萌ゲーアワード受賞のアダルトゲーに転生したと喜んでたら実は設定が似通ったとある洋館ホラーゲーだった件   作:シン・タロー

72 / 79
#72

 死や危機的状況を前にして、醜い本性が暴かれる。

 

 何もめずらしい話ではない。とくにアヤメは昔から、働き手になれないショウブを疎ましく思う連中の白い目にさらされてきたのだ。

 やさしさは、差別や偏見を巧妙に隠すまやかしに過ぎない。そうではない人間も、己に実害が及ぶとなれば話は別だ。人は平気で人を陥れる。

 

 常識だ。経験からもアヤメにはわかっていた。甘い夢に期待することなどなかった。

 

「ほらほら。なにやってんですかアヤメさん。まだ動けるうちにさっさと脱いじゃってくださいよ」

 

 けれど、信じられなかった。自分の目で見てきたのだ。エイイチだけは、これまで出会ったどの人間とも違うと確信を持っていた。

 

 アヤメは後ろ手をつき、膝を立て、じりじりと後退しながらエイイチの真意を探ろうとする。

 

「……ご冗談は……おやめください」

「はあ? こんなときに冗談なんか言わねぇっての。いいよ、じゃあ俺が脱がしてあげますから」

 

 血走ったエイイチの目は、言葉通り冗談には見えなかった。

 アヤメに覆い被さるように、エイイチが這い寄る。照明のせいで赤く歪んだ顔を、汗で額に髪を張りつけたアヤメが見上げる。二つの荒い息が交わる。

 

「綺麗ですよ、アヤメさん」

 

 エイイチの手が胸もとへ伸びた瞬間、アヤメの爪がエイイチの頬を掠めた。本当は平手打ちをするつもりだったが、力が入らなかったのだ。

 

「……ってーな。せっかく褒めてんのに」

 

 自らの頬に手で触れて、舌を鳴らすエイイチ。指の隙間からしたたる鮮血が、アヤメのメイド服を濡らしていく。綺麗などと、このような状況で言われて誰が喜ぶものか。

 

 エイイチの指が、今度はアヤメの足に触れたとき、再び上方から轟音が聞こえた。またどこかで天井が崩れたらしく、エントランスホールにも埃が落ちてくる。

 エイイチが一瞬の気を取られた隙に、アヤメは反転して身を起こす。エイイチの指が引っかかり、ストッキングが破れてしまうも気にしてはいられない。

 

「おいどこ行くんだよ逃げ場なんかねぇって! 気に入らなかったんなら、言い方変えるからさぁ――」

 

 自分のどこにこれほどの力が残っていたのか不思議だったが、アヤメは立ち止まらなかった。

 

「めちゃくちゃエロいですよ。ボロボロで尻を突き出して逃げる姿、そそられるわぁ」

 

 扉を開け放ったアヤメが、エントランスホールを脱する。扉の先は、あの踏破に半日も有する長い通路であり、行き着く部屋にも脱出口は存在しない。袋小路と知りつつも、アヤメは走る。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

 

 なぜ、信じてしまったのか。託そうなどと考えたのか。悔しかった。そしてナイフを抜くこともなくただ逃走するだけの己に愕然とし、アヤメの顔が悲痛に歪む。

 

 アヤメの弱体化はたしかに著しく、もはや命の灯火すら消えようとしている身である。エイイチを返り討つ力さえありはしないだろう。それでも刺し違える覚悟で抗うことは出来るはずだ。しかしその選択を選べないほどに、アヤメが受けた衝撃は計り知れなかった。

 

「おーい待ってくださいよぉー! いつか決着つけるって、ずっと約束してたじゃないですかアヤメさーん!」

 

 アヤメの不様を楽しむように、笑みを含んだエイイチの声が追ってくる。死に瀕した体は思うように動かない。足を引きずるアヤメは牛歩に等しく、簡単に追いつけるだろうにエイイチはそうしない。

 

 通路を照らす赤い照明がチカチカと明滅し、視界が悪い。ただでさえ重い頭に、痛みが延々と響き渡る。吐き気を催したアヤメが口もとを押さえたところ、足がもつれて前のめりに転倒した。

 

 なぜ、逃げるのだろう。

 

「――つーかまえた!」

 

 エイイチが嬉々として掴んだ足首を、振り払うべくアヤメはもがく。パンプスが脱げたことでエイイチはよろめいて後退し、アヤメは這いずって必死に遠ざかろうと試みる。

 

「あはは。それくらい元気な方が犯しがいありますよ。尻も丸見えでまじでエロい。興奮するなぁ」

 

 ストッキング履きの素足でなんとか立ち上がるアヤメ。また駆け出そうとすると、メイド服から僅かな水が残るペットボトルと、チョコレートバーがこぼれ落ちた。

 エイイチはすかさず拾い上げると、すぐにキャップを外して水を喉へと流し込む。

 

「……ぷは。なんだよ、やっぱり残してやがったんだな。一人占めする気か? そうだな、口移しなら飲ませてやってもいいですよ」

 

 元よりエイイチのために残していた水と食料だったが、今さら説明しても虚しいだけだ。

 アヤメは壁に手をそえて走りながら、先ほど抱いた疑問と向き合う。

 

 逃げる必要があるのか。エイイチの言う通り、どうせ間もなく死ぬ。骨と皮だけになった身でも抱きたいというのなら、抱かせてやればいい。

 

 エイイチのことを何も知らなかった。だが本人のパーソナルを忠実に受け継ぐという“エイイチドッペル”のやさぐれた荒々しさを今振り返ると、こちらこそがエイイチの本質なのかもしれないとアヤメは思う。

 

「ハ……! ハ……! ハ……!」

 

 それでもエイイチを拒絶するのは本能としか言いようがない。死ぬのは怖くないが、こんな最期はあんまりではないか。

 人を捨て、異形に紛れて、結局は最愛の弟も失った。これ以上自分から奪わないでほしいと、アヤメは知らず願っていたのかもしれない。

 

「追いかけっこも飽きてきたなぁ! そろそろ襲っちゃおうかなぁー!」

 

 そうして、アヤメは気づいた。

 

 何を都合のいいことを。醜いのは、自分も同じだと。望む死に様ではないからと生に執着する。我欲に走るエイイチと何が違うのだ。

 このときアヤメは、はじめて“宴”に臨むヒツジの気持ちがわかった気がした。

 

「ハ…………、ハ……」

 

 やっぱり、これは罰なのだろう。

 ショウブと共に暮らすために人を捨て、死を望むショウブを知りつつ自らの手も汚さず、その後ものうのうと狼戻館に居座り続けた。ショウブが死んだあの日にまた、自らも死ぬべきだった。

 

 無機質な寂れた一本道は、過去から現在までのアヤメの歩みを表しているようだ。点滅を繰り返す照明はいつ消えてもおかしくないほど弱々しく、アヤメの生命や精神とリンクしているかに思えた。

 

 付かず離れずのエイイチに囃し立てられ、慰み物としての羞恥にさらされながら十二時間。今のアヤメの体力を鑑みれば、実際にはもっとだろうか。

 驚くべきことに、アヤメは最長の廊下の二度目の踏破を成し遂げた。

 

 しかし、終着。これ以上先がないことはよくわかっている。アヤメの内部を、闇がじわじわと蝕んでいく。

 

「…………」

 

 扉を開け、部屋の半ばまでふらふらと歩み進んだアヤメは力尽き、倒れ伏せた。

 命が果てようとしている。

 

 それ以前に崩落が先かもしれない。地の底から迫り上がるかのごとく轟く重低音。館全体が揺れている。赤い照明も今や、消灯している時間のほうが長い。

 

「はあ、はあ、あんまり時間もなさそうだし、すぐ済ませちゃいますか」

 

 アヤメは仰向けに転がるのが精いっぱいで、もう這う気力も残っていない。デニムのベルトをカチャカチャ外しながら迫るエイイチを、呆然と見上げる。

 

 まだ、こんなボロボロの身体を弄ぶ気でいるのかと。アヤメは恐怖すら覚えた。出会ったどの異形よりもエイイチの薄ら笑いが恐ろしかった。

 

「そうだ。また逃げられたら面倒なんで、足だけ折ってもいいですかね? 大丈夫大丈夫、そのあとちゃんと気持ちよくさせるから」

「ハ……ぅ……ぁ……」

 

 渇いた喉にヒリつく痛みが走る。けれど送り込む唾液も出てこない。外界と隔たれたこんな空間で、無惨に凌辱され、誰にも認知されることなく死ぬ。

 自らに待ち受ける末路を思うと、アヤメの胸中にも込み上がるものがある。

 

「泣くなよ、笑え。萎えちまうだろうが」

 

 身の毛がよだつ。エイイチは――この男は、悪魔だ。異形と共に暮らしていたアヤメをして、はじめて見る邪悪。

 完全に光を失った心に呼応するかのように、部屋の照明が落ちた。

 直後、鼓膜が破れんばかりのひときわ激しい轟音。凄まじい風圧にアヤメの細い体が吹き飛ばされる。

 

 いったい何が起きたのか。

 部屋は真っ暗だったが、微かに見える。大量の瓦礫がアヤメの目前に積み上がっている。天井が崩れたのだ。

 

「……ハ……。……ハ……」

 

 エイイチの反応はない。崩落に巻き込まれたのだろうか。あの悪鬼は潰されたのだろうか。

 ならば、自分は……助かったのか。

 

 暗黒しか映さなかったアヤメの瞳に、一条の細長い光が差し込む。

 ほぼ化物の分際でおこがましくも、アヤメにとってそれは奇跡の光景だった。

 

 高い位置へぽっかりと開いた脱出口には、いつ繋がったのかちゃんと階段が伸びている。

 希望とはかけ離れた状況だったにも関わらず、どうして脱出口が出現したのだろう。もっともな疑問はひとまず片隅に仕舞い込み、アヤメは命を今一度振り絞る。

 

 捻れた密閉空間からの脱出。エイイチから逃げおおせた安堵。また日常へ帰れる。引きずる足に感覚はなくとも、光はもう、アヤメのすぐ目の前にある。

 

「……“絶望を知らぬ者に、真の希望など見えないもの”」

 

 アヤメが光の扉へと、手を差し込んだところだった。あきらかにエイイチの声だった。

 悪夢は終わらない。背すじを強張らせながら、アヤメは階下を振り向く。

 脱出口から差す光のおこぼれにあずかるように、薄闇の中でエイイチが蠢いていた。

 

 凝縮された人間の負の権化。再び恐怖心がアヤメを支配する。

 

 でも……どうしてだろうか。

 立つこともままならぬほど怯えつつ、その白髪頭を凝視するアヤメは、エイイチが発した言葉の記憶をたどる。

 

 絶望を知らぬ者に、真の希望など見えない。

 

 たしかに聞き覚えがある。どこで、だれに聞いたのだったか。あれは――……ツキハがマリとセンジュにテストを受けさせた時……エイイチとの何気ない会話の中で。つまり、この言葉は。

 

「あなたが教えてくれたんですよ、アヤメさん」

 

 アヤメの見開かれた瞳は、エイイチを捉えてピクリとも動かない。

 鮮明となった記憶。同時に元の聡明さを取り戻したアヤメは、エイイチの真意に気づいて愕然と枯れた喉を震わせる。

 

 絶望を知らぬ者に、真の希望など見えない。言葉の通りだ。アヤメがエイイチに言ったのだ。

 

 希望とは、何だろうか。

 前を見据えて歩くことだけが希望じゃない。

 願いの大きさも関係ない。

 すべてを諦め絶望の渦中にある者こそ、僅かな望みに希望を見出だすのだ。

 

 アヤメの言葉は絶対に忘れないと語ったエイイチは、嘘偽りなく些細なやり取りまで心に留めていた。

 

「……ッ……エ――」

 

 出口の光に半身を飲み込まれながら、アヤメは必死にエイイチへと手を伸ばす。白髪頭がゆっくりと持ち上がる。

 

「本当によかった」

 

 アヤメが最後に見たのは、あの頃のショウブそっくりなエイイチのやさしい笑顔だった。

 真っ暗な瞳の色までも似ていて、おそらくエイイチには出口の明かりが見えていないのだろう。

 

 光の渦に包まれたアヤメは、エイイチと最初にこの部屋へたどり着いた十数日前を思い出す。

 光源なんてどこにもない暗い部屋で、エイイチの瞳は映し出していた。たくさんの細長い光を。そしてアヤメの手を壁に押しつけた行為の意味を。

 

 あの時、エイイチには無数の出口が見えていたのだ。だから躊躇なく食料にも手を伸ばした。

 だがアヤメが出口を通過出来ないことを知ると、自ら希望を手放した。アヤメと同じ闇に身を落とした。

 

 なぜ、最後まで信じきれなかったのか。

 住人のために、エイイチが自己犠牲にも走りかねない人間だとツキハは評していたではないか。現に今回もアヤメを救い、エイイチはたった一人閉鎖された迷宮に取り残されることを選んだ。

 

 愚かで、救われるに値しない、化物もどき。

 深い悔恨を声にも出せず、アヤメは光の彼方へ墜ちていく――。

 

 

◇◇◇

 

 

 氷のように冷たい土砂降りの雨に顔を叩かれて、アヤメは跳ね起きた。

 手のひらに触れる土。うっそうと繁る周囲の植物の形。焼却炉奥、石塔の場所でどうやら間違いない。

 

 目前には、男が三人。中央の巨躯に見覚えはなかったものの、“絶苦”に“ビーチ”と名乗った二人に挟まれているなら、真ん中の男も猟幽會と判断して然るべきだろう。

 

 けれど、アヤメにそれ以上の状況把握は出来そうになかった。

 

「ア、アヤメさん!? 戻ってきた! エーイチくんは!?」

 

 後方のマリらしき声にも応えてやれない。なぜなら二メートル以上はあろう巨体の男の肩には、破壊された石塔――ショウブの墓石が担がれていたからだ。

 髪も眉もなく、猟幽會の中でもとりわけ異様な容姿の大男が言う。

 

「目的は果たした。世話になったな仇敵よ。ようやくこれで隠された次元へ干渉することが出来る」

 

 猟幽會三名の体が、重力を無視してふわりと風船のように浮き上がった。徐々に空へと遠ざかる敵を、ツキハもマリもセンジュも、誰も追おうとしない。

 ただ一人、アヤメを除いては。

 

「……か、ぇ……せ」

 

 頬は痩け、身体の肉は削げ落ちて、満身創痍のアヤメが四つ足の獣のごとき姿勢を取る。満足に腕を振るえないと判断し、ナイフは口に咥えた。

 

「よしなさい!」

 

 ツキハの制止より速く、アヤメは地を蹴り天高く跳び上がる。なんとしてもその石塔は、墓石だけは取り戻さなければならなかった。

 

「そこには、まだ、エーイチ様がッッ!!」

 

 裏切ったのだ。謝罪も出来ていないのだ。アヤメの命を賭した跳躍は、あと一歩のところで反転した絶苦に阻まれる。

 絶苦の蹴りを腹部に浴びたアヤメは、地上へと真っ逆さまに墜落した。

 

「我らはA1さえ手に入れられれば、それでいい。これ以上は追うな、メイドよ。そうすれば貴様らには二度と手を出さぬと約束しよう。ひっそりと暮らすがよい」

 

 到底納得できる言い分ではなかった。歯を剥き出しにナイフを拾い、なおも跳ぼうと試みるアヤメ。

 

「アヤメさんを押さえて! マリ!」

「へい!」

 

 ツキハの指示に江戸っ子のような返事をし、マリはアヤメの背後から覆い被さった。マリの豪腕に拘束されては、アヤメに跳ね除ける手立てはない。

 

「……ではな。金輪際会うこともあるまい、センジュよ」

 

 X10ではなく、絶苦がセンジュを名で呼ぶのはこれがはじめてかもしれない。

 声をかけられたセンジュは、猟幽會が空の果てへと消えるまで無言で睨みつけていた。

 

 ゲーム【豺狼の宴】では、四章にてアヤメとの“宴”を制し、主人公は見事に狼戻館からの脱出を成功させる。

 結果は同じなれど、エイイチはゲームとはまったく異なる手法、展開にて狼戻館を脱することになるのだった。

 未だ生きていれば、の話だが。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。