大人もみんな子供に戻る 「桃太郎電鉄」が愛され続ける理由

「桃太郎電鉄」の生みの親、さくまあきらさん(左)と桝田省治さん。多くの「桃鉄」ファンを生み、ゲーム業界の歴史を塗り替えてきた=東京都中央区で2024年7月19日、長谷川直亮撮影
「桃太郎電鉄」の生みの親、さくまあきらさん(左)と桝田省治さん。多くの「桃鉄」ファンを生み、ゲーム業界の歴史を塗り替えてきた=東京都中央区で2024年7月19日、長谷川直亮撮影

 「桃太郎電鉄」の生みの親、さくまあきらさん(72)は立教大を卒業後、ライターや漫画評論家として活躍してきた。黄金期にあった漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」の読者投稿コーナー「ジャンプ放送局」では構成を担当し、似顔絵入りで子供たちと丁々発止のやり取りを繰り広げた。

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 そんなさくまさんをゲーム業界に引き込んだ人物がいる。大学時代からの盟友でもある堀井雄二さん(70)だ。1986年にエニックス(現スクウェア・エニックス)から「ドラゴンクエスト」を発売し空前の大ブームを起こすなど、日本を代表するゲームデザイナーとなっていた。

 「俺にも作れるんだから、お前でも大丈夫だろう」。さくまさんは堀井さんから、こう誘われたと記憶している。

 どうして、さくまさんに声をかけたのか。堀井さんが真相を明かしてくれた。

 堀井さんは早稲田大出身。大学は違ったものの漫画サークル同士の交流会で知り合い、意気投合した。当時のさくまさんは、性格も描く漫画も「人を楽しませることが大好きなエンターテインメント」だったという。

 「ボクも人を楽しませることが好きだが、楽しませる方向性が違っていた」。それを知っている…

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