丹波の片田舎の綾部から発祥した宗教【大本】から、ウシトラ金神・国常立尊の名の元に世の大立替が予告されました。そこに希代の予言者と言うべき大本教二代目教主補として出口王仁三郎聖師が出て、その予言の数々は的中しました。
それは神と呼ばれる存在は人の病気治しをしたり、稲荷神や巳さん信仰で知られる様な人に現世御利益を与えるだけの存在では無く、関東大震災の様な大地震の予知を始め広島や長崎に新型爆弾が落ちて【火の海】になる等の未だ来てもいない未来の予言がなされて当たる実証がなされました。大正時代に出された霊界物語には現代のスマホの様な機器の存在の登場も予告されています。
私の霊界修行の世話をして頂いた神は伏見稲荷山で【豊受姫】として祭られている御神霊でしたが、その御陰で御神霊も【四魂】によってその御神名が変わるなども教えて貰いました。その豊受姫は阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前予告。アメリカにおける世界貿易センタービル爆破のテロ(9.11事件)にまつわる霊界のある出来事に関しても事前に述べておられます。この世に大きな天変地異を含む大事件がある場合、その背後には必ず霊界の働きもあるのです。
古来よりこの世に起きる大災害や大事変の背後には必ず霊界の作用があるとする論はありましたが、それを語るだけの神の代位者(予言者)が居なかったと言えます。
力の有る神と力の無い神の差は、未来を見通せる力の差
霊界には未来を写す映像があり、未来の予測は出来る
スピリチュアル標榜者の中には未来は決まっていませんと言う方達がありますが、霊界には未来に現れるであろうところの映像があります。予言者と呼ばれる人達はその映像を見て語っているのです。大予言者と言えた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界に現れた映像は必ずこの世に現れる。ただその映像が何年後に起きるのかが解らないと言っておられます。それが二千年後であれば、そこに予言の意味があるのかとなるのです。ただそうした霊界が見せる映像は、その規模では無く小さな泡程度の現象で終わることもあるなのです。
スピリチュアルと呼ばれる事柄に関わる人から出るものは、人の未来の恋愛運の様な事が主体で【人類全体の将来】を予言する様な話は出て来ません。同じ【霊的世界】に関わっていても、見ている霊世界がまったく違います。そこに【霊界次元】と呼ばれる事柄が存在して来ます。いくら霊界の映像でも高次元界からの映像で無いと、この世で起きえないと言えます。
人は三次元と呼ばれる世界に生きて、通常の霊は死後は四次元界で生きます。五次元界位から神と呼ばれています。それが岡本天明師の日月神示に見られる【三四五(みよいづ)】の論理で有り。今日では霊界には第一天国界、第二天国界、第三天国界の存在が解っていますが、それは次元が違う世界となります。みろくの世とは霊界でも高度の【五次元、六次元、七次元】で構成される世界となるのです。三次元の肉体のままで入れる世界ではありません。
一部の霊能者の間ではキリスト教徒は第一天国界には進めていないと言う話がありますが、神は愛だと言う論理だけでは【如来界】とも言われる智惠が重要な第一天国界の天人の座には進みようが無いと言えます。この世で誰かを拝めば、自分に【如来の様な叡智】が付くか?。なのです。
人の恋愛を予言するのと地球の未来予言は次元が違う
予言というジャンル(分類)だけで言うならば、よく耳にするのが新約聖書の【ヨハネの黙示録】が話題になります。このヨハネはイエスの使徒であったところのヨハネなのか、それとも別のヨハネなのか諸説あり、はっきりしません。ただこの日本ではそのヨハネは【四八音(ヨハネ)】の役割と理解する人達もあるのです。
大本教の神諭に出された【神三千年間に渡る仕組み】を考えるならば、その仕組みの中には当然イエスも有るとは言えるのです。それはヨハネの黙示録の反イエスの象徴として【666】の数字が知られていますが、世紀の大予言者として実績を発揮された大本教の出口王仁三郎聖師はその666を【みろく大神】として世に出されたがあります。
キリスト教のイエスと56億7千万の【みろく】神とは、相反する存在なのです。キリスト教の教義では冥府の長官は【サタン】扱いにされてしまいました。大本教からは【国常立尊は悪神として、世に追われた。】と出されましたが、【鬼門の金神は悪神】だとする人達も今も後は絶ちません。そこには【自分が犯した罪を償わない】ことを間違っていないとする勢力もあるということなのです。
今の霊界を見れば、勝てば官軍。負ければ賊軍
みろく大神(666)は反イエス?。するとイエスは何者?
霊界には【天使の記章】と呼ばれる階級章があるとされます。霊界に存在する魂を次元格で見る時、神の高山(ピラミッド)の合目を次元格として語るがあります。その場合、十合目十次元が頂上神となりますので頂上神の存在は【白十字】で表現するとなります。日本語では【天(テン)】と【十(テン)】は連動しているのです。
幸福の科学の開祖であった大川氏は、お釈迦様とイエスとモーゼは神の高山論においては八次元格とされていることから、自分はその三体の魂の本体たる上位のエルで九次元格の魂だと称してデビューされました。有能な霊能者達は大川氏はそんな高次元の魂の持ち主ではなかったと見做します。後に大川氏は自分は十三次元だと称したことで、自ら自分は【ニセ者】だと白状したのと同じ墓穴を掘ったなのです。
有能な霊能者からは、お釈迦様やイエスや孔子や大本教の出口王仁三郎聖師の様な魂は八次元格の魂だったと言われています。弘法大師や日蓮聖人等も高い次元格の魂の持ち主であったなのです。一部の人達から救世主だと言われていた【五井野正(七次元よりの使者の著者)】博士やヨガで知られた【本山博】博士も自分は七次元格の魂だと自称されていたがあります。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分は素戔嗚尊の魂で救世主だと名乗りを上げて、後に大本に現れた変性女子はニセ者だと発表されると、巷には自分は素戔嗚尊の七次元の魂で救世主ですと名乗りを上げる様な人達も多数出て来られました。有能な霊能者の方達からは大本教の出口王仁三郎聖師の魂は七次元格ではなくて、素戔嗚尊の八次元格の分魂であったと見做されています。なのに何故に自分は【ニセ者】発表をされたのか?。そのことを知らない自称救世主の間では、自分は七次元格の素戔嗚尊の名乗りが多いと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師の救世主の演技は、世にニセ神達を炙り出す仕掛けでもあったなのです。そしてイエスは救世主では無かったことを教える為です。しかしそれは霊界は一柱の神が全面的に統括しているのではなく、多様の神々も存在している証なのです。そこには天帝と呼ばれる神の存在が霊界においてあまり見えないがあります。
私は稲荷神界で【お狐さんや巳さん(蛇霊)】と関わって来ました。私の霊界修行のお世話を頂いた当時の師匠は伏見稲荷大社講務本庁三丹支部長であった砂沢たまゑ師で晩年に書籍を出され、その著本は当時伏見稲荷大社の信者が泊まる参集殿の売店で伏見稲荷大社の準公式本の扱いでお稲荷さんを説明する本として売られていたほどなのです。それは神主をしている者でも神霊の姿は見えないからです。
実践霊能者として有能だった砂沢師自身は【自分は神様は狐さんや巳さん(蛇)だと思っています。】と言っていた様に、現実の神霊界は蛇霊(巳さん)や狐霊と呼ばれる低次元霊界に属する霊に支配されているなのです。ただそうした狐さんとか巳さんは狐や蛇の姿を取るのではなくて、霊能者から見た時は人の姿で見えます。ただその人間のお尻から霊的な大きな尻尾が見えたりするのです。
私はある霊能者から、貴方は神々の世界に教えをする為に高次元霊世界から降り立たれた高い身分の魂の方だが、この地球が所属する霊界とは低次元の霊世界で狐霊や蛇霊の力の助けが無いと何一つ動かせませんよと告げられました。この世は霊界における身分(天使の記章)だけでは動かせないのです。
私の元に【あんたは天帝に仕えるところのたかが一天使に過ぎない。何の神力も持ってはいない。そんな存在、何一つ怖くない。】と言って来られた方がありました。私が天帝に仕えるところの天使だと知っていても、何の神力を持たなければ私の言葉に従う御神霊など無いのと同じなのです。
私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫の御代を勤めておられた砂沢師から豊受姫の言葉として、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)と同様の物で、貴方が説く言葉の教えに従えないと言う神は如何なる地位の神で在っても天帝に反逆する神と見做さて、最後には処罰される。】と告げられました。今の神霊界とは、天帝が存在していてその力を振るわない限り天帝など【糞喰らえ】なのです。
その言葉による教えとは、大本教神諭に予告された【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】なのです。それは369の数字を持って【56億7千万】の秘密を解き明かす仕組みがなされていたと言えます。
私は最初、どうしてこの地球の霊界はこれほど蛇霊が支配しているのかと思っておりましたが、聖書にある蛇霊の囁きで蛇と一緒に神の御国(エデンの園)を追放された人類で、この地球では人類と蛇霊の仲は斬っても切れない関係で成り立っていると解ってきました。
邪の道は蛇。人が神の御国に帰る為には巳を帰らせる
キリスト教では蛇霊の囁きで神の御国(エデンの園)を追放された人類とする事柄は【人類の原罪】とされ、イエス一人を主の御子と認めればその罪が赦されて天国界に救われると説いたなのです。為にイエスを主の一人御子と信じて拝していれば天国だで今日まで来た為に、逆に【真相に蓋がなされてしまった。】と言えます。
この日本は国常立尊の陰守護で国内にキリスト教を入れなかったことにより、キリスト教宣教師が先兵となる植民地国家にされませんでした。日本人のキリスト教信徒の一部は海外に奴隷として売られた事実があります。為に国内では狐さんや巳さん(蛇霊)信仰がかなり盛んで、巳さん(蛇霊)等を通じて霊世界を学ぶことが可能だったのです。
日本の神智学で愛ばかり言っているスピリチュアル標榜者は蛇霊の容器になっている者とされますが、何をしても神の愛で赦される。そうした教えが誤っていることに気づけなくなってしまうのです。
旧約聖書は悪の種を撒いた者は、その悪の果実まで刈り取りしないといけないとします。どこにも神の愛で悪が赦されるなどの記述はされてはいないのです。それが当たり前の教えなのです。ところがイエス一人を主の御子と拝んでいれば赦される。神は愛で、何をしても神の愛で赦されると説いている者達の本当の正体が何で在ったのかなのです。
私が見たのは蛇霊に唆された神霊も改心で天人に帰る
それが旧約聖書だったのか新約聖書だったのかは覚えていませんが、【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊】とあります。日本の行者筋では龍神とは何者かと尋ねると、霊界の海・山・川、あるいは火・山・川で各各千年。合計三千年間修業した大蛇霊だと言われます。その意味では聖書も日本の行者筋も龍神とは霊界で三千年間もの修業を積んだ老いた大蛇霊で有るとは解っているのです。
ところが大本教から龍神の多くは霊界の年老いた大蛇霊のことではあるが、そうでは無い龍神達の記述があり、蛇霊出身では無い龍神とは何か?。を追求していくと、そこに【流神】と呼ぶ言葉が出て来るのです。
巷で自分は七次元の素戔嗚尊の魂たる救世主で、自分には三輪山の五次元界の黒龍神が何百万騎も従っていると言われて来た方がありました。他に自分には六次元界の白龍神が何千万騎も従っていると言って来られる方もあります。この世での私の名前を言い当てるほどの霊力を持たれた方も居られましたが、それら龍神とは宇宙を造営したところの【流神】とは言い難いなのです。
多くの霊能者や神々の世界を廻っても、世に【創造神】と呼ばれる神の存在はよく解りません。私は伏見稲荷山で神として崇められている蛇霊神の【泣く声】を聞いて来ました。いくら神と呼ばれて祀られていても、【蛇の身】に成った自分を嘆く泣き声です。蛇の身に変えられた自分を見た時、誰も嬉しくないでしょう。時には泣くでしょう。
神の存在否定は、狐霊や蛇霊から神の存在を見ていない
西洋の唯一神信仰は、逆に末端の多神の存在が解らない
大本教から【三千世界(大宇宙)】の大立替が予告されたのですが、そんな途方もないことが起きるかとなったならば、人類の上にそんな出来事はこれまで一度も起きてはいないでしょう。そのことに関して大本教からは【宇宙開闢以来の出来事】と言い、第二の【天の岩戸開け】とも出されました。そして大本教霊界物語は蛇霊の囁きに支配された神々の多数決で国常立尊様は御引退された。その悪神達によって引退を強要された国常立尊様が、時節が巡って元の天の主宰神の座に御復帰される。】が説かれました。
その天の主宰神の座に御復帰に当たり、これまでの神霊達はそれを納得してそれに従うかとなりますと、それはあり得ないのです。反国常立尊としての旗印を表に出された神々は、最後の神界決戦に臨むなのです。これが大本教神諭に予告されたウシトラ金神国常立尊が邪神達の連合軍に負けたならば、その悪神達に従ってやると言う内容になっているのです。
宗教の世界では一部にはなりますが【神界最終戦争】が述べられています。その多くは【善神と悪神】との戦いの二元論で意味は解りますが、スピリチュアルだと【光と闇】の戦いとします。しかし一部なりとも霊界見聞をすると光を放つが善で、闇が悪の定義はおかしいとなるのです。邪神とされる黒龍神等が霊界の太陽を創り出して、自分達が創り出した霊界の王国に信徒を導くをしています。光を放っているからそれが善霊とは限らないのです。
一般的には【闇は悪】だとされて来ました。それは地獄を見聞して来れば闇の世界だからです。しかしそれは【エネルギー】の有無の概念で見ると、多大なエネルギーを持つ存在は光を放ち、そうしたエネルギーを持たない存在は暗い世界に居るとなります。霊玉と霊玉がぶつかると花火の様な閃光を放ちます。音と共にその周囲が一瞬明るくなるのです。そこには【音波】が見られるのです。
闇の漢字は【門の中に音】。音は【日立】で光を創る
スピリチュアルで語る【神界の最終戦争は光の天使と闇の天使の戦い】は、【善と悪】の概念では解らないと言えるのです。今の神霊界は天帝と呼ばれる存在は語られますが、その存在を見た神々や霊能者はほとんどおらず、よく解らないのが実態です。ただ今の神霊界は力の強い者が勝つ。勝てば官軍。負ければ賊軍の論理が支配してなのです。
天の岩戸開けと予告されて来た光とは何の光か?
宇宙造営に関わった流(龍)神達はどこに行った?
大本教から【世の大立替】が予告されましたが、今の実態としてはそんな気配は見当たらないでしょう。しかし日本語に限られていますが言葉では完璧なほど仕組みがなされています。
そしてこれまでは霊能者と呼ばれていた人達を見るならば、これまでのような霊力を振るえなくなっています。多くの霊能者が店終いを起こしているなのです。その霊能者達の店終い。そこにはその背後に存在した神霊達の活動も消えているがあるのです。何かが起きようとしている前触れです。
大本教から予告された【世の大立替】とは、国常立尊派と反国常立尊派の龍と龍とが最後の神界戦争としてぶつかる危険性が高いと言えます。遊んでいて【永遠に嬉し嬉しのみろくの世】等来るはずもないでしょう。
私がお世話になった伏見稲荷山の豊受姫は【神界が神々の流す血で海と成りかねない。】とも述べられたなのです。
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