私が東京大学理科三類に出願しなかった理由
あのときの「選択」について、いま静かに振り返る
大学を卒業して、しばらく時間が経った。
あれから季節がいくつも巡り、いくつかの仕事を経験し、さまざまな人たちと出会い、また別れてきた。
そんな忙しない日の中でも、しばしばあの18歳の冬の日の決断を思い出さずにはいられない。
それは、人生で初めて「自分で自分の人生を決めた」と感じた瞬間だった。
いや、正確に言えば――「決めたような気がしていたけれど、実際には逃げていた」瞬間。
今日は、そのときの話を書こうと思う。
これは、東京大学理科三類を目指す後輩たちに向けた、静かな手紙のようなものだ。
18歳の僕は、東京大学理科三類を志望していた。
1年間、ただそのためだけに生きていた。
模試では偏差値70から85を記録し、センター試験では835点。誰がどうみても、客観的な数字だけに目を向ければ「順調」だった。
けれど、出願直前。ふとした瞬間に、心のなかに風が吹いた。
「もし落ちたら、どうしよう」
「浪人は許されない」
「もう受験から解放されたい」
恐れ、疲労、そして、ひとつの誘惑――「楽になれる道があるんじゃないか?」
そんな心の揺らぎに、僕は足を取られてしまった。
そして、僕は理科一類に出願した。
その選択をするに際して、僕は一見「合理的」に見える、ストーリーを構築して、自分自身を納得させた。
「これは、ミクロには逃げに見えるが、マクロに見ると逃げじゃない。“安定しているから”という理由によって、医者の道を選ぶことこそ、人生全体というマクロな視点で見ると逃げなのだ。自分が本当に好きな数学や物理を学ぶ道に進むのは、自分に正直な選択なんだ。理科一類に出願するという行為は、僕自身の数理的素養に対する静かな確信と、それを信じる勇気に支えられた、“攻め”の一手なのだ。」
でもそれは――どこか無理のある物語で、自らを納得させるために拵えた、方便でしかなかった。
結果的に、僕は理科一類に、最低点より90点ほど高い点数で合格した。
けれど、合格発表の日、自分の番号を見ても、全く嬉しくなかった。心は一ミリも動かなかった。
そして、理科三類に合格した知人の話を聞いたとき、胸の奥が、静かに痛んだ。
その痛みは、誰にも言わず、心の奥底にそっと沈めて、僕は東大での6年間を過ごした。
あれから何年経っても、僕はときどき、あの冬の自分にそっと会いに行く。
静かな部屋でひとりきりになったときや、夜の電車に揺られているとき、不意に、あの瞬間の決断が胸の奥に戻ってくる。
「もっとがんばれたんじゃないか」
「いや、あれが精一杯だったんだ」
そんなふうに、いまだに言葉にならない会話を、心の中で繰り返している。
けれど、今の僕には、ひとつだけはっきりとわかることがある。
それは、「本気で戦った記憶」は、その結果がどうであれ、決して無駄にはならないということだ。
たとえ道半ばで折れてしまったとしても、全力で立ち向かった日々は、いつか必ず自分を助けてくれる。
そして、自分が逃げたことを、逃げたと認められたときから、人は少しずつ、前に進みはじめる。
もし、これを読んでいるあなたが、今なにかに迷っているのだとしたら――僕はこう伝えたい。
一度決めた目標から逃げることは、思っている以上に、その後の人生に尾を引く。
どれだけ理屈を積み重ねても、どこかにひっかかりのようなものが残る。
本当に怖いのは、失敗することじゃない。挑戦しないことだ。
自分が傷つかないように、転ばないようにと守ってばかりいると、いつしか心は動かなくなってしまう。
だから、恐れずに一歩を踏み出してほしい。
怖さを抱えたままでいい。足が震えてもかまわない。
でも、自分が信じた方向に、舵を切ってほしい。
迷って、傷ついて、それでも自分の足で選んだ道なら、きっと後悔しない。
だから、どうか。
自分の人生に、嘘をつかないでほしい。


コメント
1心が抉られる感覚が伝わってきました。努力の結果、手が届きそうなレベルまで到達している点は異次元と思います。色々と考えされられました。