私は自分の身に起きた不思議な出来事に関して、隣市の稲荷神社の神主さんが御祭神と会話が出来ると知られていたので相談に行ったところ、その稲荷神社の御祭神で在る豊受姫から現在地に住む様に言われました。その時、豊受姫の御代(神の杖)をされていた伏見稲荷大社講務本庁三丹支部長であった砂澤たまゑ師は、あんな処に住んだらこの人は霊に殺されてしまうと豊受姫に反対されたのです。
それに対して御祭神である豊受姫は【これは神界の問題であり。人間が関知する問題ではない。その神業は肉体を持たないで世に出ている私達の様な神には出来ず。肉体を持っているこの者以外には出来ない神業で、人が口にする問題では無い。】と告げられたがあります。
その土地に住んで、よくぞ今日まで生きてこられたと思うような霊的体験を積んだと言えます。何時、霊に殺されて死んでいてもおかしくなかったのです。優秀な霊能者の方ならば、こんな土地に住んで居たら殺されてしまうと逃げて行かれたなのです。
後で解ったことですが、その土地は世紀の大予言者として知られる大本教の出口王仁三郎聖師が、自分の直弟子にその土地には【みろく神業に使われるお宝が埋まっている。】と言い残された土地と角を接しており、その直弟子であった方が出口王仁三郎聖師の死後にその土地の所有者から許可を取ってショベルカーで掘り返したが何も出て来なかったがあります。
私が住む土地も出口王仁三郎聖師が当時の教団の一部の信徒に、教団には内密でその土地を死守して欲しいと言われた土地だったと聞きました。その土地に住んだ後、私の家に邪神達が押しかけて来て、私に【神宝】を出せと迫ります。しかし私は【神宝】などは持っていません。
その神宝とは出口王仁三郎聖師が予言の形で残されたとされる【みろく世で使われる無尽蔵のお宝。】の事柄であろうとは推察は出来ます。その付近一帯が本当の【金龍海とされる陸(あげ)の龍宮城】と呼ばれた一帯で、要は龍宮城のお宝に関する話だったのです。実際にその地では金龍の姿が見られるがあるのです。
大本教神諭のお筆先には大本教は【龍宮館(やかた)】とする記述が出て来ます。みろくの世は永遠に嬉し嬉しの世と予告されていますが、その為には人民を食べさせる無尽蔵のお宝が必要になって来ます。岡本天明師の日月神示に見られる【働かなくても食べられる。】の原資と言えます。
みろくの世は無尽蔵の龍宮のお宝を原資とする
龍宮のお宝を吐き出すには、龍神の浄化が必要
そうした【神宝】と呼ばれる物は、人が掘り返したら出て来ると言う様な事物ではありません。私達の目には見えない霊界の事物と言えます。ただその土地の一帯は霊能者によれば綾部の大本教の金龍池は型で有り。本当の金龍海と呼ばれる場所だと言われています。その一帯では霊能者と呼ばれる人達が金龍や銀龍や白龍の姿を霊視するがあります。しかし非常に汚れた土地で、太古の神々(現在の人類が出現する以前の神)の怨念が渦巻く土地とも言われています。
私はこの地に住んで、私に懸かって来た霊からそれは今から約【三十五万年前】と告げられました。そうしたことが書かれている宗教書は大本教の霊界物語に今から【三十五万年前】に国常立尊様の御引退があったとする物だけで詳細は解りません。
それほど重大な土地ならば何故に大本教が直接所有しなかったのか?。となりますが、豊受姫によればその土地はあまりにも汚れており、その土地を大本教を創った段階に活躍した神霊達にはその土地は清められなかった。そこに浄霊能力に優れた肉体の私に白羽の矢が立ったとなります。当時私が豊受姫から言われた【この神業は世に出て居る肉体を持たない神には出来ず。人としての肉体を持った神でないと出来ない。】と告げられた事柄に有ったのです。
私が子供の頃、霊界から私を呼ぶ声はある神の名で私を呼びました。私はその神名で知られる魂の持ち主かと思いましたが、神霊界に修行に入り数人の霊能者から私はその神名の魂の持ち者だと告げられました。魂としてはそうなのかも知れません。だがその神の力は封印されており、私は一介の人としてこの世に降りて来ているのです。その私に告げられたのは【下座業】なのです。この世では【自分は泥の中に在っても、その泥池で花を咲かせなさい。】です。
豊受姫によれば、その付近の一帯の土地が清めに清まれば、その土地は人類が未だ見たことも無い【創造神が天下る】場所に成るとまで言われます。それは大本教が告げた艮金神【国常立尊】様の名ではなくて【天帝】と呼ばれる、人類が未だ見たこともない創造神だと言われます。
大本教の出口王仁三郎聖師は綾部の上野町に天の御三体の神様を祀る場所が出来たならば、綾部は【神の聖都】に成ると予言されたのですが、その場所は大本教が天の御三体の神様を祭る場所として平成に建立した神殿群の場所ではなく、令和六年に大本教が国からの払い下げで購入した土地と言えます。その土地は現在大本教によって整備されている最中ですが、その土地ではなくて出口王仁三郎聖師が本当の【金龍海】だと言われた一帯を指して言われたなのです。
基本的に今の大本教に創造神と呼ばれる様な偉大な神の降臨が起きた時、それを受け止めるような素材の魂を持った人が居るかとなると、どこにも見当たらないが本当だと思われます。大本教は七代女子の教祖で続くと予言されていますが、その本家本元たる出口家の流れには既に七代目の女子も誕生しているのです。よって神仕組みとしの大本教はもう終わっても良いようになってはいるのです。
人の肉体には魂の汚れを浄化浄霊する働きがある
私の功績は、汚れた無数の神霊を無償で浄化した
私がその土地に住むことによって起きた三年間に渡る大ラップ現象は、霊能者の方達によれば伊勢神宮の神でも出雲の大国主命様でも鎮めることが出来ないと言われた事象でした。それは私が自分の肉体をボロボロにする代償の元に何とか鎮めることが出来たのです。龍神浄霊とは桁外れに苦しいものです。私の肉体はもう限界に達したと言えます。その当時、一部の霊能者の方達からまたもやラップ現象が始まれば、もう貴男にも手が付けられなくなると警告を受けていました。それが始まりだしたとも言えます。もう私の浄化能力では及ばなくなって来ているです。
私はある著名な霊能者の方から、貴男がこれほど苦労をされているのに、貴男の正守護神は貴男を助けようとしないで見殺しにしていると告げられましたが、この世に降りた以上は自分の道は自分で切り開くより道は無いのです。霊魂の浄化浄霊を抜きにして、神を知ろう。神を語ろうとする人は偉そうに言うだけで真実に目を背ける人と言えます。
私は隣市の本屋で一冊の本を手にしました。スピリチュアル系の本です。その本をパラパラとめくっていて、ある文に引っ掛かりました。その内容は朝鮮半島に残されている予言として、最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その米の教えが終わると、最後の審判が始まりだす。その【米】一字の教えに従った者達の上には天からの神罰は降りないが、そうではない者達の上には天からの神罰が降りる。その天から神罰が降りている最中に天に【白十字】が現れて、天からの神罰を受けている者達も最終的にはその【白十字】によって助けられる。とする不思議な予言文があったのです。
それは朝鮮半島に残されていたとされる予言ですが、私自身首を傾げたのはたった一字の【米】の漢字で、どうやって救世の教えが出来る?。私は日本人でハングル文字は解りません。しかしハングル文字では無く漢字の話です。たった【米】の一字の漢字です。だとすれば、それはこの日本でも可能ではないかと考えたのです。
【米】一字の漢字に【救世主】の役割が在る?
たった一字の【米】の漢字に最後の審判から助かる【救世主】の役割の【メシヤ】があるとする予言は不可解ですが、その審判たる天罰の最中に現れるとある【白十字】は更に不可解な予言と言えます。しかし私の中には、その【米】一字に最後の審判の救世主たる役割があるとする予言は、私の胸に突き刺さったのです。大本教神諭は【この神は煮ても焼いても食べられる。】としました。それは【飯屋】かとなります。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたは私が最後の審判に備えて、この世に降ろした中の一人である。】と聞かされて来たからです。ただ自分には五千万体もの龍神を従えていると言う霊能者は【あんたは天帝がこの世に使わした天使の一人だが、何の神力も持っていない。】と侮蔑して来られたように、私は天帝と呼ばれる神の存在を語れども何の神力も与えられていない者です。国常立尊様を追いやった反国常立尊派の神々と戦えるかとなると、私には無理だとなります。
天帝の恐ろしさは、その降臨がないと解らない
私に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたにこの神の力を何も与えない。為にそなたは力を持った者達からは侮蔑されるであろう。】と最初から告げられてはいるのです。私に何の力も与えないで見殺しにしていると言われる霊能者の方達の見立ては当たっていますが、そこには人智では語れないような神界の仕組みが存在するのでしょう。それは誰も天帝を見ていないからです。
私の神霊界修業のお世話になったのは伏見稲荷山神界で、通常は【お狐さん】の世界です。伏見稲荷大社のお狐さんの偶像の一体は【稲の穂】を銜え、一体は【鍵の付いた巻物】を銜えています。私はその鍵が付いた巻物には何が書かれているのかと考えていました。当然、石像を見ていても何も解りません。
日本では伏見稲荷大社の狐とは五穀の種を運んできた神使とします。日本のキリスト教の牧師ならば、自分達は創造神の一人御子であるイエス様を神と仰いでいるが、大多数の日本人は紙に書かれた文字や獣の狐などを拝んでいると言います。
私にはそれがどなたか解りませんでしたが【イエスのパンの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教えであり。そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れてはいけない。仮に全人類が愛だ!。愛だ!。と言っても、そなた一人だけはイエスの愛の教えを乗り越えていかなければならない。】と告げられたがあります。それはイエス救世主論を否定するなのです。
その当時の私はイエスの愛以上の教えが存在するのかと思っておりましたが、霊界で何度かイエスと覚しき霊に出会うと私の魂はイエスを叱責しました。キリスト教徒はイエスの愛の教えにしがみついていると、自己の良心神の存在に気づかず永遠の世とされる弥勒世には進めないことを知るではないのです。最後の審判の判定は【各自の魂の良心神】になるからです。
私達はこの世では生きて行く為には【食べ】なければなりません。その為には命ある物も殺します。愛だけを言うのであれば、生きている動物を殺してその肉を食してもいけないはずなのです。イエスは食べる物を降らす奇跡を見せましたが、その規模が小さければ伏見稲荷山でも食べ物が降って来る奇跡の現出はありました。
テレビでサイババの奇跡を見た人は、サイババが出した霊界の贈り物とされる時計にメイド・イン・ジャパンの刻印が打たれているのを見たでしょう。その時計は霊界で製造された物ではなく、この世で創られた時計です。その時計を運んだ存在は【龍神】と呼ばれています。イエスは龍神達を動かすことで人々に奇跡を見せることが出来たが正解と言えます。
一時的に食物を降らすではなく、食物の種を運ぶ
日本では五穀の種を運んだのは稲荷の白狐とされますが、アフリカの古代遺跡が残る一帯の原住民の間には【シリウス星から来た青狐が穀物の種を運んだ。】とする伝説があります。穀物の種を運んだのが白狐であれ青狐であれ、いったい誰がそうした【狐】達を動かして来たのか?。そこに【シリウス】星が出て来ます。
日本における豊受姫伝説は天津羽衣を盗まれた豊受姫は天の星には帰れなくなり、丹後の比地真名井(比沼麻奈為)で人々に米、麦、豆作り、酒作り、お蚕を教えたとされます。豊受姫伝説ではその場所は峰山の比治山あるいは磯子山とされているのですが、大本教ではそれは綾部の大本教神苑内で禁足地とした【本宮山】のことであるとしたのです。その話を峰山の地に移したです。
私が豊受姫から見せられた霊的光景では、豊受姫はシリウスと思われる星から金星を経由してこの地球上に降りたたれた天津神でないかと思われます。その最終地が【綾部】の本宮山であった模様なのです。綾部の古来名は【漢部(あやべ)】と言い、中国からの帰化人である【秦】氏達が住んだことから機織りの漢の民の【漢部】と呼ばれたのであって、その漢部の秦氏が京都府の桑田郡を通って京都の太秦に流れて伏見稲荷大社の元になったとする説もあります。
この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ましたが、この日本で【言霊】の存在が言われるようになったのは大本教の存在からでしょう。その言霊は伏見稲荷大社の社家であった【荷田春満】からとされます。この荷田春満は伏見稲荷大社の横にある東丸神社の祭神として祀られていますし、伏見稲荷山における荷田社ともなります。
また出口王仁三郎聖師とその荷田春満との関係が言われています。大本教神典の中に【国常立尊様の世の立替に白狐は下郎の役で奉仕する。】がありますが、国常立尊様と白狐との関係が解らない者には、このことは永遠に理解は出来ないのです。たかが【狐】だと思ってしまうわけです。
狐が銜えた巻物は、稲の【米】と言霊との関係?
大本神諭は【九つ花に咲く一輪の言霊】の経綸?
大本教神論にはウシトラ金神国常立尊の仕掛けとして【三千年の月日】を費やしたとあります。その仕組みを調べれば仏教の祇園精舎の牛頭天王。モーゼも牛頭で四十年間の荒野のさ迷い。大本教の出口王仁三郎聖師が自分は素戔嗚尊の魂だと活動されましたが、素戔嗚尊を祭神とする京都祇園神社の牛頭演技。そうした内容を鑑みれば何かしらの大きな力が働いていたと解ります。そして日本神道の大本教から何故か仏教のお釈迦様の死後【五六億七千万】に現れるとされる【みろく】大神を出す演技がなされたのです。
どうして日本神道の大本教は、仏教の【みろく菩薩】をみろく大神として世に出した?。
大本教の【艮】に点(天)を付けると【良(ら)】
私は言霊師の元で修行中に私の前に現れた大本教の出口なお開祖らしき霊から、【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられました。その時に一緒に出て来られた出口王仁三郎聖師らしき霊は何故か回教の宣伝使姿で、私に神はアラーだよと暗示されたのです。それを受け取った私は【ア門からラ(アモン・ラー)?】と感じたのですが、それが日本語のアイウエオの【ア】から始まる門から【ラ】に到る迄の【四十一】の道の意味とは思いもつかなかったのです。
朝鮮半島に残されていた予言文。最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。たった一字の【米】の漢字にどうして救世主の役目が出るのだろうと思っておりましたが、日本語の言葉の仕組みにしか過ぎないと言われればそうなのです。しかし、これほど大仕掛けの仕組みとは思いもよらないことでした。
モーゼは四十年間荒野をさ迷い。四十一年目、カナンの地に到る。イエスは四十日間荒野をさ迷ったとされますが、四十日間では【三十五万年前に御引退】の数字の組み立てが出来ないのです。それには神界時間で四十年間(この世の時間で三十五万年)が必要だったなのです。
人の魂の核に内在する天帝は、良心の働きを司る
私は子供の頃、旧約聖書の神からそなたの前世は悲劇の武将であったと告げられました。私の前世とは【源の義経】と呼ばれた悲劇の武将でした。私は奥州の平泉に行って泣き。吉野山に行って泣く。どうして平泉や吉野山で懐かしい懐かしいと自分が泣くのかと思っておりましたが、私の前世には源の義経と呼ばれた時期があり。何人かの霊能者の方達は私の背後に見たその【源の義経】の出で立ちには【日月】のマークが見られたと言います。
西暦2011年10月12日から約十三年間以上に渡るブログ記事でしたが、この記事をもちまして【米】一字の教えの終了といたします。長い間ありがとうございました。
私自身はもう年老いた老人で体力の限界を迎えました。このブログ記事は広告が出ない有料サイトに置いておりますので私の命がある間は、その料金の支払いが続いても記事が残るようにしておきます。
私は老いてしまったのでもう一線で働ける身ではありません。が、この老体に鞭を打ってでも伝えなければならない様な事柄が出ましたならば、このブログに何等かの記事を載せることもあり得ます。これから先は、私にも何が起きて来るのか?。何も解らない事態に入って行きます。
私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【この地球の霊界は真実を降ろすと、それを利用する悪神達が横行しており、真実を降ろすことが難しい星である。為に嘘の内容の中に真実を少し織り込んで降ろす。神の神示とはまともに読んで正面から解釈してはいけない。何が真実で、何が嘘か吟味する能力が問われる。】と告げられましたが、深い洞察力を備えないと解らないことだらけなのです。
洞察力を持てば【玉思惟】であり、洞察力が無ければ【玉恣意】となる。いくら説いて聞かしても、刹那心に溺れて自分の魂が磨けないを起こして、何度生まれ変わっても愚問の堂々巡りをしているとなります。
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