虎のソナタ

伝説の「江夏の21球」は衣笠氏の一言から 怒りの江夏に「俺も一緒に辞めてやる」

1979年、伝説の「江夏の21球」。江夏(左)の粘投の裏には衣笠氏の優しさがあった
1979年、伝説の「江夏の21球」。江夏(左)の粘投の裏には衣笠氏の優しさがあった

 また一人…鉄の意志を貫いた男が逝く…。

 2215試合連続出場というまぶしいほどに野球を愛した衣笠祥雄さんが旅立ってしまった。

 この日、テレビ解説のために空路、松山空港に降り立った江夏豊氏は親友の訃報に接して…すぐ東京にUターンしたそうである。

 衣笠祥雄といえば、どうしても『江夏の21球』のプロ野球日本シリーズに残る不滅の名シーンが忘れられない。

 1979(昭和54)年11月4日、大阪球場。『広島-近鉄』のシリーズは最終戦を迎えた。筆者はこのシリーズは『近鉄監督西本幸雄』の日本一への戦いを追っていた。4-3と広島が1点リードして最終回…江夏が大ピンチに立つ。無死満塁とアノ豪気の江夏が追い詰められた。

 この時、筆者は大阪球場記者席のバッテリーの真後ろ、記者席の最前列に黒江透修氏(当時巨人)と並んで至近距離からその21球の人間ドラマをみつめることになった。

 江夏が、猛牛打線の前に「無死満塁」という状況に追い詰められた。なにしろ当時は一世を風靡した西本打法の西本監督が手塩にかけた打者たちがグルリと江夏を取り囲み、絶体絶命なのだ。しかも打席には強打者佐々木恭介が立つ。

 と、この時、広島ベンチ古葉監督は北別府と池谷の2枚看板をブルペンに走らせた。いうならば次善の策で当然の準備なのだが、みるみるマウンドの江夏豊の顔が明らかに怒気を含んで自軍のベンチ(三塁側)の監督古葉をニラミつけている。そんなに俺が信用できんのかッ…。

 無死満塁にしてしまったのは江夏なのだ。

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