最近、医療制度の崩壊!、年金制度の崩壊!が言われて来ました。そんなことは先見の明がある人ならば、既に解っていたことです。あらゆるデーターを分析すれば、それがやがて訪れることなど明白でした。しかし、政治家でそれを訴えておられかたは少数です。ほとんどの方は認識していても、問題の先送りでした。
厭なことを言って選挙で落選するよりも、臭い物には蓋をして、今を乗り切ればそれでよいの考え方です。それは政治家達に責任があるのか?。選挙で一票を投じる方の意識の問題もあります。今だけを考えて、先のことを考えない。
今から40年ほど前の話にはなりますが、私は重労働と精神的ストレスで胃に穴を開けてしまいました。当時の大学病院だと4人部屋で一日のベッド代差額が2千円で、一ヶ月で6万円です。当時のサラリーマンの収入が平均で一ヶ月3万円台の時代なので、どれほど医療費に自己負担があったかです。
私はそんなお金は払えないので、ベッド差額がほとんどかからない古い民間病院に入りました。よかったことに、その古い病院の院長は某大学の医学部助教授で、大学病院と兼任で外部の病院に出ておられた医師で、昭和天皇の主治医の一人を勤めるほどの内科の名医さんでした。私はその名医さんに出会えたことで、胃の手術しか方法が無いと言われた時代に胃の切除を免れたのです。今になって思えば、そうした名医さんに出会えたのも、神様の計らいだったのかも知れません。
薬と食事療法だけですから、日中は病院の屋上のベンチで腰掛けていることが多くなりました。その屋上は洗濯干し場となっていました。その洗濯干し場で洗濯物を干している一人の若い女性と会話をするようになりました。その若い女性のお母さんはガンで入院されていたのです。だが、夕方になるとその女性は勤めに出ていかれます。どこへ働きに行くのだろうと思っていました。
打ち解けて会話をするようになって、その女性は自分はトルコ嬢だと言われます。今はソープ嬢と言いますが、その女性は売春をされていた。母親の医療費が高く、売春するより母親の医療費が払えないと言われます。当時はガン治療の高価な薬は保険がきかずに自己負担でした。私も父をガンで亡くしましたが、祖父は薬代で山を売ったほどなのです。
その女性はそんな自分を軽蔑するかと聞かれます。私は、いいえ、立派ですと答えました。売春は犯罪かも知れない。しかし、母親の病気を看る為にはそれしか方法がないことは私にも解ります。自分を犠牲にして母親に尽くしている人を、どうして軽蔑するなど出来ますか。貴女はとても親孝行な方です。尊敬に値しますと言いました。すると、その女性は解ってくださる方があったと涙されました。
日本の歴史を見ると「女衒(ぜげん)」という存在がありました。貧しい農村の娘を遊郭に売る商売です。親が娘を遊郭に売ったのです。家族が生きて行く為には娘をそうしたところに売るよりどうしょうもなかったのです。
何の苦労も無く、ぬくぬくと甘やかされて自分の欲望で犯罪に走る者と、止むに止まれず犯罪を犯した者とでは根本が違うのです。もしそれが解らない神であれば、それは神では無いでしょう。
お釈迦様の説法【この世は苦界】があります。
女衒(ぜげん)に売られて行く先を 苦界に身を沈めると言いました。
この世が【苦界】と知る女性達。
聖書にイエスに香油を塗った娼婦の話が出て来ます。ルカによる福音書7.36-47に記載される話ですが、娼婦と書いてはありませんが罪の女。イエスは、この女は多くを愛したから、その多くの罪は許されているのであると説いています。ここから夜の娼婦のことを夜の天使とも呼ぶようになりました。夜の天使は、その相手を顔や姿で撰ばずに等しく接しているからでしょう。
人々は、あれは売春婦だと軽蔑をしました。しかし、その人がどうして売春婦になったのか?。表面だけを見て軽蔑するのか。その人が売春婦にならなければならなかった理由を見るのかで180度違うのです。それが罪の女と断定出来るかなのです。イエスほどの人ならば、よく解っていたのでしょう。
流行歌【星の流れに】(娼婦の歌) 清水みのる詞
星の流れに 身を占って
どこをねぐらの 今日の宿
荒む心でいるのじゃないが
泣けて涙も かれ果てた
こんな女に誰がした
西洋で、夜の天使の守護神は聖母マリア様と言う。
肉体は汚れても、それで魂が汚れるのではありません。
肉体は汚れなくても、魂が汚れれば意味が無いのです。
高い身分の家に生まれ出ても、人を人とも思わない奢りを持つならば、その魂は汚れて行きます。
【ボロを着てても心の錦、どんな花より綺麗だぜ】
いくら外見を着飾っても、魂(心)は着飾れないのです。
魂そのものが、輝かないといけないのです。
私達はこの世での職業の貴賎で、その人の価値を判断する嫌いがあります。そうしたこの世の職業の貴賎は、この世で肉体を持った間だけです。私達は、この世に生まれて来た時は裸(ラ)です。そして、この世を去る時は僅かな持ち物だけを持たせて貰えますが、基本は裸(ラ)で帰るのです。
この世に対する未練や執着は、魂に付く垢なのです。
仏教で死後の世界で閻魔大王に裁かれると言いますが、これは正式には閻羅大王。羅(ラ)王です。ですから、地獄に行く羅城門には鬼の番卒が居るとされて来たのです。
羅城門をくぐれば来世が与えられるで別名来世門。鬼と云う魂があるならば、神は来世を授けて来たのです。そして私達の魂の核である直霊の良(ラ)によって、霊界での行き先が決まります。
単に、節分の炒り豆に鬼は外では、来世の話が出て来ない来世門のラ王。
この世を去った魂は、その魂がこの世で【何を学んだのか】。その結果が物を言って来るのであって、この世の職業の貴賎は何も関係も無いのです。
仮にあなたがこの世でお殿様で在り、〇〇〇〇〇〇院の戒名をいただいたとしても、それはお寺さんがつけた戒名であり、院号だからと霊界において通用するものではないのです。判断されるのは、あなたの【魂】なのです。
魂の磨きは、私が代わって差し上げることは出来ないのです。自分の魂は自分で磨くのです。
何故に魂を「ラ」で説く教えが仕組まれたのか?。
大本教神諭は【一輪の言霊の経綸】と予告しました。
【ラ】が来世(新しい世)に行く命を授けます。単なる良心神の話ではないのです。
創造神が存在しないと思う神々は、まさかこんな仕組みとは思わなかったでしょう。
鬼は内、服は外。
ああー、カンナガラ カンナガラ。
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