この日本では日本古来の神道の神達と仏教で説く如来・菩薩・明王と呼ばれる多数の仏達の信仰が行われています。そうした如来の中で西洋で語る唯一神はどなたに当たるのかとなると、よく解らないが起きます。阿弥陀如来様がそれに当たるのか?。あるいは密教で説かれる大日如来がそうなのか?。さすがにお釈迦様が西洋で語る唯一神に相当する神と考える方は居ないでしょう。
この日本で霊能者と呼ばれる人達の多くは、その日本古来の神々や仏教で説かれる仏と呼ばれる霊達を視認されます。しかしながらそうした諸神諸仏から得られる霊界情報では、神界の真相が掴めないがあります。そこに宗教宗派によって語る神界の様が違っているがあります。
どうして宗派によって、語る霊界が違うのか?
一方、スピリチュアルという言葉を多用される方達は西洋で説かれる唯一神の存在を見たではなく、西洋で創造神と呼ばれる神に使われていると信じる天使等と呼ばれる霊の視認が多いと言えます。スピリチュアル女子の多くは、ミカエル天使長さん今日は式です。天使長ミカエルと自称する霊は見ても、創造神と呼ばれる神は見ていない。
私はヒンズー教の奥義書とされるヴェーダ典に残されていた【人の中に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】の体験を経て、天使長ミカエルとして出て来る存在に疑いを持ったと言えます。
世紀の予言者としての実績を持たれた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界にミカエルと言う名の天使長は存在していない。日本語の【省みる】の意味だと書いておられますが、現実にはミカエルと称する霊達が出ているなのです。しかしこの天使長ミカエルと称する霊が神霊界の真相を語ったかとなると、かなり怪しい存在と言えるのです。仏教ではそうした天使の存在すら語られていないのです。本当にミカエルとは天使長なのか?。となります。
そこにもしかすると【ミカエル】とは日本語による言葉の意味ではなかったのか?。そうした疑いが生じます。コブラ蛇の走りからすると、日本語による言葉の仕組みとして【巳(蛇)帰る】もあり得るからです。
西洋の宗教、キリスト教にイスラム教にユダヤ教は旧約聖書の神を【唯一の神】とはしていますが、その呼び方は各宗教で違っています。キリスト教ではイエスが絶対的な存在で、何人もイエスを通してしか創造神には出会えないと説きました。為にキリスト教では創造神たる神の神名は無いのに等しく、唯一神は【父なる神】とか【三位一体】の存在として説かれたがあります。そこに父と子と精霊?。訳が解らぬ論理に走ったと言えます。
でイエス一人が創造神の御子だと信じていても、実際に死後の世界に入るとそれだけでは天国界には誰も導かれないを起こしていると言えます。西洋の宗教では天国界に進む基準としての【カルマの原理原則】がほぼ説かれていないのです。善-悪=の論理すらイエスと愛の名の元に封じられてしまったと言えます。西洋では誰も本当にイエス一人だけが主の御子説を疑わなかったのかとなります。
キリスト教系の宗教として世に知られるエホバの証人などでは、父なる神はイエスより上位の神なのでユダヤ教で使う神名のエホバとしたがあります。この日本にキリスト教が入って来た当時の宣教師は、その唯一なる神をギリシャ神話の【ゼウス】神だと言っています。為に日本人から見ると、ユダヤ教における唯一神の神名であるヤハウェ(エホバの神)はギリシャ神話のゼウスかと?。混乱をも起こさせます。
私もこの日本にキリスト教を持ち込んだ宣教師が説いたゼウスとエホバの神の違いがよく解らないがありました。私は中国で神とされている鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされている盤古大神に拝謁して、それまで知ることがなかった神の名前だったので大本教霊界物語を読み、盤古大神は木星神と書いてあったことから意味が理解出来るようになって来たと言えます。木星神だとゼウス神に相当するからです。
仮に日本書紀で宇宙開闢の初発の神とする国常立尊様が大本教が出した悪神として神界から追われた神だと定義すると、その後の地上神界の主宰神と成られたのが盤古大神(ゼウス)であれば話のつじつまとしては合って来るからです。
ユダヤ教、イスラム教、ユダヤ教は【旧約聖書】を聖典とすることから同一の神を仰いでいると考えられてはいるのですが、現実にはこの三派は互いに互いが血で血を洗う殺し合いや戦争をして来たなのです。旧約聖書の神は【汝、人を殺すことなかれ。】と説いたにも関わらず、これらの派の宗教指導者は異教徒達は殺せの殺し合いをさせて来たのが私達が知る現実の歴史と言えます。今日もパレスチナでは住民の虐殺を伴う戦争状態を起こしているなのです。
同じ神を仰いで、どうして三派で殺し合いをする?
疑うべきは、西洋の三派に本当に創造神は臨んだのか?
私は子供の頃は旧約聖書の神と名乗る霊声を聞いておりましたが、それが本当に旧約聖書の神かと尋ねられたならば、その真偽は解らないと言います。ただ私が子供の頃に住んでいた場所は綾部の大本教に勤めている神主さん達の家々が在った場所で、私は子供の頃は綾部の大本教神苑の庭を遊び場にしていました。子供心にその旧約聖書の神と称する霊声は、大本教の神(後日、ウシトラ金神国常立尊の神名を知る)ではないかと感じたなのです。
大本教では国常立尊は日本書紀には初発の神として名がありながら、国常立尊様は今から【三十五万年前】に蛇霊に憑依された多数の神達から悪神の汚名を着せられて神界の表舞台から退かされた創造神として出されました。現在の人類は遺伝子的には今から約二十万年前の種とされていますので、そんな三十五万年前の出来事を知るよしもないとなります。ただ私は綾部の地に住んで、出て来た霊達から三十五万年前という途方もない昔の話を聞かされたがあります。また大本教霊界物語に出された今から約三十五万年前以上昔の出来事ではないのかと思われる様な霊的光景が出て来るなのです。
特に超古代に地球上に存在した恐竜の類では無く、世界の神話に見られるドラゴンと呼ばれる【龍】の存在を見えるがあるのです。宗教の世界で語られる【龍】とは、この世に現実に存在した恐竜の類とは明らかに違う存在と言えます。火を噴き、水も噴く。すなわち火(か)水(み)としての要素を持っていた存在なのです。
その三十五万の数字に驚くべき仕掛けがされていた
私はその旧約聖書の神と称する声に【あなた様はイエスの上に臨まれた神ですか?。】と尋ねたところ、その霊声は【私はナザレのイエスの前に一度なりとも臨んだことなどはない。ナザレのイエスは私以外の高き神の御子である。】と答えられたのです。私が気になったのは、イエスのことを一度もキリストとは呼ばずにナザレのイエスと言われたことだったのです。イエスは【キリスト】では無く、神の世界に関わった預言者的存在だったです。
この日本では世紀の大予言者と言うべき大本教の出口王仁三郎聖師が、【自分(王仁三郎聖師)と出口なお開祖の二人は、旧約聖書に残されている救世主登場前に現れると予言されている男女二人の大預言者である。】と述べておられます。確かにナザレのイエスの前に出た預言者とは洗礼者(バプテスマ)のヨハネと呼ばれる男性一人だけで、旧約聖書が予言する救世主にするにはもう一人必要がある女性の預言者が出ていないなのです。
イエスのキリスト教とムハンマドのイスラム教の創設に関わった大天使ガブリエルと称される存在は、ムハンマドにイエスは救世主では無かった。尊敬されるべき大預言者であると言わしめています。
自分が宇宙の最高次元界の神だと称しておられた幸福の科学の大川総裁は、神の世界を【神の高山の合目で語る次元界説】においてお釈迦様とイエスとモーゼは八次元界(神の高山の八合目)の魂の存在で、自分はその本体たる上の九次元霊界の存在だと自称デビューされました。更に十三次元の存在だと自称されたです。この日本ではスピリチュアル標榜者でも無い限り、イエスが救世主だ説は採らないでしょう。イエスの霊界における次元界説は八次元霊界と見る霊能者の方が多いのです。
私に臨ん来た旧約聖書の神と称する声は、イエスとムハンマドの霊界での地位を告げて来られましたが、それが事実かどうかは解りません。それが事実であればイエスは救世主が勤まる様な次元界出身者では無いとは言えます。霊界には【天使の記章】と呼ばれる事物が言われており、その記章を照らし合わせて見るとイエスを救世主とするのはそれ以上の霊世界の高みを見落としてしまうになると思われます。西洋で天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称している霊もさほど高い霊では無いなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、【自分はナザレのイエスに何一つ劣っていない。】と述べておられますが、イエスと同様の【八次元霊界】の存在ではあったと言われる霊能者の方が多いなのです。
私はこの日本で自称救世主を【キリスト】だと信じる信者集団が地獄界に進む亡者道を歩いている光景を幾つか見て来ましたが、悟りとは【吾が心】の中で、誰かをキリスト(真理)だと仰いでおけば天国だは、自分の魂磨きに何も繋がっていないなのです。
キリスト教に弥勒思想が無いのは悟りが無い
西洋の神智学者は弥勒(マイトレーヤ)を理解出来ず
私は旧約聖書の神と称する声から【拝火教】に目を向けなさいと教えられましたが、仏教のみろく菩薩とは本来お釈迦様の弟子としては存在していません。仏教が中央アジアに広がる過程で【拝火教】と関係する神が仏教のみろく菩薩の形で取り込まれたなのです。そしてそこに何神かは解れねども【五十六億七千万の数字の仕掛け】がなされた。だが西洋の神智学者はみろく菩薩(マイトレーヤ)とは実在した人物と思い込んだがあります。
ブラヴァツキー夫人の名が知られる西洋神智学でも人は死ねば霊魂となって肉体から抜けて行くと説きます。その霊界に渡った当時の霊界の肉体たる服は霊体とか幽体と呼ばれ、この世に居た時と同じ姿をしていますが、更に高次元霊界に進むとこの世の人で在った時の姿も脱いで魂だけの存在になります。西洋の神智学も霊と魂の違いに関してはある程度は説けています。
ただ西洋の神智学では、その魂の中に更なる高次元界用の【霊体】と成る存在があるとまでは出されていないと言えます。西洋のスピリチュアルは【正守護神】と呼ばれる様な段階まではハイヤーセルフの名で説けているのですが、日本の神道界で言われるところの【本守護神】と呼ばれる段階が説け切れていないと言えます。そこにナザレのイエスをキリストだと思い込んでしまった西洋人の感覚では、霊界の真相真理を説くのは無理と思われるのです。
本守護神が解らないと、イエス第一主義に陥る
日本ではスピリチュアル標榜者でも【みろく世】の到来を語ります。しかもそれは科学では否定して来る【次元界】と呼ばれる世界の存在が必要なのです。日本の神社に参拝すればそこには御神霊と呼ばれる方達が鎮座されています。その神霊として鎮座されている方達は私達の様な三次元世界用の肉体を纏ってはおられません。為にそうした神霊達の姿は霊能者と呼ばれる人達を通さないとその存在が見えないがあるのです。
人は死ねば誰でも【四次元霊界】には進めますが、そうした神社の神霊として存在する方達は私達が存在する三次元界よりも高い五次元界以上の存在であることはスピリチュアル標榜でも解ります。巷で自分が救世主ですと自称される霊能力者には自分は七次元界の魂と称される方が多いことで解る様に、八次元界より上はほとんど解らないが真相なのです。
大本教からは【この世は天人の苗床】と出されました。人は神(天人)と成る為の存在で、イエス一人だけを主の御子として拝んでいれば天国界に進めるではないのです。そこにキリスト教やイスラム教からは【弥勒(マイトレーヤ)】とは何かが出されなかったと言えます。
何故に国常立尊は、【艮】の漢字の仕組みをされた?
艮には退いている意味と牛虎で【鬼と云う魂】も説く
大本教神諭に【枝葉の神ばかりが栄えて、根元を枯らして何とする!。】式の内容があったかと記憶していますが、私が子供の頃に臨まれていた旧約聖書の神と称する声は、私に【海岸に長年の風雪に晒されて耐え忍んだ見事な枝振りの松の大木が在ったとしょう。人々はその松の大木を見てその木肌の荒々しさ、風雪に耐えた見事な枝振りを誉め称えるであろう。だがそなた一人だけであっても良い。その枝振りではなく、その松の大木の根を見る者になって欲しい。】と告げられました。 松の漢字には【末と公】が掛けてあり、末と公を待っている?。艮の金神の仕組みには根元の艮で、根元神の意味が解る様になってはいるなのです。
この世の【末】に、根元神たる艮金神は現れる
そこに万物の創造神が人類の前に出現される時は、魂の修業場で在る三次元世界(質の世の終わり)と、次の第八の世は永遠に嬉し嬉しの【身禄の世】と説かれたなのです。
私達人類が見るのは枝葉の神達で、根元の神では無い
根元は一神でも幹や枝葉と成る神が居て、枝葉も栄える
一神教は多数の神の存在が解らずに、唯一神も解らない
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