人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

終わりの事象。今の世はにっちもさっちも行かない。神は火(か)水(み)とも呼ばれ、火責め。水責め。

 私は霊能者と呼ばれる様な霊能力者ではありませんが、子供の頃は旧約聖書の神と称する霊声の教えを聞いていました。その内容はこの世は魂の修業場として旧約聖書の神と称している霊が創られた世界で、私はこの世を一旦は閉めて、この世にいる人類を永遠に嬉し嬉しの世に渡すと言われます。

 その永遠に嬉し嬉しの世とは日月神示の岡本天明師や大本教から【みろく(五六七)神政】として大宣伝されて来た世のことです。日月神示ではその世界は半霊半物質の世界と説明されていますが、半霊半物質とは詳しいことは解っていません。私は稲荷神界に関わってその姿を見せたかと思うとその姿を一瞬にして消す白狐霊等を見ていて、そうした物質界では無いかと推察したなのです。人の目には見えない霊的世界だが、その世界に入ると霊的物質体として存在しているなのです。

 私は神霊界に修業に入ってからは伊勢神宮に鎮座される御神霊や出雲大社に鎮座される神。稲荷講に所属して稲荷神界の存在。仏教で如来や菩薩や明王と呼ばれている存在。それに仙人や天狗。眷属と呼ばれる龍神や蛇霊や狐霊。猫霊とか狸霊。それにお釈迦様やイエスと思われる霊にも出会って来ました。

 

人は死後も生きていると解るのは、神仏の世界がある

 

諸神諸仏を見た時、そうした存在と人とどこが違う?

 

人の肉体から霊魂が抜ける時、ある事が判ります

 

 

 

 

人は肉体から霊魂が離脱すれば、死後の世界に気づける

 

 大本教からこの世は【天人の苗床】と宣伝されましたが、全ての人は【人は神の子・神の宮】であり。イエス一人が神の御子等あり得ないのです。イエスの教えにしがみついていると、永遠に霊界は理解されないでしょう。

 私は旧約聖書の神と称する声からイエスやマホメット(ムハンマド)に関して霊界における地位の説明を受けましたが、どちらも救世主と呼ばれる様な存在では無く、霊界においてその魂はそれなりの地位に在った魂との説明でした。それは霊能者の間で言われている魂が住む【霊界次元界の格】の違いの話であったなのです。

 

魂は次元界の高さで住む世界が違い。見る世界も違う

 

 霊能者の間で識界レベルが言われており創造神を第十識界とすると、お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界でムハンマドは第四識界レベルとされています。仏教では輪廻転生が説かれてもキリスト教やイスラム教には輪廻転生の教えが存在しなかったのは、お釈迦様の段階を越えないと霊界は簡単には解らないと言えます。

 その中でお釈迦様の死後56億7千万後に現れて、お釈迦様の本当の悟りは何であったかを告げる【弥勒菩薩】とは、いったい如何なる存在かとなります。誰が考えても56億7千万年もの途方もない未来など予言できる事柄ではありません。それは誰かが作為した数字ではないのか?。それぐらいの頭の知恵の回転力は要るわけです。するとそこには秘められた物があるなのです。

 

 キリスト教やイスラム教でも【魂】の存在は説かれますが、それがどのような物なのか理解されていません。魂を見ると玉形の円球と解りますが【玉形の思惟】なのか?。それとも【玉形の恣意】なのか?。それは外形だけでは解りません。ただ玉形の思惟と恣意とでは働きがまったく違うとなります。

 思惟とは仏教用語で深い洞察力に裏打ちされた思考で、恣意は何をしても自由の後先を判断する思考を持たない生き方で、思惟なのか恣意なのかは【日本語たる言葉を知る民族以外】では説明しても簡単には解らないがあります。それが大本教神諭におけます日本民族は特別の魂を賜った民族の説明ともなるのです。そこに黒色民族。白色民族。黄色民族は意味があって、そうした人種が創造神によって創られたなのです。白人は優越主義に浸っていますが、白人のままだと神に対する理解は劣るなのです。

 

たましいを、誰も【玉】型とは気づかなかったのか?

 

 私が見たイエスと覚しき存在の霊は、各自の魂が犯した罪を自分一人が主の御子式にする不用意な教えを出したが為に、非常に気の毒な立場に追い込まれてしまった存在と思えました。それは罪の祓い(払い)に気づけなかったと言えます。霊界を見ていると【カルマ(業)】の存在が解るからです。スピリチュアルで【神は愛だから何をしても赦して下さる。】は、カルマ(業)の存在がまったく見えていない者達なのです。

 

人の罪を被るは良い事でなく、人に間違った選択をさせる

 

カルマ(因業)を認識しなかった宗教は、信徒達も間違える

 

 仏教ではこの世で起きる出来事は前世の縁に【起因】していると説きます。そこには今の自分には【前世】と呼ばれる時代が在り。その当時の出来事が【因】として、今の世に起きると説いているのです。それは一般的に業(カルマ)と呼ばれ、その業(カルマ)が縁となって私達は諸々の事柄を体験する。そうした事柄から来た出来事に過去の自分の業(カルマ)を消す作用もあるなのです。

 

この世で起きたカルマの解消劇で、カルマは消えるのです

 

 各自の魂に業(カルマ)として存在する事柄は、イエス一人を主の御子と信じたならば消えるという物ではないのです。確かにイエスは霊界の次元格としてはそれなりの高さがある存在だったのですが、他の魂の罪を消すには自分がその罪を被らない限り、その罪を消してやることが出来ない事柄を信徒に間違った認識をさせてしまったなのです。すなわちそれは大本教が出した【人は神の子・神の宮】の認識不足です。

 

人は過去の罪を消せるから、罪消しにこの世に出て来る

 

  人は自分が他人を殴ったり虐めて自殺に追い込んでも、痛くも痒くも無いのです。私は他人を虐めて他人を自殺に追い込んだ人が悔い改めているなどほとんど見たことがありません。皆、面の皮が厚い。が、そうした自分が殴られた者、虐められた者、それで自殺に追い込まれた者の恨みとは、スピリチュアルの何をしても神の愛で赦して貰えますで消え去る事柄ではないのです。そこに艮の心。【恨み】を知るです。

 

この恨み。【七度生まれ代わっても晴らさん。】です

 

人が死後の世界に持ち込んだ恨み、簡単には消え無い

 

自分が受けた仕打ちを返しても、神の世界は五分五分

 

 私は自分が見て来た霊的世界とは、ある意味架空の世界で実在する世界ではありません。そこに在るのは意識だけであっても、意識はそれが消滅しない限り消えないのです。で、何百年前、何千年前、何万年前の霊の姿を見ることになります。

 仏教では【無我】を説きますが、大本教神論には【我が有ってはいけないが我が無くてもいけない。】とありまして、更に我(意識)の存在まで踏み込んでいるのです。もし各自の魂に無我が理想ならば、創造神はこんな世界を創る必要は無かったとなります。この世は【有我】だからあるのです。

 

何故、創造神は退いてまで魂(牛虎)を創られたか?

 

 私の元には自分は救世主だから私に自分がそうだと認証して欲しいとか、自分が救世主だから貴方には私の配下になって欲しいと言う依頼が来ました。私自身は自分は何の神力も持たないことから【救世主】の役では無いと解っていますので、本当にこの方は救世主だと思われる様な方が出て来られたならば、その【草履取り】をさせてもらいますと申してはいます。

 しかし私から見ていると、幸福の科学の大川氏や統一教会の文鮮明氏の霊界での地位が自然と判り、とてもとても自分は救世主だと名乗る程霊界での地位が高い魂の方では無いとも判るのです。私はその方が救世主だ!。イエスよりも遙かに高次元霊界の出身の魂の方だと解ったならば、命を賭してでもお仕えします。

 

自分の過去の罪さえ祓えないで、救世主と名乗る?

 

 私はイエス救世主論に多くの間違いを見て来たと言えます。イエスと思われる霊に三度ばかり出会いましたが、その背景に存在した出来事は神の世界とはキリスト教徒が思っている様な愛の言葉の世界では無いなのです。

 

人類が犯した【罪】は、どのようにして消すのか!

 

霊世界は【正負の原則】に支配されている。+陽と-陰

 

 今の世は太陽の灼熱地獄が襲って来て世界各地で高温状態になっていますが、それは単なる灼熱地獄ではなくて北極や南極の氷が溶け出し、海流の変化で世界各地で大雨が降るとなっています。また海流の変化から水産資源も減少しています。そして地球の高温化は大雨を降らすにもなります。

 そうした気象現象だけでなく、人類はこの世の目的を忘れて【AI!、AI!】に走り、肉体を持つ人間は【食】をしなければならないという基本の【農業】を忘れ去った人類には【飢餓】という問題が発生して来ます。

 

AIに、農作物を創り出すことが出来るのかです

 

 この日本では【農業】をする人達が極端に減りました。今日まで農業に携わっていた人達も高齢化して、農業に従事する後継者も育たずに農業者が減少するです。田舎を嫌う若者達は都会に出て行き、農村の崩壊です。そこに里山にまで熊が出て来る等自然が破壊されて行きます。そして鹿害も多発します。人類は何によって生かされて来た存在なのか?。その根本を見失いつつあると言えるでしょう。

 

農地はあっても、米や野菜を作る人が居なくなる

 

農業に適した環境も破壊され、人類は今だけに走る

 

 今、世の中を見ていますと【おかしいな】と誰しも感じるでしょう。世の中に隠れていた悪しき行為が隠しても隠しても噴き出して来ています。

 されどこれらの出事は人間業だとは思えません。私達人類には計り知れない世界からの業と言えるでしょう。

 

 子供の頃に私に臨んできた旧約聖書の神と称する声が私に告げた【人類を永遠に嬉し嬉しの世に渡す時期は何時ですか?。】と尋ねたならば、【その時期は何時とは言えぬ。ただ間違いなく言えることは、そなたはその時を肉体のそなたの目で見ることになる。この世の動きを見ていれば、その時期は自ずから見えて来る。】と告げられたなのです。

 

 だが霊界に関わっていますと、そこにはとんでもない映像があるのです。その霊的映像が見せる事柄が実際に起きるかと言えば、今すぐに起きると断言できる人は一人も居ないでしょう。だが霊界にある映像は起きる時期は解らないが、必ず起きるとも言われています。

 私が霊界が見せる映像の中に、最近一部も一部の霊能者が言う【M10映像】があるのです。ただ【M】を付ける霊能者と付けない霊能者がいられます。この【M】は何を意味するかです。このMは【地震】を意味しているのです。だが単なる地震ではないのです。地球と呼ばれる星の【核】がコントロール出来なくなって起きる地球内部からの核爆発のことです。で、地球の表面が踊るです。

 

 ただ多くの霊能者は地球の【核】には何の異常も起きていないとしていますので、賛成多数の原則からすれば地球内部の核の異常から地球からの脱出説を言う者は異端者も異端者となります。私はこの地球から新天地に向かう世を【みろくの世】と説く異端者なのは、この地球の核の部分から来るこの世の破壊映像を見たことからです。

 私が見た霊的映像は単に地球に起きる大地震ではなくて、この地球を動かしている原動力の【核】の異常からこの地球が運行を停止する【時の停止】で、それが起きる前に人類を新天地向かわせる創造神の大計画なのです。

 私は旧約聖書の神と称する声からこの地球とまったく同じ【瓜二つ】の高次元界に存在する地球のことを告げられた時、にわかに信じることは出来ませんでした。みろくの世とはその高次元界に隠されていた新地球での話で有り。この地球上に存在して来る世界では無いということなのです。しかし、何故そのような世界が秘密裏に用意されているのか?。その意味が解らなかったと言えます。

 

 明治31年旧12月26日の大本教の神諭に【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たなれば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ 】があります。大本教の神諭予告の九つ花とは大本教の出口王仁三郎聖師が解かれた物とは違っており、お釈迦様の悟りを56億7千万の数字で解き明かすもので、みろくの世とはこの地球上で起きる永遠に嬉し嬉しの世ではなくて【新天地】に向かう【神の栄光への大脱出】なのです。

 そこに民は将来に蘇るの【蘇民将来】の演技が必要で有り。大本教の出口王仁三郎聖師は【素戔嗚尊】の役を演じられたがあります。この創造神の大舞台たる神芝居は、肉体が生きたままみろく世に進むのではなくて、肉体は一度は死に魂は新しい高次元用の肉体を貰って永遠に嬉し嬉しの世に進むなのです。

 ただそれには魂と肉体を結ぶ【霊子(たまのこ)線】の存在を知り、それが一斉に強制切断される【即分(節分)】の意味を知る必要があったなのです。それが大本教から出された【三千世界一度に開く梅の花、開いて散りて実を結ぶ。】の予告なのです。日本の諺に【梅の種の中には天神さんが眠っておられる。】は、魂の核の中には天帝の働きたる天帝の子供の良心神が存在するなのです。

 

 その事象が起きる時は【破壊と再生】であり、

 

ある霊能者はマグニチュード10の大地震が来ると言う

 

ある霊能者は存在しない数字だが、震度10の地震と言う

 

ある霊能者は地球の表面10キロに渡る層が踊り狂うと

 

 だが肉体は滅びでも【魂】は残ります。現実に私達の魂は【輪廻転生】で今日まで生き残って来たからです。私自身は【龍】であった時代の記憶があります。しかし何故にその記憶が有るのかとなると、自己の魂の中にある【トラウマ】がそれを記憶しているからです。

 

魂の世界で何が怖いかと言うと、魂に着いたトラウマ

 

 為にはこれから先には起きると思われる出来事の予測はしておく方が、準備万端なのです。

 

 スピリチュアルを標榜する人達の中では、みろくの世とはこの地球が自動的に高次元世界に進みますから何の心配も要りません。が主張の骨子です。それに対して私の様なこの地球から脱出して新天地に向かうと説く派は少数も少数の異端者です。それは私はこの地球に対して【サヨウナラ】を言わなければならない霊的映像を見たからです。

 しかしその為には神の存在を人類が認める。そうした事柄が無い限り、いくら笛を吹いても誰も動かずとなるなのです。

 

 

 

 

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