昔はよかった

- -
「御成敗式目」佐藤雄基(中公新書)
古代は聖人たちの理想の時代で、現在は乱れているという歴史像は、中国の儒教だけではなく、おそらく古今東西で普遍的な見方であり、人類史上ではむしろ近代の進歩史観のほうが少数派なのだと思う

最近はどんどん便利な世の中になっているので、われわれは進歩史観を持っている。とにかく便利だから、「昔はよかった」という発想は消えつつある。科学は積み重ねが可能である。ゼロから発明しなくても(むしろゼロから発明しては駄目であり)これまでの科学の業績に追加していけばいいわけである。もちろん、スマホがない時代のほうがよかった、という懐古趣味も可能ではあるが、不便な時代に本当に戻りたいというのはない。われわれはそういう利便性に飼いならされており、便利さに引き摺られながら生きている。さて、冒頭に引用した話だが、科学が発展する前だと、「昔はよかった」というのが普通ではあった。だんだん悪い世の中になっている、と思われていたのである。利便性が横這いであるなら、「昔はよかった」と過去を美化する認識は当然ありうるだろう。理想から転落した現在という歴史観はむしろ自然に思える。こういう嘆きはある意味理想主義者のものであり、人間に絶望しながらも人間の可能性は信じているようにも思える。こういう古臭い理想主義も、昨今の便利な世の中によって駆逐された。「歴史の終わり」という言葉があるが、人跡未踏の地が消滅し、すべてがクリア済みのマップになったということである。3次元空間がすべてクリアされても、量子力学とか相対性理論とか、その上まで射程にしているし、その科学の成果は積み重なるが、いくら便利になっても人間そのものが進歩しないという憾みはある。
ページトップ