人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

西洋で父なる神は説かれたが、母なる神は?。母なる神として日本の大本教で説かれた【豊雲野大神】とは?。

 私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声の教えを聞いておりましたが、その内容はこの私が宇宙を創ったと言う様な自慢話をする神ではなく、私に対しては【この世での人としての生き方】の教えを聞いていたと言えます。それらの内容は【キリスト教の新訳聖書】のイエスが説く神の姿とは違った内容と言えました。ただ教えを聞くは出来ても、自分がその教えを実践できたかとなると難しかったと言えます。

 私が旧約聖書の神と称する霊から聞かされた内容は、大本教から世に出された【この世は天人の苗床】で、魂がこの世で天人として成長して行く為の道筋と言えたでしょう。

 

私達一人一人はこの世に降りて、その生き方が問われる

 

神を称えることだけでは、自己の魂は何も磨かれない

 

 その教えの過程において私の前世は【他人の魂胆が読めぬお人好しで、そうした者に利用されて悲劇の武将でこの世の命を終えた。今生においては人を疑わないお人好しでは無く、人の魂胆を見抜ける者と成りなさい。】でした。疑うことをしないお人好しは、表面的には善人(神の言葉だと告げられたならば疑うことを知らない羊の譱)と思われますが結果論として世の間違いを許してしまうなのです。真理(キリスト)に蓋をしてしまうです。

 その旧約聖書の神と称する霊声は私が小学校を卒業する頃には消えて、私も大人となるにつれて神と呼ばれる存在とは無縁の生き方をしてきました。神と呼ばれる存在を背負わなくても人は生きられるからです。

 しかし昭和五十五年、私の目は開いているにも関わらず。何の光も見えない真っ暗闇に落とされて、地底の底から響いて来る様な恐ろしい霊声が臨み。その霊声のあまりの恐ろしさにその言葉の内容を疑うよりも、その霊声の響きの恐ろしさに震え上がって疑うことが出来なかったが本当だと言えました。目は開いているの真っ暗闇にたたき落とすなど、世界の怪奇談にも書かれてもいない事象だったからです。

 だがそれは新約聖書のヨハネの黙示録にある何の光の輝きも無い世界に、人類を落とすことも不可能では無いなのです。人の肉体にはその種が仕組まれているからです。

 

霊界はその言葉を信じさせる為に、何年も歳月を掛ける

 

 私は神霊界修業のお世話になった伏見稲荷山の豊受姫から、その時に私が体験した出来事は霊界が起こした嘘だから体験した内容を忘れなさいと注意されのですが、結果的には嘘でした。だがそれが嘘だとは解らずに長年に渡って追求する過程において、霊が出す【嘘の言葉】に【誠】と呼ばれる事柄があるを知ったなのです。

 それ自体は【嘘】を出されたですが、その【嘘】を通じて【真理】を学んだなのです。私が告げられた【イエスの愛の教えは美味なれども、真理からは外れていた。】なのです。だがそれ以上に重要だったのは、嘘や虚空の漢字に隠された【虍(トラ)】に【演劇の寅(トラ)】です。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書は神から【この世は神の舞台を見せる演劇場】とも告げられていたからです。

 

仏教は、この世は【虚空蔵】から出たと説く。嘘と虚空?

 

この世は【真実】を覆い隠す【嘘】の仕組みがされている

 

 子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は【私の書は旧約聖書なれども暗号書の様な物で、それを読み解く鍵を持たないと意味を間違えるように創ってある。新約聖書は人の子達が創った書で、私の書では無い。この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で在り。この私の教えを学ぶのに外国の宗教書は必要が無い。この日本だけで事足りる。この日本の昔話や民話に諺。童謡やわらべ歌に私の教えは秘めてある。そなたはそうした日本の書から私の教えを学びなさい。】と告げられたがあります。

 

日本の諺の一つに、嘘は誠の皮、誠は嘘の骨がある

 

 その意味は、嘘と真実は身体の骨と皮のような関係にある。真実をおおいかくすのが嘘で在り、嘘を暴けば実に当たる。です。仏教でこの世は虚空蔵から創り出されたと説きますが、そこには表面が【嘘】でも骨たる誠の世界があるのです。

 

この世の最大の嘘は、肉体は死んだと思っても魂は生きている

 

魂は心の思いで、その姿は言葉で示す動物等に転生して行く

 

 スピリチュアル標榜でも、この世は【魂の現住所】。死後は【魂の本籍地に戻る】と説くように、魂そのものはほぼ【不滅】と呼ばれる生命体で、腐っても破砕されて小さな魂となって形を変えても生きているのです。一寸の虫にも五分の魂と言われる様に、虫達にも魂はあるのです。

 しかしながら注意しておかなければならないのは私の目では2センチ程度の長さで視認した龍神でも、スピリチュアル標榜者では20メートル程度の長さの龍と視認されており、それなりの霊エネルギー行使して来るなのです。為に龍神に攻撃されれば病院行き等を伴ったりするです。

 ただスピリチュアル標榜者は大嘘を出しているのです。それは【神は愛だから、何をしても愛で赦して下さる。】です。日本は仏教国で多くの行者が地獄界を視認しています。神は愛で何をしても赦しているならば【地獄界】は存在して来ません。そして【閻魔大王】と呼ばれる存在も視認されています。閻魔大王はサタンではありません。しかしキリスト教では冥府の長官【閻魔大王】を【サタン(悪魔)】扱いにしたなのです。宗教の教えは絶対に正しいではないのです。

 

 宗教の世界では覇権を争って、自分の派の教えを信じる者は天国界で異教徒は地獄界に墜ちるが定番ですが、キリスト教から見て仏教徒は地獄界に墜ちて行く者達かとなると違っています。天国と地獄に別ける基準は【所属する宗教】では無く。閻魔の裁きとは、宗教宗派に関係無く個々の【魂(牛頭虎パンツの鬼と云う)】に付着した【穢れ(悪業)】の度合いによるのです。そこに閻魔大王は【ウシトラ(牛虎)金神】としての仕組みもあるのです。

 如何なる宗教団体でも、その信徒が犯した罪は宗教団体そのものが消すことは出来ないのです。その宗教団体が出した正しい教えを信じさせて善人をどれだけ輩出するかで、その宗教団体(教会)は汚いトイレや磨かれたトイレとして、霊能力が有る人には霊的な映像を見させるのです。それは魂を更正させる教育の場が(宗教・教会)で【更正】場が便所(トイレ)の映像と成るのです。

 だが現在の宗教界は、信徒を天国界ではなくて地獄界に案内ばかりしているが多くなったのです。

 

善行-悪業=魂の徳分(良心)

 

 

何の善行も積まない者に天国界の存在は見えない

 

 スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる標榜者には【罪(カルマとして残る)】と呼ばれる物に対しての勉強不足が見られるなのです。 で、カルマの存在が解らない。

 

地獄界を覗けば、ゾンビの様な連中がウロウロしている

 

牛虎金神(閻魔大王)の大仕掛けの劇

 

 スピリチュアルでは神は愛だから何をしても神の愛で赦されるが定番ですが、実際には地獄界と呼ばれる世界が存在して、この世で悪業を積んだから地獄界に落とされているでは無く、明治25年丹波の片田舎の綾部で【出口なお】に降りたウシトラ金神の神示として、自己本位とか自己中の生き方の戒めが出されました。自己中が自己の天国行きを阻害する。

 それはこの世は遊ぶ場所ではなくて、大本教が世に出した【天人の苗床】としての性格を持つからです。

 

この世で自己本位自己中の生き方は地獄界に墜ちる

 

この世で世の為人の為に尽くした者は天国界に昇る

 

 が、大本教が世に説いた神示がどこまで正しいのかがあります。西洋では【父なる神】が説かれました。だが?なのです。それならば【母なる神】はどうなっているのかとなります。

 

母なる神は存在していないのか?

 

 キリスト教では父なる神が出されましたが母なる神が説かれませんでした。お釈迦様でもイエスでも【母となる存在が有って】こそ、この世に出られたなのです。大本教から父なる神の立場として【大国常立尊】が説かれ、母なる神として【豊雲野尊】の名が出されました。

 日本の日本書紀には宇宙の初発の神として【国常立尊】の名が在り。次に【豊雲野尊】の名がありますが、これらの神は男神とも女神とも書かれていません。日本書紀の国常立尊は大本教の【大国常立尊】で同一神と解って来ます。男神です。しかし【豊雲野尊】は女神で母なる神の立場としたのは大本教ですが、それが事実かどうかは誰も解りませんでした。大本教はその母なる神の具体的説明をしなかったからです。

 ただ国常立尊の姿を視認される霊能力者は、その対と成る女神として【豊雲野尊】を視認されるなのです。その形は時代を経て伊弉諾伊弉冉尊として現出して、スピリチュアル標榜者にもその霊姿が見えて来るなのです。

 

 仏教ではこの宇宙は【無から有が生じた】と説きます。日本神話では【混沌(カオス)】から生じたです。霊界には、この宇宙の初発の光景が存在します。それを見ると宇宙の初発は無から有が生じたであり、その状態は混沌(カオス)なのですが、次に【宇宙の卵】を産む光景があるのです。

 大本教の霊界物語では【円筒形】の物が生まれたとしましたが、私が見たのは円筒形と言うよりもカプセル型でした。ただ大本教霊界物語が登場した頃にはカプセルの言葉は無かったでしょう。ただそれだけだとそれを産んだ【母体】の説明が出来ていないなのです。宇宙の卵が産まれる母体の光景からすると、その母体の神名は【豊雲】と呼ぶべき言葉であり、その状態は【母なる神】を指すのです。

 

物事の始まりは、【女の胎】です

 

 私は子供の頃に自分に臨んで来た旧約聖書の神と名乗る霊声が【私が日本神話を創作させた。】と告げられた時、何を言われているのかと思いましたが、西洋では【母なる神】の存在は出せていないのです。で、イエスを産んだ【マリア】にそれを代行させようとしたが、それは無理筋だったと言えます。

 西洋で母なる神をどう言葉で説明すればよいのかとなると、【グレート・マザー】程度なのです。お釈迦様にしてもイエスにしても母親が存在しなければこの世には生まれては来なかったでしょう。だがお釈迦様の母親摩耶夫人にしてもイエスの母親マリアでも、この宇宙を産んだ【母なる神】の存在を説明するには役不足です。それは人間の【型】では母なる神が説明が出来ないからです。どうしてもそれは【豊雲】の表記の言葉になるのです。

 日本書記に記載される豊雲野尊だけでは、その意味を理解することは出来ません。しかし大本教から母なる神として【豊雲野尊】の名が出され、霊界が見せる宇宙造営の映像にその豊雲(とよくも)を意味する映像を見るならば、私は大本教と呼ばれる宗教が演じた内容は、旧約聖書を聖典とする宗教では【キリスト(真理)】は出せないと言います。

 

大本教から出された内容は旧約聖書以上の聖典

 

キリストたる存在は、九つ花に咲くたった一輪の言霊

 

 大本教神諭に、【この神は煮ても焼いても食べられる】がありますが、朝鮮半島に残されていた最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないとありました。誰もその米一字が【飯屋(メシヤ)】だとは考えなかったなのです。

 大本教神諭には他に【地に落ちた米粒は、一つだに救う】式の記述がありますが、朝鮮に残されていた最後の審判前に出て来る【米】一字が予言された意味を持っていたなのです。

 

真理を説けなかった宗教が宗教界の覇権を争っている

 

されど、真理を紐解く仕組みをした神は存在して居た

 

 

 

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