人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

そもそも救世主とは何者?。霊的世界の穢れを消さないで魂の救済などあり得ない。

 私の元にある方からメールが来ました。その内容は【あんたは人の魂の中に存在する良心神等と、何をゴチャゴチャしたことを説いている。そんな内容はイエスの様な救世主一人が出て来て、全人類の罪をその救世主が被ればよいことではないか!。】と言う意見です。

 私はこの方には何の返事も出しませんでした。返事を出すことそのものが無駄な努力を起こさせるからです。この方が人に内在する良心神を理解するは、この方がお釈迦様の高弟に成る様な理解力が無い限り、理解することが不可能に近いからです。

 巷にはイエスと同様に【神の奇跡力】を示して、自分が救世主ですと名乗る方達がそれなりに輩出しました。どの方もそれなりに【人助け】が出来る神力を保持されており、その神力に裏打ちされて自分が救世主だと名乗られます。もしその人に何の奇跡も示す神力が無ければ、その人は自分が【救世主】だと名乗るでしょうか?。名乗らなかったと思われます。

 

 人は死ねば終わりだと考える人は、この世で自分が積んだ罪や咎(とが)が死後の世界に関わっているなどとは何一つ思ってもいません。自分がこの世で積んだ罪や咎はスピリチュアルでも【正負の原則】として語られ、仏教では三時(過去・未来・来世)の三世に渡って表に出る【カルマ(業)】として説かれます。そして日本の神道では【穢れ】として説かれています。

 キリスト教ではイエス一人を創造神の御子と認めれば、イエスがその人の罪や咎を被ってくれる。そこからイエスを自分の罪を償ってくれる【贖(あがたな)い主】とします。本来は罰せられる自分の罪を代わりに償い贖ってくれる主を一般的には【救世主】と呼びます。しかしその贖い主の【贖】の漢字を見ると、?となります。

 

何故罪の償いの贖いは、財で【売り買い】となっている?

 

霊界を見聞すると、罪の【代物弁済】が存在しており

 

日本の諺、地獄の沙汰も金次第も【贖い】の意味を秘める

 

 

 世紀の大予言者と言うべき大本教の出口王仁三郎聖師は単なる宗教家ではなくて、霊界を見聞出来る能力に秀でた方でした。その出口王仁三郎聖師は【地獄界を覗けば牧師や僧侶で一杯だ!。】と残しておられますが、多くの宗教家が神や仏を説きながら地獄界に墜ちる。それは救世主を【贖い主】とする言葉に秘密があるともなります。

 

 

 

 巷には自分が【救世主】ですと名乗る方が多く出ました。そうした方の脳裏には、イエスと呼ばれる存在がキリストとして崇められているがあります。しかし自分に霊能力が備わっていると、霊界で見るイエスはキリストではないことが解って来ます。それはイエス一人が主の御子だと叫んでいる牧師が天国界では無くて、地獄界に墜ちていることから解るのです。

 自称救世主の自分を救世主だと認めれば自分が創る霊界の王国に案内してやる。その王国の住人にしてやる。そうしたことが往々にあったと言えます。私がそうした自称救世主に従う信徒達を見た時、その人達は地獄に向かう亡者道を歩いていると見受けられました。

 本当にイエス一人を主の御子と認めれば、それだけでその人がこの世で積んだ罪の穢れが消えて天国界に行くのかとなりますと、そうした実態がどこにも無いとなります。

 

 私は霊界に関わった頃、魂に点数が出る意味が解りませんでした。だが霊能者から魂に出る点数はその人が天国に行けるか行けないを決めて行く、その人の魂の【良心神】の点数だと教えられて、なるほどと納得が出来ました。しかしながら宗教の世界では我が宗派に入れば天国で異教徒は地獄に落ちる。そうした【唯我独尊】の教えが蔓延っていて、【真理】が疎かにされていると言えました。

 大本教から艮(牛虎)金神国常立尊が説かれ。その艮金神は【この世の閻魔大王】と出されたことから

 

人の魂に内在する良心神は、この世の閻魔(円真)大王

 

魂の穢れを消す心棒の取り替えは、閻魔大王の専権事項

 

 

 いったい誰が閻魔大王は魂の核(円真)の働きで、日本神道界で天帝の分魂で【良心の働き】を司る【直霊】としているそのものを現す存在として、日本語という言葉で組み立てているのか?。

 聖書では反イエスの存在とされる【666】を大本教は三つの六から【みろく】と呼ばせて、それは天帝のことであると出して来たのか?。どうして「みろく】とも呼べる【666】を反イエスの存在としたのか?。キリスト教は輪廻転生を覆い隠す冥府の長官閻魔大王をサタンとする様な教義を出したのか?。イエスの蘇りは何故に【黄泉(よみ)の国から帰る】のよみがえりなのか?。

 

666のみろく大神(マイトレーヤ)は、西洋では無理

 

 スピリチュアルを呼称する人達には【神は愛だから何をしても神の愛で赦してくださる。】と言う方達が多数あります。何を言っても【愛だ!。】の一点張りです。魂にこびりついた穢れとか霊界を汚している穢れの浄化など何も語らない。言わないです。霊界を穢していることすら知っていないなのです。そうした方達の背後に見られるのは、霊的世界に関わる人達からは爬虫類宇宙人と呼ばれる様な蛇霊系の存在の霊達と言えます。

 ある方は霊的世界を見ていて、この宇宙を創ったのは【蛇霊】だと言っておられましたが、そこに大本教霊界物語で明らかにされた蛇系の黒龍神達に憑依された神々の多数決で、国常立尊と呼ばれる神の御引退が起きたとしています。実際に穢れの黒龍神の浄霊に取り組むと、こちらが霊の穢れの浄化で七転八倒の苦しみを味わうとなります。

 

邪の道は蛇。今の神霊界は蛇系の強い神達が支配する

 

日本神道では穢れを【祓う神】で、祓戸四柱が説かれた

 

 されど霊界の一部分でも見聞して来ても、今の霊界は霊的穢れで【ヘドロの海】の状態になっていて、祓戸四柱の神の力で浄霊化されていると言い難いのです。

 大本教の神諭に【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組み】が出されましたが、霊界がヘドロ(泥)の海と化しても、誰もそのヘドロの除去が出来なかったと思われます。それはイエスの様な存在が一人出てくれば、除去出来る様な物ではなかったと言えるでしょう。

 天理教からは【宇宙の初発の泥海状態を泥鰌が出て来て固めた】式の話が出ている様ですが、この泥鰌は【土壌】につなげてあり、泥鰌の【鰌】には言葉の尊(御言)が秘めてあると言えます。すなわち泥を固めて土壌とすることで【地球と呼ばれるお土】を創った神は誰かと言う話です。

 この大地を固めた神として【大地の金神】と呼ばれる様な神の存在も出て来るなのです。霊界を見聞して来ると【便所神】と呼ばれる神の存在があります。私は稲荷神界で修行のお世話になりましたが、修行の第一歩は【便所掃除】と聞かされました。穢き(汚き)処を掃除するです。それが魂を【更正】すさせる【便所】です。

 

自分の魂が更正に入ると、トイレ(便所)の夢を見る

 

 キリスト教では人がこの世で積んだ霊的穢れは、イエス一人を創造神の御子と信じることで天国に助けられるとしますので、霊界の穢れを考える必要すら認めていないと言えます。もしイエス一人が人類の罪の【贖い主】であるならば、お釈迦様の悟りであった【人に内在する良心神】を大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】で【五十六億七千万】の数霊で解き明かす九霊界の【龍宮の音秘め】等を仕組む必要も無かったと言えます。

 キリスト教やイスラム教やユダヤ教を見るならば、そこに【数霊(かずたま)】とか【言霊(ことだま)】の組み合わせ等、何一つ出ていないと言えます。仏教における三時(過去・現在・未来)に渡る業(カルマ)の解消すらにも言霊とか数霊とかは出て来ないのです。

 私は霊的世界に関わり神として祭られている御神霊が悔い改めると、地上界の蛇が【棒の様】に直立する不思議な現象に出会いました。するとその御神霊は麗しい元の天人の姿に戻って天人界に帰って行かれる。そこに神界と天人界とは必ずしも同一界ではないと推察が出来ました。

 

天人界に邪神は存在しないが、神霊界は邪神が存在する

 

 仙人と呼ばれる方々が居る世界は【神仙界】と呼ばれていますが、神仙界は神界であっても天人界では無いと言われています。蛇霊神は神と呼ばれる存在であっても、天人そのものでは無いと言えます。それが法華教の【龍女の解脱】に繋がっているとなります。

 

蛇霊神も神なれども蛇霊神は天人では無い。欲が絡む

 

御神霊が改心すると、地上界の蛇が棒の様に直立する?

 

 そうしたことは世界の宗教書を見ても、書いたものが見当たりませんでした。私が見た映画【十戒】の中で、チャールトン・ヘストンが演じるモーゼとエジプトの神官がこの世のコブラ蛇を投げ合って、どちらのコブラ蛇が棒の様に成るかで、神の力比べをするシーンがあったと記憶しています。現実界の蛇が棒の様に硬直する。ただ私がその映画の十戒を見たのは中学生の頃で定かな記憶ではありませんでした。

 私自身はヒンズー教の奥義書とされるヴェーダに【人の中に眠るコブラ(眼鏡)蛇が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】を体験し、その時にお釈迦様は正しく悟られたがイエスは悟れなかったと閃いて、お釈迦様とイエスの教えの差に【真理】が埋没していると【真理】のみを求めて、お釈迦様の菩提樹の下での本当の悟りは、【悪魔は実体を持たない現れで有り。人には良心と呼ばれる神が内在している。】であったことを知りました。

 その【良心神】をたった【一文字】で解き明かす言霊が、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊】ですが、ただそれは日本人には出来るが西洋人には出来ないなのです。大本教神諭に【日本語は神の言葉】として記載されるように、イエス一人を主の御子と信じるだけでは絶対に理解不能の物だからです。

 

 しかもそれは朝鮮半島に残されていた予言。【最後の審判前、救済の為に「米」一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りない。】とあった【米一字の型】で説き明かす物だったなのです。

 私が子供の頃は旧約聖書の神と名乗る声が臨んでいて、その声は私に【私はそなたにこの神の神力を何一つ与えない。そなたにこの私の神力を授けるのは、最後の最後の時で有る。為にそなたは何の神力も持たないことからバカにされるであろう。】と告げられて来ました。確かに神を説いても、その神の力を人に見せるだけの【神力】が無ければ人からはバカにされるだけなのです。

 大本教が世に出した牛虎(艮)は鬼が云うの【魂】論で、出口王仁三郎聖師に【王仁(おに)】と呼ばせ、綾部の殿様九鬼神道でウシトラ(宇志採羅)からその一輪の言霊が【ら・ラ(良・羅)】であると仕組んだ神が存在しているなのです。

 

誰が日本語で、このような仕組みをしたのか?

 

 私の元には自分が救世主です。自分を救世主と認定して欲しいと言う願いが幾つも来ました。そうした方の中には自分は何百万騎もの龍神を従えている。自分は何千万騎の龍神を従えている。そうしたことを言って来られる方達もあります。それが私にも見えると確かに龍神と呼ばれる姿はしているのですが、宇宙を創造して来た龍神と呼ばれる様な存在とはその大きさの桁が違うと言えます。

 

私が見た龍神の力とは数でなく、その存在する霊界次元

 

地球の人類は、この宇宙を創った神の存在を見ていない

 

 私は神社や仏閣に鎮まる神や仏と呼ばれる霊達を見て来ました。そこに見られるのは現世御利益や病気治しで活動される御神霊達です。そうした御神霊達からは、人が人として生まれて来る意味や意義などは説かれません。為にそうした御神霊はこの世の神社や仏閣に鎮まってはおられるが、この世とあの世に関して私達人類に何もかも教えて下さっているとは言い難いがあります。

 

各自の魂の救世主は、各自の魂の核たる良心神(直霊)

 

四十荒野をさ迷って、四十一で主の御子と呼ばれる数霊

 

人類が創造神と呼ばれる神を見る時に、世は立て変わる

 

 

 

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