萌ゲーアワード受賞のアダルトゲーに転生したと喜んでたら実は設定が似通ったとある洋館ホラーゲーだった件 作:シン・タロー
静かな朝だった。
ダイニングルームではツキハ、マリ、センジュの三名が席につき、久しぶりにアヤメ手製の朝食を嗜んでいる。
狼戻館に異変を起こしていた石塔が奪われたことにより、シャッフルされていたナワバリも元に戻っているのだが、単純に広いダイニングルームの居心地がいいのだろう。
日頃に朝食を抜きがちなマリだが、今朝は長い髪を後ろでまとめ、パンをちぎっては上品に口へ運ぶ。
センジュはフォークで厚切りのベーコンと目玉焼きをまとめてつらぬき、ワイルドにかぶりつく。こちらはマリと違い、寝起きそのままの金髪はボサボサだ。
ツキハは目を伏せ、スプーンで黙々とスープを飲んでいた。
食器の擦れる音だけを空々しく奏でるダイニングルーム。
テーブルの傍らで所在無げに佇んでいたアヤメが、深々と頭を下げて静寂をやぶる。
「……すべて、私の責任です。申し訳ありませんでした」
頭を垂れている間、他の三名はカチャカチャと食事の手を止めることはなく、アヤメには目もくれない。
しばらくして、一足先に食事を終えたマリがナプキンで口を拭う。
「責任って、なにが? もしかして昨日のこと? たかがヒツジ一匹消えた程度、わたし達になんの影響もないでしょ」
アヤメが顔をうかがうと、席を立つマリの表情は冷酷な超越者そのものだった。
「たしかにな。むしろやっと騒がしい毎日から解放されんだ、喜ぶところじゃねーの。……ごちそうさま」
マリに続き、センジュもフォークを置いて席を離れる。
二人が出ていってしまう。ダイニングルームにはアヤメと、澄ました所作でコーヒーカップを傾けるツキハのみが残された。
アヤメはあらためて、ツキハへと向き直る。
「ツキハ様、お話があるのですが」
「あら。何かしら」
「のちほど書斎を伺いますので、その際に」
「そう。わかったわ」
狼戻館の日常は、エイイチが滞在する前となんら変わりない。見る者によっては非情に映るだろうか。しかしマリの言葉がすべてである。
エイイチがいかに特異なヒツジだったとしても、長年を生きる異形達にすれば、所詮一ヶ月を共に過ごしただけの取るに足らない存在。その安否に感情が動かされるほどの価値もない。
死んだら死んだ。それまでのことだ。
空を進む雲のように、時間もまたゆったりと流れていく。
窓から視線を外したマリは、自室のカーペットに正座をしていた。日光の差し込む部屋で、洗濯乾燥した洋服や下着を丁寧に畳んでいく。綺麗な折り目から、意外な几帳面さが垣間見える。
その後は真面目に机へと向かい勉強するマリ。そばには数冊の漫画本も積まれていたが、これくらいの息抜きは愛嬌だろう。ときおりペンを置いて窓の外を眺めては、物思いに更ける様子があった。
おそらくは、数学の解でも模索しているのだ。
午後を自室で過ごしていたのはセンジュも同様だった。
日課のトレーニングは午前中に終わらせ、ボイラーは故障したままだが水でシャワーを浴びた。ヘッドフォンにお気に入りの音楽を流し、窓枠に腰かける。
撫でるような風が、運動後のセンジュの火照りを冷ましていくようだ。突き抜けた上空を見据える顔は、どこか物憂げに見える。
しかしこれも、センジュが十分にチルを堪能している証なのだろう。
裏庭の中央では、一本の細木が力強く伸びている。
希望の樹。かつて世界中で芽吹いた大樹も、今は狼戻館の庭先に植えられたこの一本が残るのみだ。己の背丈の半分ほどにも急成長した木を見下ろし、ツキハは息を吐く。
「せっかく、こんなに大きくなったのに」
細木の隣でカラカラ回る色紙が、絶え間ない風の到来を告げている。ツキハは風車を土から引き抜くと、少しだけ姿勢を斜めに振り返る。
共に過ごした勇壮な館を見渡し、胸中の想いを馳せるようにツキハは目を細めるのだった。
日が落ちて、アヤメはツキハの書斎を訪れていた。
「――……そう。お暇を、ね。旅行でも行くのかしら? その割には手荷物が無いようだけれど」
「恐縮ながら、私の私物はお好きに処分していただいて構いません」
「それはもう、ここへは戻らないという意味にならなくて? 体も完治にはほど遠い状態でしょう」
「命を救ってくださったことには感謝しています。動けさえすれば、十分です」
一時的とはいえ、ツキハに狼戻館全域へ影響を及ぼす力があることはドッペル事件において立証されている。
ショウブの念により変貌した館が、アヤメのゲーミングな力の供給源となっていたように。ツキハにも可能なのだ、館を介してアヤメに魔力を分け与えることが。
ただし、ツキハの指摘通り完全回復には日数を要する。
それでもアヤメに行かないという選択はなかった。絶対に恩義に報いる覚悟は揺るがなかった。
「これまで、お世話になりました」
「お世話になったのは、わたくし達の方よ」
ショウブの件でも、アヤメにツキハ達を責める気はない。逆恨みでしかなかったことも、とうにわかっている。
すべては弱い自分が招いた結果。過去との決別のためにも、なんとしてもやり遂げなければならない。狼戻館に必要な人物を連れ戻さなければならない。
「失礼いたします」
書斎を退室したアヤメは、月明かりが蒼く差す廊下で、おもむろに紐を咥えた。手際よくメイド服の袖を絞り、紐で固定する。スカート部も強引に腰で手繰り折ると、大胆に太ももを露出させた。ガーターベルトのサスペンダーまで見えるミニスカートだ。
これにより格段に抜きやすくなったナイフ。また逆の足にはガンベルトらしき革を装着し、鉄釘のような棒手裏剣をありったけ詰める。言うまでもなく暗器だ。明け透けに武装を披露するのはアヤメの流儀ではなかったが、多勢を相手取るために体裁は捨てた。
正面扉を出て、アヤメは孤独に死地へ挑む。アプローチを進み、鉄門扉に手をかけたところで、ふいに声をかけられる。
「なに、その格好。バトルメイド?」
「マリ様……なぜこの時間、こんなところに」
「毒蛾は月夜にもっとも美しく舞う。それは蝶よりも、ずっと気高くね」
「…………」
木陰から姿を現すマリは、お気にのセーラーカラーの私服でドヤ顔を浮かべている。
意味深な台詞の意味は一つもわからなかったが、アヤメはともかく頷いておいた。
「やっぱり洗濯してもらわないと、不便だし。そもそもエーイチくんは、わたしの右腕だし」
どうやら本音はこちらのようである。
ここへ居合わせたのはマリだけではない。鉄門扉の上にも、片膝を立てて座る人影があった。
「あいつはガンピールの大事な遊び相手なんだ。あたしだけじゃ、トレーニングに専念出来なくなるしな。――よっと」
鉄門から飛び下りたセンジュは軽快に振り返り、ダボついたパーカーのポケットに手を突っ込んだ。下はショートパンツにハイカットのスニーカーと、カジュアルなセンジュらしい格好だが、実は中にフリフリのベビードールを着込んでいる。
これもまた、狼戻館に戻れない覚悟ゆえの服装の選択だった。
「あなた達、後悔はないのね?」
「ツキハ様……」
最後に漆黒のイブニングドレス姿で登場したツキハは、再び鉢へ収められた“希望の樹”を胸に抱えている。狼戻館から離れることの意味を、あらためて全員に問うた形だ。
言葉よりも行動で示すように、アヤメがまず鉄門扉を抜け、マリとセンジュがそれに続いた。
ツキハが門を通り過ぎると、背後でガラガラと館が崩壊していく。
窓は割れ、壁が腐り剥がれる。庭の木々や花も急速に萎れてうなだれる。
狼戻館は魔性の館。住む異形に様々な恩恵をもたらしてきたが、それは館も同じである。狼戻館と住人は相互に成り立つ。
豪華絢爛な西洋館は、魔の供給が止まった途端に廃墟同然のさながら幽霊屋敷と化したのだ。
しかし、もう住人の誰も振り返りはしない。
「それでお姉ちゃん、エーイチくんはどこに連れていかれたと思う?」
「そうね……」
マリに問われ、ツキハは夜空を見上げた。目線の先では、月が煌々と輝く。
「やっぱり、
そして黄金の月を背景に、中空では鈍色の未確認飛行物体がその存在を誇示し続けていた。
狼戻館と猟幽會。いよいよあきらかになるのだ。真に追い詰められた陣営が、はたしてどちらであるのか――。
◇◇◇
その頃。石塔に囚われたエイイチは、完全なる闇の中にあった。
前後不覚どころか、己の肉体の感覚すら失いつつある深淵。宇宙に放り出されたに等しい状態で、エイイチはどこからともなく聞こえる声に耳をすませる。
『――フ……フゥ~~~~。どぉ? 気持ちぃ? んじゃ、反対の耳もやったげるね。……つか、なんで、うちがこんなこと……。そもそも石だからわかんないし、耳ってここで合ってんのかなぁ。あ、な、舐めたりもしたほうがいいんだっけ』
戸惑いを隠せない素人感はありつつも、とてもエッチな展開へと進みそうなASMRにエイイチはじっと聞き入るのだった。