り込まれた者は黒狼が追い返すまでもなく、自然が淘汰するまでもなく、少年が冷酷に処分していた。

 

 呪いによって憎悪が膨れ上がったのか。どちらにしろ、村の人間が少年の恨みを買うのは当然だろう。

 

 遠目から見つめる黒狼を、少年も感情の消えた眼差しで見返してくる。それだけだ。会話もコミュニケーションもなく、互いに近づこうともしない。それだけだったが、黒狼は一日も欠かさずこの行動を己のルーティンに組み込んでいる。

 

 負い目などはない。憐れんでいるわけでもない。行く末を見定める義理もない。

 けれど続けていた。能面のような少年の顔が、時おり歪む様を瞳に映し続けた。あの優しげで柔和な表情を浮かべることは二度となかった。

 

 いつかの日は驚くべきことに、見知らぬ女が少年と共にいた。察するに、どうやらあれが少年の姉であるらしい。

 

 自分達へ鋭い眼光を向ける巨大な黒狼に女はひどく怯え、警戒していたがそれも月日と共に慣れたようだ。

 姉弟は質素な小屋を建て、暮らし始める。

 

 同じ日々を繰り返す。

 呪いの影響か、姉の方も人とはかけ離れた存在になった頃、気づけば生贄の風習などというものも廃れていた。

 

 ある暑い日には、姉弟と一緒になって上空を飛ぶ爆撃機を見上げる。

 落とし損ねたものを捨てるかのように、たった二機のB29がふもとの村を焼いて飛び去った。帰投する前に機体を軽くしたかっただけかもしれない。

 

 真っ赤に炎上する眼下の村を、少年は冷たい瞳でしばらく見下ろしていた。未だ盲目なのか、魔を帯びたことにより視力を取り戻したのかはわからない。

 ほんのわずかに歪ませる顔には、どのような感情が込められているのか黒狼にはわからなかった。

 

 

 

 時は流れ、幾度となく時代も変わったのだろう。件の場所には、姉が人間とのパイプ役となり立派な洋館が建っていた。

 

 大きな転機が訪れたのは、そんな折だ。

 立ち入る者の少ない山に、名も知らぬ異形が次々と入り込んだのだ。

 

 異形は四名。どれもこれも深傷を負い、血の匂いを漂わせている。山を含む一帯が、外界と隔絶されたことにも関係してるのだろう。

 

 草葉の陰に身を潜め、黒狼は様子をうかがう。異形達は少年が住む洋館を目指してきたらしい。負の念に惹かれたのかもしれない。

 黒狼は決して館に立ち入らず、また少年も黒狼のこれ以上の接近を許さぬ構えだった。ただ、互いに睨み合い同然に視線を交わすのみ。

 

 五名の異形と、一名の人間もどきが暮らすようになった館は“狼戻館”と名付けられた。

 狼藉者共が棲む、ふさわしい名だ。名付け主の少年が、意味はともかく字面になんらかの意図を込めていたなど誰も知りえぬ事実。考える必要もない。

 

 ほどなくして、再び二名の異形が山を訪れた。

 日傘を差した長身の女は、完全に気配を断っていた黒狼をいとも容易く発見する。

 身を低く唸り声をあげる黒狼に、女は腰を曲げてゆっくり顔を近づける。

 

「あなた……馬鹿ね、こんな風になってしまうまで。中に、よほど大事な人がいるのね」

 

 長い、長い時を人間の負の念に当てられ続けた黒狼は、少年と同じく黒い荊のもやが全身に絡みついていた。

 

 そういえば、いつからか食事を摂らなくなっていた。野山を駆け回ることも忘れ、黒狼の記憶はあきらかに薄れている。目の前の異形に牙を突き立てることも、身体を支えることがやっとの状態では叶わないかもしれない。

 

 狼戻館の鉄門扉が開き、当主の少年とその姉が二名の異形を迎える。

 女は日傘を畳むと、暗い顔の姉と、髪の乱れた少年を見比べた。頭を掻きむしったのだろうか。少年は今は歯を噛みしめ、自身の胸を潰さんばかりに握りしめている。

 

「……なるほど。お初にお目にかかります。わたくしの名にかけて、皆さまの“希望”を叶えてさしあげましょう」

 

 女が何をするつもりなのか、黒狼にもぼんやりとわかっていた。きっと女は有言実行を成すだろう。

 

 

 

 昼と夜、めぐる空を黒狼は何日も見上げていた。

 呪いに侵食された身は動かすことも難しい。すでにその場から動けないほど消耗しながらも、黒狼は徐々に奮い立つ。女を止めたいのか、己が成すべき行為と認識したのか。

 弱々しく喉を震わせながら、足に力を込めて立ち上がった。

 

「おまえ……」

 

 黒狼の眼前に、一人の少女が立っていた。

 金の髪色をした少女は、驚きつつもわかりやすいほどの殺気を黒狼へぶつけてくる。これほどの殺気を放つ敵の接近に気づかないくらい、黒狼は衰弱していた。

 

 違う。この少女は、人間でも(・・・・)化物でもない(・・・・・・)

 例えが正しいかは定かでないが、まるで別世界の住人のような――。

 

 黒狼と少女は互いに引かぬ姿勢をみせ、刹那の刻を待つ。

 

 果たしてどちらから飛びかかったのか、黒狼に記憶はなかった。急所に牙を突き刺したのか、少女の手が心臓を貫いたのか。

 気づけばドロドロとした液体の中で少女と混ざり合い、その孤独な意識が流れ込んでくる。

 

 使命。異形の抹殺。そして僅かだが、黒狼と同様の故郷の匂いを感じた。

 少女は異形を殺しにきた。黒狼は自ら遂げるべきだった行為をその使命に重ね合わせた。

 

 黒狼の意思と一体化した少女は駆ける。

 狼戻館の鉄門扉を突き抜け、玄関扉を蹴破った。

 エントランスホールに、死に体の狼戻館当主が現れたのは直後のことだ。

 

 かつての少年は虫の息で足を引きずっていた。片腕を庇い、顔を歪めた少年は、無言のまま少女(黒狼)を見据える。

 

 少女はすぐさま床を蹴った。振り上げた右腕に、黒狼の爪が鋭く伸びる。

 もっと早くにこうすべきだった。ずいぶんと待たせてしまった。

 

 喉笛を掻き切る瞬間。少年の顔には、たしかにあの頃の――……。

 

 

◇◇◇

 

 

「……私が……やらなければ、ならなかった」

 

 赤黒い照明が落ちるエントランスホールで、冷たい床へ転がるアヤメは声を絞り出した。

 

「ツキハ様でも……センジュ様でも、神皮でも、ない……。咎は、私が背負わなければ、ならなかった」

 

 アヤメは誰より側で見ていたのだ。変貌するショウブの苦悩、呪いに苛まれて歪んでいく心を。

 誰を責められるものか。共に生きたいという願望のため、ショウブの本心を踏みにじってきたのは他ならぬアヤメ自身だ。

 

 だが、ようやく罰が下る。

 アヤメとエイイチが迷宮に囚われて、十二日もの時が経過しようとしていた。

 

「エーイチ、様……どうか、あなただけは……」

 

 アヤメはしわがれた己の手から視線を外し、同じく床へ手足を投げ出すエイイチに顔を向ける。

 許されるなら、最後にせめてショウブの面影を求めた。

 

「……いやさぁ。もう無理でしょ、こんなん」

 

 むくりと身を起こしたエイイチが、カラカラの喉から唾を吐き捨てる。

 アヤメは胸が締めつけられる思いをしながら、エイイチをなだめようと試みる。

 

「そんな、ことを……おっしゃらず」

 

 エイイチに見た希望だけは失いたくなかった。許されないとはわかっていても、あのやさしい顔で笑いかけて欲しいのだ。今生の望みだった。

 

「だからさ、食い物も水もないってのに、どうしろってんだよ! ……あ。そうだ、アヤメさん」

 

 四つん這いで歩み寄るエイイチが、アヤメへと鼻先を近づける。

 

「どうせなら、ヤらせてくださいよ。セックス。知ってます? 人間って命の危機になると、本能で興奮するらしいですよ」

 

 アヤメは大きく見開いた瞳で、エイイチを見上げた。聞き間違いではなかった。

 

「いいでしょ? セックスだよセックス! せっかくなら派手に楽しもうぜ! はは!」

 

 重ねていたショウブの笑顔は脆くも崩れ去り、アヤメはあまりの衝撃にまばたきも忘れて硬直した。

 エイイチの下卑た笑みはむしろ、弟を生贄に差し出すと決めた村人達のそれとまったく同じだった。

 

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