人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

大本教が告げた三千世界(全宇宙)立替論は可能なのか?。

 明治、大正、戦前の昭和に活動された希代の予言者出口王仁三郎聖師を出した大本教から発せられた予言の数々は的中して来ました。広島や長崎に新型(原子)爆弾が落とされて火の海に成るの予言が的中したことは知られていますが、特筆すべきなのは大正時代に現代のスマホ的な機器が出て来ることが予言されたことです。大正時代に現代のスマホの様な機器が予言できたことは、いったい何神にそんな予言が出来たかとなります。そこには底知れぬ力を持った神が存在するなのです。近い将来、何が起きるのかも全て把握済みと言えるでしょう。

 

底知れぬ未来を見通す神が世の大立替を予言させた

 

 その大本教から出された最大の予言は【三千世界(全宇宙)の大立替】と呼ばれる想像を絶する予言と言えます。それは大本教の基本宣伝歌として、【三千世界一度に開く梅の花。開いて散りて実を結ぶ。】です。すなわちその立替とは【全宇宙】に及ぶ大立替と言う事柄ですが、それはどのような物なのかは解らないなのです。三千世界(全宇宙)の立替とは桁外れも桁外れの規模の事柄で、人の身で論じることが出来る者など居ないなのです。梅の花は人類に例えてあり、開いて散りて実を結ぶは肉体は散っても魂が残る意味です。

 大本教の出口王仁三郎聖師の本名は上田【喜三郎】で、大本教の神は喜(キ)三郎を改めて【鬼(キ)三郎】にする様に命じられたところ、鬼(おに)とはあんまりじゃで【王仁(おに)】三郎とした経緯があります。これは日本語による言葉の仕掛けだったのです。人の魂の核(格)には天神様と呼ばれる神とも成れる種(仁)が存在しているからです。それが大本教から出された【人は神の子・神の宮】の根拠論です。そして大本教神論の【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず。】です。同じ【直霊】の部分です。

 この【王仁(おに)】と大本教の艮(ウシトラ)の【鬼(おに)】との関連に気づかれた人は素晴らしいとなります。するとそこに【節分の炒り豆】が浮かび上がって来るのです。魂の核(円真)と閻魔大王の関係です。

 

梅の種には天神様が眠る。その天神様は【仁】と呼ばれた

 

各自の魂には【直霊】と呼ばれる天神様の分魂が眠る

 

  宗教の世界では【この世の終わり】とされる時が来ることを告げて来ました。私達日本人の大多数は仏教徒で、仏教では【正法・像法・末法】の時代を経てこの世は終わると説かれていて、その末法思想から日蓮聖人を初め多くの日本仏教の宗派の開祖が出られたとなります。

 ではその末法の時を書いた仏教の経典があるのかとなりますと、【月蔵経(大方等大集経の46~56巻の部分)】が言われています。その経典の中にその人類滅亡の危機的な状態から人々を救う救世主的存在が出るとして、お釈迦様の死後56億7千万を経て【みろく菩薩】の出現が予告されているなのです。そのみろく菩薩とは人々が忘れたお釈迦様の本当の悟りを告げて、人類を永遠に嬉し嬉しの世に渡す存在です。

 

 だがその話には誰しも疑問を持ちます。お釈迦様の死後正法・像法を経て末法とされる末法の期間は【1万年間】であり、その1万年間とお釈迦様の死後56億7千万年後ではあまりにも整合性が採れません。為に、この【56億7千万】の数字は実際の年月のことでは無くて、何かを【暗示】させる為の数字として【56億7千万】が出されていると考えられてはいたのです。

 そうした中で仏教の一宗派ではなく、世界的に見れば非常にローカルな立位置にある日本神道の一宗派として、丹波の片田舎綾部から【出口なお】と呼ばれる文盲の老婆に【ウシトラ(艮)金神・国常立尊】と称する霊の神懸かり現象が起き、そのウシトラ金神から56億7千万の【みろく大神】が語られるとなりました。そこに大本教神諭に告げられた、謎を解明させる為の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密or火水)】が予告されたのです。

 

 大本教神諭の明治31年旧11月5日付には【九つ花は誠から咲かせる花であるから、三千年の経綸を致した。誠の本であるから誠の人の世話で無いと、このお世話は出来んぞよ。】とあります。

 同じく大本教神諭明治31年旧12月26日付は、【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たならば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ。】があります。

 この誠の人とは出口王仁三郎聖師のことでは無いのです。私はこの西と東は出口なお開祖と出口王仁三郎聖師の二人のことで、綾部と亀岡で東西にしてあるのかと思っておりましたが、東西の意味が人々が考える事柄とは想定外なのです。これを解くには大本教から出された【厳霊と瑞霊】の意味まで理解する必要があったのです。この厳霊と瑞霊は、お釈迦様もイエスも理解出来ていなかった分野なのです。

 

 大本教から世に出された事柄は、大本教の基本宣伝歌にある【節分の炒り豆にも花が咲く。】と云う、炒られた豆に花が咲くと言う常識的にはあり得ない事柄を引き起こすなのです。

 私は霊界に入って驚愕したのは、当時2番目の師匠としていた言霊師の方が書いた絵画が衆目の人が見ている中で別の絵に変化したことです。霊界には【物質を変換】させる霊力が働くということです。それは炒られた豆でも物質を変化させて、まったく別の物にさせることを可能としているなのです。

 ただそうした事柄は日本神話の【天の岩戸開け】と呼ばれている事柄とも連動しているのです。日本神話における天の岩戸開けは西洋で語られる【最後の審判・火の審判】と呼ばれている事柄であり、その審判の後の世界を西洋では【神の御国】と呼んだなのです。この日本では【永遠に嬉し嬉しのみろくの世】と宣伝されていることとは表現の違いであり、別に内容が違うことが予言されているのではないのです。

 

世の立替は、世界で予言されて来た事柄ではある

 

 この三千世界の大立替とは、新約聖書のヨハネの黙示録の第二一章には【わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地は消え去り、海もなくなってしまった。また聖なる都。新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を調えて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。・・・・・・。】と有りますが、私は旧約聖書の神と称する声から【私はこれまでの世を終わらせて、永遠に嬉し嬉しの新しい地球に人類を移す。】と告げられました。

 そんな新しい地球。別地球の存在は天文学的にはあり得ない話です。そうした中でいろんな霊能力者の方達から、この三次元界の地球では無くて七次元界に霊的な地球が存在しており、その霊地球が五次元界まで降りて来て、この地球に居る魂で五次元界に達している魂達を、その新地球に移行させる創造神の遠大な計画があるを聞いた次第と言えます。

 そこに大本教や岡本天明師の日月神示に出された【五六七】を【みろく】と呼ぶ理由があるです。この高次元界に隠し秘められていた新しい地球に移行すると説いて来た存在の神は【国常立尊】で、その国常立尊を創造神として仰ぐ派の人達です。必ずしも大本教の信徒ではありませんが、出口王仁三郎聖師を大預言者として尊敬している者達と言えました。

 みろくの世とは新地球を前提としていますので、そうしたことを説く人達は【新地球派】とも呼ばれます。私もその一員とは言えます。しかし何時まで経ってもそれが来ないことから、今では新地球の存在を語る人達は居なくなって来たと言えます。

 

 私は大本教から出された世の大立替説に関して私が修行のお世話になっていた伏見稲荷の豊受姫にお尋ねしたところ、豊受姫は【その時期は何時かとは言えませんが、確かなことは貴方はその日を自分の目で見ることになります。】と告げられたがあります。

 五六億七千万の数字は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密の三六九】の数字を展開させたものであり、その答えは日本語に有るとなりますと、今の世は【七(質)の代】で次に来るのは【八(∞)の代】となるのです。それは喜びなので【㐂(よろこぶ)】で、令和七年七月七日頃、宇宙サイドに何かの現象があるともなります。

 

 

 

 

 霊的世界に関わりますと、この世の物理論は絶対とは言えません。霊世界に三次元の物理学は意味をなしません。この世の物理論は三次元世界と呼ばれる世界では通用しても、次元が違う世界で通用するでは無いのです。その最大の事柄として、この世の物質をまったく別の物質に変化させるがあるからです。それを説明する言葉はこの世には存在しませんが、それこそ大本教の基本宣伝歌である【節分の炒り豆にも花が咲く】です。が、中味的には【錬金術】的な意味合いと言えます。

 人が自己の肉体から自分の霊体を出した時、その霊体はこの世の物質を全て通り抜けることが出来ます。だが自分の意識が三次元世界にあると、壁にぶつかる。天井にぶつかるという三次元界の感覚で、その違いに驚くことになるなのです。

 またこの世では遠くに行くのに電車や飛行機や車を必要としますが、魂だけになれば遙かなる場に飛ぶことが出来ます。自在の魂であれば別にUFOに乗らなくても宇宙の遙かなる星にも飛べますし、この世でも離れた土地の様子を霊体で見聞すればそこには【千里眼】と称される事柄も起きて来るのです。

 

 私は肉体は自宅に有っても鍾馗神の案内で中国の盤古大神と呼ばれる御神霊に拝謁しました。盤古大神に関しては大本教霊界物語に国常立尊様御引退語、地上神界の主宰神に就かれた神とありますので高次元も高次元世界の存在と思われます。私は高次元界の存在とされるお釈迦様もイエスも見て来ましたが、誰しも魂は物質体で有る肉体を脱いで神霊界を見聞することも出来るなのです。それとは逆の下位の次元ではこの世の限られた場所に地縛されてその土地に留まり、幽霊と呼ばれる様な姿でこの世の人にその姿を視認される霊達も見るなのです。そこに仏教では再度この世に出してもらうには、来世門と呼ばれる【羅城門】の存在も説かれたなのです。

 

何時までも幽霊の様な形で地縛しているのは辛いだろうで

 

またもや人としての来世を授ける来世門の羅城が在った

 

 

 大本教から【ウシトラ(艮)金神】のウシトラには【牛虎】もあるぞよと出されましたが、牛頭虎パンツの【鬼】達が門番している【羅城門】を通るならば、羅王(別名閻魔大王)によって【来世】というまたもや人として出して貰える輪廻転生の道も開けていたとなります。

 私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、その旧約聖書の神を創造神と仰ぐ者達は一人残らずこの神が救うと告げられました。その旧約聖書の神はウシトラ金神国常立尊であり。キリスト教では冥府の長官をサタン扱いにしてしまいましたが、輪廻転生の来世門の【閻魔大王(羅王)】は同一の神の働きだと解るならば、大本教が予告した事象が絶対に起きえないとは言えないのです。

 

 大本教から各自の魂の総親魂と云うべき【本守護神】の存在が説かれ、そして自分の魂の中でも神上がりをしている【正守護神】が説かれ、個々の人を霊的に指導している【副守護神】が説かれました。一般的に言っている守護神・指導神・背後霊などは副守護神格の霊の話であって、蛇霊や狐霊の神を信仰しても自分の正守護神とか本守護神に結びつくではないのです。

 日本の新神道系の一部の宗教では自分の正守護神と同一化に入る【神人合一】論を説いてはおられますが、イエス一人を主の御子と仰いでいればとか、南無妙法蓮華経と唱えていればよいという話ではないのです。そこには他力本願ではなくて、自分の魂は自分で磨く【自力信仰】が必要となるのです。そこに大本教から【人は神の子・神の宮】も出されたと言えます。

 

 世紀の大予言者と言える大本教の出口王仁三郎聖師は大本教から出された【世の立替論】はこの宇宙開闢以来のことで、二度目の【天ノ岩戸開き】と告げられました。新約聖書のヨハネの黙示には幾つも七つの教会など【七の数字】が出て来ますが、それはこれまでの世が【七の世(代)】だったからです。日本神道では【神代七代】として来たなのです。

 大本教から出された【ダルマ大師として現れた】は、真理(ダルマ)の七転八起で物質の七(質)の世は終わり。精神世界の【八の世(代)】が開くなのです。八の世なので末広がりの意味を持つわけです。

 

最後の審判とは、不信仰で神の怒りに触れたではない

 

永遠の新時代に向かう立替論なれど、悔い改めが必要

 

 

 

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