つい先日、私にある言葉が降りて来ました。その内容は【来年はみろくの八十(やそ)吉の年である。】です。
来年はみろくの八十(やそ)吉の年で在る?。一瞬何の意味かと思いましたが、ある事柄を思い出しました。私は大本教が演じた神芝居の意味を解説をしていますが、大本教の神芝居には謎の場面が多いのです。その一つは大本教出口なお開祖に、二代目教主補であった出口王仁三郎聖師がみろく大神様その方であると降りた神示です。
その件は終戦後、出口王仁三郎聖師が自分がみろく大神様はニセ者演技の型で、本物は昭和20年に下生したと言われたことです。ただ、このことは余り世に知られておらず、それが語られたは無いようです。
昭和20年の終戦の後に弥勒下生が起きた?
大本教が演じた神芝居の内容は、大本教神諭に予告された【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密or火水)】を紐解くならば、みろく神(マイトレーヤ)とは肉体を持った人間が演じることそのものがおかしいとなるのです。ただ大本教神諭には九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密0r火水)は、たった一人の【誠の者】にしか紐解けないと予告された事柄でもあるのです。それは誰でも紐解ける様な物では無いなのです。そんな事柄が万人に理解出来るか?。となります。
何故に邪神達のことを、八十(やそ)曲津神と言った?
大本と呼ばれる宗教から世の立替論が起き、何故に【五十六億七千万】の数字で知られる【みろく菩薩】を【みろく大神】とする内容が説かれたのか?。そもそもお釈迦様の弟子に弥勒菩薩に該当する弟子などは最初から存在しておらず、古代ペルシア地方に存在した光と司法のミスラ神(ミトラ教の神)を仏教が中央アジアに広がる過程で仏に取り込み、弥勒菩薩とされた事は現代では解っています。
サリン事件を起こしたオーム真理教の教祖松本智津夫(麻原彰晃)などはそうした事実を知らずに、自分の前世はお釈迦様であったと自称して、弟子の上祐史浩をマイトレーヤ(弥勒菩薩)に仕立て上げて多くの人を欺して地獄界へと導いたなのです。もし、お釈迦様の弟子に弥勒菩薩などは最初から存在していなかった。そうした事実に気づいていたならば、多くの被害者を生む事も無かったとなります。
私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は私に【拝火教】を学べと告げて来ました。インターネットが無い時代、その拝火教を知るということは至難の業でした。まして綾部の様な田舎では大きな図書館も整ってはいません。だがインターネットの時代となって、私にも【拝火教】が少しは解るようになったと言えます。特に大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密】から、拝火教に関わる【ミ】【ス】【ラ】の【言霊】と【九つ花】から【369】の仕組みが解って来たと言えます。
私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する霊声は、【この国(日本)は私の教えで満ち溢れている世界で唯一つの国で有る。私の教えを知るには外国の宗教書を必要としない。】と告げて来られたがあります。この日本の国の言葉でしか紐解けない仕組みとは、神と呼ばれる存在が仕組みに仕組んで来ているとなります。
何神かが、五六億七千万のみろく神を仕組んだ!
大本教の神は、三千年前から仕組んで来たと告げた
丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教の神諭で、ウシトラ金神国常立尊が【日本語で神仕組み】をしたことは解りますが、日本書紀に創造神としてその名が記載される【国常立尊】を【ウシトラ(艮)】金神として、【三千世界(全宇宙)一度に開く梅の花。開いて散りて実を結ぶ。】と【節分の炒り豆にも花が咲く。】等の大宣伝が何故に大本教から為されたのか?。となります。
しかもそこには【ウシトラ金神国常立尊】の神名だけでなく、仏教においてお釈迦様の死後五六億七千万年を経過して、お釈迦様の本当の悟りはこうだったのだと告げると予告されて来た弥勒菩薩を【みろく大神】として世に出したがありました。この大本教が出したみろく大神は【五六七】大神とも世に言われて来ました。それは単に仏教に残された五六億七千万を【略】した数字なのか?。です。
日本神道の大本教が仏教の弥勒菩薩を神として出した?
大本教において、二代目教主補であった出口王仁三郎聖師による救世主は【素戔嗚尊】とする演技がなされましたが、素戔嗚尊のみならず出口王仁三郎聖師が【みろく大神】だとする神示が出口なお開祖に降りて、出口王仁三郎聖師がされた演技には素戔嗚尊役とみろく大神の役が重なるがありました。
しかし誰が考えても仏教のみろく菩薩を日本神道の素戔嗚尊と同一神と見做すことは無理筋と言えます。そしてどうしてそれが三千世界(全宇宙)を統括するところの天帝的存在の【みろく大神】と言えるのか?。意味がよく解らないでしょう。ただ出口王仁三郎聖師は大予言者としての実績を誇られたことから、大本教の背後にはそうした神が関係する神霊団が存在しているとは考えられたなのです。
大本教霊界物語の第十三巻に収録される信天翁(あほうどり)において、出口王仁三郎聖師の魂は素戔嗚尊でも救世主役は【ニセ者】であったと発表されました。それによって巷には自分が本物の【みの尾張の女子】と名乗る人達が続出しました。しかしそうしたニセ者達が続出したことにより、今の霊界には本当に天帝と呼ばれる神の姿が見当たらないと解って来たと言えます。天帝たる存在が解らないことから、自分が本物だと名乗って来る存在の神も輩出するです。
が、それのみにあらず。出口王仁三郎聖師は自分が演じたみろく大神も【ニセ者】であったと発表されたのです。そして本物の【みろく下生】は昭和二十年に起きたと告げられたがあります。大本教の出口王仁三郎聖師は単なる霊能者ではなく、大宗教家であり、大預言者であり、大予言者と言えました。予言者と預言者は意味が違います。預言者は神の言葉を降ろす者です。予知の予言が出来ても神の言葉を降ろすではないのです。
本当に昭和二十年に【みろく大神の下生】が起きた?
この昭和二十年に【みろく下生】が起きたとする説は、出口王仁三郎聖師以外にも世界にはありました。極東で火を意味する国に出たとする説です。特にフィリピン説が有力視されていました。フィリピンはキリスト教の国なので、そうした説も出たようです。だが【火】を意味する国が【日本】と見る向きはなかったと言えます。
イギリスのシェア・インターナショナルのベンジャミン・クレームなどはその存在がマイトレーヤ(弥勒菩薩)だとして、昭和20年にヒマラヤ山で光で合成された人物が世界教師等と主張していました。そのマイトレーヤだと主張する人物の写真が雑誌ムー等では何度か取り上げられたがあります。
しかしそれは五十六億七千万の数字に何の根拠も持たない存在で、大本教神諭が予告した九つ花を紐解くならば日本語による言葉の仕組みで【五十六億七千万】の数字の根拠が出て、みろくではなくて【369】の数字の演出であることも解ります。
しかし大本教から出されたのは【369】ではなくて、キリスト教では反イエスの象徴として説く【666】の数字を【みろく】大神として出したのです。666が反イエスを示す数字であることは理解出来ても、どうして【みろく】は【反イエス】なのか?。そこまでの理解が出来なかったなのです。
人類はキリストとは、言葉で無く人と思ったがある
日本神道界では日本書紀も古事記にも【八十過津日神(やそまがつひのかみ)】が出て来ます。厄災を司る神です。その禍を直す神として【神直日(神直毘)と大直日(大直毘)と大本教から強く打ち出された伊豆能売(伊都能売)】神が有り、これらは人の魂の円真(核)の部分の働きと言えます。この八十禍津日神を単に邪神を意味する【曲津(まがつ)】神で片付けて来たはありましたが、私が不思議に思ったのは何故【八十(やそ)】の数字の言葉なのかです。
日本の辞書を調べますと、その八十(やそ)は単に数字の多いを意味することだと載っています。確かにこの日本では八百屋や八百万(やおよろず)の神で数の多さを表現する言い方をしますが、八十だと単に数が多い意味とは言えないのです。私が感じたのはその八十(やそ)にはキリスト教の【耶蘇(イエス)】の言葉を秘めているのではないか?。です。
私が子供の頃にどなたかは解りませんでしたが【ナザレのイエスのパンの愛の教えは美味成れども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教えに過ぎない。】と告げる声があり、その時はその穴空きパンの意味がよく解りませんでした。しかし魂の存在を学んで行くと各自の魂の円真(核)は天帝からの分魂(直霊)で、人の【良心】の働きを司ると言われて来たなのです。
全ての人には魂が有り。その魂の核は天帝からの分魂ならば【人は全て神の子・神の宮】で有り、イエス一人が神の御子説は間違った教えと言えます。スピリチアル標榜者に見る神は愛だから何をしても赦されるだと、良心神の教えは説けないのです。
キリスト教の別名は耶蘇(やそ)教で、八十(やそ)教
真ん中の存在を説かないと、真ん中が無いドーナツ型
邪神と呼ばれる存在の魂を見ると、魂の【真ん中】が抜けているのです。この穴が開いた魂の存在は多くの霊能力がある人に視認はされていますが、それが何故なのかを解説する者が世に居なかったなのです。
イエスは40日間荒野をさ迷って、41日目に主の御子?
モーゼは40年間荒野をさ迷いましたが、イエスはたった40日間のさ迷い。それで悪魔を退けたと言えるかです。大本教から【人は神の子・神の宮】説が出されましたが、そちらの方がどれほど正しいのか知れないのです。どうしてイエスは【41】日目で、自分一人が主の一人御子等と称したのか?。
大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密】
真ん中の【41】位に、核神の【言霊】が秘められる
大本教神諭予告。九つ花に咲く一輪の言霊は大本教が出した素戔嗚尊の【ス】の神論ではなくて、日本語のアイウエオの第41番目の【ラ】の言霊の漢字で【良・羅】の意味を語らせることだと知って驚いたしだいです。私の前に出て来られた出口王仁三郎聖師と思われる霊が、私に神は【ア門ラー】と謎を掛けて来られたのは日本語による言葉の仕組みと言えども、よくぞここまで仕組みに仕組んだ神が在ると言えます。
今は神代【七代】で、七度も0の霊界が立った
九✕九の九つ花は、霊界で81✕7つの0が立った
仏教で説かれた56億7千万の【567(81✕7)0000000(七回の0の霊界)】は、すなわた全神々を束ねることが出来る神の存在を証明する為の日本語による言葉上の仕組みなのです。それがこの日本では【国に常に立つ御言(みこと)】となるのです。
岡本天明師の日月神示には【悪も抱き参らせそうろう】がありますが、誰もその意味は理解出来ないでしょう。悪は悔い改めないと良心神とは結びつきません。悪と良心は相反する物だからです。だが悪も悔い改めることによって、良心神と一体化して行くのです。
もし悪を排除するだけであれば、その魂は大きくも磨かれもしないのです。自分の魂の中に入った悪を改心(悔い改め)させて、魂そのものを成長させる。オセロゲームにおいて黒地も白地に変える。将棋では敵の駒を捕獲出来れば自軍の駒となる。
人の魂は正道を行く良心神と厄災を招く八十の働き
自己の魂の【身禄】を創るには、善と悪とを一体化
出口なお開祖に降りた出口王仁三郎聖師が【みろく大神】であるとした事柄も自分は【ニセ者】の演技であった。みろく下生は昭和20年に降りたと言われたことは、それは数字の秘密を隠した演技であったと言えます。
昭和20年の、1945+80(ヤソ)=2025
369(みろく)の仕組みの完成は、令和7年
誰が見ても、AIの発展を除いてこの世はにっちもさっちも行かないようになって来ました。人には肉体が有って、何かを食べないと生きていけない仕組みになっています。いくらAIの世の中になっても、AIが人が食べる食物を与えてはくれないのです。作物を実らせることも出来ないのです。そこには神を意味する【火(か)水(み)】の働きが要るからです。
この地球が置かれた今の気候は世界各地で大洪水や大干ばつ起こしていますが、それだけではなく肉体を養う食事の元となる作物が高温で実らない。野菜も出来が悪くなって来ました。動物の世界も山に食べる物が無くなりつつあり、熊や猪も鹿も山から降りて来ています。海では魚が消えつつあります。もう人類も動物も食べる物に事欠く赤信号が点っているのです。
AIでは人の肉体を養う作物の【実】が創れない
神は火(か)水(み)として、自然界のエネルギーを保って来たのです。しかしこの地球に起きている気象の高温化は、単に気象温度が高くなったではなく【食】の問題を孕んでいて、神と呼ばれる存在に祈っても気象温度は落とせないのです。人類を飢え死にさせる問題にと発展するのです。
今の世に出る御神霊は、どなたも気象に対処が出来ない
私は自分に臨んだ神から人類はこの地球では無くて、この地球とまったく同型の瓜二つの高次元界に存在する新地球と呼ばれる星に移ると告げられた一人です。その時にはいくら神でも、そんなことが出来るだろうか?。と疑っていましたが、言葉の仕組みとしては凄い仕組みをされた神が在ると解って来ました。そしてこの地球が人類が住む星としては適さなくなったことです。
ただその神は、今は引退を示す【艮(ウシトラ)】状態なのです。
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