萌ゲーアワード受賞のアダルトゲーに転生したと喜んでたら実は設定が似通ったとある洋館ホラーゲーだった件 作:シン・タロー
「クロユリ先生!」
もう待ちきれないエイイチは、背後からクロユリの肩を掴んだ。褐色の肌は少し汗ばんでいる。身に覚えのない恨みにあてられたせいだろうか。
「……ふー。ま、少し調査してみるか。ほら、ちょうどいい。今しがたメール連打してきた輩のゲームだ。これでもやっておけ」
クロユリはインストールしていたゲームを起動すると、かんざしを抜いて黒髪を落とした。軽く首を振り、肩を回す。
「わしは風呂入って寝る。別にな。恐怖で冷や汗をかいた、とかそういうわけではないぞ、断じて」
「なになに……洋館住んで、和姦しよ……?」
クロユリの言葉も耳に届かぬほど、エイイチはすでにモニターへと魅入られていた。これが運命の出会いとなるのだ。
「エイイチィ! いやあ今日は疲れたぞ! 実は思ったより深刻な事態かもしれんくてなー!」
帰宅後、クロユリはまっすぐ居間へ上がった。とても腹が減っていたので、今日も何かしら食べ物をエイイチが用意しているだろうと期待していた。
「あ、あれ?」
だがちゃぶ台に料理は準備されておらず、座布団に正座するエイイチがうなだれているだけだった。しかもエイイチは、肩を震わせ落涙しているのだ。
「ど……どした?」
うろたえるクロユリに、エイイチは声を詰まらせながら呟く。
「あの暗転の裏に、こんな多彩な感情が隠れていたなんて。愛……いや、そんな言葉ひとつでは表現できない。信頼、絆。綺麗事だけじゃない。ときには傷つけあってしまうこともある。そもそも行為自体が互いに傷をつけあうものだ。だからこそ、そこに至る過程に心打たれるんだ」
エイイチは悟ったような口調で、溢れんばかりの熱量を解き放った。
クロユリは思う。こやつ童貞か? と。たかがエロゲーの濡れ場シーンでよくこれほど饒舌に語れるものだ。
「そ、そうか。うん。楽しんでくれたなら何よりだ。話は変わるがエイイチ、今日のメシは……?」
「メシなんて作ってる場合じゃない。だって俺は、まだこのゲームをクリアしてないんだから」
エイイチに聞こえない程度に、小さく舌を鳴らすクロユリ。こんなことならば、シナリオが短いロープライスのアダルトゲームを渡すのだったと後悔する。
「そういえばクロユリ先生、さっき言ってた深刻な事態っていうのは?」
「え? ああ聞こえとったのか。端的に言うと
「霊道って……俺が倒れてた場所ですか?」
「そうだ。長年利用してきたがはじめてのことだ。幽世とのコンタクトが一切取れん。唯一あっちと繋がれそうな
不貞腐れた態度を引っ込めると、クロユリはめずらしく真剣な面持ちでエイイチを見つめる。
「継続して原因は調査するが、おそらく深刻な事態になっている。想像もつかぬ、何か。現世と幽世のバランスは、崩れてはならぬのだ」
その元凶ともいえるエイイチは、よくわからないといった風情で首をひねった。しかし世話になっているクロユリに恩義は感じているのだろう。おずおずと協力を申し出る。
「俺にできることがあったら、その……手伝いますから」
「いい、いい。おまえはゲームでもやってろ。協力したいならメシでも作れ」
「はい! わかりました、ゲームクリアしたら必ず……!」
呆れ顔のクロユリがしっしと手を振ると、エイイチは奥の部屋へ消えた。クロユリは仕方なく冷蔵庫を漁り、黒ずんだバナナを台所で一人食むのだった。
クロユリは一週間ほど家を空けた。エイイチの集中力なら余裕でゲームをクリアしていることだろう。
はたして、頃合いをみて帰宅したクロユリの予想は当たった。
「おかえりなさい、クロユリ先生」
エイイチは約束通り、肉じゃが、白米、味噌汁と家庭料理三種の神器を揃えてクロユリを迎えたのだ。
これにはクロユリもご満悦で座布団へ腰を落とす。
「その様子だと、終わったか!」
「はい。完全クリアを三週しました。思うところがあって、ついでに【豺狼の宴】も通しでプレイしました」
「イカれてるなあ! ……まあいい。して、感想は?」
エイイチは少し考え、手に持ったエロゲーのパッケージを見下ろす。慎重に言葉を選んで、ゆっくりと紡ぐ。
「【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】には、すべてが詰まっています。人が生きていく上で必要なもの、すべて。そして……たぶん、このゲームは“永遠”を描いている」
「永遠? なんだそれは、作者の願望か?」
「俺は、そう思います」
「……うぅん……そうかなあ」
過去にツキハと対面した際、その仮面の裏に潜む破滅願望をクロユリは見抜いていた。世界に何も期待していない瞳。永きを生きる異形にはまま見られる感情だ。
エロゲーで人間性を高めていくエイイチは驚異的だが、洞察は的外れ。クロユリはそう結論づけようとするも、エイイチの自信は揺らがない。
「ジャンルはまったく違うけど【豺狼の宴】も【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】も、本質は変わらない。【豺狼の宴】ではより現実的な希望を。【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】では夢物語……つまり永遠を描いた。本当の理想はきっとこっちの方です」
あのツキハが、本音では純愛ラブラブエロゲー世界を望んでいるというのだろうか。白米をかきこみながら、本人が聞いたら八つ裂きにされかねないなとクロユリは苦笑する。
「作者さんはやさしい人ですよ。俺がこのエロゲーに教えられたように、夢は叶うってことを作者さんにも伝えてあげたいですね」
ゲームの感動を思い出したのか、エイイチは指で目尻を拭った。
「作者の真意はともかく……ゲームの攻略速度、熱量ともに問題はなさそうだな。エイイチ、おまえにもそろそろ働いてもらうぞ」
「仕事ですか? 働くのはかまわないですけど、エロゲーする時間も確保してもらえたら……」
「安心せい。そのエロゲーをプレイするのがおまえの仕事だ」
含みを持たせたクロユリの物言いに、エイイチは首をかしげる。
クロユリはちゃぶ台にノートパソコンを開くと、とあるレビューサイトを表示するのだった。
エイイチは幽世となんらかの関係があるのかもしれない。だが霊道が閉ざされた今、成すべきことは何もない。クロユリと日常をともにする内、エイイチは五年もの時間を現世で過ごしていた。
エロゲーを通して、エイイチは人の営みにすっかり染まっていた。ゲームのシチュエーションを理解するため積極的に外へ出て、季節ごとのイベントを楽しんだ。フレンドリーな姿勢にぽつぽつと知人も増えた。
謳歌する人生はとても短い。あっという間の五年間だった。
そして、ある日のこと。この日がエイイチにとって何度目かになる、運命の分かれ道――。
「おかえりなさい先生、食事できてますよ。それとも先に風呂はいりますか?」
エイイチはキーボードを叩く手を止め、居間にあがるクロユリへ笑顔を向けた。
クロユリは唇に人差し指をあて、本日の夕食をじっと見下ろす。
「炊き込みご飯と赤魚の煮つけ……メシからだな! 冷めたらもったいない。首尾はどうだ?」
「昨日発売の二本はレビュー載せました。キャラクターは及第点だと思うんですけど、やっぱりシナリオとかBGMの盛り上げもあと少し欲しかったですね」
エイイチはクロユリの名を使い、主に新作アダルトゲームのレビューを掲載している。発売直後にネタバレなし、あり両方の詳細なレビューが載るので、アクセス数もかなり回っていた。
意外と需要があるのだ。
近頃では“エロゲーの解像度上がってきたねクロユリ先生”などというコメントも散見され、クロユリは若干複雑な感情を抱いているほどだ。
数多くのエロゲーに触れたエイイチだが、それでもなおフェイバリットゲームは【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】だと常々口にしていた。今でも暇を見つけては再プレイに余念がない。
誰しもが、心に一本のエロゲーを持つのである。
「ところで、エイイチ。今日はひとつ話があってな」
赤魚の身を綺麗に平らげたところで、クロユリが箸を置いた。
雰囲気を感じ取ったエイイチは、同じように箸を置いて続きを待つ。
「再び霊道が開いた。今朝のことだ。しかし、またいつ閉じるかもわからん。こっちで抱えた案件がなければ、わしが調査に向かいたいところなのだが」
「お、俺! 俺が行きます!」
慌てて立ち上がるエイイチを、真っ直ぐな瞳で見上げるクロユリ。
エイイチも真っ向から見返す。
「危ないことはわかってます! でもクロユリ先生には本当に世話になってるし、それに……その、俺はどうしても……!」
クロユリへ恩返しがしたいという、エイイチの気持ちは本物だ。だがそれ以上にエイイチが望むものも、クロユリはちゃんとわかっている。
「……あっちに着いたら“館”を頼れ」
「じゃあ――いいんですか!?」
「知っての通り、館の名は“狼戻館”だ。そこに行けば会えるだろ。おまえの憧れの人物にな」
エイイチが信奉するエロゲーのモデルとなった館。さらにその作者がそこには住む。【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】に文字通り人生を変えられたエイイチにとって、願ってもない話だった。
「ありがとう! ありがとうございますクロユリ先生!」
「よせ。だいたい、何が起きてるかもわからん危険地帯だぞ? 礼を言う暇があったら出発に備えてさっさと寝ろ」
「はい! 寝ます! おやすみなさい!」
よほど嬉しいのだろう。何度も頭を下げると、エイイチはすぐに寝室兼ゲーム部屋に引っ込んでいった。
居間で一人、クロユリは空の皿に目を落としている。
「……明日からまた出来合いか。すぐに帰ってこいよ、馬鹿者め」
エイイチに寝ろと言っておきながら、自身はどうしても寝つけず。クロユリは座布団に座ったまま、何をするでもなく照明を眺めるのだった。
翌日、早朝。
エイイチとクロユリは繁華街の一角、人通りのない路地にて打ち合わせをする。すぐ目前には波立つ空間の揺らぎ――すなわち霊道が出現していた。
「思い出しますね、ここでクロユリ先生と出会った日のこと」
「くだらん話をするな。
「ぜんぜんわかりません。コンドームの話ですか?」
「そんなわけなかろう! 時間の話だよ。あの日のメールから約五年過ぎておるが、もしかすると幽世では数日、数時間しか経っていない。そんな事実もあり得る」
クロユリの考察によると、ツキハからメールが連続して届いた時間。あの期間は逆に、現世の数秒が数ヶ月、数年にも膨らんでいた可能性があるというのだ。
まさにゴムのごとく伸び縮みする時間。発生原因は不明だが、ただならぬ異常事態であることは確実だった。
「これを受け取れ。幽世に着いたら、すぐに館を探すんだぞ。いいな?」
クロユリは符の一枚をエイイチの額に貼ると、手にはキャンディの包み紙を二枚握らせる。飴は入っていない、くしゃくしゃのただの包み紙だ。
「ゴミじゃないですか」
「わしを誰だと思っておる! デコの符は霊道通過の衝撃を和らげる。以前のように記憶を失うことはあるまい。人間で効果は立証済みだ」
「こっちのゴミは?」
「殴るぞおまえ! その包み紙は二枚ともツキハに渡せ。たとえ何年経っていようと奴に初心を思い出させてやる。ツキハがもしおまえの言った通りの感情でゲームを作っていたなら、わしやおまえに危害を加えようとする気持ちも失せるはずだ」
「あれ、よく見たらこの包み紙……」
エイイチは気づいたようだ。【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】でも【豺狼の宴】でも、冒頭で主人公はキャンディを舐めている。
ミント味とソーダ味の違いはあったが、二枚の包み紙はまさにその二種だった。
エイイチはお守りのように、二枚の包み紙を大切にデニムポケットに仕舞う。これにて、クロユリからの手向けは終わった。
「ふん。旅立ち前に伸び放題の髪を切ってやろうという、わしの厚意を断りおって」
「イヤですよ! せっかくエロゲー主人公みたいな髪型になったのに!」
「おまえなぁ……」
クロユリは呆れ顔で笑う。エイイチと話をしていると調子が狂う。緊迫した空気もどこかへ消えてしまう。
けれどそれでいい。
別れの時は笑顔で。それがクロユリの信条だった。
「ゲームはあくまでゲームだ。手当たり次第に女を口説くんじゃないぞ」
「はは。魅力的な女の子が何人も現れたらわかりませんよ。ハーレムに必要なのは愛ですから」
「エロゲーに染まった
「クロユリ先生にはまったく興奮しないんですけど、褐色合法ロリって属性に頼ればギリいけるくらいには俺も成長しました。へへへ」
「さすがに失礼が過ぎるぞエイイチィッ!!」
笑顔の別れを信条とするクロユリが、別れの
太ももの裏に全力のミドルキックを何発も受け、エイイチはたまらず霊道に手を伸ばす。
「痛てえ!? 痛てえって! それじゃ先生行ってきます!」
「おうとっとと行けっ! そんで用事終わらせたらすぐ帰ってこい! わかったなエイイチ――」
エイイチの手が霊道へ吸い込まれる。クロユリの声が遠くなり、最後の言葉を拾う。
「ぬかるなよ」
霊道に肉体すべてが飲み込まれた瞬間、雷に打たれたかのような衝撃がエイイチを襲う。ここでエイイチの意識はぷっつりと途切れた。
そして。
そして、エイイチの記憶はすべて失われた。
額に貼られた符は一瞬で焼失していた。人間で効果は立証済みだとしても、エイイチは普通の人間ではなかったのだ。
「……ぅ……うぅん……」
深い森の中で目覚めたエイイチは、冷たい土の感触に顔をしかめる。どこにいるのかもわからなかったが、ともかく身を起こすと身体チェックをした。
裸ではないが、何も持っていない。体をまさぐると、デニムのポケットにカサカサと擦れる何かがある。
ポケットには身に覚えのない紙くずが二枚入っているようで、エイイチはそのうちの一枚を取り出した。それはキャンディの包み紙。清涼感のある緑色の包み紙には、ミントの絵が描かれている。
何気なく包み紙を開けば、内側の小さな模様のような印がエイイチの視界に入る。見入る。なぜか目が離せない。
「うっ……!? うぐ……ッ」
直後にエイイチへと叩きつけられる高密度な情報の塊。
映像が、音が、台詞が。エイイチの愛した【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】の全容が、細部に至るまで頭の中で続々と組み上がっていく。
プレイしたときの感情までが、エイイチの空っぽの脳内で再現されたのだ。
ツキハに初心を思い出させると銘打って、クロユリから授けられた包み紙。見ればゲームを想起するように仕込まれた印は、当初の予定とは異なるも立派に機能してみせた。エイイチに現世との繋がりを微かでも残したのだ。
森の中を風が吹き抜ける。
呆然と立ち尽くすエイイチの手からミントキャンディの包み紙が離れ、何処へと飛んでいく。
「……そうだ。俺は……」
何かに衝き動かされるかのように、エイイチは足を踏み出した。山中をひたすらに歩いて、歩いて、やがて夜闇に妖しく浮かび上がる洋館を発見する。
白を基調とした三階建て屋根裏完備のヴィクトリア調ハイグレードハウス。記憶にある館と瓜二つな外観に、エイイチは感動しながらも確信する。
「間違いない。ここは、俺が夢にまで見た、あの――……」
こうして盛大な勘違いと共に、エイイチと狼戻館住人の運命は交錯していくのだ。